生命の根本に帰ることの原始返本

https://blog.goo.ne.jp/poleshift/e/08e5d10d822942b509c8c9b19595872e  【生命の根本に帰ることの原始返本】  甑山道の基本思想 より

原始返本について考えてみたいと思います。

宇宙の秋が訪れるのを後天開闢と言います。春夏を先天、秋を後天といいます。後天開闢期を迎えた全ての人間は生命の源に立ち返って、実を結ぶ生を営まなければなりません。甑山上帝様は宇宙の秋開闢の精神を、「今は原始返本する時代である」(『道典』2:4:1)との一言で諭して下さいました。

原始返本の「返本」とは、「根本に帰る」という意味で、原始を基にしています。「原始」は、歴史的出来事であれ、自然的出来事であれ、生命があってもなくても、存在する全ての事物の中に内在している始原の精神を探し求めることです。

 このように「始」と「本」は、人類文化の始原、原形、根の文化の精神を意味します。この精神は神教で窺えるもので、神の教えを受けること、そうして神道と人間が一つになることを意味します。ここでの神は、個人的には祖先神を意味しますが、究極的には甑山上帝様を言います。

 「原始返本」とは、このように人間社会を含む「宇宙万物の始原を正しく知って、その根本に帰ること」を意味します。この意味を甑山上帝様は次のように具体的に明かして下さいました。

第一番目は、宇宙の秋開闢は万物が実を結ぶ秋の収穫期であるということです。人間が実を結ぶためには原始返本における道の本性を回復しなければなりません。昔から東洋の文化圏ではこの道の主宰者を上帝様と言っていましたが、これが東洋の神観の著しい特徴であります。西洋で言う元神は、東洋では道の主宰者であり、まさに宇宙の目的を成就する存在としての神を意味します。その方は、儒教と道教が天祭を通じて奉じ続けてきた上帝様であります。従って、秋開闢期における全ての人間の精神と文化の成熟は、道の主宰者である上帝様が人間として来られて開いて下さった窮極の造化であり、大統一の道である無極大道に帰することです。

第二番目は、原始返本の根本は、人間にとって生命の根である祖先、即ち先霊であります。私を産んでくれた両親と祖先代々は私の根であり、私はこの先天末期の夏の時間帯を生きている、実なる存在なのです。甑山上帝様は、「子孫が先祖を冷遇すれば、先祖も子孫を冷遇するのである。今や、人種の種を選り分ける後天の秋の運数を迎えたので、先祖神を粗末にする者は生き残れないだろう」(『道典』2:41:5~6)と言われ、後天の秋開闢期に生き残る途は、先霊の陰徳にあることを峻厳に諭されました。

 これは、秋季の秋殺気運によって私が死んでしまえば、私の先祖全ても共に消滅されるからです。これはまた、神明と人間が互いに根の存在でもあり、一体であることを意味します。今を生きる人間たる者は、「自分には自分の先祖が神様である」との考えで先霊神に対する認識を新たにするべきなのです。

第3番目は、原始返本の「本」は、儒・仏・仙・キリスト教以前の人類の始原文化のこと、神教文化の原形を意味します。甑山上帝様は神教の原形を回復させ、宇宙の秋の統一文明を開くための一つの元肥として用いられると言われました。

 ここで私たちは、神教の教えを説いて下さる三神上帝様、人間の身をもって来られた甑山上帝様に出逢わなければなりません。これは根本を正しく悟ることから可能なことです。後天の秋開闢期に生じる諸々の問題を解決するためには、最も根源的な「本」、即ち神教の教えをはっきりと認識するべきです。

 一本の果実樹が精一杯成長する夏季を過ぎ、秋を迎えれば実を結ぶ道理と同じく、天地の万物が宇宙の秋になって成熟した生命の実を結ぶことは、原始返本の道理に他なりません。秋開闢の根本精神は、甑山上帝様が、過ぎし先天の春と夏の東西文化の真髄を収めて、秋の結実文化、成熟した文化、統一文化を開くことを言います。

 従って、生命の根源に戻って成熟した生を営むためには、人間誰しも秋の開闢文化をお開きになった上帝様の新しい真理に巡り合わなければなりません。これについて、甑山上帝様は「万一、私の陰から離れれば死ぬであろう」(『道典』10:29:11)と言われました。

 詰まる所、生命の源である甑山上帝様に帰依してこそ、人類は秋開闢期の大艱難から救済され、成熟した新しい生命として生きて行くことが出来ます。

たとえばシオニズムなどは原始返本の現象です。