いばらとあざみ

http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/042kirisutono.htm  【いばらによる血は「のろいからの解放」を告げ知らせる】  より抜粋

いばらは聖書では、「のろい」の象徴です。アダムとエバが罪を犯して、世界に罪と死と、のろいとが入ったとき、神はこう言われました。

「あなた(アダム)が妻の言葉を聞いて、『食べるな』とわたしが命じておいた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう」(創世3:17-18)。

いばらは、あざみと共に、世界がのろいのもとに置かれたことの象徴として地に生えるようになりました。

キリストはこのいばらで編まれた冠をかむり、人々にふりかかった「のろい」を、身代わりに十字架上で一手に引き受けて下さったのです。

「キリストは、私たちのためにのろいとなって、私たちを律法ののろいから贖(あがな)い出してくださった」(ガラ3:13)

と聖書は言っています。

「のろい」は「神の祝福」の反対語で、神の祝福が取り去られた状態のことです。私たちは神の律法――神の教えを守って生きなかったので、神の祝福を得ることができず、反対にのろいの状態のもとに置かれてしまいました。


https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-crown-of-thorns.html 【いばらの冠の意味とその重要性は何ですか?】

質問: いばらの冠の意味とその重要性は何ですか?

答え: イエスのいかさま裁判とそれに続くむち打ちの後、イエスが十字架に付けられる前に、ローマの兵士は、「いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして彼らはイエスの前にひざまずいてからかって言った。『ユダヤ人の王様。万歳。』」(マタイ27:29;ヨハネ19:2-5も参照)いばらの冠は非常に苦痛なのですが、それは苦痛を与えるよりもあざけりのためでした。 ここに〝ユダヤ人の王”がムチ打たれて、つばきをかけられ、下級なローマ兵士たちに侮辱されていました。 いばらの冠は、彼らのあざけりを決定的にするものでした。王位と威厳の象徴である冠を苦痛を与える、下劣な物と取り換えたのです。

クリスチャンにとって、いばらの冠は二つのことを思い出させます。(1)実にイエスは王だったこと、また今でも王であること。ある日いつか全宇宙全世界がイエスを“王の王、主の主”として膝をかがめて拝むときが来ます。(黙示録19:16) ローマ兵士たちがあざけりの意味でしたことは事実、イエスの二つの役割を描いているのです。まず第一に苦しみのしもべ、(イザヤ書53章)二番目に、征服するメシヤであり王なのです。(黙示録19) (2)イエスはご自分から苦しみ、侮辱、恥を私たちの代わりに 忍ばれたこと。いばらの冠とそれに伴う苦しみはもうずっと前に終わり、今ではイエスは受けるに価する冠を受けられました。「ただみ使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスを見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は神の恵によって、すべての人のために味わわれたものです。」(へブル書2:9)

いばらの冠にはさらに象徴的意義が含まれています。アダムとエバが罪を犯したとき、悪と呪いを世界にもたらしましたが、人類にもたらした呪いの一部は「、、土地はあなたのゆえに呪われてしまった。あなたは一生苦しんで食を得なければならない。土地はあなたのためにいばらとアザミを生えさせ、あなたは野の草を食べなければならない。」(創世記3:17-18)ローマの兵士は、知らずに呪いの対象を取って冠に編み、その呪いから私たちを開放してくださるお方にかぶせたのです。 「キリストは私たちのためにのろわれた者となって、私たちを律法ののろいから贖いだしてくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべて呪われる』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13) キリストは完全な贖いのためのいけにえとして罪の呪いから私たちを贖いだしてくださったのです。いばらは呪いの象徴なのでした。 あざけりのための物だったのですが、一方いばらの冠は、事実イエスがどういうお方で、何を達成するために来られたかを象徴する最高の物なのです。