http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/11/blog-post_8628.html 【俳句は「国民文芸」?】 より
◆俳句は「国民文芸」?
『東洋経済』という経済界向けの週刊誌に五回連鎖されている兜太談話は[長老の智慧]というシリーズ、各界の功なり名遂げた人たちの、人生経験から来る訓話みたいなものだから、これはこれで人間味あり親しみやすい。とくに、戦争体験への内省、部下が餓死してゆくのを目の辺りにしてかんがえたこと、そういうことから、復員後に労働運動や反戦思想に傾いたことなど、来し方の自己の体験をまともに文学(俳句)に取り込んでいる。で、私は金子兜太のかような談話にぶつかって、「難解」と言われた次のような俳句にこの私自身が感銘した初学のころを想い出す(そのころ既に戦後四〇年をすぎていた。この「前衛」俳句の影響はまだ生きていた。と思う)。
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
果樹園がシャツ一枚の俺の孤島
強し青年干潟に玉葱腐る日も
『金子兜太句集』(昭和三六・風発行所)
という。どれも敗戦直後の生活の再建に向かう、私たちの父母達の若き日の心の立ち姿である。
「日本国民」には違いないが、そう言う類の共生感覚から父母達が苦労して赤子の私たちを育てたのであろうか。「戦後民主主義」、という言葉を私は嫌いだが、当時は、日本人一人一人が生をつなぐために、やはり、戦前の国家とか国民というしばりから解放された心理があったはずで、少なくとも無辜の「国民」一人一人が反軍国主義反ファシズムの、自由をもとめるデモクラートであったはず。その機運の中でうまれた「前衛俳句」の精神は、全体性よりも「個」の自由の発現であったように理解している。
また、兜太のこのような句には、高浜虚子等、「ホトトギス」の客観写生や花鳥諷詠の理念とは一線を引いた「造型」=仮構の世界だということが歴然としている。この新しい俳句理論の提案が当時の金子兜太の最大の功績である。単身赴任中に関西で新俳句懇話会の中心になり、いわゆる「前衛俳句」発生のきっかけになった・・このころの若き兜太たちのダイナミックな現実感覚は、それを跡づけて当時のガリ版刷りの冊子を読んでいてもつたわる。
その後、金子兜太の名句と思われる句はいくつかあるが、とくに
梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太 『遊牧』(昭和五六・蒼土舎)
のシュールリアリズムは、戦後社会への現実への直接の対峙というくびきをはずしたときに、この作家本来埋蔵している言語感覚が出てきたものだ、と私は印象けづけられたのだが。これだって、一〇〇〇万人の「国民文芸」概念とは質的に大きく隔たった要素の開花である。
金子自身の姿勢は、大衆化の時流のなかで、多くの俳人がたどっているのと同じ方向で歩いているのだが、俳句隆盛をよろこぶあまり(喜んでばかりもいられないではない)、わけのわからない共同性の次元に持って行くこの短絡は、いかに前向きと言っても現代俳句の第一人者の言だからこそ受け入れがたい。表現に関するおおきな取り違えがあるように思う。(金子の心の下の層には独自の言語領域がまだ健全に生きているのに)。
◆戦後俳句の帰結
ところで、その人が、また大きな賞を貰った。今回は県民のシンボルとして。
賞も、あり方によっては、俳句史の正しい認識をひろめ、あたらしい才能の開発や顕彰のしかたとして、見るべきものの出てくることがある。これ以降は予測出来ないが、今年の選考視点には納得が行く。
「正岡子規国際俳句賞」。事業主体は、「(財)愛媛県文化振興財団。愛媛県、愛媛県教育委員会、NHK松山放送局、愛媛新聞社、(財)自治総合センター」。平成十二年から実施されている。二年ごとに行われ今年は第四回、むろん郷土の偉人正岡子規の名を冠して「愛媛県」のイメージアップを図る目的は否めないのだが、一地方の文化政策の枠をこえていてそうとう視野がひろい。俳句界の良識の力をかたむけて、現状の制約の中で現代俳句の存在理由を体現したしかるべき人物を選んでいる。
今年2009年は「金子兜太」が大賞。以下。この二月十五、六日に松山と東京で、受賞式や記念のシンポジウムが行われた。「金子兜太」の受賞理由は、誰が書いたか知らないが、けだし名文というか、当を得た正論である。
正岡子規国際俳句賞大賞(1名) 金子兜太(男性、八九歳、日本)
〈受賞理由〉 金子兜太氏は、戦後世代作家として最も活動的な作家である。「俳句は文学の一部なり」(『俳諧大要』)とした正岡子規の精神を最も強く体得し、戦後俳句史の「事件」としての、社会性俳句、造型俳句、前衛俳句という運動や主張を主体的に展開した。のみならずそれらは狭い党派に止まることなく、俳句界全体にその影響を浸透させた。例えば、前衛俳句は伝統俳句に対立する運動と理解されているが、むしろ氏の活動によって伝統俳句が活気づけられた点を見逃せない。前衛俳句運動によって、伝統俳句の意識が明瞭となり、新しい伝統俳句運動も誕生した。氏はその後も、小林一茶や放浪の俳人たち、郷里の秩父など土着性の評価を踏まえて新しい俳句への意欲を燃やし続けている。(平成二年十年「正岡子規国際俳句賞」受賞理由)(太字・堀本)
全文引用せざるを得ない。兜太一人の軌跡をかりて、戦後俳句の帰結と言うべきものが簡要に過不足なく総括されている。この傍線部分、前衛俳句が「伝統」に近づいて金子兜太が「国民文芸」といいだしても不思議ではない俳句人の感情と認識をうまくいいあてている。いまのところ、衆(国民や県民)にとっては、一般読者として俳句は日常的にはこれで良い、ということである。「前衛俳句」は伝統俳句の論理を内包したまま既成俳壇にぶつかっていたから、伝統に固執する弊害に対する真の対立者としての立脚点を無くしていった歴史も自らうきあがってくるのである。
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