Facebook・長堀 優 さん投稿記事
その方は、九十歳近いご高齢の男性でした。
10年以上前に受けたがんの手術で声帯を失い、筆談を必要としたものの、認知機能も保たれ、とてもしっかりされた方でした。
三人の娘さんは離れて暮らしていたため、普段は高齢の奥様との二人暮らしでした。
しかし、誤嚥性肺炎を繰り返して体力がめっきり落ち、寝たきりとなったため、自宅への退院が難しくなり、急性期病院から当院に転院されてきました。
自宅への退院希望が強かっただけに、コロナで家族との面会すら厳しくなった状況に落ち込む一方でした。
しかし、自粛も解除され状況が改善してきたため、離れて住む娘さんたちにも協力をお願いし、一度思い切って外泊してもらいました。
本人の喜びも大きく、とても元気になったので、先日もう一度外泊を予定しました。しかし直前に呼吸状態が悪化し、外泊は中止とせざるを得ませんでした。
本人の落胆はいかばかりかと私は心配しましたが、娘さんが本人に伝えると、あに図らんや、もう理解していたのか、筆談で一言、「もう終わりにする」と伝えてきたそうです。
あまりにもキッパリとされていたので、娘さんは思わず、「人生のこと?」と聞いたそうです。
すると御本人は、しっかりとうなづいたと言います。
その瞬間、娘さんは、本人が死を受け入れたことに気づき、覚悟が定まったそうです。
その後に行われた私との面談では、奥さんも三人の娘さんも意見は同じでした。
「後はもう苦しまないようにしていただけたらもう充分です。私たちも受け入れる準備ができました。」
「前の病院からは追い出されるように退院させられたのに、このように受け入れてくれる病院があるなんて、ここにこられて本当に良かったです。」
涙を拭きながら、皆それぞれに同じ思いを伝えてくれました。
「このお年まで、重い病気をいくつも乗り越え、本当によく頑張ってこられましたね。お父様の最後の態度はじつにお見事です。
ここまできたら、もう苦しみを感じることはありません。大丈夫ですよ。ねぎらいと感謝でお送りしましょう」
私は、もう病気について語る必要はありませんでした。
「聴力は最後まで保たれています。ご家族の御言葉は間違いなく届いてます。面会の時はしっかり話しかけて感謝を伝えてくださいね。」
それから一週間、いつ訪室しても、必ずどなたかが面会にきていました。家族を愛されていたことがよく分かります。
逝きかたは、その方の人生そのもの、家族を愛していた方は、愛の中で旅立って行かれるのです。
お見事な逝きかた、そしてお見事なお見送りでした。
死亡診断書の死因は「老衰」でした。病気で亡くなったのではありません。最後まで力強い意志とともに生き切ったのです。
診断書の最後の欄に、私は迷わず「ご立派な大往生でした」と書き添えました。
死は敗北ではない、治すことだけが医療の役割ではない、あらためてその思いを強くしました。
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