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【正岡子規が俳句に詠んだ明治 29 年の東京大水害】
社団法人日本治山治水協会調査部長 渡 邉 悟
1.はじめに
明治 29(1896)年は我が国の災害史にもまれな大水害が発生した。No128 と No129 の報告では、「明治の大水害と森林法の成立並びに治山事業の開始(治山事業 100 年を迎えて)」として明治 29 年当時の全国の気象観測体制、降水量、被害状況、更には森林法の成立や治山事業の開始を報告したが、今回は東京におけるその被害について正岡子規の俳句を紹介しつつ報告する。
明治 29 年当時東京に住んでいた正岡子規も、台風や洪水に遭遇し、「今年は全国大雨にて洪水ならぬ處もなき」と記している。
明治 29 年は全国的な水害年であったが、「関東でも荒川、江戸川、多摩川などが氾濫した。江戸川沿岸では、千葉、埼玉両岸とも 2、3 町村を除くほか全村ことごとく浸水し、東京の本所、深川、日本橋、浅草等までほとんど床上を浸した。」(「農林水産省 100 年史」上巻 p. 398)とある。
本報告では、明治 29 年当時の東京の降水量及び洪水被害状況などを主体に取りまとめた。
2.東京都の明治 29 年大洪水
2.1 東京測候所の降水量「東京災害史」(畑市次郎著 昭和 27 年 5 月 20日発行)によると、明治 29 年の東京都の水害は、東京の明治三大水害の一つで、同 43 年の大水災に次ぐものである。
マリアナ群島からの台風が8月末から二度も来襲したため、東京も被害を受けた。利根川、荒川、多摩川その他の諸川がいずれも出水、ことに 2 回目の台風前後は 8 日が暴風雨、9 日は雨、10 日は大雨、11 日、12 日は暴風雨、15 日、16 日は大雨という有様であった。東京の降水量は表のとおりであった。
2.2 東京都の水害
「東京災害史」によれば、多摩川は 9 月 8 日正午から、増水、夜には平常より 1 丈 5 尺(4.5m)も高くなり、6 郷村のうち八幡塚で 58 戸、蒲田の御園で 100 戸、中村で 28 戸が床上まで浸水したため、住民は立ち退きを迫られたが、翌 9 日には朝から減水し堤防の決壊もなくすんだ。
荒川は戸田橋辺りの水位が 9 日昼に平水より一丈二尺(3.6m)、10 日午前 5 時には一丈七尺七寸(5.4m)、11 日午前 5 時には二丈一尺三寸(6.5m)に増水した。11 日には志村付近で 45 戸、岩淵町で 243 戸、王子町内で 231 戸、千住辺りで 136 戸、田畑 120 町歩が浸水して、本所区、浅草区の一部も浸水した。
利根川では権現堂川が増水して、12 日午前 5時の権現堂村は水量一丈八尺五寸(5.6m)、江戸川は 11 日午後 8 時に宝珠花で一丈六尺五寸(5m)に達し、他の河川の堤防数ヶ所の危険が出た。そしてついに 12 日午前 11 時に、江戸川筋の三輪野江村の深井新田地先で堤防が決壊、埼玉県の庄内古川も同日午後 4 時 48 分に堤をきり、13 日午後11 時には八木郷村の小向堤防がこわれた。このため中川は大増水して、15 日午前 1 時に新宿町で堤防 2 ヶ所、同日午後 5 時前後には、奥戸新田で塩入堤防が、また、東京への関門である花畑の六ツ木入堰は、16 日午前零時にそれぞれ破れた。
隅田川の堤防から水があふれて、水は柳島方面へ押し寄せて、押上の堤を 2 尺(0.6m)も越えた。
押上 1 丁目から新小梅町方面は水浸しとなり、向島須崎から中ノ郷を経て押上までは浸水家屋が1,333 戸、押上から柳島、大平町辺りは 1,924 戸、柳島本町から横川町は 136 戸浸水し、ところによっては床上 2 尺に達した。
この洪水では、本所を中心に浸水し、府と警視庁は救助に全力をあげた。本所区内で救助された人は 1,700 余人にのぼった。避難者は表町の明徳学校、須崎町の牛島学校、中ノ郷業平町の眞正寺などに収容され、炊出しをもらった。被害は特に区内北部で大きく、18 日夜水深 5 尺(1.5m)に達し、最悪となった。浸水は 10 余日に及び、23日から次第に減水し、27 日になってようやく水が引いたという。
2.3 正岡子規の俳句
明治 29 年当時正岡子規は東京に住んでおり、東京の台風被害と水害に遭遇し詠んだ俳句中に
は、次のようなものがある。
[正岡子規の俳句]
大水の引て雨なし秋の空 大水のあとに取るべき綿もなし
大水や屋根に栗干す野の小屋 大水の刈田は海の如くなり
秋立つとそよや嵐が吹いて来る 魂棚の火を吹き消しぬ夕嵐
窓の内に切籠をともす嵐かな 嵐吹く芒の中や砧打つ
淋しさや嵐のあとの秋の風 夜嵐や風呂場倒れて花薄
銀杏の青葉吹き散る野分哉 三日月の吹き取られたる野分哉
路次口を出れば大路の野分哉 鐘つけばぼんときれたる野分哉
大木の道に倒るゝ野分哉 福山の城を残して野分哉
人がやがや土塀を起す野分哉 塀こけて家あらはなる野分哉
旅僧の吹き飛ばさるゝ野分哉 小石やら雨やら野分顔を撲つ
黍動く野分の里に灯のともる ばさりばさり芭蕉野分に驚かず
心細く野分のつのる日暮かな この野分さらにやむべくもなかりけり
野分して上野の鳶の庭に来る 日の光野分の雲の暮れんとす
野分の夜書読む心定まらず 昼中や野分はじまる物の音
草むらに落つる野分の鴉哉 せんつばや野分のあとの花白し
都かな悲しき秋を大水見 洪水多き年を二夜の月晴れたり
柿喰ふて洪水の詩を草しけり
などの 30 余の野分や洪水に関する俳句がある。
また、正岡子規は、明治 29 年の台風や洪水についての周りの人々の騒ぎ立てる様子についての記述も残しており、
「今年は全国大雨にて洪水ならぬ處もなきに今は輦轂の下さへ寝耳に水の騒ぎは向嶋一面海の如く牛の御前に避難所を搆へてさながら戦時の有様なりと聞くより都下の老幼われ先に墨田堤に洪水見んと行くを中にも女だてらしかも紅粉白粉つけて出かけたる花なくて何の有様ぞと見し人の話しけるもうたてや」
と洪水の騒ぎを、本人は比較的冷静に記している。
2.4 東京都の水害被害額
明治 29 年の大水害は、中部地方が中心に広い範囲に及んだが、そのような中でも、東京、名古屋、大阪などの政治経済の中核が大きな被害を受けた。
東京都の水害被害は「日本帝国統計年鑑 17」(編集:内閣統計局 2001 年 4 月 25 日復刻版発行)
によれば、表-3 のとおり、建物流損、流荒地、道路破損、堤防破損、波止場破損、橋架流損、川除流損、用悪水路破損により、損失価額 908,632円、再築費 191,492 円とあり、水災金額合計は1,100,124 円であった。
参考文献
・「農林水産省 100 年史」上巻 昭和 54 年 3 月25 日発行 編纂「農林水産省百年史」編纂委員会 p. 398
・「明治 29 年中央気象台年報」第壱編 全國気象表、参照:図 1 測候所一覧圖 気象庁 国立国
会図書館蔵
・「明治 29 年中央気象台月報」中央気象台 国立国会図書館蔵
・「日本帝国統計年鑑 17」 編集:内閣統計局
2001 年 4 月 25 日復刻版発行 復刻原本:総務省統計図書館蔵
・「東京災害史」畑市次郎著 昭和 27 年 5 月 20
日発行 都政通信社
・土木学会図書館 旧蔵写真館 写真
http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19980802,20080515&tit=%89%C4%82%CC%89J&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%89%C4%82%CC%89J%82%CC 【季語が夏の雨の句】 より
重き雨どうどう降れり夏柳
星野立子
夕立や梅雨ではなく、本降りの夏の雨である。三橋敏雄の句にも「武蔵野を傾け呑まむ夏の雨」とあるように、気持ちのよいほどに多量に、そして「どうどう」と音を立てて豪快に降る。気象用語を使えば「集中豪雨」か、それに近い雨だ。そんな雨の様子を、夏柳一本のスケッチでつかまえたところが、さすがである。柳は新芽のころも美しいが、幹をおおわんばかりに繁茂し垂れ下がっている夏の姿も捨てがたい。雨をたっぷりと含んだ柳の葉はいかにも重たげであり、それが「重き雨」という発想につながった。実際に重いのは葉柳なのだが、なるほど「重き雨」のようではないか。この類の句は、できそうでできない。ありそうで、なかなかない。うっかりすると、句集でも見落としてしまうくらいの地味な句だ。が、句の奥には「俳句修業」の長い道のりが感じられる。作者としては、もちろん内心得意の一作だろう。夏の雨も、また楽しからずや。『続立子句集第二』(1947)所収。(清水哲男)
孔雀来て羽をひろげる緑雨かな
須田保子
作者の目の前にやってきた孔雀がそれまで閉じていた羽を大きく広げる。豪華なその羽を背景として今まで気づかなかった細かい雨が作者の目にはっきりと見えたのだろうか。茂り始めた緑を滴らすような「緑雨」と孔雀との取り合わせがエキゾチックな雰囲気を醸ししている。広辞苑によるとインド孔雀は藍色、マクジャクは緑がかった羽を持っているらしいが、掲句の孔雀はどちらだろう。小さい頃家の近くにあった動物園にも孔雀がいて3時きっかりに羽を広げるという噂を友達から聞いたことがある。何回か動物園に通い、夕暮れまで檻の前でじっと待ってみたが、全て空振りに終わった。それ以来目の前で孔雀が羽をひろげる幸運にめぐりあったことはあまりない。最初から羽を広げている孔雀ではなく、長い尾羽を引きずりながら悠然と歩み寄ってきて、「はいっ」とばかりに気合を入れて羽を広げてくれるのがいいのだ。作者の眼前にやって来てするすると羽を開いた孔雀は金のまじった豪華な羽を夢のように揺らしているのだろう。うらやましい。『方寸』(2004)所収。(三宅やよい)
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