がんばらない

Facebook・竹元 久了さん投稿記事

🌷すべてに完璧を求めれば求めるほど、心は満たされず不満にさいなまれる。

ここからいろいろな問題が起こってくるのだ。

貝原 益軒 Ekiken Kaibara江戸時代の儒学者 1630~1714

🔵自然界では、完璧はありません。究極と思うものを目指しての、チャレンジはありますが、どこまで行っても、極められることはなく、さらに、奥深く、高みがあるだけです。

日本人は、特に、その律義な感性からでしょうか、細部にわたって、完璧を求めて、

アクションが遅くなる傾向にありますね。

夢へのチャレンジなどでも、環境が完全に整ってから、準備が完璧に出来てからでないと、

行動を起こせない人も多いのですが。

どんなことであっても、完璧はあり得ませんので、完璧を待っても無駄ですね。

それよりも、いかに早く、行動を開始するかを考えた方がいいでしょう。

夢には、完了がなくても、人間の命には、間違いなくタイムリミットがありますからね。

常に、いつも不完全を認識して、チャレンジしていくなかで、経験や失敗などに学び、

改善を加えていけばいいのですが。

これも、日本人の得意とするところだったと思うのですが。

いつからか、苦手な部分になっているような、気がしますね。

出来上がったものを、なかなか、変更できないですね。

ディズニーさんは、ディズニーランドは、いつまでも未完成だと言っています。

facebookも、常にさらに上を目指して、留まることを知らずに、変更されていっていますね。

完成はないと考えて、さらなるチャレンジをしていくところに、期待を超える、幸せの提供が出来るのでしょう。

これで終わり、これでいい。と思った瞬間から、進化はストップしますからね。

貝原さんは、健康に触れた、「養生訓」などの著作を残されていますが。

まさに、あり得ない完璧を求めすぎることで、心や身体にも、問題が生じてきます。

また、周りにも、これを求めてしまうと、争いの原因にもなりますね。

枝葉末節に、完璧を求めていくと、いくら時間があっても、あなたの夢の実現に近づいていきません。

どうぞ、完璧、究極を求め、目指すのは、あなたの夢だけにしてください!

逆に求めて、前に進んで行かなくなっていないか、いつもチェックしてみてくださいね。

完成はあり得ませんが、そこを目指さない限り、あなたの天才が、最高に輝くこともありません。

どこまでも、進化し続ける、あなたの天才が、その過程で、必要とされる人に、たくさんの幸せを届けることになりますね!

進化し続けるために必要な、完璧を求めるところを、どうぞ、心得てください!

(浜本哲治)

Facebook・相田 公弘さん投稿記事 【今生の自分の役割をしっかりと果す】

ひろさちや氏の心に響く言葉より…

インド人は輪廻転生を信じている。

人間は生まれ変わり死に変わりして生存し続ける…といった輪廻の思想を古代からインド人は持ちつづけている。

この輪廻の考え方によると、人間はこの世にあって一つの役割を果たしていることになる。

そして、与えられる役割は人それぞれにちがう。

男の役割、女の役割、金持ち、貧乏人、貴族、庶民…と、役割は無限にある。

その役割を振り当てられて、わたしたちはこの世に生存している。

なかには損な役割もある。

そして、いやな役割がある以上、貧乏くじを引かされる人もいるわけだ。

それはちょうど、舞台の上の芝居のようなものだ。

芝居にはさまざまな役割があり、誰かがその役割を引き受けなければならない。

王子さま、お姫さまの役割だけでなく、悪代官の役割だってあり、それを演ずる人が必要だ。

もちろん、芝居の筋書きを変えて、損な役割・いやな役割をなくす努力も大事である。

けれども、現実の芝居にその役がある以上は、誰かがそれを引き受けねばならない。

そうでないと芝居にならない。

そこでインド人は、わたしはこの世でこんな役割を与えられたから、それをしっかりと果たしていこうと考える。

他人の役割をうらやましく思うのはやめて、自分の役割をしっかりと果たそうとするのが、インド人の考え方だ。

そうすると、輪廻の次の舞台でもっといい役割がもらえると信じているわけだ。

わたしは、インド人の考え方を全面的に肯定するわけではない。

が、他人の役割を羨望することなく、自分の役割に専心するインド人の態度に、拍手をおくりたい。

『がんばらない、がんばらない』PHP文庫

本書の中にある禅の高僧の話があった。

『明治時代の禅の高僧が、70歳か80歳になって、英語の勉強をはじめた。

弟子たちが、いまからでは無理ですよ…と言う。

高僧は答えたそうだ。

「うん、わしもそう思う。しかし、いま、単語の一つ、二つをおぼえておくと、この次、生まれてきたとき楽じゃろうと思うてな…」と。』

現世で、悪いことをし尽して、しかも何の罪も問われなくて「この世はチョロイ」と思って死んでいった悪人がいたとする。

しかし、もし輪廻があり、来世に生まれ変わるとしたら、来世でその報いを受けるかもしれない。

この高僧のように、この次、生まれてきたときに楽だと思うか、反対に、最悪だと思うか。

この世限りと思えば、投げやりになろうが、いい加減に生きようがそれで完結であり、一切が終わりだ。

しかし、人生が1000年か2000年続くと思えば、今生はその中の一瞬に過ぎない。

「今生の自分の役割をしっかりと果す」

与えられた自分の役割を全力で全うしたい。


Facebook・西村環さん投稿記事

今、伝えたいこと光子さんからのメッセージ2020「地球物語 ⑥」のこと

人は悲しみや苦しみの原因は、自分にではなく誰かのせいにしたがります。

こんな人生になったのは誰だれのせいだとか、仕事がうまくいかないのは誰かさんのせいだとか、落ち込んだ人や悲観的な人は、愚痴を言い不平不満を言い、誰かを責めます。

反対に意識レベルの高い人は、失敗したり落ち込んでも、人のせいにしたりしません。

それでも人生とは何かを悟れないことを息苦しく感じながらも、人生の状態に責任がある者がいるとしたら、それは他の誰でもない自分なのだと知っています。

地球上の全存在は、生きることに責任を負い、皆自分で選んで地球に来ています。

私達 人間は、自分の自由意志が創った存在です。

体験、経験も本人の自由意志が行使されており、他人のせいにはできません。

人生に対する選択は、本人が決めていることだからです。

なので自分の人生を、他の誰かのせいにすることはできません。

他の誰も自分の人生の責任を取ってくれません。

責任を取るのは『自分自身』だけなのです。

皆さんは全てを自分で選択して生きています。


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