コロナ危機は新しい、実効的な多国間主義を考える契機である

http://blog.unic.or.jp/entry/2020/07/16/120417 【コロナ危機は新しい、実効的な多国間主義を考える契機である(前編)】  より

一橋大学大学院法学研究科/国際・公共政策大学院教授。2018年より同大学院院長を務める。それ以前は、2016年から2018年まで外務省に出向し、在ウィーン国際機関日本代表部公使参事官として、核セキュリティ、原子力安全を中心に国際原子力機関(IAEA)での原子力・不拡散外交に携わる。また、2010年、2015年の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議には日本政府代表団アドバイザーとして参加。最近では、外務省の「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」メンバーを務める。一橋大学博士(法学)©︎ Nobumasa Akiyama

はじめに:グローバリゼーションの反逆

新型コロナが我々の生活に与えた影響は、質的にも、また規模の面でも莫大なものであることは言を俟たない。

人類の、あるいは国際社会の発展の歴史という視点から見ると、今我々は、我々がこれまでたどってきたグローバリゼーションの歴史から逆襲を受けているようでもある。「国際社会」がグローバル化していく過程は、また、感染症がグローバル化する歴史でもあった。

「コロンブス交換」とは、アメリカの歴史学者アルフレッド・クロスビーの有名な言葉だが、食物や動物など多くのものが大陸を超えて行き交うことで、世界中の生態系、社会生活を変えてしまったことを指す。この「コロンブス交換」によってヨーロッパにはジャガイモやトウモロコシがもたらされ、アメリカ大陸には、牛や馬、ヒツジといった家畜がもたらされた。ほかにも奴隷がアメリカ大陸にもたらされ、世界の生態系や生活様式などあらゆるものが変革した。両大陸間で交換されたものはそれだけではない。感染症もまた「コロンブス交換」によって大西洋を渡った。ヨーロッパからアメリカ大陸には、コレラ、インフルエンザ、マラリア、ペスト、天然痘、結核などがもたらされた。遺伝的に免疫を持たないアメリカ大陸の先住民族は、これらの病気によって壊滅的な被害を受け、レコンキスタから100年後、メキシコの原住民の人口はレコンキスタ前の3パーセントにまで減少してしまったとの研究もある。

また、アメリカ大陸からヨーロッパにもたらされた感染症の一つに梅毒があると言われている(諸説ある)。ヨーロッパにおける梅毒のアウトブレークがはじめて記録されたのは1494年のことだった。フランスの侵略を受けていたイタリアのナポリで起きたものである。このヨーロッパでの初めてのアウトブレークからわずか4年後の1498年には、梅毒はアジアに到達していた。そして、日本ではじめての梅毒の記録は、1512年の大坂での症例である。ヨーロッパへの伝播から20年で(ヨーロッパから見て)世界の東の果てまで到達したということになる。ちなみに鉄砲は、種子島に伝えられたのが1543年なので、8~9世紀の唐で銃の嚆矢といえる「火槍」が発明されてから600年ほどかかったことになる。ある意味では、感染症は、戦争のあり方を、そしてそれによって政治のあり方を変えることにもなる近代的な兵器よりも、30年も早くグローバル化したということになる(なお、その40年後には日本は世界最大の銃保有国になっている)。それでも、当時新しい病気が地球を一周するのには20年かかった。

しかし、新型コロナは、中国の武漢で初めての症例が世界保健機関(WHO)に報告されたのが2019年12月で、それからわずか5か月で世界中ほとんどの国で感染が確認され、死者の数は半年で50万人近くにまで膨れ上がった。

現在のところ、この感染症に対する有効な治療方法は確立されておらず、ワクチンなど感染を防止する医学的手法が見つかっていないため、人の移動が著しく制限され、また物流も滞っている。アウトブレークの第二波、第三波を避けるためには、今後も人やモノの移動は一定程度制限されるであろうし、かつてのレベルにまで人やモノの流れが回復するのには時間がかかるであろう。カネや情報の移動はそれほど制約を受けないのかもしれないが、生産や物流などの経済活動は停滞し、いくつかの分析は世界経済の回復には数年を要するとの見方を示している。

一方、密集を避け、リモートでの会合が常態化するなど、人々の行動様式も変化していくであろう。感染症の封じ込め対策を進める中で、人々の間には、移動の自由を奪い、そして安全のために自由を抑圧することを一定程度許容するマインドを生んだ。これは、国家の権威への依存の高まりと民主主義や人権といった、これまでの我々の「自由な」社会が依って立ってきた基盤の浸食でもある。

また、新型コロナのパンデミックは、国際協調が「主権国家」の前にいかに脆いものであるかを白日の下にさらした。シェンゲン条約による人の往来の自由は閉ざされ、輸送途中のマスクや人工呼吸器でさえも国家間で奪い合う事態まで起きるありさまは、近代か中世を彷彿とさせるようでもあった。いくつかの国は、今回の危機を教訓に、医療機器などを戦略物資と位置付け国産化を進めたり、また産業のサプライチェーンの国内回帰などを進めようとしている。

国際秩序を支えるはずの大国に目を向けると、いち早く危機からの脱出を宣言した中国は「健康一帯一路」戦略を打ち出し、「マスク外交」にいそしむ。そして、米中の戦略的競争が激化する中で、米国首脳は、国内政治的要素もあるとはいえ、パンデミックの発生に関し中国責任論を強硬に展開し、さらにWHOについて、その立場が中国寄りであると批判し、脱退を宣言した。この数年、米中の戦略的競争と対立の激化の中で、地政学の復権が言われている。新型コロナのパンデミックをめぐる国際政治の喧噪は、こうした見方を補強するようにも思える。「主権国家」の本質がむき出しになった現在の状況では、国際協調という言葉がむなしく響く。

グローバリゼーションは止まらない:多国間主義は重要であり続ける

しかし、グローバリゼーションによって受ける恩恵にいったん味を占めた人類は、グローバリゼーションという人類の発展パラダイムを放棄することはできないであろう。加えて、情報やデータ、通信など、おそらく今後我々の生活を規定していく上で極めて重要な意味を持つことになるであろう技術は、不可避的に「国境」という概念とは親和性が薄い。

おそらく、我々は、当面のところ、変容しながらも深化するグローバリゼーションと主権国家の権力の肥大化という二つの潮流が引き起こすパラドクスの渦の中で泳いでいくしかないのであろう。

感染症のパンデミックに留まらず、経済格差と不平等、気候変動問題、テロ、大量破壊兵器の拡散など、今国際社会が抱える問題は、グローバリゼーションが変質し、主権国家間の利己的な利益追求が主流となる近代(あるいは19世紀的世界)へと国際政治の時計の針が逆回転したとしても、それによって解消されるものではないどころか、深刻さを増すことになろう。その原因も影響もグローバルな課題は、いずれにしても国際社会の協調なしに解決することは不可能であり、国際社会は、これらの問題を解決することなしに、持続可能で平和な生活を獲得し維持することはできない。

本来であれば、このような国際協力を調整し推進する役割をになうのが国際機関であるはずだ。しかし、残念なことに、国際機関もまた、新型コロナの犠牲者となりつつある。WHOによる新型コロナの危機対応については、アウトブレーク初期の段階で適切な情報提供や移動制限等の警告を発することができなかったという、組織の活動の実効性に係る不満が高まったことは否定できない。それゆえに各国からの信頼を獲得するのに失敗したという面はあろう。だが、トランプ大統領のWHO脱退宣言に象徴されるように、各国からの批判の中には、WHOが中国の影響下にあり、中国に対して妥協的なアプローチをとったがゆえに正確な情報を国際社会に対して伝えることができなかったのではないかという、中国の台頭に対する脅威論を念頭に置いたような極めて政治的な文脈での批判も少なくなかった。

しかし、そもそも国際社会は主権国家によって構成され、国際機関はその主権国家の集合体でもある。感染症の流行に関わる情報は、経済活動、社会の安定にとって大きな影響を与えうるものであり、国家安全保障という観点からも極めて高い機微性を備えているということに留意する必要がある。理念上は、そうした各国の個別利害を乗り越え、国際社会全体の福祉のために自国(自政府)に不利な情報であったとしても積極的に情報を共有し、国際機関(今回の場合にはWHO)をハブとして国際協力を推進すべきなのであろう。しかしながら、現実にはそのような理想的な協力体制の構築は容易ではない。

中国からWHOへの情報提供に関しては、今後様々な調査などでその実態が明らかになっていくであろう。その是非については、正確な情報や調査報告を受けて議論することが必要である。同時に、一般論で言えば、このような国際機関加盟国からの情報提供の不備や協力的な姿勢の欠如というのは、中国に固有の問題ではなく、他国であったとしても起こりえる事態でもある。これは、善悪の問題というよりも、国際社会の構造自体に由来する問題である。主権国家という制度、そして秩序や法執行をつかさどる中央権力が不在で、各主権国家がそれぞれ独立して存在し、時に利害をぶつけあうのが国際社会の現実である。

もちろん、それが現実だからと言って国際機関不要論や国際協力批判論に与するのは単純に過ぎる。すでに述べたように、国際社会の安定と繁栄を望むのであれば、国際社会における協力なしに解決が不可能な諸問題に取り組む必要がある。それは、気候変動や大量破壊兵器の拡散、経済格差や不平等などの問題は、放置しておけば人類の生存や我々の社会の持続可能性に大きなリスクをもたらすものであるからだ。

であるならば、今挙げたような国際社会の制度的な特性と、それによってもたらされる国際機関の機能的限界をよく見極めて、国際機関をどのように活用するのが最適なのか、という視点からもう一度国際機関の体制や機能を見直すガバナンスの改革を構想していくべきであろう。

後編では、この国際機関の体制や機能、また他ステークホルダーとの連携の有⽤性について、考えてみたい。

http://blog.unic.or.jp/entry/2020/07/17/110521?fbclid=IwAR3kbR8sscpVDY4Wfkk5afyyndRsjVKhYRoMk_bOyWeLkBNarDoPKLCN5tw

【コロナ危機は新しい、実効的な多国間主義を考える契機である(後編)】

新たな多国間主義のあり方を目指して

今後の多国間主義を通じた国際協力を考えるにあたって二つのカギとなる考え方を示したい。一つは、グローバル・ガバナンスの「重層化」である。そしてもう一つが、「マルチ・ステークホルダー」化である。いずれも国際機関をめぐる議論においては目新しい概念ではない。しかし、今回のパンデミックの中でのマルチラテラリズムの危機を目の当たりにし、改めてガバナンス改革の方向性としてこの二つの重要性を確認したい*1。

今回の感染症パンデミックのようなグローバルな規模の危機への対処の実効性を高めるためには、対策のループホール(抜け穴)を作らないという点で国際的な協調が不可欠である。例えば、今回の新型コロナは、感染力が比較的強いために、時期は相前後するものの世界各地に蔓延しており、また免疫のメカニズムも明らかになっていない。一方で人の往来を完全に遮断し続けることは不可能である以上、世界規模での対応が必要であり、そのためには、グローバルな対応における「ウィーク・リンク(弱い鎖の輪:一つの輪が弱ければ鎖は役に立たないことの喩え)」を作らないことが重要である。その国際協調を実現するプラットフォームは、国際機関、今回の場合には世界保健機関(WHO)が中心となるが、国際機関のキャパシティやマンデートを考えると、国際協調をその枠内で追求するだけでは不十分である。

今回、WHOに対して、その危機対処ぶりに関して各国から多くの不満が寄せられていた。中国との間で、とりわけ初期段階において情報共有が円滑にできていなかったのではないか、またWHOから提供された新型コロナウィルスの特性や対処方法に関する情報が不適切であったのではないか、といった不満である。こうした不満が出るのは、新型コロナが新しい感染症であったことや、主権国家の集合体である国際機関の宿命として効果的に業務を遂行するためには、当事国たる加盟国と協調的な姿勢を取る必要があったということで理解できるが、そのことは、WHOの統治体制の見直しやエンパワーメントが不要ということを意味しない。

しかし、主権国家の集合体としての国際機関の側面を考えると、国際機関そのものの能力を強化するという国際協調体制改善の方向性の限界も認識したうえで、国際機関の強化と並行し、国際協調の重層化とネットワーク化を通じた、グローバル・ガバナンスの能力強化の方策を志向することも必要である。具体的には、有志国家間での協力体制の強化や、民間レベルにある専門知識や情報ネットワークの活用のために、エピステミック・コミュニティ(Epistemic community: 知識共同体、専門知を持つ人々の集団)/市民社会といった多様なステークホルダーのコミットメントを高め、国際機関と連携を取りつつ、国際社会全体としての能力向上を図るという方向性である*2。新型コロナの危機における国際社会の対応ぶりは、こうした形のガバナンスの改善が必要かつ有効であることを示している。

新型コロナは未知の感染症で、感染力や症状などが解明されておらず、また、効果的な治療法はいまだ確立されていない。そのような中で、政府の持つ情報や能力だけでは対応が追い付かず、各国政府の対策の策定にあたって感染症の専門家の役割に注目が集まった。さらに、感染者数や感染のパターン、あるいは症例などのデータが出始めると、政府や政府と密接に連携している専門家だけでなく、大学や研究所などに所属する研究者が、SNSなどを通じて情報や知見を交換しながら、様々な知見が蓄積されていくという現象がみられた。しかも、このような情報の交換と知の蓄積は、医学界、疫学の専門家という狭いコミュニティに留まらず、数理統計学や心理学、人工知能(AI)によるビッグデータ解析など多様な領域の専門家を巻き込む形で広がっていった。

このような専門家のコミュニティ(エピステミック・コミュニティ)は、政府の対策に対する「ピア・レビューワー(peer reviewer: 一種の査読者)」の役割を果たし、またある時には政府外の専門家の知見や情報が、政府内部の政策形成過程の中に取り入れられ、手探りの中で進められていた感染症封じ込め対策の改善に貢献したと言っても良いであろう。

また、言うまでもなく、感染症の症例に真っ先に触れるのは医師であり、そのほかの医療従事者である。新型コロナ危機において、中国政府からの情報提供のあり方に関する不満や不信感が国際社会に充満したが、従来の政府の担当窓口を通じたWHOへのコミュニケーション(通報や情報提供)が国家の利害関係の中で適切に機能しえないのであれば、医師や研究者といった非政府や市民社会の主要アクターが直接参加し、情報を提供・共有できるようなネットワークを構築することも一つの方策であろう。

このようなエピステミック・コミュニティのネットワークを通じた早期通報、情報共有、そして集まってくる情報の科学的検証をネットワーク上の集合知にも一部頼りながら、公的なチャネルで活動するWHOを補完し、関係国やWHOに対し、蓄積されたデータによるエビデンスをもとに代替案を提示しつつ対応を促したりすることを可能にする。エピステミック・コミュニティのチャネルに情報が流れ、様々な、しかし専門的な知識に裏打ちされた情報や知見が社会に共有されることにより、国際機関や各国は、ある種のピア・プレッシャーも受けることとなり、国際機関や各国政府は、自らの危機への対応力(responsiveness)、情報公開等における透明性(transparency)や政策の妥当性や適切性に関するアカウンタビリティ(accountability)を高めていかざるを得なくなり、結果として国際社会全体での危機対応能力が向上することが期待できる。

その際に留意すべきは、このようなエピステミック・コミュニティのメンバーで、ネットワークを通じ早期通報を行った者が、国家の利益を損ねたという理由から当該国政府により罰せられるというような可能性もあるという点である。例えば感染症の情報というのは、国家安全保障に直結すると考えられており、そのような情報を漏洩することを禁じる国もある。また、政府の威信や国民からの信頼を維持するという観点から、政策の失敗ともとられかねない感染症の流行に関する情報の提供を躊躇する政府も出てくるであろう。しかし、国境を越えて影響が広がるパンデミック危機においては、一国の国益よりも国際公益を優先させるべきである。さらに言えば、国内においても、ある地域での感染症の流行を隠ぺいすることにより、国内の他の地域での感染症の蔓延を引き起こすリスクもある。そこで、そのような「公益通報」行為を行った専門家(whistleblower: ホイッスルブローワー)の権利保護の方法についても考える必要性があるだろう。その意味では、安全と人権の衡平性を確保する観点からも人権や民主主義の専門家の関与も欠かせない。

他方で、災害時に見られる社会的な現象に「インフォデミック(infodemic)」がある。ソーシャルメディア上などで真偽や出所不明な情報、あるいは「フェイクニュース」と呼ばれるような虚偽の情報が流通し、これらの情報が人々をパニックに陥れることによって社会的な混乱が生じるような状況が、今回の新型コロナのパンデミックでも、世界各地で生じていた。そのためには、誤った情報が否定され、その代わりにより確度の高い、出所の明らかな情報が流通されるべきであるが、エピステミック・コミュニティのネットワークを通じて発信される情報に、そうした「フェイクニュース・バスターズ」的な役割も期待しても良いのではないだろうか。

このようなネットワークはまた、医療機器や防護服など緊急時対応のための資機材の備蓄や生産拠点の所在に関する情報をあらかじめネットワークに登録しておき、緊急時には、感染症の流行状況やトレンドを適切に把握・予想して、資機材を相互に融通するためのプラットフォームとして活用しえるかどうか、検討しても良いであろう。新型コロナ対応で世界的に医療資機材が不足し、奪い合いになったことは記憶に新しいが、もしこのような危機対応時における資機材の相互融通が効率よく行えるようなネットワークが構築されれば、各国ごとに備蓄や生産体制を囲い込むよりも効率的かつ、おそらく迅速に物資の供給が可能になるであろう。

おわりに

新型コロナ危機によって、国際機関を通じた多国間協力への悲観論が高まっている。しかし、国際社会は、グローバルな取り組みを必要とする問題が深刻化している(そして、そうしたグローバルなイシューを単独でリーダーシップをとって解決できるような超大国が存在しない)今こそ多国間主義を必要としている。そこには、主権国家の集まりとしての国際機関が抱える制度的制約という構造的な問題が立ちはだかるが、それを悲観もせず、また理想論に固執することもなく、どう乗り越えるかを、従来の思考の枠組みを超えて柔軟かつ複眼的に考えていくことが求められよう。

本稿では、一つのアイディアとして、多国間主義の実効性を確保するためには、国際機関自体のガバナンスを改革していくことも重要であるが、その国際機関が政策領域のグローバルなガバナンスを、エピステミック・コミュニティ/市民社会のネットワーク化を通じた重層性を確保していく形で強化・改善していく方向性について述べた。このような重層性は、開発支援や、国際保健の分野でも公衆衛生など、すでに様々な政策領域においてみられる現象であるが、今後、政策の専門的技能や情報を国際機関などの公的セクターが独占することは一層困難になるであろうし、それを考えると、いかに民間(市民社会)という別のレイヤー(層)の国際協調ネットワークを構築し、公的レイヤーの国際協力との間での相互補完性を高めていくことは自然の流れのように思える。加えて、このような国際協調の重層化は、多様性と民主的価値を重視するリベラルな国際秩序における規範との親和性も高い。その観点からは、こうした多国間主義の重層化(ネットワークの構築)を、民主主義の有志国が支援に動いても良いのではないだろうか。

さらに言えば、ともすれば、米国と中国という、対立を激化させている超大国の間にあって、パワーポリティクス的パラダイムで国際政治を見がちな日本ではあるが、同時に、日本ほどあらゆる面で国際社会との繋がりがなければ成り立たない国家はない。そのような国にとっては、より強靭且つしなやかなグローバル・ガバナンス、すなわち重層的なガバナンスは、良好な国際環境を構築・維持するうえで大きなメリットでもあるわけで、日本がこのようなネットワークづくりをスポンサーするくらいのビジョンがあっても良い。なお、これは、現下のパンデミック危機の中で浮上した別の重要なテーマである、データのフェアで公正な取り扱いに係るルールや規範作りという、ポストコロナの社会経済生活あるいは国家と個人の関係を規定しかねない大きな課題にも連なるテーマであると言える。

本稿で述べたガバナンスの重層化は、多国間協調のあり方をよりよくしていくための、一つのアイディアに過ぎない。しかし、今後、より良い多国間協調、あるいはグローバル・ガバナンスの制度設計と実現について、多くの人々がアイディアを出し合い、相互にレビューすることは、実はグローバル・ガバナンスを改善するうえで、多くの人たちのコミットメントを促すことにもつながり、それ自体にも重要な意義があると考える。