一指 李承憲の地球市民スピリット・TAO

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投稿日:2019年1月17日

愛の最終段階「道」

道(タオ)とは何でしょうか?道はどこかに属しているものでも、どこかに属せるものでもありません。従って一言で定義するのも難しいです。強いて言うなら、道は万物が生まれて滅し、固まったり散らばったりする自然の法則であり、宇宙の大生命力そのものです。

宇宙の大生命力の法則は、誰かが所有したり、支配したりできるものではありません。逆らうこともできません。ただそこに存在しています。

冬が去れば春がやってきて花が咲き、鳥が歌うように、また、日が沈めば月が昇り、月が沈めば日が昇るように、絶え間なく循環するエネルギーの作用が、まさにタオです。

愛の最も高い段階である道は、宇宙への愛です。それは、私たちはみな一つだということ、すべてでありながら同時に無でもある宇宙の生命エネルギーの様々な表現形態の一つだと、自覚することです。

ここで言う「宇宙への愛」は、無数の星や銀河で飾られた宇宙空間を愛するという意味ではありません。この世の万物に生命を吹き込む宇宙の自然の法則に気づくことです。

遙か彼方の宇宙空間まで行く必要はありません。身近な自然を見たり、自分の息を楽に整えながら、あるいは自分の身体の中で鼓動している心臓を感じることによって、私たちは宇宙の生命の法則を見つけることができます。

道の愛を別の言葉で表現すると「地球意識」ということになります。個人や団体の活動の中心に、人類と地球の生命活動に役立つことを据えるという意識です。

全人類の価値の中心に地球を据えることが、明るい社会を作り、地球平和につながるカギとなります。ある国家や民族、宗教を中心にすれば争い合うしかありません。人類が地球を中心に回ってこそ、人類の生命を保つことができます。私たちがお互いを同等の立場で尊重しあうときに、ようやく本当の調和と共存の共同体が誕生するのです。

投稿日:2019年1月10日

愛の第2段階「忠」

孝の次の愛の進化段階は、組織や団体への愛である「忠」です。

忠といえば、一般的には国家に対する愛を真っ先に思い浮かべます。しかし、忠は国に限らず、企業や団体、共同体など、個人が属している組織・集団を愛することを意味します。

「忠」という文字は、中央を意味する「中」という文字と、「心」という文字が合わさったものです。「心の中心」と解釈できます。それは政治的な概念ではなく、大義のために心の中から自然に湧き出る自発的かつ実践的な献身を意味します。

忠誠心と使命感が分かれば、その人の意識は進化したと見ることができます。社会において「忠」は、組織の中で信頼され、認められる基本的な基準です。

本当の忠は、組織が自分を優遇してくれるときにだけ忠誠を尽くすことではなく、どんな状況であっても最後まで忠誠心を貫くことだといえます。

組織や会社、国などに属する個々人が本来の目的や使命のために尽くすと、誰もが強くなり、恩恵を受けられます。しかし、エゴと利己主義に陥って求心力が失われると、その組織は弱くなり、滅びていきます。

進化した意識とエゴの違いは明確です。この2つは中心が異なります。エゴは自己中心的で、自分の肉体と心の妄想による利己的な欲求と執着に縛られています。一方、進化した意識は全体の一部としての大きな絵を中心に置きます。つまり、「全体中心的」です。

この世で最も大きな中心は何でしょうか? それは、全人類と生命体をすべてまとめられる中心、それは地球です。ひいては、地球が属する宇宙です。個人の意識が地球と宇宙を抱けるほどに拡張すると、「道」レベルの意識になります。

投稿日:2018年12月30日

愛の第1段階「孝」

東洋の文化では、愛の対象によって、または意識の成長段階によって愛の進化を3つに分けています。両親への愛である「孝」、国や団体への愛である「忠」。人類と宇宙への愛である「道(タオ)」です。

愛の対象が個人から団体へ、団体から宇宙へと広がるにつれ、意識も拡張していきます。これを「愛の進化」といいます。

愛の進化過程の第1段階は、個人を愛する段階「孝」です。孝という文字は、「老」と「子」が結合して子供が自分の親を助け仕えることを示しています。これを現代風に表現すれば、子供が愛情をもって親の面倒を見ることです。孝は、生み育ててくれた親の崇高な愛や献身への感謝と恩返しの自然な表現であり、義務感ではありません。

紀元前4世紀の中国の有名な思想家の荘子は「親を養う孝行は簡単だが、親を愛する孝行は難しい」と言いました。本当の孝行は、慈しみ深い真心から出るものでなければならないという趣旨です。物質的に親を養うだけでなく、無条件の愛から出る精神的な一体感と感謝を表現するのです。

世の中を眺める観念は、幼児期に定着します。家族の会話がなくなり、精神的な連帯感が弱まり、親が子供に模範を示せないでいると、より明るく調和した社会を作るために必要な中心価値を子供に教育できなくなってしまいます。

家庭は、各自の魂の成長のため、そして、その成長をサポートしあうために集まったひとつの小さな訓練場といえます。このような観点で家庭を見ると、子供の教育にあたっては、成功し出世しなければならないという教育ではなく、人間の基本的な品性と道理を教えることが重視されるべきです。

投稿日:2018年12月12日

愛について

人間は互いに愛し愛されるために生まれてきたとも言われます。「愛」と言えば男女間のロマンチックな愛を思い浮かべがちですが、どんな人間関係にも愛は存在し得ます。親と子、師匠と弟子、友人同士、職場の同僚同士など、あらゆるところに愛は育まれます。

愛のシンボルとして、よく赤いハートが使われます。これは、鼓動する心臓を象徴しています。ほんとうは愛を感じる主な役割をしているのは心臓でなく脳ですが、人は往々にして愛の感情が心臓から出ていると感じているのです。

実際のところ、ロマンチックな愛を感じると心拍数が上昇します。これを生理学的に見ると、脳から分泌される神経伝達物質の影響で交感神経が興奮し、心拍数が増えるという生理反応になります。強烈な感情や情熱によって心拍数が増えると、そんなとき「生きている」という実感が強くなります。

歴史的に見ても、多くの文明において愛という感情は心臓と関係があると思われていました。古代エジプト人は心臓が魂と愛の留まる場所であり、存在と知性の中心だと信じていました。このため、ミイラをつくる過程で胃、肝臓、肺、腸などの臓器はすべて取り除いたのに対し、心臓だけは屍の中に残しました。一方、脳の重要性を知らなかったので、脳はすべてかき出して捨てました。

伝統的な東洋医学でも、心臓は文字通り「心が入っている臓器」と見なされ、心を最もよく表現したものが愛だと考えられていました。

古代インド思想によれば、心臓は7つのチャクラシステムの真ん中に位置する第4チャクラと関連があります。このチャクラは愛や憐れみが溢れ出るところであり、ヒーリングへと向かう扉です。すべての情緒的な経験が起こる場所であり、精神世界における肉体と心、男性性と女性性、ペルソナとシャドウ(表と裏)、エゴとユニティなど、相反するものを統合する役割をします。このチャクラが開いてバランスが取れていると喜びや愛を感じ、このチャクラが閉じてバランスを失っていると悲しみや怒りを経験するとされます。

より壮大な愛、包容力のある愛は、「無条件の愛」です。それは真我から出る自由な魂の愛です。無条件の愛は何の報酬も期待しません。何ものにも縛られず、周りの人、団体、地球、さらには宇宙全体まですべてを抱きます。私たちの意識レベルが高まって心が広がれば広がるほど、このような無限の愛の表現能力も高まります。

投稿日:2018年12月1日

5つ目の徳目~「信義」

魂の成長に必要な徳目の最後は、「信義」です。

信義とは約束を守ることです。話したことを実行することです。つまり、言行一致です。

韓国の古代経典『参佺戒経(チャムジョンゲギョン)』に、こう記されています。「信義がある人は、たとえ親交がなくとも何としても心を合わせ、信義がない人は、たとえ血縁であっても必ず遠ざけねばならない」

古今東西を問わず、信義は人となりを判断する重要な基準です。人間関係のための基本的な徳目です。

信義は一般には自分以外の人との約束を守ることを指しますが、信義の始まりは自分自身からです。人との約束を守ろうとする前に、まず自分の心との約束を守らなければならなりません。

つまり、最初に決心したときの純粋な思いを貫くことです。最初に思い立ったときの純粋な心を「初心」といいますが、感情や欲望の影響を受けやすい人は、初心を忘れがちです。時間がたつうちに内面の案内者である「本性」の声に従わなくなるからです。

どんな困難な状況でも守れるのが本当の信義です。まるで断崖絶壁に追い詰められたような最悪の状況でも信義を貫くのは困難ですが、それができれば周囲から尊敬され、大切にされます。

信義を守るためには、信義を守れるほど魂が純粋にならなければなりません。魂が純粋になるというのは、気エネルギーの質が清くなることです。だから、私たちはエネルギートレーニングをする必要があるのです。

投稿日:2018年11月15日

4つ目の徳目~「礼儀」

魂の成長に必要な第4の徳目は、礼儀です。

礼儀とは、愛と敬意を表すことです。エチケットやマナーなどの決められた行動様式をとるというだけでなく、心をこめて人に接することが大事です。

礼儀は心のエネルギーを込めて表現するものです。心と魂からにじみ出る本当の礼儀は、人を心から感動させます。私たちの声のトーン、顔の表情、身振りのひとつひとつには、心が余すところなく込められており、心がこもった礼儀でなければ、相手はエネルギーによってそれをすぐに感じます。

人生のすべての瞬間において人々に礼儀をもって接するべきです。上の人でも、下の人でも、友人でも、相手の社会的な地位に関係なく、すべての人に同じように表される敬意がほんとうの礼儀です。

往々にして私たちは、人とのコミュニケーションが難しいと感じることがあります。そんなときは、自分の性格や態度をチェックしてみましょう。好意的に接しているか、自分の話すトーンが攻撃的になっていないか、相手の話をしっかり聞かずに早合点していないか・・・

自分の行動をより良いほうに変えると、周りの人もそのエネルギーに影響を受けて行動や反応を好意的に変えることがよくあります。

礼儀は、人間に対するものだけではありません。天への礼儀も、大地への礼儀もあります。私たちを育ててくれた親を敬うように、天地も敬わなければなりません。天地父母、つまり私たちの生命の源である自然への愛と敬意を回復し、天と地に真の礼を尽くすべきです。

投稿日:2018年10月30日

3つ目の徳目~「責任感」

魂の成長のために必要な徳目の3つ目は、責任感です。

責任感とは、与えられた任務を果たそうとする心です。自らの行動と決定が持つ力を自覚し、その結果に対してコミットすることです。

責任は、言い換えれば社会的な役割です。私たちは、この世に存在しているというだけで誰かに影響を与えますが、責任が大きければ大きいほど、与える影響力は大きくなります。

大きな責任を抱えると、重圧感やストレスを感じます。それは当然のことです。世界の誰一人としてストレスを受けずに成功した人はいません。成功する人は重大な決定を下さねばならず、それを成功させるために努力しなければなりません。

責任感を持つためには「これは私がすべきことだし、私がするしかない」という主人意識を感じることがカギです。確固たる主人意識があれば、どんな仕事をしていても、魂の成長のための仕事になります。

主人意識がないと、自分に与えられた責任を「自分のもの」と受け入れられないため、責任を荷の重い義務や自由を束縛する枷(かせ)のように感じられます。

責任を果たそうと最善を尽くすことは、自分自身だけでなく、属している組織、関わりのあるすべての人に役立つという意識を持ちましょう。あなたのする仕事が人類全体に役立つとしたら、これに勝るものはないはずです。

投稿日:2018年10月10日

2つ目の徳目~「誠実」

魂の成長を達成するために不可欠な徳目として、2つ目に挙げたいのが「誠実」です。

誠実とは、自分に与えられた役割を果たすために最善を尽くすことです。自分の信念を貫くために心の限りを没頭することです。それは、心のこもった真正な態度として表現されます。

誠実な人は、自分がしている仕事に意義を見出すことができます。その意義を現実化するために、それぞれの瞬間に心を尽くします。

意義は、物質的なものでなく精神的な面が重要です。精神的な意義を見出せるような仕事をするとき、つらいこともつらく感じず、魂が成長するひとつのプロセスだと思うようになるからです。

誠実でいるためには、他のことに振り回されない集中力と一貫した意志が必要です。これを「一心」、または「恒心」といいます。

ある武士は若いころ、剣術を習得するために、木刀で大きな岩を毎日叩き続けたそうです。早朝から夜暗くなるまで休みなく振り下ろし、手にはぶあついタコができました。何本も木刀が折れました。

数カ月たったある日、思い切り木刀を振り下ろした瞬間に、岩が真っ二つに割れました。岩も割るほどに集中した力が、そうさせたのです。この武士のような岩の硬さにも勝る集中力と一貫した心。これが恒心です。

誠実は習慣であり、1日や2日で奇跡的に現れるものではありません。長い時間をかけて日々の行動によって身につけなければなりません。

投稿日:2018年9月22日

1つ目の徳目~「正直」

魂の成長に欠かせない第1の徳目は、「正直」です。正直とは、偽ったり、騙したりせず、内心思っていることと表向きの言動、すなわち「本音」と「建前」が同じでいる状態です。

正直ではないことを「不正直」といいますが、これは2つに分類されます。1つは、意識的な不正直です。本人がウソだと分かっていながらウソをつくことです。金銭欲に目がくらんで会社の機密をライバル社に売り飛ばす会社員、名誉欲に目がくらんで他人の論文を自分のものと発表する学者、自分の権力を個人的な利益のために使う政治家などが意識的な不正直に当たります。これらは、いずれも「欲」が動機になっています。

不正直の2つ目は、無意識な不正直です。いわば「悪意のない小さなウソ」です。子供が自分の過ちを隠すために親に無意識にウソをつくようなものです。誰しも人生でそのようなウソをついたことがあるでしょう。悪意のないウソも繰り返していると性格の一部になってしまいます。正直をより意識的に自覚し、自らの人生のすべての面において正直かどうかを省みることが大切です。

魂の成長のために正直でなければならない理由は、大小の不正直が集まって自分の本性を覆う幕になってしまうからです。本当の姿が見えなければ、進むべき道筋も見えてこないでしょう。

まずはエゴの欲望を手放さなければなりません。欲望に執着しなくなると、自分の人生のあらゆる場面で正直という品性を育てることができます。このような潔癖さと透明性は、よりよい人間関係を築くのに役立ち、魂の成長に肯定的な影響を与えます。

私たちは人間なので完全無欠にはなれません。ときには失敗もします。でも、いかなるときにも正直さを失ってはいけません。良心に照らし合わせて恥ずかしくないくらい自分の心を磨き上げ、輝かせるのです。

投稿日:2018年9月11日

魂の成長のための5つの徳目

魂が成長するには、5つの徳が必要です。その5つとは「正直」「誠実」「責任感」「礼儀」「信義」です。これらの徳目を見事に体現した偉人が、私が尊敬してやまないアメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンです。

ベンジャミン・フランクリンは小学校2年生までしか学校に通っていません。17人兄弟の15番目として生まれ、家が貧しかったので12歳の頃から兄が運営していた印刷所で働くようになりました。

2年ほどで印刷業務に慣れ、新たに学ぶことがなくなったため、自己啓発に没頭し、独学でフランス語、イタリア語、スペイン語、ラテン語を自由に使いこなせるようになりました。18歳の頃には新聞発行人になっています。

フランクリンは現状に安住せず、絶え間ない努力を続けます。科学者として放電の原理を発見し、避雷針やフランクリン暖炉を発明。政治家になってからは、アメリカ独立革命のリーダーとしてイギリスからの独立を実現させました。

人生には富や名誉、権力よりも大事なものがあると気づき、20代で「人格完成」という人生の目標を立てています。多くの業績を残しても自惚れず、死の瞬間まで人生への誠実な態度と謙虚さを失いませんでした。自分の墓には簡単に「印刷工 ベンジャミン・フランクリン」とだけ刻ませるほど、最後まで虚栄心やうぬぼれを警戒しました。

私はベンジャミン・フランクリンの生き方と哲学に深い感銘を受け、日本や韓国、アメリカにベンジャミン人間性英才学校をつくりました。

「正直」「誠実」「責任感」「礼儀」「信義」といった徳は、金や権力で買えるものではありません。知識で作れるのでもありません。自分の内面に存在している価値を見出し、身体の利己的な欲求に勝ち、日々よい選択をし、よい習慣を作ることで身につけられるものだと思います。  

投稿日:2018年9月3日

人生の5つの問題~真の名誉は自分を認めること

私たちはいつも「人に認められたい」と思っています。子供のときは両親に愛されるように立ち振る舞います。学校では先生に褒められるために一生懸命勉強します。大人になると、会社の優秀な人材として認められるために努力します。結婚したら良き伴侶として、子供たちからは良き親として認められようと毎日汗を流します。SNSにアップした近況や写真に対する「いいね!」の数だけ、私たちの自尊心が高まります。こうした「認められたい」という気持ちは、一種の名誉欲だといえます。

他の人から認められ愛されるために必死に努力するのに、自らを認め愛することは疎かになりがちです。いくら人から認められても、自らを認められなければその人は不幸な人だといえます。誰かに認められたり成功を通して得るエネルギーだけでは、胸の虚しさをいくら埋めようとしても絶対に埋まらないからです。自分を認め、愛するときにはじめて永遠のエネルギーの源があなたの中であふれます。自分を認めることで感じられる喜びは、人に認められて感じる喜びとは比べられないほど大きいです。

自分自身を認め愛するためには、自分の本当の存在価値が何なのかを見つける必要があります。真の存在価値は、他人と競争して達成できるものではなく、自分の人生だけが発揮できる絶対的な価値です。その価値は、私たちの胸の中にある魂のエネルギーを成長させ続け、根源的な満足と喜びをもたらしてくれます。

ゆっくり両手を胸に当ててみましょう。そして自分自身にこのように話かけてみてください。「私には私がいる。私にはいつでも私を見守ってくれる私がいる。どんなことがあっても私の味方になってくれる私、それは私の魂で、真我だ」。心を込めて話しかけると、魂のエネルギー、生命のエネルギーが生き返るのが感じられるでしょう。

投稿日:2018年8月29日

人生の5つの問題「お金」~何のために稼ぐのか

お金は本来、価値を計る手段や交換の手段でした。それが現代社会では、お金が手段ではなく目的そのものになってしまっています。どれくらい多くのお金を稼ぐのかによって自分の価値を計り、能力を評価するようになっています。物質的に豊かになる一方で、お金のために苦しめられる人も多くなっています。

お金の主になるためには、基本原則を守る必要があります。その原則の一つは、価値の優先順位を守ることです。お金を得るために自分が決めた価値を曲げないようにするのです。例えばお金を稼ぐときにいつも正直、誠実、憐れみの心で行動すること、人を傷つけないこと――などです。

もう一つは、お金に対し良心が満足し脳が納得するくらいのはっきりした目的を持つことです。お金を稼ごうとする目的が、単に自分と家族の利益のためだけでなく、コミュニティやさらにはより多くの人の役に立とうとする思いがあるなら、その人はスピリチュアルマインドがあるといえます。

お金自体は善でも悪でもありません。大事なのはそのお金を使う人の意識です。善良な意識の人のお金は、他の人々と社会を有益にするために使われるだろうし、貪欲な意識の人のお金は、他の人々の幸せを踏み荒らし続けるでしょう。いい人やいい団体にお金が集まれば集まるほど、この世の中を変えるエネルギーは、さらに強まります。

投稿日:2018年8月18日

人生の5つの問題「性」~多元的な交流と創造力への転換

性欲は私たちが経験する最も強い渇望の一つです。動物的な本能であると同時に、神聖さ、高貴さを示すものでもあります。

宇宙の万物には陰と陽という2つの力があり、常にバランスをとっています。人間も同じで、女性は陰のエネルギー、男性は陽のエネルギーをもっていて、お互いに補完しあっています。一方がもう片方を求めるのは自然の理です。陰が陽に出会い、陽が陰に出会って一つになるとき、新しい生命体が誕生します。

人間社会には、性というものに罪悪感をもたせる風潮がありますが、人間の天性はどれもごく自然なものであり、「低俗」や「高貴」といった修飾をつける筋合いのものではありません。すべての生命は性から始まるのであり、性関係がなければ私たちはここに存在していません。

ただ、性行為によって他人を支配しようとしたり、欲望のままに行動したりすれば、他の人を傷つけることになります。性の中毒は人間関係を壊します。

人間は3つの身体である肉体、エネルギー体、情報体をもつ多次元な存在です。性関係も単に肉体的な欲求を満たすための次元で終わるのではなく、互いへの尊重と開かれた心を通して、エネルギー的、スピリチュアル的な交流へと広げるべきでしょう。

性のエネルギーを他の活動へのエネルギーに変えることもできます。創造的でやりがいのある仕事に打ち込んだり、身体を動かす運動を通して身体のエネルギーがよく循環すれば、性の欲求を上手にコントロールしやすくなります。

活動エネルギーに転換された性のエネルギーは、人生への情熱と生活に活力をもたらします。美術、執筆、音楽のような創作活動だけでなく、肯定的な社会生活の土台にもなります。

投稿日:2018年8月6日

健康の原理「水昇火降」

健康の原理の一つに「水昇火降」(すいしょうかこう)があります。これは、文字通り、体の中で「水が昇り、火が降りる」という意味です。水のエネルギーが上に昇って頭を冷やし、火のエネルギーは下に降りて下腹が温まっている状態を指します。水昇火降の状態だと、人体は正常なエネルギー循環ができています。

水昇火降の現象は自然界でも見ることができます。太陽の放射熱が大地に降り注ぐのは「火降」です。太陽熱によって加熱された水が水蒸気になって空に昇っていくのは「水昇」です。下降する火と上昇する水の作用で、地球上では絶え間なくエネルギーが循環しているのです。

人体では、火のエネルギーは心臓から発せられます。一方、水のエネルギーは腎臓が担当しています。

まず、火のエネルギーが心臓から降りて下腹に集められ、全身に循環。その熱が腰の方に流れて腎臓を温め、腎臓にある水のエネルギーを押し上げます。頭に昇った冷たい水のエネルギーは頭と心臓、肝臓の火のエネルギーを下降させ、下腹のエネルギーをさらに熱くします。

水昇火降がよくできるようになると、頭がすっきりして集中力と記憶力が高まり、創造力も最大限に発揮できるようになります。同時に、下腹が温かくなって内臓の働きが活発になります。

反対に水昇火降の状態でないと、熱いエネルギーが頭に集まって、頭痛・口の渇きが起きます。心拍が不規則になったり、疲れてイライラして首と肩がこりやすくなったりします。下腹が冷えて腸が硬くなり、便秘や消化不良も起きやすいです。手足の冷えも招きます。

水昇火降になるためには、ストレスと否定的な感情をコントロールし、丹田を強化してエネルギーが流れる道を作ることです。胸、肩、首、腰などエネルギーが滞っているところや硬い腸をやわらかくほぐしたあとで深い呼吸をすれば、頭と心臓、肝臓にある熱が下がって下腹が温かくなり、水昇火降の状態に戻るでしょう。

投稿日:2018年7月22日

人生の5つの問題「健康」~目的達成のための土台

世界保健機関(WHO)は健康について、「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」(日本WHO協会訳)と定義しています。健康には、体と心の両方が含まれるということです。

体の健康は、身体機能とエネルギーを自分の意図どおりに思い切り使える状態を指します。これは体に支配されるのではなく、体の主になり、体を意図したとおりに活用できるという意味です。何らかの障害があったとしても、自分の体のもつ機能を最大限に活用できればいいのです。

一方、精神の健康とは、心がもつ機能とエネルギーを、意図したとおりに思い切り活用できる状態を指します。考えと感情を思いどおりに扱えるということです。心の主になれず、心の変化にあれこれ振り回されるなら、その人は精神的に健康な人とはいえません。

肉体的・精神的に健康だとしても完全に健康とは限りません。対人関係や社会活動を避けたり、社会に悪影響を与えたりするなら、健康とはいえないからです。健康な人は、円満な人間関係と社会生活によって社会の健康に役立つような存在でもあります。

真の意味での健康とは、肉体、エネルギー体、情報体の3つの身体がすべてバランスのとれた最適な状態になっていることです。自分が誰か、人生の目的は何かを正しく知り、その目的を達成するために、心身の機能とエネルギーを十分に活用できるのが、ほんとうの健康状態といえます。

投稿日:2018年7月17日

人生の5つの問題

私たちの人生には、「健康」「性」「金」「名誉」「死」という5つの問題が常につきまといます。この5つの問題によって、泣き、笑い、傷つきながら、追いつ追われつ人生を生きていきます。これらに上手に対処することは、魂の成長に不可欠といえます。

大事なことは、問題に引っ張られるのでなく、問題の主人になることです。いずれの問題も「現象」に過ぎません。現象の問題を解くことができるのは「原理」です。すなわち、それぞれの問題の本質を知り、原理に基づいて解決していくのです。そして、より素晴らしい目的のために管理し、活用するべきです。

5つの問題は、人間としての欲求に根差しています。私たちは、知覚と意識を発展させることで、欲求の声に支配されずコントロールできる力を育てられます。人間は欲求への渇望もありますが、欲求の奴隷にならないように、それをコントロールできる力もあります。

5つの問題が自分の肉体・精神・スピリチュアルにどんな影響を与えるのかを、はっきりと正直に見る必要があります。自分がこれらの問題に対して、意識的あるいは無意識的に避けようとしているかどうか、または、いつもこれらの問題にとらわれ、欲求を満たすためにすべての時間とエネルギーをつぎ込んでいないか。自らの状態を把握することが、解決に向けた第一歩となります。

投稿日:2018年7月3日

エネルギーシステムの進化

人間のエネルギーシステムは段階的に発展し、やがて完成に至ります。下丹田の「精」が充満になると中丹田の「気」が育ち、中丹田の気が育つと上丹田の「神」が明るくなる、という順番です。これを「精充気壮神明の原理」といいます。

まず、下丹田の精のエネルギーを鍛えるためには、健康的な食事と適度な運動、そして、「エネルギー呼吸」が必要になります。エネルギー呼吸では、エネルギーの流れとともにゆっくり息を吸い込みながら下腹を膨らませ、下丹田に精のエネルギーが集まることをイメージします。息を吐くときは下腹を背中の方に引き寄せ、精のエネルギーの密度がより高まるところ想像します。一つ一つの呼吸に真心を込めることが大切です。そうするとき、下丹田に精のエネルギーがたまっていきます。

下丹田に満ちた精のエネルギーは背骨にそって胸に上がり、中丹田のエネルギーを活性化します。胸の中から純粋な愛と喜びのエネルギーがあふれていきます。このエネルギーを自分だけでなく周囲の人々にまで広げると、さらに大きくなります。

清く純粋な魂のエネルギーは、上丹田がある脳に上がっていき、神のエネルギーを目覚めさせます。上丹田のエネルギーシステムが活性化すると、神が明るくなった状態、すなわち「神明」に至るようになります。

精充、気壮、神明という過程を経て、肉体、エネルギー体、情報体はバランスよく成長できます。これを実現するために最も大切なのは、エネルギーを感じ活用する感覚を育てることです。エネルギーはこの3つの身体を互いにつなぐ媒体であると同時に、それらを発達させられる素晴らしいツールなのです。

投稿日:2018年6月21日

エネルギー体

肉体は、目に見えない軽い気体であるエネルギー体に覆い囲まれています。エネルギー体は身体の内外に存在し、身体から90センチほど外側に伸びています。科学用語で生体電磁場といいます。エネルギーの活性度合いや心の作用によって、大きくなったり小さくなったり形も変化します。

エネルギー感覚が発達した人は、エネルギー体を見て感じられます。人のオーラを見るというのがまさにエネルギー体のことです。エネルギー体は、その人の精神状態をそのまま映しだしています。例えば、誰かが怒っている状態で部屋に入ってきたとしたら、何も言わなくてもあなたはそれを感知するでしょう。あなたのエネルギー体はあなたの周りにいる人々の影響を受けるため、そのエネルギーを感じられるのです。

エネルギー体は、胸の真ん中に位置する中丹田のエネルギーと深い関係があります。中丹田のエネルギーの名前は「気」といいます。気エネルギーには清濁があり、清いエネルギーは周囲に大きく広がりますが、濁ったエネルギーは停滞し、胸のエネルギーの流れを妨げます。

気エネルギーの清濁は、心の状態に影響を受けます。心が開かれ肯定的ならば、エネルギー体も同じく活性化されます。心が閉ざされていると、気エネルギーの流れも滞ります。

気エネルギーが活性化すればするほど、外部からエネルギーをもらう必要がなくなり、むしろ内側からポジティブなエネルギーが外へと満ち溢れ、周りの人たちにもプラスの影響を与えます。

このため、中丹田のエネルギーが活性化すると、人間関係が円滑になります。このような状態を気エネルギーが成長したという意味で「気壮」と呼びます。

投稿日:2018年6月12日

3つの体と肉体の健康

「あなたの体はいくつありますか?」

この突拍子もない質問に、あなたは当然「ひとつ!」と答えるでしょう。

あなたが生まれたその瞬間、あなたには肉体がありました。でもそれだけではなく、その肉体を動かす「エネルギー」があったでしょう。そして、そのすべてを見守っているあなたの「意識」があったはずです。

エネルギーと意識も、肉体と共にあなたを構成するまた別の2つの身体だと考えられます。そのような意味では、人間には3つの身体があります。「肉体」「エネルギー体」「情報体」と呼んでもいいでしょう。

肉体もエネルギー体も情報体もすべてエネルギーで構成されています。それぞれが持つエネルギーの性質によって、3つに分かれています。グラスに入った泥水が時間の経過とともに、土と水にわかれるのと一緒です。人間の中でも、密度の高いエネルギーは肉体になり、上に浮かんだ水のように軽く澄んだエネルギーは情報体になりました。そして肉体と情報体をつなぐ橋としてエネルギー体が存在しています。

この3つの体は、体内のエネルギーの中心である丹田とつながっています。肉体が下丹田、エネルギー体が中丹田、情報体が上丹田です。このうち、下丹田は下腹部に位置します。

肉体を鍛えるうえでは、下丹田を強化し、精のエネルギーが充満な状態を作ることが、最初の目標になります。この状態を「精(せい)充(じゅう)」といいます。精充は、肉体を健康へと導きます。

精充になると、力強い中心から全身へとエネルギーが円滑に循環し、肉体的な活力が強まり、免疫力も高まります。

投稿日:2018年6月2日

生活勉強~悟りの実践

もし悟ることができたら、それで終わりでしょうか?もう努力しなくていいのでしょうか?

答えは「NO」です。現実に影響を与えられない悟りは、本物の悟りではありません。理想だけを追うのではなく、現実に根を下ろし現実を変えられるのが、真の悟りです。

現実に影響を与えられない悟りは、実を結べずに枯れてしまった花に例えられます。実がないというのは現実的な影響力がないということであり、その悟りのエネルギーが及ぶ範囲が小さいことを意味します。

山で1人瞑想にふけるのも、半分の悟りです。マザー・テレサ、ガンジー、ダライ・ラマなど多くのスピリチュアル・リーダーは、外の世界で交流しながら社会のために日々絶え間なく精進してきました。本物の悟りなら、その悟りのエネルギーが世の中に、人々の中に流れていかなければなりません。

そこで必要になるのが、3つ目の「生活勉強」です。生活勉強とは、悟りを社会の中で実践し、現実化する過程になります。1つ目の原理勉強で生命の原理を悟り、2つ目の修行勉強で生命のエネルギーをいっぱいに満たし、生活勉強で生命のエネルギーを分かちあうのです。

生活勉強での「生活」とは、朝起きてから夜眠るまでのすべての行いを指します。「行住坐臥語黙動静」という言葉のように、行く、留まる、座る、横になる、話す、黙る、動く、そして、静かにしているときまで、私たちがするすべての行いです。生活勉強で「行動」が変わるとき、人生に本当の変化が起こります。

投稿日:2018年5月26日

真心を込める

木が芽を出し、育ち、花が咲くまでに、天と地がどれほど多くのエネルギーを注いだかご存じですか?ときには雨に打たれ風に吹かれながらも、木がより大きく強くなるために、天と地は「真心」を込めて木を育てます。

私たち人間が修行勉強をするときも、真心が必要です。私たちの外部世界である身体を鍛えつつ、真心を込めることで、内面の世界をしっかりと作ることができます。

修行は、自ら立てた志を身体に植えつける過程です。身体と心の間に共通の意識がつくられていなければ、行動力が弱まります。真心を込めて修行をすると、内面の意志は身体へと貫かれ、長く守られます。

いわば真心とは、今の自分よりさらに明るくなり成長することを念願する心です。真心を込めて生きていれば、将来に向けた希望に満ち溢れ、困難にぶつかっても挫折しません。

生命の実体と出会うために、身体と心に真心を込める人を「修行者」と呼びます。修行者は寂しさと無縁です。いつも天と地のエネルギーと交流し、周りにいる多くの生命と交流するからです。

真心を込めているというのは、今この瞬間に集中しているという証拠でもあります。今に集中しているから、過去への執着や未来への不安にとらわれずに済みます。

禅寺にはこんな話があります。「真心の無い人には法を伝えてはならぬ。準備ができていない人に法を伝えるのは百害あって一利なし」。タオの法は、真心のない人には無用の長物です。真心を持ち、「人生の目的は、スピリチュアルな成長と完成だ」と自覚した人にこそ、タオの法が生きます。

投稿日:2018年5月20日

修行勉強で、体と心を磨く

原理勉強が真理についての自覚を意味するなら、「修行勉強」はそれを身につけていく過程になります。「原理を身体で体験する過程」です。

修行の「修」はもともと磨くという意味であり、「行」は行動、実行、動きを意味します。すなわち修行という言葉には「身体の動きを磨く」という意味があります。

「身体の動き」は、見る、聞く、話す、食べる、寝るといったことを含む、人間の身体を通して行われるすべての動きを指します。つまり、人間の生活それ自体が修行の場だということです。

原理を身体に植えつけるためには、意識的な努力が必要になります。持続的な訓練によって体を鍛え、揺るぎない心を根付かせていきます。自らの信念に対する自信を育てていきます。

原理勉強がマラソンをする前にマラソンの区間をあらかじめ勉強することなら、修行勉強は、実際にマラソンをすることです。どこが急な坂道でどこが平たんなところなのか、向かい風なのか追い風なのか、事前に聞いていた情報を、直接身体で体験し確認していくのです。

修行は「空」(から)になる過程でもあります。私たちは四六時中、様々なところからやってきた数十億の情報に束縛されています。これまでの経験と記憶によって刻み込まれていた情報もあれば、テレビ、本、親、先生、政治家などから入ってきた情報もあります。

あなたの意識に入って来たその情報は、あなたの細胞に深く刻み込まれ、あなたの考えと感情、習慣をコントロールします。修行では、そのような情報を取り除いていきます。情報を浄化し、本来の純粋な心の状態を回復していきます。本来の純粋な状態でこそ、生命の本質そのものを知ることができます。

投稿日:2018年5月10日

原理勉強

魂の目を開くために、私たちが最初に学ぶべきものは、原理です。

原理とは、この世の万物に作用している生命の源に関する普遍的な真理です。自然と宇宙の生きた法則です。原理は私たち生命の中に宿っています。誰かが作るものではなく、ただありのまま存在しています。あなたが知っていてもいなくても、人々が認めようが否定しようが、始まりも終わりもなく自ら存在しています。

この原理が生命エネルギーを活性化し、地球上のすべて生命と環境をエネルギーで満たしてくれます。そして、魂を成長や完成へと導いてくれます。

原理の勉強は、自然の生命エネルギーの作用を自覚することから始まります。人間も自然の一部であり、人間もその原理に順応するときは生き、その原理から外れるときは滅ぶ、ということを学びます。

第一のステップとして、自らの魂に問いかけてみましょう。私は個人の欲求を満たすだけの人生を求めているのか? それとも、私の行動が周りの世界に影響を与えるということを自覚して生きるのか? 私には他者への慈悲があるのか? 私は自分の属する共同体に貢献しているのか? 私は全体のための真理と正義にもとづく人生を生きているのか?

こうした問いかけによって自分の気に入らないところが見えたなら、それを改善していきます。

原理が自覚できれば、何が正しいのか分かるようになります。原理を本当の自分の一部として受け入れるとき、自分自身がより大きな全体の一部であるという意識が宿ります。エゴの幻想から抜け出すことができます。何のために進むべきなのかが分かり、自分の経験を世の中へ伝えるようになるのです。

投稿日:2018年5月1日

魂を目覚めさせるには

魂を成長させ、完成へと向かうためには、まず魂を目覚めさせる必要があります。

魂は、胸の真ん中に中心点をおいています。エゴから解放されて自由になれば、魂のエネルギーは胸から腕、上半身、首へと広がっていきます。

ところが、魂が目覚めていない状態だと、そのエネルギーは小さく微々たるものでしかありません。小さなエネルギーでは力を発揮できず、エゴと感情から出るエネルギーに依存することになります。

魂の目覚めを達成するために、スピリチュアルな師と出会うという方法もあります。確かに、悟りの道を経験している人についていくのはとても役に立つでしょう。しかし、師匠がいくら偉大でも、本人に準備ができていなければ、魂を目覚めさせることはできません。

ヒナが卵から出てくるためには、親が内と外から互いに殻をつつかないといけません。これを「啐啄同時」といいます。殻を破り出てこようとするヒナは悟りに向かう修行者で、親鳥は弟子に悟る方法を教える師匠に例えられます。

ヒナと親鳥が同時に卵をつつきますが、ヒナを外の世界に出てこさせるのは親鳥ではありません。結局、殻を破り出てこなければいけないのはヒナ自身です。

魂の目を開くには3つの勉強が必要です。「原理勉強」「修行勉強」「生活勉強」です。ここでいう勉強とは、学校の授業のように知識を身につけるものではなく、魂から得た智恵を人生の中で活用していく過程です。

投稿日:2018年4月27日

自由な魂

魂というものは、何かに出会い、一体化しようとします。不完全な魂がこの世にやってきて、さまよい求める相棒。それは神性です。

魂のエネルギーは、胸に存在しています。愛や喜び、悲しみが、胸から広がる理由はそのためです。一方、神性のエネルギーは脳にあります。違う場所にあるため、魂のエネルギーは寂しさを感じます。そして、片割れである神性に出会い、完全になろうとします。

魂が神性に出会うためには、魂のエネルギーが軽くなって、脳へと上昇していく必要があります。そのためには、エゴや執着を手放さないといけません。エゴや執着は魂をつかんで、上昇させないようにするからです。

魂は本来、自由なものであり、色も重さもない器のようなものです。重さがゼロのはずの魂は、様々な記憶、感情、欲望、多くの情報によって重たくなります。これらを手放すとき、魂が自由になります。

自由な魂だけが、真の平和の中で休むことができます。自由な魂は、自分を取り巻く状況を淡々と見るだけで、その現状に支配されることはありません。すべての出来事は、気エネルギーによって行ったり来たりする変化だということを、自由な魂は知っています。そして、広い視野で世の中の真実を見据え、神性の光を求めて舞い立つことができます。

投稿日:2018年4月10日

感情をコントロールする方法

自分の抱いている感情を変えたいと思うときは、だれにもありますよね。感情を変えたいと思ったら、まずは身体を動かしてみることです。

例えば、怒りが込みあげたときは、場所を変えて散歩してみましょう。頭頂部まで昇っていた怒りのエネルギーが風に吹き飛ばされ、詰まっていた胸が開き始めるでしょう。寂しいときは、楽しい音楽をかけながら掃除をしたり、ダンスを踊ったりします。そうすれば、胸の中から喜びのエネルギーが湧きあがり、全身に生命の活力が満ちあふれていきます。

行動を通して新しい感情を創造することは、まるで新たな道を作るようなものです。人間というものは、昔からの慣れたパターン通りに行動する傾向があります。これは感情も同様で、感情の反応パターンが一度形成されると、そのパターンを変えるのは簡単ではありません。

だから、すでにできた道を無くそうと努力するよりも、新たな道をつくるほうが簡単です。新しい道ができれば、昔の道は雑草に覆われ、おのずと足が途絶えます。感情も同じで、否定的な感情を消すのでなく、肯定的な感情を創るのです。自らに肯定的な情報を積極的に提供し、肯定的な感情を引き起こす作業を繰り返します。そうすると、否定的な感情がいつしかなくなっていきます。

感情をコントロールする力は、魂から生まれます。魂が「感情は私ではなく私のものだ!」と宣言することで、感情への主導権を握ることができます。はじめのうちは、感情の支配から自由になるのが難しいかもしれません。しかし、魂が宣言を繰り返すことで、感情をコントロールする力をもつようになり、感情は魂によって飼い慣らされていきます。

投稿日:2018年3月7日

感情という波を活かして進む

感情は、人間の生存に欠かせない脳の作用です。恐怖という感情のおかげで、私たちは危険を避けようとします。不安という感情があるから、安全な環境をつくろうとします。怒りという感情によって、悪に立ち向かいます。自分以外の人たちをいたわり、ケアするのは、愛という感情によるものです。

感情をコントロールできず、奴隷のように感情に振り回されているからといって、無条件に自分の感情を抑圧したり、無視するのは望ましくありません。

感情の主になるためには「思いやりを持って正直に自分の感情を認める」ことが大切。感情を観察できる力を育てていけば、自分の感情に過敏に反応せず、淡々と客観的に眺められる力も強くなります。

そして、「感情が私を掴んでいるのではなく、実は私が感情を掴んでいる」という事実を認識します。感情は、空に漂う雲のように行ったり来たりするものだから、執着する必要はなく、めぐる季節の中で、木が育ち、花が咲き、実を結び、葉が落ちるように、人生の喜怒哀楽を淡々と眺めながら進むのです。そうしていくうちに、私たちの人生に対する悟りも根を下ろしていきます。

それはまるでサーフィンと同じです。感情の波に押されてもがくのではなく、感情の波に上手に乗って生きていくのです。上手にサーフィンをするには中心を取ることが大事なように、魂という中心にしっかり根を下ろし、感情を自由自在に活用します。感情を道具にして、魂の成長のために活用していくのです。

投稿日:2018年2月11日

感情は魂ではない

「魂」から「感情」を分離することが大切です。

感情は魂ではありません。感情と魂は根本から違います。感情は肉体に根ざしています。肉体があるから感情が生まれます。これに対して、魂は神性に根ざしています。

私たちは感情に動かされています。1日に何度も感情の波が押し寄せ、悲しんでは喜び、泣いては笑いながら極端な感情を行ったり来たりします。肉体の欲求と状態によって、感情は刻々と変わります。それはまるで流れる雲のようで、ひとつの感情が過ぎればまた別の感情がやってきます。感情に振り回されていると、魂の声が聞こえなくなります。

感情をよく理解するためのひとつの方法として、人体のエネルギーシステムであるチャクラがあります。チャクラとは身体にある7つのエネルギーセンターです。

感情は第1、第2、第3チャクラから起こる「欲求」と密接につながっています。例えば、恋愛感情は第1チャクラの安全の欲求、第2チャクラの性欲、第3チャクラの「認められたい欲求」などが組み合わさって起こります。

このような欲求が満たされれば、愛という感情に包まれますが、満たされないときは、否定的な感情が込み上げてきます。悲しみ、寂しさ、ときには嫉妬や憎しみ、怒りの感情が生まれます。

私たちは、これらの感情が自分の魂だと錯覚しがちです。この錯覚が、誤解と執着心を生みます。感情と魂が別のものであることを肝に銘じましょう。

投稿日:2018年1月20日

「人生の目的は?」という問いかけ

自分の人生の目的を見つけるのは、私たち一人一人の使命です。

世の中には、苦労しなくても自然に成し遂げられることがあります。努力しなくても月日は流れ、自然に年を取っていきます。

一方で、本当に努力しなければ得られないものもあります。あなたが生まれた目的と価値を見つけることは、自然に成し遂げられることではありません。努力がいります。

人生の目的を見つけるのは、誰も代わりにすることはできないあなたの使命であり、あなたの仕事です。

私たちは、宇宙から生命というプレゼントを授かると同時に、選択の自由も受け取りました。自分が何者か、何を人生の目的とするのかを、私たちは自らの意志で選択できます。

そして、選択した通りに生き、人生の意味を自ら創造することができます。限りのある肉体の生命の中で、その生命をどこに何のために使うかは、自ら選択できます。

人の生命エネルギーは乾電池に例えられます。その乾電池を全部使い切ったらあなたの肉体としての生命は終わり、一度の生涯で、それを再充電するチャンスはありません。その生命の乾電池を、あなたは何のために使いたいでしょうか?

「私の人生の目的は?」と本当に真剣に切実に、何度も問いかけましょう。そうすれば、いつかはあなたの魂の声が聞こえるようになるでしょう。

投稿日:2017年12月22日

人生の意味とは

極端な言い方をすると、人生には意味がありません。ただし、ここで言う人生とは「肉体に閉じ込められた人生」のことです。

肉体を中心にした人生は、物理的な生命が途絶えればあっけなく終わります。身体の消滅とともに、物質的な価値はすべて消え去ります。

だから、私(李承憲)は、「肉体だけを中心にした人生は意味がない」と言います。ひたすら肉体だけに人生の基準を置くなら、結局は死を待つしかないからです。

ある日この地球が寿命を迎えたと仮定してみましょう。そして、太陽もなくなり、無数の星も宇宙から全部なくなってしまったとしましょう。そうしたら何が残るでしょう? おそらくがらんとした何もない虚空だけが残るでしょう。

地球や宇宙がなくなっても存在するもの、それは何でしょうか? この質問への答えの中に、あなたの永遠なる存在の意味が入っています。

この世のすべてが消えてもはっきりと存在するその何か。それは、見える現象の世界ではなく見えないタオの世界に存在しています。それはまさに、あなたのエネルギーであり、意識、魂です。これこそが、虚しく無意味だったあなたの人生を意味深く価値ある人生にする希望です。

肉体に閉じ込められた人生は虚しく意味がないと自覚する瞬間、あなたの悟りが始まります。そのとき、肉体の向こうにあるその何かを発見できるタオの目が開きます。

カテゴリー: TAO

投稿日:2017年12月10日

3つの人生

人間には3種類の人生があります。1つは、肉体としての人生です。一言でいうと「衣食住」と関連した暮らしです。肉体を維持するために食べて眠るといった活動を指します。

人間に生まれたからには、最低限の衣食住の問題は自分で解決できるよう、自らの生命エネルギーを使うべきです。しかし、最近は本末転倒で、衣食住の問題に人生のほとんどのエネルギーが使われているように見えます。単に食べて着て寝るだけでなく、どのように質の高い衣食住生活を楽しむかに、エネルギーが集中的に費やされているのです。

2つ目の人生は、社会的な人生です。自分の存在価値を実現するための活動を指します。現代人にとって、社会的な人生のゴールは「成功」という言葉に集約されます。成功のためにがんばって勉強し、よい大学に入り就職し、他人から認められる何かを手に入れるために一生懸命努力します。

社会的な成功は意味のあることですが、成功の価値は完全でも永遠でもありません。成功するためには人との競争が避けられません。成功した人の影には、いつも失敗した人がいるということです。成功は、競争によって勝利した人にだけ与えられる条件つきの価値なのです。

3つ目の人生は、スピリチュアルな人生です。これは、成功ではなく、「成長」と「完成」を追求する人生です。最善の自分という目標に向かうものです。この人生は、肉体と社会的な名声がすべてではなく、自分自身がスピリチュアルな存在だという自覚から始まります。このスピリチュアルな人生こそが、まさにタオの人生です。