自分史・5

命という字は人が一を叩くとかきます。

人間は 一人一人ユニークな独自の存在のように見えながら関係存在として 相互作用、相互依存なしには 存在しません。

命の営みそのものは 代謝機能を有し 全てが循環することを示唆します。

細胞から構成される人体は 元素から成り、 全てがエネルギー(波動)であることを示唆し 、まるで宇宙の全てと相似形を成すかのようです。

きらきら光るプラウナやオーラも タオの概念も それを裏付けるかのようです。

循環しあうということは この和多志は吾であり・宇宙全体であり、 実であり・虚であり、有であり・無であり、二元であり・一元であるという意味です。

タオの概念に沿うと この和多志は陽と陰 光と水、遠心力と求心力 義と愛、男性性と女性性、西洋と東洋、左脳と右脳、分析と和合etc.の調和、バランス として存在します。

二元的一元であるという意味です。

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和多志は20年余り霊現象に翻弄されてきました。

発端は心理健康オフィス開設に当たっての自己浄化にあります。

思春期の和多志は生きることも死ぬこともできないニヒリストでした。

太宰治の世界に没入し 授業や試験をボイコットし退学届を出したりもしました。

自殺未遂もしました。

嵐のように襲う虚無感を 胎児のように身体を丸めて 呼吸を止め 、やり過ごし、 耳に蛸ができるほど「生きる意味、生きる意味」と問い続けました。

生まれたことを呪い、息をするのもおぞましく、きりきり舞いを舞いながら、時を送り続けました。

このような様を、レギオン(新約聖書 :自らを墓場に繋ぎとめ 石で打ちつけ 吠え続ける悪霊)に譬えられました。

小さな自分が「求めても答えられない問い」を問い続ける愚かを思い知り、堂々巡りを止めようと決めました。

「意味を問う愚か」から 命の主、 絶対者から「生き方を問われるもの」となろうと決め、神の啓示者「イエスと雲のような証人」に賭け、クリスチャンになりました。

結婚後 クリスチャンワーカーになるべく (子育てをしながら)大学生となり、院でも聴講し、 要約 学ぶことを始めました。

院では自分の成育歴を振り返る課題もあり 戸籍を取り寄せてファミリーツリーを完成したり 聞き取りをしたり、 今までタブーだった自分の過去を取り戻す作業をしました。29歳の時です。

それまで和多志は実母の名も、いつ、何が原因で亡くなったかも知らないままでした。

和多志は終戦直後の昭和20年に胎に宿り、21年の9月に誕生しました。

食糧難の極致の時です。

堕胎の危機の記憶も2度あります。

そして母は 和多志が1歳になる前に 栄養失調と日射病で亡くなったとのことです。

和多志の予防接種の為、和多志を負ぶったまま、列に並んでいた時のことだそうです。

和多志の母に対する唯一の記憶は 死体の上に乗っかっていた情景です。

母の死後 父の姉が 「腹違いの兄、実兄、私和多志そして父」の生活のお世話をしてくれました。

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父の先妻は 堺の海鮮問屋、建具商の一人娘でしたが 男女二人の子を残し 世を去りました。

父が跡取り婿として財産を引き継ぐのを阻止する為 親戚が父と、息子(腹違いの兄)を追い出してしまいました。

世間体を鑑みて娘は 自分たちの養女に迎えました。

父は家族も職も住居も失い、 ノイローゼ状態になり、父の妹の助けを得て 日立製作所の職を得、和多志の母と再婚し、再出発をしたのでした。

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父にとって妻の死は大変なトラウマだったことでしょう。

和多志の母の死に、どれほどの精神的ダメージを受けたことか図り知れません。

家族のお世話ができる援助者を必要としたこともよくわかります。

とりあえず、父の一番上の姉がその役をすることになりました。

こんな家族構成の中で和多志を一番かわいがってくれたのが実兄だったようです。

この兄は、ある日「よちよち歩きの和多志」が崖っぷちを歩いているのを見て、三輪車で駆け付け、そのまま崖から墜落し入院。院内感染で肺炎になり亡くなってしまいました。

和多志のお昼寝中、嘆く父に対して 育児を委ねられていた父の姉は「この子(和多志)が母と、兄を殺した」と語りました。その無責任な一言が 和多志の人生の前半を縛り続けたのです。

小学生時代は無氣力な生きるしかばね。

中・高校生時代はささやかなレジスタンスを繰り返すレギオン。

青年期は血の涙を流し続けるニヒリスト。

「問うものから問われるものへの」視点変更が図らずも命をつなぎとめることとなりました。

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クリスチャンワーカーとしての学びの中で、自分がどれほど大きなトラウマを抱えているかを思い知りました。

それ故、愛する者に自分の歪みを手渡したくないと願い 本格的な心理療法の学びも始めました。

あるワークショップで原風景を描くテーマがありました。

和多志が描いたのはただ一人で座っている幼子の自分。

描いて、口から出てきた言葉は「泣けば殺される」でした。

この原風景が氣がかりで もう少し深めたいと思い、箱庭療法で表現してみました。

その時は「ナイル川を流されるモーセ」のようなイメージを持っていました。

置いた箱庭を見ると川下に置かれた幼子は「羽根のとれた天使」でした。

川に流されるのではなく遡っています。

その行く手には大きな鬼を置いていました。

和多志には「母と兄を殺したデビルチャイルド」という信じ込みがありました。

置いたパーツはみんな白!!!

置いてみての感想は「デビルチャイルド」という人生脚本をもって生きることを、自分が選択したという実感でした。

この箱庭体験が 自分の関わる心理療法の一つの柱に「箱庭療法を取り入れたい」という願いに繋がりました。

コズミックホリステック医療・教育企画