自分史・4

【心の色眼鏡】          

パーソナリティの語源はペルソナ=仮面、社会的役割です。

エデンの園の中央に植えられた木から 木の実を採って食べたが故に 人間は裸体で生きられなくなったと聖書は語ります。

木の実を食べてはならないという掟を破ると 死ぬからとも記しています。

裸体で生きられないとは「心にも沢山の服を着せずには 生きれない」と解釈されます。

フロイトの言う自我の防衛機制の概念は そのことを裏付けます。

自我は現実適応能力です。投影とか、合理化とか、抑圧とか、昇華とか そんな類のことが自我の防衛機制です。

自己イメージを検証し 色眼鏡を外していく作業、衣を脱いでいく作業は素敵なことではないでしょうか?

数年前 スリーインワンのワークショップで 全身のスタックポイントを見ました。

驚くことに正中線と関節の全てがスタックポイントでした。それを省みて 口から出た言葉は「邪魔ものでした」

母と兄を殺した デビルチャイルドという信じ込みを持っていたと 以前 書きました。

和多志は終戦直後(昭和20年)、 母胎に宿りました。

食糧難の極致の時代です。

何度も堕胎の刺激を受けました。

それでも命が与えられました。

然し母は 和多志が1歳になる前に、和多志を負んぶしたまま、栄養失調で倒れてなくなりました。

和多志には同じ母から生まれた光義という名の兄がいました。

母が亡くなって この兄が和多志を愛してくれました。

和多志が2歳の時 よちよち歩きで崖っぷちを歩いてしまったようです。

三輪車で遊んでいた兄が心配して 三輪車ごと駆けつけ 崖から転落しました。

勿論入院し 院内感染で肺炎になり 亡くなりました。

この事故で 和多志を愛した人を 和多志が殺したと 信じ込んでしまったのです。

そんな自己イメージがあれば 愛される資格がないと思いますよね。

「生きていて御免なさい」の人生を歩むことになりました。

小学低学年は生きる屍だと書きました。

新しい母に愛されてはならない子どもであり続けました。

父さえ拒絶することをしました。

レイプも引き付けました。

女であることをどれだけ呪ったことか!!

それでも 愛するものに自分の歪を手渡さないよう 自分と向き合い、癒し続けました。

勿論多額のお金も使いました。

この痛みを原風景として描くと ナイル河に流されるモーゼのイメージだと記しました。

これを箱庭で表現した時 河に流される幼子は 羽の取れた 丸々と太った天使でした。

和多志がこの箱庭から得たメッセージは 「デビルチャイルドという人生を 自分の意志で選んで生まれた。生き切れるように 多くの力を神によって供えられた。 」という 内容でした。

振り返ってみると 壁は人一倍(以上かも)ありましたが、多くの恵みを得、社会からも人々からも信頼を得、生かされて来たことへの感謝を捧げずにはおれませんでした。

中学生時代 行きつく先が墓場なので 好きなことをしようと心に決め 満足できることを探し求めましたが 得られず、生きる意味を失ったニヒリストになってしまいました。

お金、地位、快楽 得ても仕方がないものでした。

もしそれを得ることを目的とすれば 得れば得るほど「もっと」を望み、 あたかも「勝ち得たことが次の欲望への誘い水になる」かのように 飢えと渇きは身を焦がすほどになると思わずにおれなく、それ以上に 求めたい力も湧きませんでした。


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生きる意味を求め続けた思春期の問いを棚上げしました(【生き方を問われるもの、聖書を規範への視点変更】)が 今はそれは「自分が選び、創造するもの」ということができます。

魂と一つになって意味を創造するために 力になるのがヒーリングです。

真実の創造の為には 色眼鏡が拭い去られなければなりません。

心の浄化が必要だとも言えます。

和多志の人生での出会いの特徴はキリスト教と心理療法です。

NLP,スリーインワン、ブリーフセラピィ、催眠療法、キネシオロジー、認知療法、ユング(箱庭中心)、アドラー其の他いろいろ学び、それなりの資格も習得しました。

心理療法こそ 過去を清算し未来に空を生む方便です。

人生で出会ったものを他者のために生かすことは 「生かされてきたことへの感謝とお返し」であり、自分の人生の統合でもあると考えました。

次の働きの場を心理健康オフィスに選んだ理由です。

他者の援助をするためには是非とも自分をクリァリングする必要があります。

その為に必死で一人セッションを続けました。

一番大きなトラウマである デビルチャイルドのスタックポイントを解放したときに 身体が立っておれないほど振え、 鮮やかなアメジスト色の光が輝き、次いで白昼光が輝き(二回繰り返しました)次の日、やや鈍い光の繰り返しを見ました。

それから霊現象がはじまりました。

すべてに紫光が見え始めました。、

(目を閉じたときの紫光は 平安そのものでしたが マゼンダーやライトグリーンの光も見えました)

基底部から(前につんのめる様に) エネルギーがあがり続けました。

それは心地よい体験でした。クンダリーニエネルギーが覚醒したわけです。

それから白くて透明な歪んだ像が見えたり 目を覆いたくなるような苔むした 醜い蛇(龍?)やサソリが見えたり 事物の裏に色々な像が見えたり

美しいコーラスや 自然の音、リズムに乗って 霊のメッセージが聞こえたり

その話の内容は (脳の情報を読むこともありましたが、)和多志の知らない世界のことばかりでした。

毎晩こむらがえりが3,4度起こり始めたのがスタートでした。

心停止が起きたり 歩くことができなくなったり、 指がなえて伸びなくなったり 、毎朝 瞼は開けようがなく 指でようやく開ける状態でした。

霊現象は書き上げればきりがありません。

人知を超えた「死と隣り合わせの不思議な現象」はどんな意味があったのでしょう?

心理健康オフイスを通しての人生へのお返しより 霊的な戦いのほうが 和多志の真実のライフビジョンかと思ってしまいました。

(顕在意識の意図を超えて起こってしまいましたから)


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霊現象は同時に激しい魂の嘆きを伴うものでした。

ダンワールドの主宰するセドナ瞑想旅行に参加したことがあります。

(ダンワールドの指導者資格、マスターヒーラー資格も取得しています。)

ベルロックに足を踏み入れた途端 跪きたいような畏敬の念と嘆きが起こり 涙を流し続けてしまいました。

かの有名なグラウンド・キャニオンにも行きましたが 大した感慨もなく 、シナイ山の勇壮さを偲んでしまうほどでした。

ダンワールドではダイナミック瞑想をしながら 魂の吠える嘆きを嘆き続けました。

魂の嘆きの意味を知ることこそ ライフヴィジョンを捉えなおすことになりました。

和多志が得た結論は 今世のライフヴィジョンとも重なるヴィジョン。

「木を植えた男」のように、「ヨブ」のように ヒーリング活動をしていくことです。

コズミックホリステック医療・教育企画