https://www.porsonale.co.jp/semi_c185.htm より
脳の働き方の「ソフトウェア」としてのメカニズムの解明と学習は、実用的にお役に立ちます。
人間の脳は、ハードウェアとしてのしくみとソフトウェアとしてのしくみの二つで成り立っていることは、みなさまはすでによくご存知のとおりです。ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、人間の脳の「ソフトウェア」のシステムを解明してお話してきています。これが、どのような意義をもつのか?について少しお話します。ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、日本と世界のどのあたりの位置に立っているのか?を分かることは、みなさまご自身の知的な能力や学的な知性の水準を客観的に見ることができて、社会的な価値や人間としての実力を評価するうえでも有意義です。
日経の12月9日付けの「かがく」欄に小川誠二へのインタヴューが紹介されていました。
小川誠二は、一九九二年に米ベル研究所でfMRI(磁気共鳴画像装置)を開発して、脳のどの部位が、どのように働いているのか?を突きとめることに成功した人です。
「fMRIは、脳の血液に含まれるヘモグロビンの磁気信号を測定して、脳の中での活動の部位を推計します。脳では、活発に活動している部位に血液がたくさん供給されるため、ヘモグロビンを調べるとその部位が分かる、という仕組みです。ただ、脳の働きと、血流量の変化には時間差があるため、測定は、数秒間のタイムラグが発生します」。
「fMRIをはじめとする現在の脳の観察は、人間が考えていることを読むことができる、と誤解されがちですが、それは違います。分かるのは、脳で活発に働いている場所だけです」
「脳の中では、神経細胞が電気信号で情報を伝え合っています。脳細胞がどんな『言葉』を使っているのか?は、現在の技術では分かりません。
脳の機能を本当に知るには、この部分の解明が必要です。ぜひ、誰かに開発してほしいですね」
ここで小川がのべていることは、「脳は、ものを見たり、眠っていたり、何かを話すという時に、確かにまちがいなく活動している」という機能の「現在性」を観察することができうる、ということです。脳は、どの部位がどのような働き方をするのか?についての解明は、すでに大脳生理学によって説明ずみです。このことは、みなさまもよくご存知のとおりです。「側頭葉は、目と耳にかんする認知や認識についての記憶をつかさどる部位」「頭頂葉は、運動にかんする方向、角度、距離にかんする記憶の部位」「後頭葉は、手、指、舌、臭い、足などの運動性の知覚を記憶する部位」、「前頭葉は、言語を中心とした記憶をあつめて内省や計画や表現の説明をつかさどる部位」といったふうにです。
fMRIは、大脳生理学が説明してきた「記述」をリアルタイムで観察して、その「活動の機能の状況」を確かめているにすぎません。
脳のソフトウェアのシステムは、自律神経が生み出す
本ゼミでは、人間の脳は、「いつ」「どこで」「何を」「どのように」という状況を説明する言葉のパターンに該当する「言葉」と、そしてもう一つのパターンの「何を」と「どうする」(未来形)、および「何を」と「どうした」(過去形)の、行動が終了したことを説明する言葉のパターンの「言葉」を生成し、「記憶のソース・モニタリング」として表象させている、ということをおこなうとお話してきています。
この「脳の働き方」に即して小川の説明を観察すると、「何を」と「どうした」に相当する「言葉」しか語られていないことをお分りでしょう。「何を」と「どうした」に相当する言葉は「過去形」です。すなわち、「脳は、ちゃんと働いていた」ということしかのべられていません。「何を」と「どうする」に当る「脳は、働くだろう」という未来形にかかわる説明がないことにもお気づきでしょう。
「脳は、働くだろう」と説明するには、「どのように」に当る状況や事実関係についての言葉が必要です。それは、どのような言葉なのでしょうか。
そもそも「人間の脳」は、一体、何のために働くのか?と考えると「行動するために」です。「行動」にはいろんなカテゴリーの「行動」がありますが、「身体が生きていくための行動」が基本的なモデルになります。
「心が生きることだって、行動によるのではないか」という考え方もあります。しかし、ここでは、「身体を正しく生かしていける脳の働き方とは、心だって正しく生かせる働き方のことである」と一義的にとらえていただいてよいのです。なぜか?といいますと、どういう理由でも「行動が止まる」とは「心や精神が生きることも止まる」ということを意味するからです。このように言うと、みなさまの中には、「行動が止まったって、すぐに死ぬものじゃないのでは?」と無意識に思う人がいらっしゃるかもしれません。
日本人の女性は「行動停止」に陥って生きられなくなっている
お話がいくぶん外れますが、「行動が止まる」とは、「心や精神も生きられないことに通じる」という事例をお話しいたします。
平成19年12月16日付の日経に、次のようなことが書かれていました。「未受診妊婦」がいて、「出産の時だけしか産婦人科に来ない」ということについての報道です。
「日本産婦人科医会」の広報委員の前田津紀夫医師の調査による。
「未受診の妊婦」が年々、増えている。「未受診」とは、「妊婦検診」を受けないまま、「出産時」になっていきなり、突然、病院に来る、というものだ。いわば「飛び込み出産」のことだ。
この「飛び込み出産」の10%の女性は、過去にも同じ「飛び込み出産」をしている(12%)。
「飛び込み出産」の女性は、出産間近になって病院にかけつける。15%の女性は、病院に到着するまでに、「路上」や「車の中」で出産する。
すると、妊婦が死亡するというケースも起こる。(8%)。子どもが「未熟児」で生まれるケースが多い。(33%)。
「飛び込み出産」の女性の年齢べつの割り合いは「10代は14%」、「20代は43%」、「30代は40%」となっている。
「飛び込み出産」をする女性は「入院費」の費用を支払わない女性も多い。
「入院費」を支払った女性は60%、「入院費」を支払わない女性は40%、と高い割り合いになって社会問題になっている。
「未受診、飛び込み出産は母子ともどものリスク(危険性)が高いだけではなく、医師、病床などの医療資源を浪費させている。未受診の女性は、誰にも言葉で相談しないケースが多い」(日本産婦人科医会の話)
「行動停止」とは、このようなケースのことをいいます。「妊娠した時に病院に行かない。母子にかんする検診をおこなわない」「かかりつけの病院、医師を決めない」「胎児の成長と健康の学習、母体の健康についての指導を受けない」「母胎と胎児の生命にかんする医学的な知識と技術の提供への費用を支払う行動をおこなわない」などが「行動停止」です。
日本の女性の社会問題になっている「行動停止」は、身体のみならず「心や精神の生命」にも大きく関与することの実証的な実例です。
これらの「女性」は、「脳の働き方」に即していうと「何を」「どうした」(妊娠をした)という言葉は記憶できていても、「何を」「どうする」(子どもを出産する)という未来形の言葉が記憶されていないことは一目瞭然です。
「行動」の未来形の言葉は、「いつ」「どこで」「何を」「どのように」の「状況」を説明する言葉が学習されていて、記憶されていることで、「行動」の目標や目的、計画といった「自分の将来の行動」をつくり出すことが可能になります。
これは、「父親不在」が遠因にあると説明してきています。「父親不在」とは、単身赴任で居ないことばかりをさすのではありませんでした。「父親が、遊びや勉強にかかわって距離が無かった」も、やはり「父親不在」です。そして、「母親」が「父親」のグチを言って聞かせた、子どもの目の前で夫婦ゲンカをした、父親が子どもをバカにしたりからかい、もしくは、叩いた、怒鳴った、などもやはり「父親不在」でした。このような生育歴と家庭環境をもつと、「何を」「どのように」の「Y経路系の認知」が欠落します。そして「どのように?」という事実、具体的な事実関係をベースにした「明日」と「将来」のヴィジョンや理念にかんすることは、全く「考えることも、行動もできない」脳の働き方になるのです。「明日」に怯え、「将来に悲観する憂うつと孤立」のみの「負の行動のイメージ」を表象(ひょうしょう)しつづけるのです。
人間の脳は、どのように「行動」を生成するのか?
では、「人間の脳」は、どのようにして「行動」をつくり出すのでしょうか。
あるいは、「行動」のための「言葉」を生成するのでしょうか。その脳のシステムデザイン(言葉のつくり出し方と行動のための言葉の生成のしかたのことです)についてご一緒に考えてみましょう。
無藤隆の『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(講談社新書、一九九四年刊)の中で新生児(生まれて1ヵ月めの子ども)と乳児の「行動」について書いているところをケースとしてご紹介します。
早稲田大学の大藪泰(おおやぶ やすし)氏による「誕生後3時間」の新生児の「行動」についての記録がある。
誕生後の新生児は、「うぶ声」をあげたのちにすぐ眠るのではない。「覚醒」と「まどろみ」の行動状態を持続的にあらわして、その後で「眠り」に入る。
「高度覚醒期」といわれる覚醒は平均で131分つづくという報告もある。
一般的な高度覚醒期は80分である。また覚醒状態は20分である。
これは、子どもが「母親の胎内」から「母体外」の環境へ移行するときに見せる特徴的な行動状態である。
この覚醒の時に、子どもは何をしているのか?子どもは「目を開いて、母親の目を見る」のだ。新生児は、この覚醒の時に、必ず、「母親へのあいさつ」ともいえる「目と目を合わせる」ということをおこなっている。
最初の数時間が過ぎると、とくに「泣き」の直後に「覚醒状態」があらわれる。生後5日になると、55%の確率で「泣き」の直後に「覚醒」があらわれる。生後1週間以内に「泣き」の状態を自分でしずめて、次に「覚醒」の状態に「行動」の仕方を変化させる。
この「覚醒」は、母親による「授乳」の後に「まどろみ」が起こる。この「まどろみ」の後にも「覚醒」が生じる。
新生児の「覚醒状態」を長引かせる実験がある。有効性をもつのは、「大きくて赤くて、丸い物」である。
新生児がまどろみはじめる時、「赤いエンピツ」を示すと「眠り」に入ることが妨げられた。二、三ヵ月がたつと、「赤い物」よりも「動く人間の顔」が、「覚醒」に有効になる。
新生児についての「泣き」についての観察と研究がある。北海道大学の陳省仁(ちんせいひとし)氏による研究は、次のようなものだ。
生まれたばかりの新生児は、突然、激しく「泣く」。最初の一、二回の発生は非常に長い。
5,6秒から12‐3秒つづく。
その後、リズミカルに少しずつ激しさが低減して、発生が数秒間、数回から10数回つづいて終了する。
生後の2日の「泣き」は短い破裂音で始まり、やや長い「泣き」を6,7回発してリズミカルになり、「出生直後」の二、三倍の持続時間ののちに終了する。
このときの「泣き」は、直前に「胸を広げる」「肩を広げる」など、深い深呼吸の呼吸運動が観察される。
「発声」が予期され、準備される行為になっている。
生後4週くらいになると「泣き」は、短い破裂音をくりかえす。リズミカルな長い発生に達するには、数十秒がかかる。この時の「泣き」は、まわりへの「探索活動」としての意味をもつ。母親(養育者)の対応によって「泣き」が止まる、などである。この時は、「視覚」と「聴覚」が「探索」の中心になる。
養育者が「抱く」「声をかけて顔を見せる」を遠くの位置からおこなうと「泣き」が止まる。「泣き」がまわりの大人の働きかけを受け止めあるいは「呼び込む」という運動の意味をもっている。
新生児の「笑い」についての研究がある。アメリカのハーバード大学のウルフによるものだ。
新生児の「笑い」は、「生理的微笑」「社会的微笑」「誘発的微笑」の三つが観察される。
「生理的微笑」は、新生児が眠っている時の「レム睡眠」の時に発生する。「レム睡眠」とは、大人でいうと「夢を見ている状態」の時をいう。「レム睡眠」の時には「目が動く」「手足が動く」などがあらわれる。
「レム睡眠」の時に、新生児に「音による刺激」を与えると表情が変化する。とくに強い音を与えると、「口のまわりの運動」が引き起こされる。これが「誘発的な微笑」である。
生後、4,5週になると増加して、8週ごろになると、消える。
生後2ヵ月以降は、「自発的な微笑」になる。これが「社会的微笑」である。
ウルフによる実験に、新生児は、「大人の声」と「黙ってうなづく人の顔」との「社会的微笑」の比較がある。
初めの5週間は「人の声に対して微笑する割り合い」が高い。6週を過ぎると「黙ってうなずく人の顔が微笑反応を誘発する」。
新生児は「音の刺激」が有効であり、生後二ヵ月以降は「人の顔の刺激」が有効である。
生後2ヵ月か3ヵ月になると、「大人の声に対して乳児が反応する」という行動が生まれる。
さらに、3ヵ月をすぎると、乳児は「自分の発声」にたいして「母親が応じてくれることを期待する」という予期行動をあらわす。
「応答が無いと、とまどった行動を示す」(京都大学霊長類研究所・正高信男)。
「相手の目を見て微笑し、声を出す。そして相手がそうしてきたら必ず応じる」という人間関係の親しみの表し方の基本が完成する。
人間が「色を知覚する」脳のメカニズム
無藤隆の『赤ん坊から見た世界』についての考察を加えるにあたり、実証的な判断のためのデータをいくつかご紹介します。一つ目は、平成19年12月9日の日経の「サイエンス」欄に載っていた「滝順一・編集委員」のリポートの要旨です。
人間、サルは、哺乳類(ほにゅうるい)の中で例外的に「色覚」が発達している。サルの中には、二色しか色覚センサーを持たない種類もある。「犬」「馬」は、赤と青の二つの色覚センサーしか持たない。
人間、サルは、赤色、青色に「緑色」を加えた三原色を認識する。
魚は、四つの色の色覚センサーを持つ。赤、青、緑色に加えて「紫外線」を認知する。
視覚の「センサー細胞」は、「目の網膜」にある。「明暗をとらえる棹体(かんたい)細胞」、「色覚を担(にな)う錐体(すいたい)細胞」の二種類がある。
この「錐体(すいたい)」は、赤色、青色、緑色に対応した光を感知する物質を持っている。
人間も含めた哺乳類(ほにゅうるい)は、緑色に対応する物質もそれをつくる遺伝子も、いったん失った。
後になって、「赤色」の遺伝子を使ってとりあえずの代用品としての色覚である。
「本来の緑色」とは異なる。また、人間の「青色」の色覚センサーも、じつは「魚」から受けついだ「紫外線センサー」の使い回しとして働いている。
なぜ、人間が「色覚」をもつのかについては、いくつかの説がある。
一つは「採食」に有利、という説だ。
「赤い果実を見つけるのに有利」「栄養価の高い若葉を見つけるのに有利」という説だ。
アメリカのカリフォルニア工科大学のマーク・チャンギジ教授らは、「仲間の顔色をうかがって、怒り、悲しみ、喜びの感情を知るコミュニケーションのために発達した」と、主張する。人間(サルも)は、感情の変化によって血流量や、血液の中の酸素の量が変化する。
とくに、生まれたばかりの「乳児」は、「母親の表情と顔色」に敏感だ、と観察されている。
新生児の「自律神経」の働き方のメカニズム
『免疫革命』(講談社インターナショナル・刊)を書いた安保徹は、次のようにのべています。
新生児は、母親の胎内から外界(がいかい)に出てくると、酸素の摂り入れ方が一変する。胎児は、母親の胎盤で母親と接していて、臍(へそ)の緒(お)で血流を回して酸素交換をおこなっていた。
新生児がオギャアと泣いた瞬間に、自分の肺が膨らんで酸素を摂り入れる。この時に、体内に入ってくる酸素の濃度が一気に上がる。
大量の酸素が入ってくると「代謝」も一気に上がる。このときの酸素ストレスで顆粒球が増える。
新生児は、生まれてすぐにはミルクを飲めない。1日から2日は体重が減る。身体もしぼんでしわしわになる。この新生児の体重減少は、酸素を吸いすぎて、興奮状態にある。交感神経が極度の緊張状態にある。交感神経が緊張状態にある出産の1日目は、母乳を飲めない。胃や腸は、副交感神経支配だからだ。2日目とか、3日目になると、交感神経の緊張が治まって、副交感神経が優位となりミルクを飲めるようになる。すると身体もしわしわでなくなって、丸々と太りはじめる。
新生児の脳は「泣くこと」「笑うこと」の行動を生成する
「胎児」とは、母親の胎内にいるときの子どものことです。また、「新生児」とは、生まれて1ヵ月以内の子どものことです。2ヵ月め以降の子どもを「乳児」といいます。
無藤隆の『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』のケーススタディと、このケーススタディとの記述をフォローする資料をとおして分かることは、「泣く」「笑う」という二つの「行動」です。この二つの「行動」が、新生児と乳児の「脳のソフトウェアとしてのシステム」を生成し、形成していることです。
これまでの脳についての説明は、ハードウェアとしての大脳生理学がおもなものでした。これは、自律神経についての説明も同じです。
無藤の新生児についての説明は「眠る」ということから始まっています。「眠る」ことの中に「覚醒」があります。これは「脳のソフトウェアとしてのシステム」の観察の位置から見るとどういうことの説明になるのでしょうか。「眠る」ということは「左脳」が眠ることをさしています。「レム睡眠」とは、「左脳」が休息している状態のことです。
このことは、「不眠症」についての説明でくわしくお話しています。「眠る」というのは「左脳の働きの休息」のことです。「右脳」は、眠りません。
「夢を見る」というのは「右脳の活動」のことをいいます。これが「ノンレム睡眠」です。
すると新生児は、左脳と右脳が活発に働いているということがのべられていることになるのです。
新生児の「左脳」と「右脳」は、「視覚」と「聴覚」が中心になって働いていることは、前回の本ゼミでくわしくお話しています。
新生児の「視覚」は、「Y経路」が主に働いています。「X経路」が働くのは、「Y経路」による「認知」とその記憶が進んでからの後のことです。
「認知」とは、「そのものが、げんにそこに在ることを分かる」という了解のことでした。また、「認識」とは、「Aなる物」と「Bなる物」を比べて、違いや差異を分かって、区別した特性や性質を分かる、ということをいいます。
「認知」は「右脳」がつかさどっています。「認識」は、「左脳」がつかさどっていることは、よくご存知のとおりです。
自律神経は「行動」の動機の「安心」と「苦痛」を認知させる
このような「認知」と「認識」の脳の機能は自律神経がつかさどっています。自律神経は、副交感神経と交感神経の二つがセットになって働いています。自律神経の働きの本質は、「恒常性」(ホメオスタシス)といって「エネルギーの代謝」をおこなっています。この自律神経の「恒常性」(ホメオスタシス)が、「目」と「耳」を柱とする五官覚も動かしています。安保徹が述べている生まれたばかりの「赤ちゃん」が「オギャー」と泣くのは、たしかに、「酸素を独力で摂取する」という自立した「呼吸システム」の起動のことでもあります。しかし、「恒常性」(ホメオスタシス)の次元からとらえると、大きく違って見えます。「声を出す」という「聴覚の機能」の「X経路」(右目、右耳。左脳)の系の「起動」という意味をもつのです。「X経路系の発声」です。これは、「何を」と「どうする」もしくは「何を」と「どうした」の「行動」の意味をもつのです。生まれたての新生児が「泣く」というのは、「左脳」が働いていることを意味します。「A6神経」がノルアドレナリン(猛毒のホルモン)を分泌させるので「強い苦痛」か、「強い安心を享受するための行動のイメージの表象(ひょうしょう)」であるかの、どちらかを内容にしています。「苦痛」とは、安保徹のいうように、「息詰りが苦しいので、息を吸い込んだ」というストレスのことかもしれません。これは、脳の「ハードウェア」の一面だけへの注目です。脳の「ソフトウェア」の観点からは、「苦痛」(息ができないので苦しい)だけではなくて「息ができたので安心」という「安心」もしくは「喜び」の認識とその「記憶」のことでもあるのです。ここでの「新生児」の「Y経路」(左目、左耳。右脳)は、どのように働いているのでしょうか。
「Y経路」とは、「いつ」「どこで」「何を」「どのように」の言葉のパターンに該当する「言葉」とその「行動」にかかわる「認知」のことでした。母親の「胎内」から「胎外」へと移動する新生児にとっての「Y経路系の認知」は、自分自身の身体の移動という「動き」の認知です。主に、身体の皮ふ感覚に感知される「知覚」が感知されて「記憶される」でしょう。「呼吸」は、まだ母親の「胎盤」とつながっているので、「息ができなくて苦しい」ということはありません。したがって、「身体の移動」に感じる「失墜感」が「大脳辺縁系」の中枢神経に記憶されるのです。「線状体」で「不安」を記憶するでしょう。扁桃核では、「嫌だ」「嫌い」の知覚が記憶されるでしょう。
もし、母親が、妊娠中に「恋人」や「夫」との関係で「辛い思い」をすれば、子宮の中の「羊水」のPH(ペーハー)は強い酸性に傾くので、胎児は全身の皮ふに「低温やけど」のような苦痛を感知しています。これは「中隔核」で「恐怖の感覚」も記憶することになるでしょう。このような「原体験」をもつ胎児がこの世に生まれると「息を吐く」という呼吸機能に不安を感じます。「人と話す」という時は必ず「無呼吸状態」になります。三木成夫によると「人間は、息を吸う筋肉はあるが、息を吐く筋肉は無い」からです。
「息を吐く」ことで新たに新鮮な空気を摂り込むことができます。このケースの人は、無呼吸状態によって肺の中に二酸化炭素がいっぱいになっているので息が苦しく感じられています。息を吸うにはまず「息を吐く」ことが思いつかず、「早く息を吸いなさい」という強迫意識が先に立ち、パニックになるのです。このタイプの人は、ヒステリーを起こす、怒鳴る、泣き叫ぶ、などの恐怖行動を起こして、これによってようやく「息を吐くこと」が可能になるのです。
生後1ヵ月で「ソフトウェアとしての脳のシステム」を完成させる
生まれた新生児が「1ヵ月」をすぎると、「乳児」という位置づけになります。「乳児」は、すでに「左脳」と「右脳」の「認識」(左脳)と「認知」(右脳)のソフトウェアとしてのシステムを完成させています。
「泣くこと」は、「息を吸う」ことと「ミルクを飲むこと」によって「安心」を記憶させます。
「X経路系」の認識のシステムが確立します。乳児の「視覚」は「遠くを見て分かる」という「Y経路」しか正常に働いていません。このことは、前回の本ゼミで説明しているとおりです。そこで「視覚」の代わりに「聴覚」が「何を」と「どうする」(「どうした」も)にあたる「認識」を記憶させるのです。母親が「こんにちは、お母さんよ」とか「ミルクをいっぱい飲んで、しわしわでなくなってね」などという「言葉がけ」をおこなうことが、「安心の認知」から「左脳系の認識」をつくるのです。ここでは、「視覚」による認識の代わりに「聴覚」によって認識の「記憶」がおこなわれていることを理解していただく必要がありましょう。「認識」とは、何のことでしたでしょうか。これは「X経路」による働きです。目の場合でいうと「縮瞳」のことです。近くのものに焦点を合わせて「形象」や「形にあらわれる性質や形状」などを記憶することです。
新生児は「微笑」を「短期記憶」から「長期記憶」に変える
「乳児」は、「Y経路」の「散瞳」=「遠くを見る」ことしかできません。
なぜでしょうか。「胎内」には「遠く」など無いからです。胎内での「遠く」とは、「聴覚」によってしか認知できません。「母親の心臓の心拍の拍動の音」を遠くに聴く、ということでした。
「乳児」は、「泣く」ことで「認識」という意識をつくり出しています。「泣くこと」は「肺の中に酸素が不足しているよ」という「不安の生の感情」の表象です。
「右脳のブローカー言語野」に「不安の短期記憶」がイメージされるのです。
ミルクを飲み、眠り、酸素を摂り込むと「安心」の認知となり、この「安心の認知」が「X経路」の副交感神経で認識されます。「安心の認知」が、「眠っている時の生理的微笑」として表象されます。
「眠っている」とは「行動停止」のことです。「行動停止」とは「何を」「どうした」というパターンの中で「楽しいこと」か「得すること」が手に入ったことを意味します。乳児の「生理的微笑」は「ミルクを飲んで気分がいい」「お腹がすいているところに、すぐミルクを飲ませてくれたので、やれやれ、ほっとしたよ」と「得したこと」を「生理的微笑」としてあらわしています。
この「乳児」の「泣くこと」と「笑うこと」が「乳児」にとっての「行動」の原型になります。
前回の本ゼミで「ゲシュタルトの法則」(原理)についてお話しました。「二・五次元の認知と認識」のことです。「動くもの」を認知するのは「二・五次元」の認知の仕方によります。自分は動けないが、人物がいろいろに動いて変化すると、「角度」「距離」「方向」を頭頂葉が「認知」して、「右脳系の海馬」に記憶します。
この「表象」を対象にして「分かる」ということをおこなうのが「認識」です。
これが「自分が行動する」時は、自分の身体が動いて「距離」「角度」「方向」を変えて、対象を「立体的」にイメージするので「三次元の認知と認識」として成立するのです。
これと同じ「ゲシュタルトの法則」が乳児の「行動」の原型をつくります。
乳児の脳は、「呼びかけること」という「行動」をつくり出す
乳児が、「空腹」なり、おむつが濡れて不快を感じるなりすると「泣く」でしょう。
この「泣くこと」は「音声を発すること」と同義です。また「遠くのものを見る」という視覚(Y経路)の働きとも共時しています。
無藤隆のケースの中の観察を見ると、保護者(おもに母親)が「遠くから声をかける」か「近づいてくる」、そして「抱く」なり「ミルクを飲ませる」と「泣き」が止まる、と説明されています。注目点は「遠くの位置から声をかける」そして「近づいてくる」という、乳児にとっての「聴覚」と「視覚」の認知の仕方です。ゲシュタルトの法則は、ここでの「動くこと」の認知の仕方を説明します。
例をあげましょう。みなさまは、直径5ミリくらいの黒い「丸」を五つ、白い「丸」を五つ、横一列に並べていると想像してください。
この黒と白の「丸」は同じものですが、色が違うことで全く「別のもの」に見えます。この黒と白の「丸」を交互に見ていると想像なさってください。同じ「丸」なのに「動いて変化している」ように見えます。これも「二・五次元」の認知です。「乳児」は、「母親」が「声」とともに「近づいて来る」時の「光」と「色」による変化を「Y経路」で認知します。「泣く時」は「行動」の必要の動機にかかわる「不安」が表象されます。すでに「不安」が記憶されているので、この記憶が表象されるのです。
そして「ミルクを飲む」などの享受を知覚すると、これは「安心」として認知されて、そして表象されます。この時の表象は「反応的な微笑」であり、「社会的な微笑」です。これも「二・五次元の認知」と「認識」として「左脳」と「右脳」でおこなわれるのです。「反応的微笑」も「社会的微笑」も「右脳」にドーパミンの分泌がおこなわれます。
「二・五次元」の「母親に象徴される保護者」の「行動」の認知と認識は、「乳児」にとっては、自分が「行動を起こす」という主体的および能動的な「行動」のモデルになるのです。
人間の「行動」の原型は、「呼びかける」「声をかけること」である
この「行動」のモデルとは、「行動」の本質にかかわる「脳の働き」のソフトウェアとしてのシステムのことです。「行動」の本質とは「自分に楽しいこと」か「得することがもたらされる」ということでした。
この「行動」のモデルの「記憶」がないと、「記憶のソース・モニタリング」が成立しません。「対象」を「見る」、もしくは「聞く」そして「行動を起こす」という「オペラント条件づけ」も成立しません。
成立しないとは、「行動停止」に陥り、「生命活動」が止まるということです。幼児にとって「記憶のソース・モニタリング」を起こす「オペラント条件づけ」とは何でしょうか。「条件」とは、あるものごとが成立する時に必ず必要とされる事柄のことです。それは、「自分が声を発した時に限って、相手が動いて近づいてくる」ということです。この結果、「自分に楽しいこと」か「得すること」がもたらされる、ということが「条件づけ」の成立です。
人間の脳のソフトウェアとしての「行動」とは、「自分が声を発する」と、これが「対象との関わりを成立させる」ということです。この「行動モデル」は、「三次元の行動」になるときは、「声を発する」ことの代わりに「足で歩いて近づいていく」というように「頭頂葉」での記憶に進化していくのです。
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