インド思想の核心『チャクラ(輪軸)世界観』とは何か?

http://bharatia7.blogspot.jp/2011/07/blog-post_07.html  より

インドラの失権とクリシュナの台頭

 紀元前1000年以降、アーリア人はガンジス川上流域、現在のデリー周辺に進出し、そこに定着した。彼らはヴェーダが優越するバラモン教を確立する一方、先住民の様々な文化要素を取り入れ、急速に土着化が進んでいった。それは、侵略の時代に一方的に制圧された先住民文化の復権であり、同時にインドラの失権の始まりでもあった。

 そして、紀元前800年頃、後に神格化されるクリシュナがマトゥラーの地に現れる。本来彼は牛飼いを生業とする先住民ヤーダヴァ族出身の宗教指導者だった。クリシュナとは肌の黒い者を意味する。そう彼は、かつてインドラの時代に徹底的に侮蔑の対象になったダスユの末裔なのだ。

ここに先住民の逆襲が始まる。クリシュナは『伝統的』なインドラへの信仰を否定し、人々に新しい自然神の信仰を説いた。言わば、侵略者によって押しつけられた権威に背く宗教改革者であったと言っていい。彼の教えは先住民を中心として多くの人々に受け入れられ、北インドに確固たる地盤を形成して行く。それは反インドラの運動であると同時に、破壊と侵略に根ざしたアーリア文化に対する、強烈なアンチテーゼともなった。

だがクリシュナは、インドラへの信仰は否定したがヴェーダやカーストの権威は否定しなかった。実在のクリシュナがどうだったかは分からない。けれど少なくとも聖典や物語に記述され現代へと伝わったクリシュナは、ヴェーダやカースト・システムのむしろ推進者として機能していったのだ。その点が後に、同じ宗教改革者であるブッダと大きく運命を分ける事になる。

 当初、圧倒的な戦力差によって一方的にアーリア人に蹂躙された先住民ではあったが、この頃になると積極的にアーリアの優れた物質文明を吸収し、アーリア部族に対抗できるような先住民部族が台頭してくる。恐らく、ヤーダヴァ族もそんな有力部族のひとつだったのだろう。それはカラード(有色人種)の国日本が明治維新によって西洋化を成し遂げ、やがて大国として欧米列強と伍して世界大戦に参戦するようになったプロセスと重なるかもしれない。

 神話によれば、クリシュナの反逆に激怒したインドラ神は大雨を降らしてヤーダヴァ族を滅ぼそうとした。それに対してクリシュナは、ゴーワルダン山を片手で持ち上げて傘とし、人々をその雨から守ったという。

 このクリシュナが、後にヴィシュヌの化身として取り入れられ、クリシュナ神となって神々のパンテオンの頂点を極める事になる。その過程で重要な役割を果たしたのが、国民的抒事詩マハバーラタだ。この物語はアーリアの有力部族バーラタ族の大戦争を縦軸に、様々な神話的なエピソードを横軸に展開していく。中でもクリシュナがらみで重要なのがバガヴァッド・ギータだ。