ものごとを適切に用いながら(2)――自分の体――

http://sadhana.jp/kurashi/13001.html より

「体を用いる」というと、仕事に従事するときに、もっとも頻繁にそれを意識することでしょう。人は、働いて収入を得なければなりませんから、仕事が続きます。その仕事において、課題を果たすために、人は体を用います。仕事に乗り気であれば、体を意識することが少ないかもしれません。しかし、気が乗らない場合は、「体」はしばしば、駄々をこねます。「おっくうだ」「体が重い」「体がつらい」などと。たとえば、簡単な掃除や整理整頓というおりでさえ、体が健康的でないと、思うにまかせないいらだたしさが募ります。

 そして、体とのつきあいの面倒臭さや厄介さが意識させられるとう次第です。(以上の場合、体はおそらく、精神的鈍重さ・気分的鈍重さを増幅する役を演じるのでしょう。)

 仕事とはいえない場合(たとえば、人間的な交わりの機会)でも、時おりは、「上手に体を用いることができればいい」と、願われます。たとえば、もてなしのために、場を適切に整えたり飾ったりしたいとき、体の能力を精一杯用いて目標達成しようとします。マイカーで送迎できるといいと願う場合も、車で厄介な場所を通ったり駐車したりするおりに、体を上手に操りたいものです。

 職業、業種によっては、「体」を生かした特殊技能が体得され、その技能が求められたり、評価されたりします。そういう用い方をする例は、看護師や介護師の仕事、運転手の仕事、木工・鉄工の技師の仕事、などです。また、美術や書道での手の用い方、楽器の演奏での手足の用い方もあります。こういうふうな、特殊能力や夢や理想を追ってする体の用い方の場合は、精神と体との相互協力の仕方の水準は、とても高くなります。

 体の用い方のありさまは、きわめて幅広いものです。

 それら、すべてを通じて、一日中、行住座臥「私の足は神様の足、私の手は神様の手」と言えるように行動できるならば、それはもっとも望ましい仕方です。(このホームページの「暮らしの中の観想」「自分の側の心の風景」の【8】をご参照ください。)心がすっかり「神様への奉仕」に専念するものになっていますから、体のわがままが現れない傾向ですし、精神と体の調和は最高度の調和を達成しています。

 いっぽう、体の状況の否定的な方面もあることを忘れることはできません。食事やおやつでの「食べる」「飲む」という機会においては、そこでの食欲や「快」の求めは、体が獣性を帯びる場合もあります。性的な領域においても、人は生涯にわたって、いざなわれることが続きます。 体は、しばしば精神に反抗的になりますが、体の本来的な在り方は、精神に従い、精神によって「用い」られる」在り方です。

 いっぽう、人は生活が普通に展開していて、暮らしたり働いたりしていると、体のことを忘れたり無視したりしがちです。体の故障や変調あるいは病気、それらが現れるまで体の状態に無頓着だというのは、改める必要があります。

 体を酷使しすぎると、それは体の故障の原因になります。また、あまりに不注意な仕方で体を用いると、不慮の事態から、傷を負ったり故障を招いたりします。体に対しての思いやりやいたわりを欠かしてはいけません。人々一般のレベルよりも弱いところが、自分の体にある場合、体の欠陥を嘆くのではなく、体の弁護者となって、その弱点を受け入れ丁寧にいたわってあげます。疲れを訴えるときは、丁寧に寄り添い、早いうちにその回復に努めます。

 毎日の睡眠を、深い良い睡眠にする工夫も必要です。

 それと同時に、あまりに体を甘やかすと、今度は、体には怠け癖がついたり、獣性が芽生えたり、精神に反抗的になったりします。体の鍛錬も必要なことです。

 体には知恵があります。精神は、十分に体の知恵を受け入れねばなりません。精神は、体との美しい協力関係を作り上げねばなりません。

 このホームページでは、体に注目しての、体と精神の調和、体と霊との調和を達成するさまざまな方法を掲げています。腰を立てる理想的な姿勢についても、体を丁寧に感じ取る仕方についても、歩行の際の心身の調和についても、多くのヒント掲げています。(「体と祈り」コーナーをご参照ください。)

 心身の良い調和が得られて、ダンスを楽しんだり、音楽演奏・美術表現を楽しんだり、屋外レクリエーションやスポーツを楽しむ――あるいは、よく習得された技能を生かして、巧みな制作品を産出する――このように体が用いられるというのは、体の用い方のたいへん尊い在り方です。

 上のように、述べ来たったさまざまな配慮と訓練によって、精神と体が調和するようになると、「人という存在のえも言われない尊さ」を体感するようになります。「なんと尊くありがたい存在なのか」と、感動します。神様の祝福を自分の存在全体で感動的に味わいながら、暮らすことが恵まれます。