人と比べず自分の歩みに徹して

http://sadhana.jp/kurashi/13001.html より

神様と親しい関係を恵まれて、生活することは、自分と神様との対話が深まり充実することです。神様は、つねに私と関わり続けてくださいます。

私の方は、信仰心を奮い起こしつつ、その神様との関係に入らせていただこうとします。そして、神様のお招きにできるだけお答えしようとします。

神様は、私の全部・私の全体と関わることを望まれます。

 ところが、人間にとって、他者の視線や生き方ほど気になるものはありません。「あの人は立派で、私は貧弱だ」「あの人はみじめな感じだが、私はずっと見栄えがする」「私の方がずっとよく出来る」――などと、比べる傾きは強いです。しかも、そういう心の動きは、自分の意識が動くより先に動き出します。

 このようなしつこい傾きに引き入れられずにすむよう、神様にお願いしながら、まず神様の「お心」「お求め」に夢中になれるよう努めます。

 そもそも、人同士を比べてみることには、なんの意味もありません。

 比べる意識になるとき、その見方は、とても浅いものです。真実の自分も深く豊かな存在ですし、真実の他者もまた深く豊かな存在です。その深く豊かな両者をふさわしく感じ取ることは、簡単な見比べなどで出来ることではありません。(もし、他の人のやり方や有様が自分の参考にできるのだとすれば、それは、単なる浅い見比べなどではなく、じっくり腰を据えた深い考察によらねばなりません。)

 比べたくなるのは、神様との関わりを生き生きとしたものにすることに対して、妨げになる誘惑です。自分の優越を楽しみたいとか、あるいは逆に、自分の栄えが消えて悲しい、などと心を騒がせるもとです。しっかり神様と対話し合う道から、それる事でしかないのです。

 始めの方で述べましたように、神様が深く全面的に関わってくださっている、その神様と関わろうとするのですから、自分の精一杯、自分の出来るだけを、神様にお届けしようとしなければなりません。他の人と比べるような心の隙き間を、自分にゆるすべきではありません。

 自分のありのままを喜んでくださる神様。「あなたに恵みは足りている」と言われる神様です。ですから、与えられているものを十分に大切にしつつ、満足して暮らします。そして、この神様とともに、自分の歩みにひたすら徹しようとします。私の心に関わろうとなさる神様のひそかな招きや呼び声に、丁寧かつ徹底的に従おうとします。神様は、「照らし」の形や「慰め・励まし」の形や、「霊の実」の形などによって、私の心にしばしば温かい応答をしてくださいます。上記のようにしながら、暮らしの中で、人はそういう神様に出会うことができます。