一つの事柄のみに意識が集中されて

http://sadhana.jp/kurashi/13101.html  より

自分の課題になっている事柄に取り組んでいるとします。

 「暮らしの中の観想」が実る場合には、意識が一つの事柄のみに集中されるようになります。その一つの事柄に取り組んで、好きか苦手か、好調な運びか苦戦中か、などに左右されずに、ただ初期の目標目指し、取り組みが続きます。面白いか面白くないか、エイキサイティングかそうでないかなども問わずに、「まだ取り組み続けるべき」と判断されれば、淡々とした心で取り組みを続け、気を散漫にしません。

 もし、途中によんどころない用務が入り込めば、そちらに働きを移しますが、その用務が果てれば、ただちに元の課題遂行に戻ります。

 執着して集中しているのとは、異なります。肩のあたりは、ゆったりしていて、まなざしも穏やかでありながら、目前の一つの事柄だけに意識が集まっています。

 さて、「暮らしの中の観想」を実らせる人は、通常活気があります。ですから、働きぶりや暮らしぶりにおいて、手がける多くの物事があります。けれども、今は、一つだけを見つめ続けます。他の多くの課題のことは、当面は、意識の外に置かれます。一つが滞りなくやり終えた後に、今度はすみやかに二つ目の課題に取り組みを開始します。

 今集中して関わっている事については、丁寧に、尊びながら、打ち込みます。

 結果的には、仕事の成果は水準が良いものとなります。また、落ち着きながら、割合多くを果たし終えます。

 あまり得意でない事柄に取り組まねばならない場合にも、あるいは気の重い人間関係の相手と関わらねばならない場合でも、アドバンテージを感じます。この基本線が保たれていることで、自信喪失に落ち込みにくく、かなり良好な対処の仕方を見出せます。そして、着実な終結へと達しやすいです。 良い選びをしながら自分の課題にして、それを神様と協働する心になって、平和裏に一つ一つに丁寧に対処している心です。

コズミックホリステック医療・教育企画