http://sadhana.jp/sozo/1200.html より
【15】聖イグナチオに導かれて聖書の場面を観想するー1B(ご託身②)
ここにご紹介する祈り方は、前の項目(【14】)を受け継ぐものです。
聖イグナチオは、同じ日のうちに、五回の観想(各回ほぼ1時間)をする構成を組んでいます。この五回のうちの、始まりの観想の仕方は、前に掲げたとおりです。この日の五番目の観想を、次のように行うよう、聖イグナチオは、導きます。(聖イグナチオの原文を重視して掲載します。)
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《第五観想》第一と第二の観想に五官を当てることである。
準備の祈りと三つの準備の後に、第一と第二の観想に、次の方法で、想像の五官を順次当てていくのは有益であろう。
【要点第一】想像の目で観想における人物を見ること。その状況を細かく黙想し、観想し、見たところから何らかの益を収める。(執筆者注=地上のさまざまな人々を天上から見て救済の計画を実行される聖三位一体の尊さを見る、また、天使ガブリエルの困難な指示を精一杯受容されるマリアの尊さを見る、という方向で内的なさらには霊的な視覚を働かせます。)
【要点第二】彼らが話していること、または、話すであろうことに耳を傾けること。そして、自分に目を向け、そこから何らかの益を収める。(執筆者注=要点第一で見たような、聖三位一体のご計画遂行を決定なさる尊い語り合いを聴く、また、マリアの天使に答える気高く尊いお言葉を聴く、という方向で内的なさらには霊的な聴覚を働かせます。)
【要点第三】観想に現われる方々に応じて、その神性、その霊魂と霊魂の徳、また他のあらゆるものの限りない芳しさとその甘味を嗅覚で嗅ぎ、味覚で味わうこと。そして、自分に目を向け、そこから何らかの益を収める。(執筆者注=聖三位一体のそれほどの犠牲を注ぐ愛のご意志や、マリアの天使に答える気高く尊いご意志について、限りない芳しさと甘味を内的・霊的嗅覚で嗅ぎ、内的・霊的味覚で味わいます。)
【要点第四】手で触れること。たとえば、その方々が踏まれたり座したりしている場所を抱き、接吻する。そして、いつもそこから益を収めようと努める。(執筆者注=マリアが座しておられた台の温かさ、尊さを内的なさらには霊的な触覚で感じ取るようにします。)
【対話】第一と第二の観想のように、対話と主の祈りで終わる。
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以上のように、内的なさらには霊的な、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚で、神性の尊さや聖母の尊さを感じ取る方向に向うよう、聖イグナチオは導いています。
【15】聖イグナチオに導かれて聖書の場面を観想する-2(ご降誕)
【準備の祈り】
自分のあらゆる意向と行動と働きが、ひたすら主である神への奉仕と賛美だけに向けられるよう、主の助けを願う。
【第一の準備】
内容をまとめること。ここでは、懐妊九ケ月の聖母が、ヨセフと一人のはしためと共に、ナザレを出発し、(聖母が牝ろばに乗っておられるのを信心深く黙想してもよいが)、ローマ皇帝がその地方すべてに課した貢物を納めるために、牡牛を連れてベトレヘムに赴かれた。
【第二の準備】
見えるように場所を設定すること。ここでは、ナザレからベトレヘムへの道を想像の目で見、道の長さと広さ、また平坦であるか、谷や丘を越えて行くかを観察する。同様にして、誕生の場所(または洞窟)に目を向け、それがどのくらい大きいか小さいか、どんなに低いか、どのように整っているかを観察する。
【第三の準備】
望んでいるものを願うこと。ここでは、いっそう主を愛し主に従えるよう、私のために、人となられた主を深く知ることを願う。
【要点第一】
観想における人物を見ること。すなわち、聖母マリア、ヨセフ、はしため、また、誕生直後のみどりごイエスを見る。さながらそこに居るかのように、出来るかぎりの畏敬と敬意を尽くし、自分を貧しい者、とるに足りない小さき下僕とみなし、この方々を見、観想し、入用な物の世話をする。次いで何らかの益を収めるため、自分に目を向ける。
【要点第二】
彼らが話していることに気をつけ、注意し、観想すること。そして、自分に目を向け、何らかの益を収める。
【要点第三】
彼らが行っていること(歩いたり働いたりしていること等)を見、考察すること。こうして、主がこの上なく貧しい状態の中で生まれ、飢え渇き、暑さや寒さ、辱めやさげすみの数々の労苦をしのばれたあげく、十字架上で死ぬこととなる。そして、このすべては、私のためである。次いで自分に目を向け、何らかの霊的利益を収める。
【対話】
前回の観想と同様に対話と主の祈りで終わる。
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※なお、ご降誕の場面を観想する日の5回目の観想として、聖イグナチオは、ご託身の場合の5回目同様、五官を当てることを設定しています。(この「五官を当てる」観想は、この度は、【15】に掲げた仕方を代表型とすることとし、本ホームページに再度掲げることは割愛します。)
【17】 聖イグナチオに導かれて聖書の場面を観想する-3(ご受難)
※聖イグナチオは、キリストの受難の観想について、ご受難場面のどれにも注目しますが、そのうち、時間的に早い二場面について、具体的な観想の手引きを記します。それらの手引きは、【第一の準備】から【第三の準備】までが異なる一方、それ以外は、「同様に行うように」との指示になっています。この二つの観想(第一観想と第二観想)は、もともと別個に行われるものですが、並べて示すことが便宜です。以下に、第一観想と第二観想を並記的にまとめて示すこととします。
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【準備の祈り】(第一観想と第二観想、ともに共通)
(ご託身の観想の場合と同様に行う)
《第一観想:晩餐を中心とする部分》
【第一の準備】
内容をまとめること。ここでは、わが主キリストが、晩餐を準備するためにベタニアから二人の弟子をエルサレムへ遣わし、後に主自身も他の弟子と共に晩餐に行かれたということ。また、過ぎ越しの子羊を食し、晩餐を済ませてから、弟子たちの足を洗い、至聖なる体と尊い血を彼らに与え、そして、ユダが自分の主を売ろうとして出かけた後、彼らに説教をされたこと。
【第二の準備】
見えるように場所を設定すること。ここでは、ベタニアからエルサレムまでの道、それが広いか狭いか、平らであるかなどを思い浮かべる。同様に晩餐の場所を見て、それが大きいか小さいか、どのようであるかを思い浮かべる。
【第三の準備】
望んでいるものを願うこと。ここでは主が私の罪のために受難に赴かれるので、痛み、深く感じる心を願う。
《第二観想:ゲッセマニの園を中心にする部分》
【第一の準備】
内容をまとめること。ここでは、わが主キリストが晩餐をされたシオンの丘から、十一人の弟子を伴いヨシャバテの谷へ下られたこと、そして、八人を谷のある場所に残して、祈り始め、血のしずくのような汗を流されたこと。また、三度も御父に祈り、その後、三人の弟子を眠りから覚まされたこと。 それから、主の声に敵は倒れ、ユダは主に平和の接吻をし、聖ペトロがマルコスの耳を切り落とし、それを主キリストが元通りにされたこと。悪人のように逮捕された主を連れて彼らは谷を下り、また坂を登り、アンナの家まで行くこと。
【第二の準備】
場所を見ること。ここでは、シオンの丘からヨシャバテまでの道を思い浮かべることである。また、園についても 同様にし、それが広いか長いか、どのようであるかを思い浮かべること。
【第三の準備】
望んでいるものを願うこと。ご受難において当然願わなければならないもので、苦しむキリストと共に苦しみ、砕かれたキリストと共に砕かれ、涙し、私のためにキリストが忍ばれたおびただしい苦難のために、内的な苦痛を願う。
(以下、第一観想と第二観想、ともに共通)
【要点第一】
晩餐に列席している人物を見ること。そして、自分に目を向け、そこから何らかの益を収めるように努める。
【要点第二】
彼らが話している言葉を聴くこと。前と同じくそこから益を収める。
【要点第三】
彼らが何をしているかを見ること。そして何らかの益を収める。
【要点第四】
観想する場面に応じて、わが主キリストが人間として受けられており、または、受けたいと望まれている苦しみを考察する。そして、ここから激しく痛み悲しみを感じ、涙するよう努め始める。後に続く他の要点を通してもまた同様に努める。
【要点第五】
神性が隠されていることを考察する。すなわち、敵を滅ぼす力を持ちながらもそうされず、イエスのいと尊き人性がこれほどひどく苦しむままにされていることを考察する。
【要点第六】
主がこの苦しみを受けておられるのは、ことごとく私の罪のためであることと考え、私は主のために何をなすべきか、いかなる苦しみを忍ぶべきかを考察する。
【対話】
前にも一部記したように、対話においては、その霊操の内容に応じて話をし、恵みを願わなければならない。たとえば、誘惑か慰めを感じるところに従い、獲得したい善徳、あるいは心を傾けたいあれこれの方向に従って、また、観想の内容につき苦しみか喜びを感じたいところに応じて、対話の次第を決めるべきである。最後に具体的なことがらについて是非とも望んでいるものを願う。こうして、わが主キリストへ一つの対話だけをしてもよく、または、内容と信心深さによって動かされるようなら、聖母と御子と御父へ三つの対話を行うこともできる。
※なお、聖イグナチオは、「ご受難」の観想を積み重ねる過程においても、 ご託身の時以来継続される「内的・霊的五官」を当てはめることを、求めます。その当てはめ方は、この項目の【15】に詳しく説き明かされた仕方 に準じるものです。
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