観察瞑想

http://president.jp/articles/-/21973  より

<観察瞑想>自分の思考や感覚を客観的にとらえる

観察瞑想は、脳の中でも非認知能力を活性化する部分が刺激され、アイデアがひらめきやすくなったり、社会性や思いやりを司る脳の部位にも好影響を与えるという報告もある。

やり方は、まずは集中瞑想に入る。自分の呼吸に意識を向けられたら、今度は自分の意識や思考を身近なものに移して観察する。たとえば雨が降っていれば、雨の音に意識を静かに向け、鳥の声が聞こえていればそれを受け入れる。しかし、思考や感覚を観察するのは言うほど簡単ではない。川上さんですら「私も100%必ずできるというわけではありません。風邪をひいたようなコンディションが悪い状態では、私も観察瞑想には入れない」そうだ。そこで初心者におすすめの方法が、セルフ・ナレーティング。頭の中で起きてることを「今、自分は昨日の会社の出来事を思い出している」「鳥の声が聞こえている」など、第三者が読み上げるかのように頭の中でナレーションしていくのだ。

とはいえ短時間で観察瞑想に入るのは難しい。

「一般の人が観察瞑想に入る目安は、約10分。人間の脳の重さは体重の2%くらいなのに、人間が1日に必要とする総エネルギーの20%も消費する器官です。集中しているときは非常にエネルギーを消費しているので、10分くらいすると省エネモードに戻ろうとするので観察瞑想に入りやすいです」(川上さん)

5分ぐらいだと、ほとんどの人は集中瞑想で終わってしまうという。

▼観察瞑想のやり方

ひとつの対象(呼吸など)に注意を向ける→思考・感覚が拡散する→思考・感覚が拡散していることに気づく→気づいた思考や感覚を観察する→再び対象を呼吸に戻すよう意識する※これを繰り返す

https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/entertainment/book/201803/p1_0011052328.shtml より

いっぷう変わった対談だ。スリランカ上座仏教の長老とドキュメンタリー映画監督という組み合わせ。重なるのは「観察」というキーワードのみ。

 長老は生の苦しみから解放されるために自分の感覚や認識を一つ一つ見つめる「観察瞑想」の実践を説く。監督は台本やナレーション、BGMを排した「観察映画」を提唱してきた。

 観察映画は一つのストーリーを押し付けないため、観客は各自でストーリーを読み取る。その多面性が映画に膨らみを持たせる。

 長老によれば、主観に基づく思い込みである一つのストーリーが不安や衝突を生み、苦しみのもとになる。ストーリーのパターンから逃れるためには一つのストーリーに執着せずに絶えず更新すること。同時に普遍的なストーリー、すなわち仏教の教えを知ること。観察瞑想はそのためになされるプログラムだという。

 「仏教は精密科学」という長老は、時に脳科学の知見を援用し、観察瞑想による人格向上のプロセスを論理的に語る。強調されるのは、まずはその「実用性」だ。実際にプログラムを体験した監督は「イライラしなくなった」と報告する。

 長老の外見がガンジーのように聖者っぽいので高尚な説法を予想していたら、達者な日本語で靖国参拝や安保法制についてもポンポン発言する。その態度に意表を突かれた。

 だが読み手のそうした思い込みも、実は高僧に対して勝手につくり上げた一つのストーリーにすぎない。そのことに読んでいる途中、気付かされた。

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