わたしの肺は空である。山は歯である。やわらかい雲は、わたしの肌である。雷は、わたしの心臓が時間から、時間を越えた時へとなる音である。わたしたちのお互いの涙。ここでは、実は何も起こってはいないのである。(p.99)
統合的生活実践(ILP)をおおづかみにすると、その考え方ははっきりしている。自己、文化、自然において、身体、心、魂を修練する、ということである。(p.305)
わたしは常に人々に対しては、単にスピリチュアリティに関して読むかわりに、実際の訓練、修行をするよう勧めてきた。(p.206)
「スピリット」とは、すべての事象のありのままの姿である。それは完全にすべてのものと一緒である。したがって、それは何も特別なものではない。薪を割り、水を運ぶのみである。(p.230)
瞑想の修行を始めて最初に気が付くのは、自分の心が、ということは自分の人生というものが、ほとんど無意識的なおしゃべりで占められているということである。(p.240)
「スピリット」は四つの象限に、あるいはビッグ・スリー(私・私たち・それら)に平等に顕現する。(p.125)
重要なのは、統合的な見方に関するわたしの特定の考えではなく、むしろわたしたちすべてが、統合的なアプローチ全体に関するこの驚くべき対話に参加することである。(p.223)
身体に感じるすべてのブロック、緊張や圧力などは、基本的にはタブーとされた衝動や感情を筋肉で抑え込んだために起きている。(p.170)
芸術は、あなたのなかに静かに浸透し、そして、あなたは変えられる。わずかかもしれない、それでもあなたは変えられたのだ。(p.277)
様々な瞑想状態に入ったり出たりすることで、あなたは、そのどれもが最終的な覚醒を構成するものではないことを理解する。(中略)状態の変化がポイントなのではない、ということを認識することがポイントである。(p.359)
偉大な禅の老師の法常が死ぬ時、リスが屋根の上で鳴いた。老師は言った。「まさにこれである。それ以外のものではない。」(p.380)
わたしは常に人々に対しては、単にスピリチュアリティに関して読むかわりに、実際の訓練、修行をするよう勧めてきた。(p.206)
あなたは、すでに、ただ、今ここにあるというシンプルな感覚にいる。そう、それでもう一度、教えてほしい。いったい、悟りをひらいていないものなど、いるのだろうか?(p.287)
今、ここに現れているものといっしょに、リラックスしなさい。自己が、広い空間のなかにときほぐれていくのを許しなさい。あなたのもともとの心は生まれていないし、死ぬこともない、自分の心は、永遠に「スピリット」と一つであることを認識しなさい。(p.88)
もっとも大きな死、そこでいつもと同じように、旅が終わり、そして、まさにそこで始まるのである。(p.275)
この現在という瞬間、それをじっと見つめていると、実際に時間というものはない。現在の瞬間というのは、時間のない瞬間である。そして時間のない瞬間というのは、永遠である。(p.269)
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