「人間らしさ」とは何か

https://www.freezilx2g.com/2013/12/blog-post_5252.html 【「人間らしさ」とは何か】より

「自我が精神的、身体的次元において、統御可能な範囲内にある様態」―― 私はそれを「人間らしさ」と呼ぶ。

例えば、耐え難いほどの 肉体的苦痛が継続するとき、間違いなく、自我は悲鳴を上げ、その苦痛の緩和を性急に求める。

しかし、その緩和が得られないとき、その自我は確実に抑制力を失い、破綻の危機を迎えるだろう。

或いは、身体の四肢麻痺状態が、その身体の死に及ぶまで永久に続くことが回避できないとき、その患者は自分の身体の介助を 他者に絶対依存しない限り、その生存の保障はない。

従って、その患者は、自らの身体の清拭を他者に依存するばかりか、排泄の全面的な介助をも求めざるを得ない。

カテーテルによる排尿を世話してもらったり、糞便の処理まで依存することになるのだ。

たとえ、そこに、相手の善意を感じ取ることができたとしても、「絶対依存」とも言える、その現存在性を何十年もの間、継続させてきて、機能を失った、殆ど別の物体と化した自己の身体に一貫して馴染むことができず、更にその自我が、それ以前から作ってきた自己像との矛盾を克服できないとき、人はそこに、自らの人格としての尊厳を受容することが可能だろうか。

 「人間らしさ」の喪失とは、以上の例で明瞭である。

  即ちそれは、自我が、自らの現存在性と折り合うことができない状態のことであり、まさに、その折り合いのレベルこそが人間の尊厳の度合いであると言ってい い。

私たちが、人間の尊厳について定義するとき、どうしても、そこに抽象的なニュアンスが含まれてしまうのは、個々の尊厳観が微妙に異なり、極めてその相対度が高いからである。

そこにこそ、尊厳死の問題の難しさと深淵さがあるのだ。


https://www.freezilx2g.com/ 【虚栄の心理学】 より

 虚栄心とは、常に自己を等身大以上のものに見せようという感情ではない。自己を等身大以上のものに見せようとするほどに、自己の内側を他者に見透かされることを恐れる感情である。虚栄心とは、見透かされることへの恐れの感情なのである。

 同時にそれは、自らの何かあるスキルの向上によって生まれた優越感情を、他者に壊されないギリギリのラインまで張り出していく感情であるとも言える。スキルの開拓は、自我の内側に今まで把握されることもなかった序列の感覚を意識させることにもなる。この主観的な序列の感覚が、内側に優劣感情を紡ぎ出すのである。

 自分より高いレベルにあると勝手に認知された者への劣等意識が、自分より低いレベルにあると勝手に認知された者への優越感情をほどほどに中和し、自分なりに相対化している限りでは、その平穏なるラインを喰い千切って、空気を破壊するような虚栄心の暴走は見られない。

 ところが、スキルの意志的向上は、大抵、そのプロセスで「道」の序列者たちと観念的に出会ってしまうから、自らの序列性を測ることで、自己を基準にした他者の優劣度が観念的に把握されざるを得なくなってくる。この主観的把握がスキルの前線で他者とクロスするとき、他者の多様性に即して虚栄心が様々に反応するのは、それが見透かされることへの恐怖感情を本質とするからだ。

 その些か繊細で、特有の心象を括っていくと、虚栄心には、二つの文脈が包含されていることが分る。

 その一つは、「私にはこれだけのことができるんだ」という自己顕示的な文脈。もう一つは、「私はそれほど甘くないぞ」という自己防衛的な文脈。虚栄心とは、この二つのメッセージが、このような特有な表出を必要とせざるを得ない自我のうちに、べったりと張りついた意識の内実なのである。

 虚栄心は、相手が必要以上に踏み込んでくると察知したら、プライドラインを戦略的に後退させ、水際での懸命の防衛に全力を傾注する。いずれも、見透かされないための自我防衛のテクニックであると言っていい。

 そしてこれこそが、日本人が勝気の国民性であると言われる心理的風景の一つである。虚栄心は、勝気な心理傾向を支える一つの重要な柱なのである。

 バレンタインチョコ(写真)を多くもらったことを、他人に言わずにいられない人の心の奥には、自己像に対する他者からの、「認知志向のずれ」(イメージの誤差)を恐れる感情が、存分にプールされているだろう。

 一々、人に言わなくても、「あいつはモテるから、もらって当然」という空気に囲繞(いにょう)されていれば、殊更、自慢居士になる必要がない。

 件(くだん)の者を厭味(いやみ)な自慢居士に駆り立てるものは、一体何か。

 それは、彼が固執するある種の優越感情(この場合は、「自分はこんなにモテるんだ」という感情)の根拠となる対象(モテるという事実)に対して、彼の周囲の者、とりわけ、彼が意識する特定他者やその周辺者が、その事実を充分に認知していないのではないかという不安が潜在するからである。同時に、「バレンタインチョコをもらえない男」と見られる不安に、彼が耐えられないからである。本当は自分がモテない男であるという隠された自己像を見透かされたくないという心理が、その奥に伏在しているのだ。男の虚栄心の一つの表れ方が、ここにあると言っていい。

 そんな虚栄心の振れ方を証明するようなエピソードが、「葉隠」(注1)の中にある。

 自分が用足しに行っている隙に、殺人事件が発生した。戻って来て、凄惨な現場に立ち会ったその武士は、自分がその状況から抜け出した、腑抜(ふぬ)けのような武士に見られることへの恐怖感から、自分とは利害関係のないその当事者を斬殺したのである。実に、後味の悪い話だった。

 当時、武士のアイデンティティが虚構の観念のうちにしかなく、この幻想を守るために、人を殺すことまで強迫されていた、厄介な負のシステムがそこにある。そしてこの負のシステムに、農業生産のシビアな現場からすっかり無縁となった武士の虚栄心が繋がれて、ある種、滑稽なまでに暴走していくことの怖さを、この話はリアルに留めているのであると言えようか。

 武士が武士であるためには、武士であることの記号を、単に自らに冠することではとうてい済まないのである。髷(まげ)や刀が単なる記号以上の何かであることを検証する時間、即ち、「非常時」という時間が、全ての御家人や藩士の存在価値を規定している。

 彼らは、一生に一度あるかないかの「非常時」での身の処し方に、一切を乗せていく。実際には殆ど機能しなかった、「武士道」という厄介な重石が、やり直しが効かない彼らの表現の正邪を両断しにかかるから、一片の躊躇(ちゅうちょ)もそこに許されないのだ。見透かされてしまった武士は、それで未来が閉ざされてしまうのである。

 上意討ちに頓挫した男の悲劇を描いた、藤沢周平の「玄鳥」(文春文庫・注2)という名篇は、「非常時」での対応の難しさを教えてくる。「非常時」では、「完璧なる仕事の達成」という以外の解答がないからだ。

 

 まさに、虚栄心の本質が恐怖感情にあることを、これらの事例は教えてくれるのである。

 殆ど虚栄心だけの武士道は、武士階級の崩壊によって呆気なく自壊したと思いきや、その粗悪なエキスだけが近代に流れ込んでいった。

 面子と年功序列制(日本海軍兵学校の卒業席次である「ハンモックナンバー」が、軍の指導的地位を決めた)によって近代戦を闘って、この国の軍隊をリードした高官たちのアナクロニズムの中に。

(注1)佐賀藩(鍋島藩)の山本常朝の口述を、田代陣基(つらもと)が記録したもので、18世紀初頭に成立。「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の一節は、あまりに有名である。「鍋島論語」とか、「葉隠聞書」とも呼ばれていたが、明治時代に新渡戸稲造(農学者)が、アメリカで出版した「武士道」(1900年)が我が国に逆輸入され、当時の近代日本の精神主義の形成に影響を与えた。1938年には、矢内原忠雄(経済学者)訳の「武士道」が、岩波文庫として刊行された。

(注2)玄鳥とはツバメのこと。「無外流の剣士として高名だった亡父から秘伝を受けついだ路は、上意討ちに失敗して周囲から『役立たず』と嘲笑され、左遷された曾根兵六にその秘伝を教えようとする。武家の娘の淡い恋心をかえらぬ燕に託して描いた」(紀伊国屋書店BookWebより)傑作短編。


https://www.freezilx2g.com/2019/07/blog-post.html?view=sidebar 【「時間」の心理学】より

地獄の門(ロダン作)(イメージ画像・ウィキ)

1  「内的時間」の懐の此処彼処に、「タスク」への問題意識を詰め込んでいく

ソクラテス・弟子のプラトンによると、「人はなぜ生きるのか」と問い続け、「真理の探求」と無縁なソフィスト(弁論術の教育を収入源にした知識人)たちの欺瞞性を批判。「無知の知」を主唱し、その解決法として「対話法」の重要性を強調(ウィキ)

「存在」とは何か。「自由」とは何か。「生きる」とは何か。「人生」とは何か。「人間」とは何か、等々。

唐突に聞かれても、軽々(けいけい)に答えられない人生の難問について、多くの同世代の若者たちと同じように、真剣に考える時期が、私にもあった。

答えられるようで、答えられない現実。それに腹が立った。

プラトン・「イデア」(時空を超越した永遠の実在)こそが、真の実在であると説き、それ以外は「イデア」の陰影であるとする、プラトン哲学の根本概念

アリストテレス・師プラトンの理想主義的観念哲学の集大成「イデア論」と距離を置き、事象の本質は現実の個体に内在するとして、人間の「実体」を、「心」(形相=個物に内在することで、一切から離れた「イデア」の永遠の実在性を否定)と、「身体」(材料=質料)であると説いた、史上最大の哲学者と評価される(ウィキ)

胡乱(うろん)なレトリックで捲(まく)し立て、機先を制したつもりになる厚顔さでピンチを脱しても、「答えられるようで、答えられない現実」に腹が立つのは、内側で増すばかりだった。

年相応の、技巧を駆使しての「状況脱出」という「現象」それ自身が、堪(たま)らないのである。私は何も知らないのだ。

しばしば、非武装の「空気」の後押しで饒舌(じょうぜつ)になるが、その饒舌を充填(じゅうてん)する知性の欠如は隠し切れなかった。

一切が根源的で、厄介な「懸案」の「タスク」になる。ペンディング(保留)にする他になかった。

この類(たぐ)いの「タスク」が増えていく辺りが、不備不足を露呈する青春期の泣き処(なきどころ)なのだろうが、それを打ち遣(や)る懦弱(だじゃく)さに腹が立つのだ。

累加される一方の「タスク」を片付けていかなければ、青春期が中空(ちゅうくう)に浮遊し、何某(なにがし)かの活動に挺身(ていしん)していても、至要(しよう)たる人格総体の自律性・自立性・主体性・能動性が脆弱になり、隊伍(たいご)の外縁(がいえん)から弾かれて、いつしか、「進軍不能」の不恰好(ぶかっこう)さを晒していた。

そんな私が、「矛盾撞着」(むじゅんどうちゃく)の臨界点にまで押し込まれ、「進軍」を断ち切ったのは、それ以外に、厄介な「懸案」の「タスク」を片付ける方略がなかったからである。

あらん限り時間を、「タスク」処理、即ち、「教養漬け」の日々に、自らをメリ込ませる。

流れの中で決断した。

20代の初めの時だった。

ミゲル・デ・ウナムーノ・20世紀スペインの実存主義哲学者。「私とは何者なのか」と問い続け、「苦悩は、より高い苦悩によってのみ癒される」(「生の悲劇的感情」)と書かれたフレーズに凍り付いた(ウィキ)

「『生きる』とは何か」を、真正面から問うた、私の「宝物」

青春期の一時(いっとき)を、相応の目的意識を持って、「モラトリアム」の時間に変換したのだ。

没我(ぼつが)と言えば、聞こえが良いが、当時の私には、それ以外の選択肢がなかった。

気取りなく、「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々は、2年間続いた。

あっという間だった。「時間」が足りない。そう思った。「時間」の大切さ。それを実感した。

思えば、道徳的理想の実現のため、守るべき徳目を定め、それを日常的に遂行していった、18世紀アメリカのオールラウンドプレーヤーとして知られる、ベンジャミン・フランクリンの自伝には、広く世に知れ渡った、「時間を空費するなかれ」(「時は金なり」)という徳目があり、これだけが、今でも、私の脳裏に焼き付いている。

功成り名遂げたマルチ人間の胡散(うさん)臭い説教と言うより、「𠮟咤激励」という意味合いで受容したからだろう。

ベンジャミン・フランクリン(ウィキ)

「𠮟咤激励」と言えば、18世紀アメリカの思想家・エマーソンほど、私を鼓舞した歴史的人物はいない。

「絶対孤独」と括った「教養漬け」の日々の中で、最大の「啓蒙家」と言っていいかも知れない。

「自己を信頼して生きよ」

この言葉は、勤勉で、徹底的な合理主義精神を有し、近代的人間像を体現したフランクリンが言い放っても、大して心に響かないが、エマーソンは違った。

26歳で牧師になっても、教会の形式主義に反発し、本来の自由信仰の故に牧師の職を迷いなく捨て、ヨーロッパ旅行に打って出るような独立独歩の行動的思索者。

ラルフ・ワルド・エマーソン(ウィキ)

「トランセンデンタリズム」(「超越主義」という理想主義運動)を指導し、自らの拠って立つ思想の基盤を独自の個人主義に据え、理想主義的な生き方を求め続けた男の表現的営為は、劣化が目立ち、年代ものの「エマソン選集」に読み耽っていた時期の、最強の活力源となった。

「自己信頼」 ―― 「エマソン選集 第2巻 精神について」(日本教文社)を貫流する基本的概念である。

当時の選集の画像がないので、現代版を使用

一再(いっさい)ならず、攻め込んでくる軽鬱状態に陥(おちい)っていた時など、「自己信頼」という、特段に珍しくもない言葉が、私の精気を復元させる牽引力となっていた。

屈強な自我を有し、「個人の無限の可能性」を主唱したエマーソンこそ、「アメリカ」という国民国家の知的体現者だった。

私には、とうてい届き得ない、屈強な自我を「武器」にする男の「一言一句」(いちごんいっく)が、「絶対孤独」の境地に潜り込んだつもりで、ヌケヌケと「欲望自然主義」と程良く折り合いをつけながら、「教養漬け」の日々を繋いでいった青春期の一つの極点だったようにも思われる。

私の「モラトリアム」が終焉したのだ。

マックス・シュティルナーは、エマーソンの個人主義とは完全に切れて、「人間とは何か」、「自由とは何か」を問い続け、〈私の自由〉を強調する「自我絶対主義」(「創造的虚無」 )の思想は、マルクス・エンゲルスら、多くの哲学者から批判に晒されるが、クラクラするほどの実存主義哲学に嵌り込んでしまう

「モラトリアム」が終焉し、私は旅に出た。

「進軍不能」の状態を脱し、新たな「進軍」を開いていく。

「自己信頼」へのメンタリティで武装したつもりになって、私の「時間」を決定的に展開させていく。

結局、約束されていたかのように、「存在」とは何か。「自由」とは何か。「生きる」とは何か。「人生」とは何か。「人間」とは何か、等々の「タスク」を一過的に収拾をつけることもなく、引き続き背負って、〈私の時間〉を展開させていくが、挫折のリピーターと化しても、「進軍」を止めなかった。

「深夜の酒宴」以来、不条理なる現実を描き続けた椎名麟三(りんぞう)に憑かれていた。まるで、ドストエフスキー的な冥闇(めいあん)の世界の臭気を、存分に感じていたからである。「懲役人の告発」は、当時、私のバイブルだった

椎名麟三(ウィキ)

この時、つくづく思った。

足掻(あが)きが取れなくても、「モラトリアム」の〈私の時間〉が、無駄になっていなかったことを。

「何か」を「履行する」。

とにかく、「動く」。

それは「移動」であり、「転位」であり、「内面的進軍」でもあった。

だから、早い。

〈私の時間〉の経つのが早い。

環境の変化の刺激を斉(ととの)える余裕を失うほど、〈私の時間〉の遷移(せんい)の早さを実感する。

それは、自我の確立運動としての、「教養漬け」の青春期が「安定軌道」に乗せていくフェーズでの、「タスク」に追われる早さだった。

「安定軌道」に乗せていくか否か、それが全てなのである。

安定軌道は「予定軌道」ではない。

JAXA(ジャクサ)の打ち上げが、常に成功裏に終わらないように、H-IIAロケットを安定軌道に乗せ、その継続力が担保されるとは限らないのだ。

H-IIAロケット23号機(ウィキ)

「予定軌道」として約束されていない、〈私の時間〉の「移動」を認知しながら、「安定軌道」に乗せていく。

その行程の推移の内堀を固めながら、〈私の時間〉が「転位」していくのだ。

このように、〈私の時間〉という把握の内的構造こそ、「時間」が単に、物理学の範疇でのみ考察されるものではない現実を示している。

これは、「時間」を物体の運動の数量として捉えたアリストテレスの「時間論」と分れている。

だから、古代から20世紀の哲学にまで及んで、「時間論」が哲学の厄介な「タスク」になっていった。

「内的時間」 ―― この概念が、〈私の時間〉の「転位」という「タスク」の本質を説明するだろう。

同時に、「生理的寿命」=「限界寿命」、更に、「生活年齢」という「時間」の論意も、〈私の時間〉の表層に張り付いている。

〈私の時間〉の中で、〈私の状況〉を累加させて、貯留しつつ到達した、相対的な「安定軌道」の心的行程の総体を「内的時間」と呼んでいい。

この「内的時間」の懐(ふところ)の此処彼処(ここかしこ)に、「タスク」への問題意識を詰め込んで、随伴させるから、この「時間」は、頻々(ひんぴん)と飽和状態になり、疲弊する。

一つの「タスク」が終わっても、次の「タスク」が待機しているのだ。

「生活年齢」だけが累加されていく。

これだけは、どうにもならない。

こうして、人は皆、年を重ねていくのだろう。

自らに与えられた「残り時間」を考える年齢になっても、なお、厄介な「タスク」を負って、〈私の人生〉に「意味」を付与し続ける。

それが自己未完結であっても、〈私の人生〉に、「意味」を付与し続ける。

これが、〈生きる〉ということの内実である。

スピノザ・17世紀オランダの合理主義哲学者。代表作「エチカ」の幾何学的構成のディスクールに圧倒され、何も分らないのに、手放せない哲学書だった。「『生きる』とは何か」、「『人間』とは何か」、「『自由』とは何か」を根柢的に問う、重厚な書であることが伝わってきて、つくづく、「思考する」ことの大切さを感受した(ウィキ)

2  「内的時間」と「物理的時間」の融合性 ―― その統合性の理想の様態

「私は、ここに存在する」という、人間の「現存在」の根本的な構造を、「世界―内―存在」(世界との一体性=「人間は、世界の『内』に存在する」)と把握し、その「現存在」の「実存性」の根源を「時間」であると主張し、この「時間性」の解明こそ、究極的な「タスク」と考えた哲学者がいる。

マルティン・ハイデッガーである。

マルティン・ハイデッガー(ウィキ)

エドムント・フッサール(ウィキ)

カール・ヤスパース(ウィキ)

哲学の基礎から心理学を擯斥(ひんせき)し、純粋論理学を提唱した現象学の創始者・フッサールの影響下で、「限界状況」(〈死〉に象徴される、人間の脱出不能な絶対状況)という重要な概念を提示したヤスパースと共に、実存主義哲学の代表的思想家と評価されるドイツ人で、主著は、未完の大作・「存在と時間」。

人間は止め処(ど)なく、「存在了解」(理解)して生きていて(実存)、その「存在了解」の彼方にあるのが、「究極的な時間」である。

このようなハイデッガー流の物言いこそ、彼の愛人・ハンナ・アーレントと同様に、心理学を擯斥したフッサールの現象学を経由する、「戦争と革命の時代」(埴谷雄高の言葉)とも言える、20世紀哲学の時代の風景そのものだった。

ハンナ・アーレント(ウィキ)

ジャン=ポール・サルトル/「アンガージュマン」(政治参加)を主張し、「中国文化大革命」の本質が「権力闘争」であることも見抜けず、「文革」を絶賛した哲学者

埴谷雄高(はにやゆたか)・他の多くの作家たちと同様に、ドストエフスキーやマックス・シュティルナー(「唯一者とその所有」)の影響を受け、生涯を懸けて、未完の大作「死靈」(しれい)を上梓(じょうし)する。「私は私である」という思考命題=「自同律」について、「自同律の不快」という言葉を充(あ)て、今でも焼き付いているhttps://webronza.asahi.com/culture/articles/2019070100006.html?page=2

そのハイデッガーから批判を浴びた、フランスの作家・サルトルのように、「実存は本質に先立つ」という根本命題を、実存主義的に文学で表現すれば、感覚的に汲み取ることが可能だが、唯物論に流れてしまった「行動主義心理学」を批判して、構築された(米国の心理学者・ハワード・ガードナーの「認知革命」)、「認知心理学」に最も深い関心を持つ私にとって、哲学的な思弁性の狭隘さとは無縁でありたいと念じている。

ハワード・ガードナー https://www.cmrubinworld.com/the-global-search-for-education-just-imagine-secretary-gardner?lang=ja

「認知革命運動」によって「行動主義」からパラダイムシフトしたことで、現代心理学の主潮流になった「認知心理学」

但し、現在の「認知心理学」のアカデミックな展開は、脳科学・哲学・コンピュータにおける情報工学・神経科学・人工知能・言語学・生物学・文化人類学・教育学など、多岐にわたる学術研究との積極的な交流によって、「認知科学」という、鮮度の高い「学際的研究領域」(専門領域と他の領域との中間領域)を形成し、現代心理学の尖端(せんたん)を快走しているという印象が強い。

人間の「心」の本質と、その複雑な知的機能の様態を、総合的な科学の視座で探求する「認知科学」のファンタスチックな躍動感は、まさに前章で記した、〈私の時間〉の只中で「タスク」を課し、それを仕熟(しこな)す絶好の方略として、大いに生気を与えてくれる報酬系の高い学習フィールドなのである。

少なくとも、「20世紀の哲学は『哲学の墓場』である」と嘆息し、「相対主義」からの脱出・再生を打ち立てようとする現代日本の哲学者・竹田青嗣(たけだせいじ)のように、「転位」せんとする浩然の気(こうぜんのき)など、私にはとうてい持ちようがない。

竹田青嗣

基本的に、2000年代初頭までに生まれ、強制的な「飲み会」を嫌悪する反面、情報の「共有」を求めると言われる「ミレニアル世代」(「Y世代」とも言うが、「就職氷河期世代」とも部分的に重なる)や、「Z世代」=「デジタルネイティブ世代」(大雑把に言うと、2000年代生まれ)の価値観の乖離(かいり)を含めて考察すれば、「私権の拡大的定着」が進行すれば、「相対主義」の思考が蔓延(まんえん)し、それが文化フィールドにも浸潤(しんじゅん)していくと考えているので、「相対主義」OKの私のスタンスは変わりようがないのである。

「存在了解」の彼方にある「究極的な時間」などと語るのは自由だが、一体、ハイデッガーは、どこまで、「究極的な時間」の哲学的な思弁を極めたのだろうか。

「浅学非才」(せんがくひさい)の私の理解の範疇を超えているので、これ以上、手も足も出ない。

「知の領域」において、問題意識の重量感が違い過ぎるのだろう。

―― ここでは、フッサールの現象学、ハイデッガーの実存主義哲学にまで及び、多くの哲学者を悩まし続けてきた、「時間」という哲学的な「タスク」に対し、時計によって計られる「物理学における時間」に集約される、ニュートン力学の「3つの運動法則」や、「慣性質量」(物を持ち上げるときに感じる「重さ」)と「重力質量」は区別できないという「等価原理」をコアにする、「一般相対性理論」のような科学的アプローチを便宜的に除いて、哲学史を貫流する「時間」を内面化して考えた、デモニッシュ(凄みのある)で、人を惹きつける霊的な雰囲気を有する神学者について言及したい。

ローマ=カトリック教会(西方教会)の最大の神学者・アウグスティヌスである。

アウグスティヌス・フィリップ・ド・シャンパーニュによる肖像画(ウィキ)

西ローマ帝国最後の皇帝・アウグストゥルスhttps://blogs.yahoo.co.jp/me468646/20390768.html

―― ローマ帝国の東西分裂(395年)という歴史的な大転換期に呼吸を繋ぎ、アウグスティヌスは、放逸(ほういつ)な生活を経てキリスト教に回心するが、回心に至るまでの自らの半生を綴った著述が、古代自伝文学の最高傑作と称される「告白」である。

この「告白」の中で、アウグスティヌスは、有名な「時間論」を展開している。

「それでは、時間とは何であるか。誰も私に問わなければ、私は知っている。しかし、誰か問うものに説明しようとすると、私は知らないのである」(アウグスティヌスの「告白」第11巻第14節)

以降、「アウグスティヌス『告白』の時間論 ――人間学的側面からの再構成」(佐藤茉莉氏)の助力を仰ぎながら、批評していきたい。

何より、アウグスティヌスのこの物言いは、否定的なものではなく、「時間」について深く考察し、生涯、悩み抜いた人物であるからこそ、言明し得る言葉なのだろう。

私たちにとって、「時間」とは、大変身近なので、熟知されていると思われるかも知れないが、「時間とは何か」と問われたら、誰も容易に答えることはできないに違いない。

それどころか、それを言語化にするために、「タスク」として思惟(しい)に結ぶことさえできないのだ。

アウグスティヌスの指摘の本質が、ここにある。

私たちは、「時間」という概念を理解し、その本質を説明することができないのである。

大体、「時間」それ自体が、神によって、天地創造と共に創造されたものなので、人間が「時間」について思惟し、議論の余地がないということか。

「天地創造」・「アダムとエヴァの原罪とエデンの園からの追放」(ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画)より(ウィキ)

然るに、こうも考えられる。

神は「時間」を創造したが、神の世界に「時間」はない。

創造以前に、「時間」は存在しなかった。

神は永遠であるが故に、神の世界に「時間」はないのだ。

従って、「時間」は、私たち人間の世界の内に創られたのである。

その結果、人間の世界に、「時間と変化」が生まれる。

この把握は、極めて「普遍論争」であり、「神学論争」とも言えるが故に、堂々巡りの議論に陥(おちい)ってしまうだろう。

哲学史において、「時間」についての議論が「神学論争」になってしまった所以である。

「時間論」に関わる、このような現象を把握していたアウグスティヌスは、「時間」は、人間の魂のうちで捉えられ、その魂のうちで測られると考察したのだ。

サン・ピエトロ・イン・チェル・ドーロ教会内にある聖アウグスティヌスの墓・イタリアのパヴィーア(ウィキ)

そして、「時間と変化」において、『三つの時間』、即ち、「過去のものの現在」・「現在のものの現在」・「未来のものの現在」が存在する。

そう、言い切った上で、アウグスティヌスは、以下のように陳(ちん)ずる。

「実際、これらのものは、心のうちに、言わば、『三つのもの』として存在し、心以外に、私はそれらのものを認めない。即ち、『過去のものの現在』は記憶であり、『現在のものの現在』は直観であり、『未来のものの現在』は期待である」

当たり前のようだが、「時間」を内面化して考えたアウグスティヌスの、デモニッシュを感じざるを得ない洞察である。

「・・・誰も私に向かって、 天体の運動が時間であると言ってはならない・・・いかなる物体も、ただ時間において動く・・・」

このアウグスティヌスの言葉で明瞭なように、「時間」は魂によって捉えられるものであって、魂の外部である物体の世界には存在せず、物体の運動を測るのも、そのような「内的時間」であるとしている。

要するに、「内的時間」が全てであり、客観的時間のような「外的時間」は存在しないのである。

内側から世界を生きる。

だから、魂が存在しなければ、「時間」は存在しない。

「時間」には、「内的時間」しか存在しないのだ。

「内的時間」しか存在しないこと ―― それは「時間の非実在性」であると言っていい。

「神の永遠性」のみが実在する。

これが、アウグスティヌスの凝縮した「時間論」である。

アウグスティヌスの「神の国」の冒頭部分、1470年製作本(ウィキ)

その考察の深みは汲めども尽きないが、悩み抜いた果てに到達したシンプルな「時間論」は、アウグスティヌス以降の哲学史に厄介な「タスク」を残すに至る。

―― 私もまた、思いを巡らす。

「物理学における時間」の仮説検定をブレークスルーしてきて、「帰無仮説」(きむかせつ・棄却される仮説)として捨てられなかった成果を大いに歓迎するが、私にとって、〈私の時間〉の集合体である「内的時間」という概念は、「生活年齢」という、「物理的時間」と絡み合い、最も効率的な統合性を構築する行程の範疇で融合し得る「時間」の別称である。

〈私の時間〉という「内的時間」と、「生活年齢」という、「物理的時間」。

その理想の様態もまた、二つの「時間」の融合性の度合いによって決められるであろう。

ボッティチェリ《書斎の聖アウグスティヌス》https://cardiac.exblog.jp/25385003/

3  「時間」の心理学

「時間」について、興味深い仮説がある。

「光陰矢の如し」と言う通り、年を重ねるごとに、「物理的時間」の早さが増していく感が強いのだ。

少なくとも、子供の頃の「物理的時間」の鈍重感に比較すると、個人差があるが、成人後の「物理的時間」の早さを感じやすくなるのは、「体感時間」の相違が認められるからで、殆ど経験則であると言っていいだろう。

アンチエイジング(イメージ画像)

若々しさの維持に拘泥する、「アンチエイジング」(「抗老化」)という発想それ自身が、この感覚の証左であるとも言える。

「アンチエイジング」はともあれ、心理学の様々な実験で確認されている現象がある。

19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案・提示した、「ジャネーの法則」と呼ばれる仮説が、「光陰矢の如し」の心理学的根拠になっているからだ。

ポール・ジャネ(ウィキ)

Wikipediaによると、「主観的に記憶される年月の長さは、年少者にはより長く、年長者には、より短く評価されるという現象」と記述されている。

また、「50歳の人間にとって、1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は、5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が、50歳の人間の10日に当たることになる」とも例証されている。

「時間の心理的長さは、年齢に反比例する」 ―― これが、「ジャネーの法則」の理説、或いは、セオリーである。

要するに、「物理的時間」が「体感時間」によって、誤差を生んでしまうということなのだ。

1章でも言及したが、こういうことではないだろうか。

子供の「時間」の観念の長さは、「快・不快」の原理で動きやすい児童期から、「損・得」の原理での行動傾向を増す思春期以降への、劇的な変容行程の背景に、「自我の確立運動」という人格形成の最大のテーマが、「未知のゾーン」として伏在していること。

基本的自己肯定感を高めにくい「思春期や児童期の子供たち」

多感な時期の子供にとって、「時間」の観念が、一貫して「未知のゾーン」なので、常に、言葉で表現できないようなオーバーハング(頭上に突き出した岩壁)が、重く、高圧的にのしかかってくるという感覚が鋭敏になっていく。

何事も、身体的感覚によって知覚しやすい思春期特有の現象である。

重要なことは、事態の連続的な変化が情緒的混乱を惹起し、心理的に未熟な状態の只中にあって、家族からの精神的分離と自立を志向する、「心理的離乳」の中枢地点に呑み込まれているということ。

一切は、「自我の確立運動」の過程の総体として捉えられるだろう。

多様な青年(オスロ)・思春期後期から青年期/自我意識の高まりが見られ、不安・苛立ち・反抗など精神の動揺が著しい(イメージ画像・ウィキ)

ところが、相応の個人差を示しながら、「自我の確立運動」という名の人格形成を軟着させた成人期には、ほぼ、人生の万般(ばんぱん)にわたって、一定の「安定軌道」に乗っているので、「物理的時間」の速度が気になり始めていく。

「体感時間」の心理的速度が、「物理的時間」の速度を上げてしまうのである。

このような解釈が、「体感時間」による誤差を生む現象の心理学的背景になっているのではないか。

「物理的時間」と「内的時間」の相関性を印象づける、とても興味深い現象だが、多くの場合、経験則として認知していること。

「内的時間」は「体感時間」を私的領域に押し込め、その形成の心理的拠点であるが故に、止まることなく、「内的時間」=〈私の時間〉の充足度を深めていくことである。

これが、私が勝手に定義した、「時間」の心理学のシンプルな結晶点である。

――  以上の問題意識を抱懐(ほうかい)して、本稿をまとめてみたい。

アウグスティヌス(ステンドグラス、作:L. C. ティファニー)(ウィキ)

「内的時間」と「物理的時間」の親和性を高くして、「タスク」を解決するポシビリティー(可能性)を脹(ふくら)ましていく。

アウグスティヌスのように、「神の永遠性」に身を委ねることができない私にとって、残り時間の限られた「物理的時間」の許す限り、生き残された脆弱な身体を、「動力集中方式」で高速列車を牽引(けんいん)するが如き、勁烈(けいれつ)な覚悟を括り、厄介な「タスク」の中枢に弾丸を撃ち込んでいく。

譬(たと)え、冥闇(めいあん)の闇に堕ちるとも、天の配剤に任せる以外にないのだ。

どこまでも、〈私の人生〉に「意味」を付与し続けること。

ただ、それだけである。

後にも先にも、小説を読んで心が震え、涙が出た作品は、ドストエフスキーの「悪霊」のみである。スタヴローギンの「ニヒリズム」、キリーロフの「人神思想」、「神の不在」など、未知のゾーンに嵌った人間の脆弱性を衝き抜く問題提起に慄(おのの)いたのだ。まさに、「内的時間」を全身で感受した〈私の時間〉そのものだったhttps://blog.goo.ne.jp/iidatyann/e/757cdc155fbbb7576d0c6c79e7ee35d4

【参考資料】

「アウグスティヌス『告白』の時間論 ――人間学的側面からの再構成」(新潟大学 人文学部 佐藤茉莉氏)