https://lifeskills.amebaownd.com/posts/3672968 【ロータス瞑想・潜在意識と顕在意識が一つに】
https://www.atelier-suiren.com/2019/06/01/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9-%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%82%92%E5%92%B2%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86/【ロータスマントラ〜わたしの花を咲かせましょう】より
最近、女性のためのマントラ、子宮にはたらきかけるロータスマントラへの伝授やお問い合わせが続いています。
令和になった今。一人の女性として。また、女性であるより前に一人の人間として「わたし」と向き合う時代が来ているのかもしれません。
というわけで、今一度ロータスマントラの解説をしたいと思います。興味のある方、ぜひ目を通してみてくださいね!(過去の瞑想コラム〜2016年6月のもの一部編集・加筆しています)
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先日はロータスマントラの伝授でした。
ロータスマントラは女性のためのマントラ。子宮に働きかけるとってもステキな瞑想です。
実は前から伝授できたのですが、はたして自分がこの女性のためのマントラの伝授をしてもいいのだろうか・・・自分が女性としてまだまだ未熟なような気がして。
どうしても自信がなくて長い間、大々的に伝授できます!と言えず。ブログの一番下に小さくちょこっと宣伝するくらいでした。
それが、チェンマイから戻ってきて、さまざまな気づきの中で、そろそろ伝授してもいいのかもしれない、と思えるようになり。
面白いけど、そう思うようになると伝授してほしいという人が現れるもののようです。
その方は”ロータスはなつこさんの子宮空間で受けたい”と言って、遠方からはるばる船と飛行機に乗って来てくださいました(実は、本州から来てくださる方も結構いるのですよ〜)
ちょうど、チェンマイで瞑想しているときに、神さまの子宮に抱かれとけこむような、
包み込まれるようなあたたかな経験をしました。
そのとき、アトリエスイレンも来てくださる方たちにとってそんな場所になれたらいいな・・・そう感じたのです。
なので、アトリエを子宮空間と言ってもらえたことが、大感激でした!
ロータスの伝授も本当に楽しくて、その方もわたしも終始わくわくしっぱなしでした。
いろんな話をして。
「女性って自由で柔軟性があってほわほわして限りない。男性とは心も体も性質も。根本的にやっぱりどこか違うんだろうな。」そんなことを感じました。(もちろん個人差は多々あるけど)
今の世の中って男性が古くに創りあげた制度ややり方が王道になっている気がします。
女性はそのやり方に合わせているとやっぱりしんどくなるよね・・・
女性特有の病気になったり、はたまた身体がすごく冷えて、体調を崩したり。
病気までいかなくてもなんとなく不調を抱えてしまうことも多いような気がするのです。
もっと自由でいいんだよ。もっとたおやかに、柔軟に。
気ままだったりしたたかだったりときにちょっとずるかったり(笑)
いい子じゃなくてもいい。まっすぐじゃなくてもいい。そんな自分の中にある感覚を目覚めさせよう。そのときどきで自由気ままにカタチを変えて。自由な自分をもっと楽しんでいこう。ロータスを受けてくださった方は、ふんわりした野の花のような方。
でもそれがとても魅力的で、とってもかわいくてチャーミングな人なのです。
その方の中にあるお花がこの人生で大きく咲きほこりますように。心から祈っています。
これからがとってもとっても楽しみです。本当にありがとうございました!
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ロータスマントラは子宮に働きかけます。
子宮にはさまざまな記憶や感情が蓄積されていると言われます。
受け入れる、育む器官でもあるため、いろんなことを溜め込みやすいとも言えます。
(個人の感覚ですが)身内やパートナーなど親密な相手などのストレスやカルマなども代わりに受け入れ溜め込んだりすることもあります。
また、この歴史の中で蔑まれてきたいわゆる女性としての集合意識体、そのような記憶も内包されています。子宮から子宮へ。受け継がれる独特のカルマのようなものもあります。
ですが、そのような記憶の奥の奥に女性としての、本当の輝き、歓び、叡智が眠っているのを知っていますか?
ロータスマントラはそのような記憶を少しずつときほぐしていき、わたしたちの奥に眠る大いなる叡智を目覚めさせてくれます。
ロータス瞑想者の方々を見ていると、みんな例外なくやわらかく、かわいく、キレイになってます(わたしも伝授を受けてからそういわれました!)
中には恋人ができたり、結婚が決まったりという人もいるようです。また、男性に対するニガテ意識がやわらいだという方も。
子宮というと、=パートナーとの関係、子どもとの関係 に直結しがちですが、両親など深く関わり影響を与えてくれた人とのつながりも癒してくれます
ロータスマントラは女性であれば、どんな方も伝授可能です。
フルフィルメント瞑想のマントラをすでに持っている方がオススメですが、はじめてでも伝授可能です。
ご病気などで子宮を取ってしまったという方も伝授可能です。エネルギー体としての子宮はちゃんとあり続けているので大丈夫ですよ〜
このマントラを多くの方に受けてもらいたいです。
なぜ自分は女性に生まれたの?その本当の意味が分かります。
自由きままにどこまでも。たおやかに自分だけの可憐な花を咲かせましょう!
https://blog.goo.ne.jp/chawan4075/e/c1a4271426c84bc9422b7e0406944d63 【ロータス瞑想を受けて】 より
「いまここ塾」の阿部敏郎さんの奥様、阿部智子さんから「瞑想伝授」を受けてきました。
「瞑想」はわかるけれど、それを「伝授」ってどういうこと?という人のために、ちょいと一言。
こちらの「いまここ塾」で伝えている瞑想とは、フルフィルメント瞑想と呼ばれるもので、これは、古代から伝わるマントラの波動を用いることで、初心者でも熟練者と同じ、空(くう)の次元に入っていける、というものなのです。
それにあたって、まず、瞑想とは自分の意志で行う“行為”ではない、という概念があります。
瞑想とは、呼吸と同じく、彼方からやってくる“状態”だという概念なんです。
私たちにできることは呼吸を作り出すことではなく、呼吸を迎え入れることだけ。
そこに努力はない。
瞑想も同じく努力しようとすればするほど、その努力が瞑想を妨げてしまいます。
そのジレンマが多くの人が瞑想は難しい、と考えてしまう所以です。
で、この瞑想伝授によってマントラを授かったものは、速やかに深い瞑想状態に入れる、というわけです。
マントラとは真言であり、それは“言葉”ではなく、“波動”です。
見えないバイブレーションとも言うべき存在です。
したがってマントラの言葉を唱えただけでは瞑想は起きません。
マントラの言葉に、本来の生きた波動が乗っていなければならないのです。
その波動が瞑想を引き起こす力になります。
特定の訓練を積んだ教師が、プージャというセレモニーを行うことで、マントラにパワーを与え、そのパワーを被験者に伝授します。
これが、「瞑想伝授」というものなんです。
全然一言ではすみませんでしたね・・
智子さんは、フルフィルメント瞑想の創始者、ボブ・フィックス氏より特に女性のための「ロータス瞑想」を伝授できるのは君だけだ、とお墨付きをもらった瞑想教師です。
彼女が最初にしてくれた「女性とは、これまでこんな思いをして生きてきたわよね。」というお話は、GW前に受けた今は亡きヌラの「レインボー・ウーマン」を思わせるようなものでした。
智子さんはもちろんオーラソーマの方ではないので、“役割をいくつか担ってきた”というような言い方はされませんでしたけれども。
そのなかで智子さんは、「男ってね、生物学的にはだいたい女性の8分の1の感情で生きているんですって。」と言いました。
「だから、あの人たちは何を言っても8分の1しか感じないのよ。」って。
それを聞いて私は少し前にダーリンと喧嘩になりそうになったときのことを思い出しました。
彼が、「まだ怒ってるの?」と私に尋ねたとき、私は、「怒ってはいないけれど、傷ついている。」と言いました。
するとダーリンは、「俺は繊細な神経をもちあわせていないから、その言い方ではわからない。」と言ったのです。そして話は論点からズレたほうへ行きそうになりました。
このとき私は、(あぁ、この人とは喧嘩はできないな。)と思ったんです。それは1つ寂しい諦めを抱いた瞬間でした。
私自身は、いつもいつも小競り合いの多い夫婦になりたいわけではないものの、ときにはお互い思い切り自分の内側にあるものを出し合っても、また仲良くいられる、という夫婦が理想だと思っていたので。
けれどそれはどうやら彼には難しそうだ、と思ったときこれからは喧嘩までに至らないように私がどこかが矛先を収めるしかないわけか、と思ったら、なんだか表面だけ取りつくろっている夫婦になりそうな気がして、ちょっと寂しく思ったのでした。
けれど、もともと男は8分の1の感情しかもちあわせていないのであれば、あのときダーリンが言った、「俺にはそんな繊細な感覚はわからない。」というのはまさに彼にとっての素直な感想であって、私を突き放したわけではなく、そのとおりなだけなのか、と思いました。
(しゃあないな。8分の1しか持ち合わせてないんだから。そもそも全然違う生き物なんだから。)そう思ったほうが納得できたのでした。
瞑想からは話がズレてしまいました。戻しましょうね。
このフルフィラメント瞑想には数種類があるのですが、受ける順番の入口としてはハート瞑想がふさわしいとされています。
けれど私が今回受けたのは「ロータス瞑想」なるものです。
これは女性がもつ精神と肉体の特有さから「ロータス瞑想」に関してだけはいつ受けてもいいとされているのです。
智子さんはあるときボブさんに、「女性には女性特有のものがあると思うけれど、それに見合った瞑想があってもいいのではないか?」という提案をし、「そのとおりだね。」とボブさんもいい、この瞑想が生まれたそうです。
ボブさんは、「智子、女性が持っている闇からこの瞑想で抜け出られるよ。」と言ったそうですが、智子さんはくすりと笑いながら、「ボブも女性性が本来持っている強大なパワーを恐れているんじゃないでしょうかね。だって“闇”だなんて言うんですもの。別に私たちは闇のなかなんかにいるわけじゃないもの。」と言いました。
ロータス瞑想のマントラは直接、子宮に作用していくそうです。
子宮は命をはぐくみ、命をこの世に送り出すパワフルな器官です。
そしてロータスマントラは子宮に代表される女性の聖なる力を復活させ、その力をこどものためではなく自分のために使っていこう、というマントラだそうです。
そしてこれは、すでに閉経しているとか病気などによって子宮を全摘出してしまった、ということになんら左右されない、ということです。
私たちが女性として生まれ、生まれたときにはその器官はあった、持っていた、というだけで十分みたいです。
そこには力を宿すところだった、という記憶が刻み込まれているのでしょうか。
ちなみに智子さんはあるとき産婦人科のお医者さんからこんな話を耳にしたそうです。
手術で現代の女性たちの子宮をみると多くの人の子宮が硬くなってしまっており、色も本来はきれいなピンク色をしているはずなのに、非常に白っぽくなってしまっている、と。
これは私たちが自分の女性性を大切に扱ってこなかった、ということと関係しているということもあるでしょうし、これまでの男性社会の中で女性が丁重に扱われてきたとは言い難く、そういう封じ込めてきた思いが集合意識として多くの女性たちに根付いてしまっているんでしょうかね。
ちなみに子宮には、ラテン語でただ「生み出すもの」という意味があるそうです。
生み出すものは、「子ども」だけではなかったのです。
ここでも私たちがもっと子宮の力を信頼して、自分自身のために女性の力を使ってもよいことがわかりますね。
私はこれを聞いただけでも、瞑想伝授を受けなくても心がすっとラクになったくらいでした。
多くの女性が適齢期の範囲内に結婚し、子どもを産み育てることを当たり前のようにこなしているなかで私はどうしても子どもが好きになれず、生みたいとも思わず、だからでしょうか、非常に結婚も遅かった。
今更生むこともない。
それら一連の人生には納得しているし、後悔もしていないし、「私は私でいい。」と思考では十二分に理解しているはずなのに、やはりどうしても私の中にもしいたげられてきた女性たちの集合意識が根付いているのか、「であれば、私は多くの女性がやってきたことをやってこなかったのだから、それ以外によほど世のため人のためとなるようなものを生み出し、残さなくてはならない。」という強迫観念にも似たようなものを抱えているのは事実なのです。のほほんとただ自分さえよければいいや、と生きていくのであれば私はこの世に何ひとつ生み出さなかったこととなる、みたいな。
でも何かしらそんな気負いがすっと溶けていくような気持になりました。
そもそもが自分のためにこの力を使ってよかったんだ!という思い。
私がこの瞑想を受けてみよう、と思ったのは何もお手軽に聖人の境地に入れそうだ、ということを期待したからではありません。
女性性というものについての深い理解、多くの人とは違う人生を歩んだ自分への贖罪のようなもの、母との間にわだかまっている感情の収拾、そんなものへの期待からでした。
もちろん、「自分が自己流で勝手にやってきた瞑想とどんな違った感覚があるんだろう?」という思いもありましたが。
それについては長くなってしまいましたので、また明日お話いたしましょう。
https://ameblo.jp/fruits-curry/entry-12449368315.html 【本当の願いが叶う?「ロータス瞑想」】 より
皆さま、こんばんは~!\(^o^)/ 気がつくと春になっておりますが、、、お変わりありませんか?私はといえば、おかげさまで養成講座のテストも終わり、次の科目まで1ヶ月間の春休み♪(といっても仕事はあります)
冬の間さぼっていた家の掃除を本腰入れてやろうかなあ~と、珍しくやる気になっています。ということで、、、(^▽^;)約10日ぶりの「再々発日記」~!
告知から2年半も経って、「今さら感」満載ではありますが、けっこう(反面教師として)役に立つネタもある、、ような気もするので寛大な気持ちでお付き合いいただけたら嬉しいです
2016年6月28日(火) 雨。しかし湿気が少なく過ごしやすい一日。
仕事が休みなので足湯をする。バケツにお湯を張り、足を入れたまま、20分間「ロータス瞑想」をする。やっぱり足湯、きもちいいなあ~。こたつとかとは段違いの心地よさ。
足の指の毛穴が開いて、毒素が湯の中に流れ出すのが分かる。
目を瞑り、会陰呼吸を行った後、自分が大きな蓮の花の中央に座っているのをイメージし、
「蓮の花の呼吸」をする。
息を吸った時に、蓮の花が開き、息を吐いた時に花が閉じる。
今日の蓮の花は薄いピンク色。
やや青みをおびた、春の夕暮れのような。
途中、足湯の湯がぬるくなって、足し湯をしていたら蓮の色がいつのまにか変わって、真っ白になってしまった。
ん、やかんの色に影響された? (^▽^;)でも頭はスッキリ、足はほかほか。
午後はタリーズに行って本を読もう~。
当時やっていた瞑想。著者の大内さんは慶応大学卒業後、心理学やタオを学び、アジア、ヨーロッパ、アメリカで瞑想のワークショップを実践しているそう。
わたしにとっての瞑想入門書。
「本当の願いが叶う」。何をやっても、どこかで満足感がなかったこの頃、この言葉は殺し文句でした。
https://www.sundari.co.jp/archives/183#:~:text=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9,%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 【ロータス マントラ】より
Om Mani Padme Hum(オーム マーニ パドメ フムと発音します。)
マントラは短い祈りのようなものです。ロータスマントラはチベットで最もよく唱えられているマントラのひとつで、慈悲の祈りとして知られています。
ブッダのすべての教えの本質はこのひとつのマントラに集約されているとしばしばいわれています。
それぞれの音節が固有のバイブレーションを持ち、また音節が調和してさまざまな付加的な意味を呼び起こし新たなバイブレーションを作り出すため、
サンスクリット語には幾重もの意味があります。大まかに訳しますと、Om Mani Padme Hum は「蓮華の宝珠よ、幸いあれ」という意味です。
このマントラを繰り返し唱えると、心身が浄化され喜びと平和があなたやあなたの周囲の人々にもたらされると信じられています。
さあ、この美しいマントラのルーツを探ってみましょう。
OM
ダライラマは「オームを唱えることによって、自身の不浄な身体、言葉、心をブッダの純粋な身体、言葉、心に変容させることができる」と言います。
OMは、調和と宇宙を表しています。
MANI
マーニは宝石を意味し、慈悲、愛そして利他主義的な悟りの境地を象徴しています。
このことを心に留めておくことは、私たちの間違いのない行動の規範や、受容、忍耐の助けになります。
PADME
パドメは蓮華を意味し、知恵を象徴しています。蓮華は泥の中から成長しますが、泥に染まりません。
そのことは、私たちがこの不完全な世の中でも、それに影響されることなく生きていけることを気づかせてくれます。
そして、私たちの忍耐の遵守や精神の集中を助け、私たちのめざすべきこと、本当にあるべき姿を思い出させてくれます。
HUM
フムは私たちが知恵を働かせ、良い選択をするのを助けます。
分離できないものを意味し、純粋さを象徴しています。それは、行動と知恵が融合することにより、私たちが探し求める完成された境地に至ることができることを気づかせてくれます。
この美しいマントラはそれだけでも唱え、語り、瞑想することができますが、数珠があると、あなたの修行と精神の集中の助けになります。
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