松籟は天に岩櫃山眠る

松籟は天に岩櫃山眠る  五島高資

連想するのは「荒城の月」「夏草や 兵どもが 夢の跡」

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/kojo.htm【荒城の月 こうじょうのつき】より

『荒城の月(こうじょうのつき)』は、土井晩翠作詞、瀧 廉太郎(滝 廉太郎)作曲による日本の歌曲。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した名曲。

明治34年(1901年)に中学校唱歌の懸賞の応募作品として作曲された。原曲は無伴奏の歌曲であった。歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。原題は『荒城月』。

歌碑は全国に4箇所設置されている。土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址、同じく福島県会津若松市の鶴ヶ城址。そして滝廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市の岡城址、同じく富山県富山市富山城西側。

歌詞

春高楼(こうろう)の 花の宴(えん) 巡る盃(さかづき) 影さして 千代の松が枝(え) 分け出でし  昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色  鳴きゆく雁(かり)の数見せて 植うる剣(つるぎ)に照り沿いし

昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月  変わらぬ光 誰(た)がためぞ 垣に残るは ただ葛(かずら)

松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど  栄枯(えいこ)は移る 世の姿  映さんとてか 今も尚

ああ荒城の夜半の月

歌詞の意味・現代語訳(意訳)

1.春には城内で花見の宴が開かれ 回し飲む盃(さかづき)には月影が映る

千年の松の枝から こぼれ落ちた 昔の栄華は今どこに

2.秋の古戦場 陣跡の霜に静寂が満ちる 空を行く雁の群れの鳴き声

敗れた兵の地面に刺さった刀に映る 彼らの命の輝きは今どこに

3.今や荒れ果てた城跡を 夜半の月が照らす 昔と変わらぬその光

主も無く 誰のために 石垣に残るは葛のツタのみ 松の枝を鳴らす風の音のみ

4.天上の月が照らす影は今も変わらず されど世の中の栄枯盛衰を

今もなお映そうとしているのか ああ 荒城を照らす夜半の月よ


https://ameblo.jp/shining-intellects/entry-12390463586.html 【つわものどもが夢の跡 / 松尾芭蕉の世界】 より

夏草や兵 (つわもの) どもが夢の跡 松尾芭蕉

(解釈)

今、夏草が深くおい茂る ここ高館(たかだち)は、 昔、武士たちが勇ましくも、はかない栄光を夢見た戦場のあとである。

 季語-夏草(夏)

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1689年、旧暦 3月27日(現在の5月16日)、松尾芭蕉は門人の曾良をともない、江戸から東北・北陸へ600里(約2400km)、150日間の「奥の細道」の旅に出ました。

旧暦 5月13日 (現在の6月29日)輝くような緑に囲まれた、奥州平泉に到着した芭蕉が、

彼がこの地を訪れたその年からさかのぼること丁度500年、1189年に滅亡した奥州藤原氏、

そしてこの地で、非業の死を遂げたといわれる源義経を偲んで詠んだ句がこの句だそうです。

この地でかつて栄華を極め、「黄金浄土」を築こうとした藤原氏、そして「悲劇の英雄」

源義経、その威光は、もはやそこにはなく、ただ陽の光を浴びて輝く夏草が茂る風景が広がるばかり。

そして芭蕉がその風景の中に見たものは、この地を去っていった二度と帰らぬ人たち、

この地にかつて存在した夢の「形なき」痕跡、・・・だったのかもしれません。

人の世の栄華の儚さを感じた芭蕉は「国破れて 山河在り 城春にして 草木深し」

(解釈)

戦乱によって都長安は破壊しつくされたが、大自然の山や河は依然として変わらず、町は春を迎えて、草木が生い茂っている。と中国の詩人、杜甫の名句「春望」の一節をつぶやき、

しばし時を忘れ、涙を流したと「奥の細道」に記したそうです。

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日は登り、また沈み、永遠に積み重なっていく時の砂。

無限に流れる時の中、人は皆、自らに許された有限の時間の中で、心の中にきらめくような夢を膨らませ、自分の未来を信じて、力の限り、精一杯生きていきます。

その先に何が待っているのかは知らないままに・・・。

その生き様の跡は後世の人間が見たら、そして無限の時を生きるであろう地球の自然から見たら、「とてもはかないもの」なのかもしれません。

だから「人の夢」と書いて「儚い(はかない)」そう読むのかもしれません。

それでも、自分にこの先、何が待っているのかわからなくても、わからないからこそ、

人はきらめくようなその命を燃やして、限られたその時間を精一杯、輝かせながら

懸命に生きていく。

後世、自分がどんなふうに人に思われようと・・・

そしてその強く、純粋な思いが、後世の人たちの心に哀しみと感動をもたらす。

・・・そういうものなのかもしれませんね。