未知の細道 出羽三山でよみがえり!?「山伏修行 体験記」

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プロローグ

―どうしていつもこうなるのだろう。

羽黒山山頂行きのバスに乗りながら、私は憂鬱な気持ちになっていた。

「本気で言ってるんですか! まだ6月ですよ!?」「はい、私のことは気にしないでください!」2週間前はそう豪語したものの、正直不安だった。

これから私は、6月の羽黒山に山伏修行の体験取材に行くところだった。取材を受けてくれた、羽黒町観光協会が運営する『山伏修行体験塾』のコースの中には「滝うち」が含まれていた。修行者が滝に打たれるあれである。

はじめは、「滝うちができるなんてラッキー」ぐらいに思っていたが、一本の電話で事情が変わった。事前の確認のため、体験塾の担当者さんに連絡をしたところ「滝うちはなしでいいですよね?」と切り出されたのだ。「この時期だとまだ氷水のような冷たさなので、できませんよ」と。

事情を編集長に伝えると、「うーん、できるようにお願いしてみて!」とさわやかに言い放たれた。そして冒頭の、私と体験塾担当者さんの会話が繰り広げられることになる。

“本気”を伝えて担当者さんに納得してもらい、無事(?)に滝うちさせてもらえることになったのだが、気分は落ち着かなかった。先方はしきりに「確実にできるとは約束できませんからね!」と念押しするし、滝うちをすることを家族に伝えると「お願いだからやめてくれ」と懇願された。

こうして私は、この2週間ずっと「滝うち 事故」「滝うち 心臓発作」というキーワードでGoogle検索をかけまくり、そのような事故がほとんど見つからないことに安心したりやっぱり不安になったりしながら、体験修行の当日を迎えたのだった。

庄内の霊峰・出羽三山

修行の拠点となる『いでは文化記念館』は、鶴岡の街から車で30分ほど山の方へ行った「鶴岡市羽黒地域」にある。

羽黒地域は、山形県庄内地方に広がる山岳信仰の霊場・出羽三山の表玄関となる地域。崇峻天皇の皇子・蜂子(はちのこ)皇子によって開山されて以降、現在まで多くの参拝客・修行者を集めている。

旅行好きの中高年にオススメの旅先を尋ねると、高確率で出羽三山の名があがるので、以前からこの場所は気になっていた。その地の文化と歴史を体験出来るというのだから行かない手はない。

ただ、この日私には、もうひとつ気がかりなことがあった。天気だ。羽黒の天気は「午前10時ごろから雷雨」の予報となっていた。修行は9時半スタートを予定していたから、このままでは命中だ。雨が降り雷が鳴るなか山を登るのは正直しんどい。それに、滝うちができなくなるかもしれない。ん? でもそれは逆にラッキーなのでは? いやいやそんなことはない。滝うちのインパクトは記事に欠かせない。でも雨が降ったら仕方ないしな、うん……。「雨でできなかった」と編集長には言おう、そうしよう。

車窓はいつの間にかのどかな田園風景へと変わっていた。それから突然、道の正面に大きな大きな鳥居が現れた。聖なる山・出羽三山の入り口にたどり着いたのだ。鳥居をこえ宿坊街を通り過ぎまもなくすると、バスは「いでは文化記念館前」に到着した。

山伏修行の心得

山伏修行では、修行者は白衣を身につける決まりになっている。

これは、山伏の修行が「一度俗世を離れて死の世界に入る」という意味を持つことから、死装束を表しているのだという。通常の山伏修行は、一部を除き男子のみのものとされているが、体験塾は男女の差なく受講することができる。そんなわけで女の私も、修行者の正装に着替えさせてもらうことになった。

山伏の衣装は記念館のスタッフさんに着付けてもらえる。

「さあ、では始めますかの」

白装束に着替えた私を待っていたのは、山伏修行体験塾・塾長の太田一(おおた・はじめ)さん。山伏の世界では、こうした行者の道案内をしたり修行作法を教えてくれるベテランの山伏を「先達(せんだつ)」と呼ぶ。

体験修行はまず、「峰入式(みねいりしき)」からスタートする。式では、これから始まる修行にそなえ、山伏としての心得や、山伏とはなんたるかが語られる。開始時刻の10時は、予報では雷雨の予定だったが、外に出てみるとカラリと晴れた青空が広がっていた。

先達にうながされ、芝生の上に座る。2人だけの峰入式が始まった。

山伏の必須アイテム「法螺貝」を吹かせてもらう。初めから音を出せる人はほとんどいないという。

山伏とは、山岳が持つ自然の霊力を身につけるため、山に入り修行をする者のことをいう。山伏の信仰は「修験道」と呼ばれている。森羅万象に神が宿るとする「古神道」を包括し、さらに仏教と習合した日本独特の宗教だ。本章の冒頭でも触れた通り、山伏にとって山中は「死の世界」を意味する。俗界から離れ(一度死に)、そこで修行をし、生まれ変わる(俗界に戻る)と言われている。そのため山中を「死の世界」ではなく「母の胎内」と例える見方もある。

山伏は職業ではないので、一年中山伏の格好をして山にいる人はいない。先達自身も普段は宿坊を経営しているという。山伏になるには、自ら志願して弟子入りする人もいるかもしれないが、基本的には「この土地に生まれた男はみな山伏」と先達は語った。

じゃあ山伏としての活動は何をしているかというと、お山の祭事のお手伝いや、四季の峰入りなどを行うのだという。四季の峰入りとは、春夏秋冬と季節によって行われる修行のことを指す。最も知られているのが「秋の峰入り」で、山伏の衣装をつけた百数十人の修行者が山を登り、修行を積む。(もともとは女人禁制の修行だが、1993年より女性向け山伏修行「神子修行」が開設され、秋の峰入りが行われている)

山伏の修行は「言わず語らずの行」と言われており詳細をつまびらかにすることは避けられているが、と前置きをすると、先達は私にひとつだけ山伏言葉を教えてくれた。

その言葉とは、「うけたもう」。わかりました、引き受けます、という意味の言葉だそうだ。「山伏は何を言われても『うけたもう』と答えるのが基本です。嫌がらずになんでも引き受けるのも修行のうちです」

峰入式が終わり、「じゃあ、出発しましょうかの!」という先達の呼びかけに、私が「はい!」と答えると、先達はいたずらそうに「そこは『うけたもう』って言わなきゃ」と笑ったのだった。

杉並木の参道続く「死の世界」へ出発!

「ここから先が、神域になります」

そう言って先達が指差したのは、どっしりとした朱塗りの門。「隋神門(ずいしんもん)」という名のこの門は、出羽三山詣での正式な入り口となっている。

隋神門

つまり、この門から先は「死の世界」ということだ。出羽三山を構成する羽黒山・月山・湯殿山はそれぞれ、現世・過去世・来世を示しており、三山をすべて参拝するには2泊3日の大掛かりな転生の旅となる。今回は、通年参拝が可能な羽黒山のみのコースを1日で体験することになっていた。私は先達について、多くの修験道者が踏み込んだであろう「死の世界」への一歩を踏み出した。

6月の羽黒山の中は、凛とした空気で満たされていた。大きく息を吸い込むと、環境省の「かおり風景100選」に登録されているという、苔の香りが胸いっぱいに入ってくる。林立する杉の木の間からは、太陽の光が漏れてゆらゆら揺れていた。

羽黒山山頂へは、随神門から全長約1.7キロメートルの参道を歩いて登る。石畳の参道を歩き出すとすぐに、水の音が聞こえてきた。祓川(はらいがわ)だ。古来より修行者たちはこの川の水で身を清めたという。

参詣道の両脇に立ち並ぶ樹齢数百年の杉並木は、国の特別天然記念物に指定され、世界的な旅行ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」の三つ星にも選定されている。こうした景色の中に、江戸時代までは多くの寺院が軒をつらねていたが、そのほとんどが明治元年(1868年)の神仏分離令の際に撤退したという。

祓川を越え、間もなくして現れたのは、平将門が建立したといわれる「五重塔」だった。五重塔は仏教式の建築物であるが、地元の人々の尽力などにより取り壊しの危機を逃れ、現在では国宝に登録されている。

祓川。祠の奥には滝が流れているが、この水は月山からひかれているという。

五重塔の手前にある「爺杉(じじすぎ)」。推定樹齢は1000年とされている。

次々と目の前に現れる神聖な光景に圧倒されていると、あっという間に先達に距離をつけられてしまう。黙々と進む先達のあとを、私は時折走って追いかけた。

一ノ坂の茶屋から頂上へ

はじめのほうこそ下り坂や平坦な道が多く「楽勝だな」と思っていたものの、登りの道が増えていくにつれ、気づけば修行中の身を忘れ「疲れた」「暑い」と弱音のオンパレードを先達にぶつけていた。

中でも「一ノ坂」「二ノ坂」と名付けられた急な階段を5分ほど登るともうヘトヘト。肩で大きく息をする私を見て、前を歩いている先達は「ちょっと休憩するか!」と言って階段の途中にある小屋の中へ入っていった。

二ノ坂の途中にある「二ノ坂茶屋」ではたくさんの参拝客が足を休めていた

そこは、歩き疲れた参拝客が集まるお茶屋さんだった。先達は畳に腰掛け、名物の力餅を注文した。店でてきぱきと働くおばあちゃんは、御歳80歳。あの急な階段を、毎日この店まで登って来ているという。なんという健脚だろう。

二ノ坂茶屋の名物おばあちゃん。

庄内平野をイメージした緑色のきなこと、あんこがかかった力餅を、抹茶とともにいただく

休憩時間も含め、およそ1時間半で私たちは羽黒山の頂上に着いた。羽黒山・月山・湯殿山の三神を祀った「三神合祭殿(さんじんごうさいでん)・出羽三山神社」に、旅の安全を祈る。

「無事に滝うちが終わりますように。心臓が止まりませんように」

三山の神を祀った「出羽三山神社」

まだ雨は降っていなかった。このままいけば、下山して昼食をとったあと、順調に滝うちが遂行されることになる。降るのか、降らないのか。滝に打たれたいのか、打たれたくないのか。そのときの私には、答えを出すことはできなかった。

「自分のための修行」

「山伏の修行は、自分のための修行なんです」

下り道の途中、お堂の前を通りすぎた。このお堂は「一の宿」といい、修行者が最初の夜を明かす宿だということだった。とはいえ、普通の宿のように体を休めるための場所ではない。もちろん眠りはするのだが、明け方まで読経を続けるという修行が待っている。

「え、でもつい眠っちゃったりしないんですか?」と聞くと、先達は即座に「眠るよ!」と答えた。でも、眠ったところで怒られはしないという。

自分のための修行とはつまり、人から教えられるのではなく自分で感じるものということ。山伏の修行には決まりごとはあるものの、それを守るか、それを通じてどうなりたいかは自分の自由なのだ。

「修行にくる人の中には、その期間山にこもっているだけでいいんだっていう人もいる。その一週間はお酒やめよう、とか、タバコやめよう、と決めてくる人もいる。目的は人それぞれ。ただひとつ共通しているのは、俗界を離れてお山のエネルギーをいただいて生まれ変わるということなんです」

そこからさらに日の光の漏れる山道をもくもくと下ると、30分ほどで県道にたどり着いたのだった。

記念館に戻った私たちを待っていたのは、待ちに待った昼食「壇張り(だんばり)」だった。盛りきりのご飯にたくあん2切れ、味噌汁というシンプルなメニューだ。あえて質素にすることで、普段食べているもののありがたみを知る意味があるという。

山伏の食事「壇張り」は一汁一菜のシンプルなメニュー。たくあんが2切れもあるのは贅沢なんだとか。

「若い頃、この味噌汁をご飯にぶっかけて食べようとしたのよ。そしたら思いっきり頭叩かれてね。あれは忘れらんないよね」

そんな先達の昔話を聞きながら壇張りを味わった。一週間もこのメニューだとさすがに飽きるのかな……とも思いつつ、一日だけの私は最後まで美味しく平らげたのだった。

こうして腹ごしらえが終わると、いよいよ滝うちの時間がやってきた。

いざ、6月の滝の中へ

滝は、いでは文化記念館から車で15分ほどのところにあった。

滝うちの場所に案内してくれた、いでは文化記念館の係長さんと先達のあとに続いて、私も車をおりる。奥に見える滝に目をこらすと、人工の滝のようだった。「自然の滝だと、岩などが落ちてきて危ないんです。受講者の方を危険な目にあわせることはできないので、十分な対策を施したあちらの滝で体験してもらうことにしています」

体験につかう滝の場所は体験塾参加者のみに案内している。

足袋を脱ぎ、裸足になる。横では、今年で還暦を迎える先達がふんどし姿になっている。係長さんが、靴下を脱ぎながら私に問いかけた。

「まだ氷水のような冷たさですよ! 本当にやるんですか!?」

「やります」

こうして、私たちはついに川の水に足を浸した。

……痛い!

先達と係長はしきりに「ひゃっこい!ひゃっこい!」と叫んでいた。私が無言でいると、係長が「“冷たい”という意味です」と注釈を加えてくれる。

そんなことはわかっている。言葉が出ないのだ。水の温度は、冷たいを通り越してもはや痛みを感じるほどだった。

まずは足元から氷のような水を少しずつかけ、体に慣れさせていく

死にませんように、心臓発作を起こしませんように。

そう祈りながら、横でバシャバシャと体に水をかける先達の真似をして、膝上から腰上、胸上へと徐々に水をかけた。

「行くぞっ」

「……うけたもう!」

ぎゃあああああああああああああああ

そのときの私の絶叫は、おそらく庄内平野中に届いたにちがいない。

出羽三山の思し召し

「いやぁ、すごいですよ! 結構長い時間入ってましたよ!」

びしょ濡れの身体のまま車に乗り込んだ私たちは、記念館に戻るまでの道すがら、興奮気味に互いの健闘を讃え合っていた。「俺は絶対入らんからな」と言っていた先達は、結局率先して滝行とはなんたるかを見せつけてくれたし、付き添いの係長は、奇跡の瞬間をたくさん写真におさめてくれた。

私はといえば、叫び疲れて喉がカラカラになっていた。

「10秒、いや、20秒は我慢だ!」

という先達に、滝の中で何度も「まだですかー!?」と叫んでいたのだが、先達が首をたてに振らないので20秒経っていないものだと思っていた(自分で時間を数える余裕はなかった)。しかし、実際はもっと長い時間(多分1分くらい)入っていたらしい。私の必死な問いかけはまったく言葉になっていなかったようで、「ずっと『まだですか!?』って言ってたんですけど……」と私が言うと、2人は「え、そうだったの?」という顔をしたのだった。

生命の危機を感じて身体中の細胞が活性化したのか、滝から出たあと、不思議と寒さは感じなかった。

山伏修行の最後は、出成式(でなりしき)といって、火をまたぐ修行をして締めになる。記念館に到着し再び装束に着替え直すと、今度は係長さんが駐車場の裏に小さなキャンプファイヤーのようなものを組み立てていた。ここに火をつけるという。

この火は、赤ちゃんが生まれて一番はじめに体験する「産湯」にちなんでいて、不浄を清めるという意味があるそうだ。キャンプファイヤーに火をつけると、あっという間に炎は膝上の高さまで燃え上がった。これはこれでかなり怖かった(写真の表情を見てわかる通り)が、決死の思いでまたいでみると案外熱さは感じなかった。

こうして無事、1日だけの山伏修行は幕を閉じた。

「結局、雨降りませんでしたね」

係長の証言によれば、私と先達が羽黒山にいる時は山のふもとで雨が降り、私たちが山をおりると雨は鶴岡の街のほうに移動して雷鳴を轟かせていたという。

「出羽三山の神の思し召しですかね。きっと私に、滝行しろってことだったんですよ」と言うと、名残惜しい別れのシーンに笑いが起きたのだった。

終わってみると、あれほど怖かった滝行も、やれて良かったと心から思える。冷たい水に打たれたから、だけではなく、神聖な山の空気をたくさん吸い、身体を動かし、質素な食事をし、普段体験しない怖い思いをしたことで、体中の細胞が生まれ変わったような気がした。

2人に別れを告げ、帰宅の途につく。真っ先に、私が滝行をすることを知っていた家族や友人にメールを送る。たった一文、「生きて帰る」。

「いきてかえる」、

「生きて」「返る」、

……「生き返る」!?

これって山伏修行の本髄じゃなかった!? もしかして本日の修行大成功!?

バスに揺られる私の背中では、夕暮れにたたずむ出羽三山の大鳥居がどんどんと小さくなっていった。

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