はまゆふは戸毎にひらく濤の上

黒田杏子・句集『木の椅子』(増補新装版)コールサック社

十二支の闇に逃げこむ走馬燈  黒田杏子

金柑を星のごと煮る霜夜かな  同

かもめ食堂空色の扉の冬籠  同

月の稲架古墳にありてなほ解かず  同

休診の父と来てをり崩れ簗  同

青桃に夕陽はとどく天主堂(カテドラル)  同 (五島列島 六句)

はまゆふは戸毎にひらく濤の上  同 (五島列島 六句)

日に透けて流人の墓のかたつむり  同

星合の運河の窓は灯りけり  同

青柚子や風の濡れたる濡佛  同 (宇都宮 多気山)

鮎落ちて那須野ヶ原の夕火種  同 (黒羽行)


http://stop-ouna.jugem.jp/?eid=1054 【はまゆふ(ハマユウ)** 万葉植物 **】 より

み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へどただに逢はぬかも

柿本人麻呂 万葉集 [巻四 496]

「熊野の浦に群生する浜木綿(はまゆう)は、葉が幾重にも重なり合っている。その重なる葉のように心に深く思われるが。直接逢う機会がなくて残念。早く遇いたいものだ」

万葉集に浜木綿はこの一首だけが詠まれている。

熊野(くまの)は、紀伊半島南端部の和歌山県南部と三重県南部からなる地域。

旧国では紀伊国牟婁郡にあたる。

海岸一帯が、今も浜木綿の群生地として有名。

ずっと以前に、浜木綿を描きたくて潮岬を訪ねた。

磯の香りと群生のハマユウの香りが、風に乗って漂ってくる中でスケッチを何枚もした。

バカチョンカメラ(放送禁止用語)で写真もたくさん撮った。

浜木綿は今年も家の庭に芳香を放ちながら咲いている。

萬葉の時代に柿本人麻呂が詠んだ浜木綿を、今一度大きな画面に海を背景にして描いてみたい、と思う。けれど、もう大作は無理のよう。

 うちの庭で実ったもの

海岸の砂浜に生えるヒガンバナ科の多年草で薬用植物。

常緑の葉がオモト(万年青)に似ていることからハマオモト(浜万年青)ともいう。

地下には径3~7cm、長さ30~50cmの白色の 鱗茎 がある。

葉は鱗茎から叢生し長さ30~70cm、幅4~10cm。やや多肉質で表面は光沢がある。

花は7~8月、高さ0.5~1mの太い花茎の頂に散形花序に多数つく。

花序の基部には長さ10cm内外の大型の苞がある。

花冠は白色で下部は筒状、上部は6深裂し裂片は広線形、長さ7~9cmで外側にそりかえる。

花の様子は、神道神事に用いられる白い布(ゆう-ゆふ)と似る。

白い彼岸花にも似るハマユウの花は、夏の夕方ごろから咲き始め夜中に全開する。

子房は下位で3室。成熟して球形の 蒴果 となる。

蒴果(さくか)は長さ2~2.5cm。種子はやや球形で径2~3cm。

灰白色の海綿質の外種皮に包まれ、海水によく浮く。

西南日本の海岸に広く分布し、分布の北限はハマオモト線と呼ばれ、年平均気温15℃の線とほぼ一致する。

東南アジアからインドにかけて広く分布する。

花ことば・・・「どこか遠くへ」

※ 参考図書:平凡社大百科事典


https://mikumano.net/ryokouki/ransetu.html 【嵐雪・朝叟『その浜ゆふ』】 より

松尾芭蕉の高弟・服部嵐雪の熊野詣

嵐雪(小栗寛令筆)

 嵐雪(小栗寛令筆)

松尾芭蕉の門弟、服部嵐雪(はっとり らんせつ。1654~1707)と朝叟による伊勢・熊野に参詣した折の紀行文『その浜ゆふ(其浜木綿)』。 

服部嵐雪は宝井其角(たからいきかく。1661~1707)とならんで蕉門の双璧をなす蕉門十哲(芭蕉の弟子のなかでとくにすぐれた高弟10人のこと)のひとり。 嵐雪は朝叟・百里・甫盛・全阿らを伴なって宝永二年(1705)夏に伊勢・熊野に参詣しました。 

嵐雪一行は、伊勢参詣の後、新宮へ。新宮から那智を詣でて本宮へ。そのあとは田辺に出て大阪へ向かいました。その一部を抜き出して現代語訳してご紹介します。文中、雪中とあるのが嵐雪です。

その浜ゆふ 現代語訳

本宮。神楽殿は25年間4面で(?)毎年4月25日に猿楽がある。太夫は吉野の天の川(てんのかわ。現・奈良県吉野郡天川村)より来て、これをつとめる。舞台は落書に黒ずんで格別に素晴らしい。白河法皇がお建てになった石の塔がある。

和泉式部の石塔が伏拝にある。本宮より一里(約4km)。かの式部が「月のさはり」と詠んだ所だという。

   蚋(ぶと)のさすその跡ながらなつかしき   雪中

   是迄に暇とらせむ汗ぬぐひ   百里

 発心門は伏拝より一里。ここまで上古は本宮の境内であった。

   苅ほしを今も敷なり御幸道   甫盛

 湯の峰は温泉が三坪ある。湯川より野中へ出る。

 野中の清水。佐藤秀衡が接ぎ木した古木の桜がある。

   住かねて道まで出るか山清水   雪中

猿楽

 『その浜ゆふ』には、毎年4月25日に熊野本宮では吉野の天川から演者がやってきて猿楽が行われると書かれています。猿楽は能楽の前身。神社の運営資金を集めるための勧進興行でしょう。

 天川にある天河弁財天社は猿楽(能楽)に縁が深い神社で、また「吉野熊野中宮」とも称されていました。 

服部嵐雪の句碑

野中の清水の傍らには、嵐雪の「住かねて道まで出るか山清水」の句碑が建っています。野中の清水は日本百銘水のひとつ。