https://globo-site.com/imakoko-ishiki/ 【今ここに意識を集中したら幸福感がすごい!今に意識を向ける方法】 より
今、ここに集中する練習方法
マインドフルネスとか禅とかで「今、ここに意識を集中しましょう」という教えがあります。
すべてをありのままに受け入れて、「今、ここ」にいることを学ぶと、人生の不満の多くは消えていき、小さな喜びをたくさん見いだせるようになります。
何かが上手にできるようになるというのは、よいことです。
しかし、スキルを身に着けることによって、それを無意識のうちにするようになってしまう、というのは不幸なことだと言えます。
なぜ不幸かというと、人は無意識でいるあいだ、人生の多くを失っているからです。
心は「今、ここ」からチェックアウトしているとき、次の3ヶ所のどこかに行っています。「過去」「未来」「空想の世界」です。
これらの3つの場所には、現実が存在しません。現実は今いるこの場所にあり、みなさんが本当に生きているのは、「今」という時間だけです。
出典:『「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門』ジャン・チョーズン・ベイズ 著
只管打坐、つまりわれわれのやっている座禅とは、自分自身であるということ、ただそれだけです。
いかなることも期待しないでいるとき、われわれは自分自身であることができます。
それがわれわれの道であり、時のひとつひとつの瞬間を完全に生きるということです。この修業は永遠に続きます。
出典: 『禅マインド ビギナーズ・マインド2: ノット・オールウェイズ・ソー 』鈴木俊隆著
最近やっと「今、ここ」の感覚が掴めてきたのですが、普通の生活の中で幸せを感じる瞬間がしょっちゅうあります。
小さなしあわせどころではなく、泣きそうでヤバイんじゃないかと思うぐらいの幸福感です。
というわけで今回は、私の「今、ここ」体験と、意識を集中するコツをシェアしたいと思います。
ゾーンと今ここ
「今、ここ」に集中している状態を、スポーツの世界では「ゾーン」と呼ぶそうです。
感覚が研ぎ澄まされて、周囲がスローモーションのように見えるらしいです。
私は運動は全然ダメでスポーツではピンと来ないのですが、ピアノをやっていてそれらしい体感を得たことがあります。
中学1年生で、合唱コンクールの伴奏をしていたときのことです。
体育館に全校生徒が集まっていて、ピアノ教室の発表会なんかよりずっと緊張していました。
最初は、テンポを崩さないでちゃんと指揮に合わせようとか、次のアルペジオは気をつけようとか、頭がぐるぐる動いていました。これは普段通りです。
ところが、いつの間にか何も考えないで「ただ弾いている」感覚になっていることに気づいたのです。
楽譜も、指揮も、皆の口パクも一応見えているのですが、勝手に手が動いて、音と一体化したようで、とても気持ちいい不思議な感じでした。
ところが、曲が終わる間際に集中が切れてしまい「あれ?今どこ弾いてる?」とパニックになって最後の和音を押し間違えてました。
最近では、ずっとではありませんが時々、文章を書きながらも「今、ここ」に入れるようになってきました。
こんな風なブログの文章を書いているときって、いろんな気になることがあるんです。
たとえば、パソコンでカチャカチャと文字をタイプしながら、たった今打ち終わった数行前の言い回しが目に入り、「ここは『です』じゃなくて『でしょう』の方がリズムが良いかな?」などと書き直したくなります。
逆に、本文を書きながら「後書きどんな風にしようかな?」と未来のことに意識が飛んでいってしまうこともあります。
それ以外にも「今、何文字ぐらいだろう」と文字数チェックをしてみたり、「7時までに書き追われるかな?」とチラチラ時計を見てみたり、心配事に心を奪われることも。
でも、本当によく集中できているときは、余計なことを考えないで「ただ、書く」という感覚です。
ボーっと何も考えていないわけではなく、ちゃんと内容とか文章構成とか、文字数とか、読者さんから見てどうかな、等と計算はしているんですが、ちゃんと今書いているところは目に入っていて、意識も向いています。
意識を集中できていないときは、目は開いて見ているんだけれど、頭の中にある別の映像の方を見ています。
「今、ここ」の雰囲気が、なんとなく伝わりましたでしょうか? あなたも絶対に何かで体験しているはずです。
歯磨きで「今、ここ」の練習
マインドフルネス歯磨き
「今、ここ」への意識の集中は、特別な時間だけでなく日常の生活でも練習すればできるようになります。
私がやってみて最もトレーニングの効果を感じられたのは、瞑想…ではなく「歯磨き」でした。
皆さんは歯磨きをするときに、ただ歯を磨くことだけをしていますか?
私は歯磨きの最中に色々と別なことをする習性がありました。
その辺をウロウロしたり、洗面所の鏡を磨いてみたり、歯ブラシをくわえたまま洗濯物を干したり、スマホをいじったり、歌ったり(笑)、動きはなくても頭の中で妄想が展開していたり。
当然ながら、それではきちんと歯磨きができていなかったらしく、5年ぶりに歯医者に行ったら虫歯が18本もできていました。
歯科衛生士さんからブラッシング指導を受け、それ以来は手鏡を持って真剣に、一本一本の歯に意識を向けて磨くようになりました。
歯ブラシの角を歯と歯の間にちょうど引っかけて、細かく20回動かしたら次の歯に当てます。
最初はやっぱり気が散って、いつのまにかボーッと違うことを考えてしまい、どこまで磨いてたか分からなくなってしまいました。
「今、ここ」戻ってきては、飛んでしまったところから磨き直しです。
しっかり歯磨きをしようと思ったら、かなり集中力が要求されるんですよね。
毎朝練習すると不思議なもので、歯磨き以外の他のことをしていて意識が飛んでいった時にも「あ、今ワープしてた!」と気づくようになりました。
「今」人と会って話しているのに相手の過去のイメージに気を取られてしまったり、セミナーで話を聞いているのに「当てられたら何をしゃべろう?」と未来の心配をしていたり。
完全に飛んでいかないのは難しくても、「あ、いけない!」と今に戻ってこられるので、今を生きる時間が少しずつ長くなってきています。
今を生きると、時間が濃くなる
「過去」や「未来」、「空想の世界」に生きていると、現実世界の時間は薄まってしまうようです。
私は昔、会社員をしていたのですが、ほとんど「今」にいないで意識がいつもどこかに飛んでいっていました。
「この査定だとボーナスはいくらになるかな?」とか「定年退職したら、お店をやりたいなあ」と未来や空想を思い描いたり、「あの人はいっつもトラブル起こしてばっかりなんだから…」と過去にモヤモヤしたり、頭の中が忙しくて集中できていませんでした。
一応寝ないで仕事はしていましたが、お客さんに請求書を送って、入金を確認して、パートさんの給料計算をして、振り込んで、明細書を送ってを毎月ずっと繰り返すことに新鮮味を感じられず、惰性になっていたかもしれません。
そんななので、しょっちゅうミスして叱られ、ますます「今は我慢して適当にやり過ごして、リタイア後は楽しく過ごすんだ!」と未来のための今になってしまいました。
今振り返ると、もっと「今、ここ」を楽しんだら良かったのになあと思います。
この記事を書いている時点では、私はまだフルタイムで派遣で働いています。
コールセンターで電話を受ける仕事なのですが、会社員時代とは比べ物にならないほどに毎日同じことの繰り返しです。
毎日、毎日、同じような問い合わせの電話がかかってきて、同じように説明をします。
でも、「どうせ、こんなことでしょう」と過去のイメージでお客さんの話を聞くのではなく、「クレームつけられたらどうしよう」と未来の心配をするのでもなく、関係ない空想をするのでもなく、「今」話している相手や自分の心の状態、センターで働いている周りの人や空間全部に100%意識を向けてみると、全く同じということはないのが分かりました。
似たような話でも、状況やお客さんが求めていることや、話し方・聞き方・性格の特性によって、説明の仕方は無限に変わります。
そのとき自分が何を感じているのかを知り日々の成長も実感できるし、周りの人が助けてくれていることにも気づけます。
ずっと続けるつもりの仕事ではなく、未来に別の目的はあるのですが、そこに向かっている「今、ここ」も楽しめるようになったのです。
「早く帰ってブログ書きたいなあ」などと、やっぱり定時が気になっちゃってソワソワすることもありますが(笑)。
最近では、ふと、ものすごく幸福感が押し寄せてくる瞬間が頻繁にあります。
コールセンターで働いていても、急に初めてその景色を見たかのように色鮮やかに感じられて、暖かい気持ちになれたり、ただ祈っているだけのときに「祈ることができる」って幸せだなあと、ただ生きていることに感謝できたりするんです。
以前にも楽しいことや幸せなことはありましたが、それは合唱コンクールみたいに特別な時とか、「良いこと」があったときに限定されていました。
特別なことが幸せだったんじゃなくて、特別感があって「今、ここ」に集中できていたから、幸せを受け取れたのかもしれません。
会社員時代の8年間はあっという間でしたが、会社をやめてからの2年間は密度が高くて体感的には10年ぐらい経っているような気がします。
ファミレスや牛丼屋でアルバイトしたのも、セミナー講師をやったのも、毎日ブログを書き続けてきたのも、瞬間、瞬間を味わって「今」を生きてる時間が長かったんじゃないかなと思います。
ある人は、「時間は幻想であり、過去も未来も存在しない」と言います。
もちろん概念として時間は使ったら便利ですが、私たちが生きられるのは「今」だけです。
人生は一冊の書物によく似ている。
愚かな者はそれをパラパラとめくっているが、賢い者はそれを念入りに読む。
なぜなら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを、知っているからだ。
ジャン・パウル
この先にどんな良いことが書いてあるだろう? 前のページはどんなだったっけ? と意識が飛んでいっていると、せっかく今開いているページの内容が入ってきません。
「今、ここ」、今開いている人生のページの、この一行、この一文字に、丁寧に意識を向けて、今を楽しんで、幸せを受け取りましょう。
0コメント