http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c201.html 【月と文学】 より
■古典と月
万葉の彼方から、日本人の繊細な感性は多くの月を表現してきました。
それは、月の満ち欠けの形であったり、明るさやその様子であったり、時間やその位置であったり、その語彙の多さに、日本人がいかに月を愛してきたかをうかがい知ることもできます。残念ながら死語となってしまったものも多く見られますが、気づいたことを少しずつ紹介していこうと考えています。
月をこよなく愛した西行の代表的な歌に
願わくば 花のしたにて春死なん そのきさらぎの 望月のころ(西行法師)
というのがあります。きさらぎの望月といえば、旧暦の二月十五日のころで西暦にすると3月~4月はじめころにあたります。花の下とは満開の桜のことです。如月を春と詠むことも、旧暦の知識があればもちろん合点のゆく話です。
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(柿本人麻呂 万葉集・48)
かぎろひとは明け方の太陽のことですが、振り返ってみると西の空に月が見えるという雄大な原野が思い浮かびます。では、西に傾いた月とはどのような月なのか、さらに想いが広がります。考えられるのは、一般的な解釈は満月ですが、この東西が正確に東西だったのかは読み人しか分かりません。広く解釈すれば少し欠けた月も西の方に見ることができます。これと似た俳句に蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」というのがあります。
歌のこころはともかく、古典にふれる場合、旧暦は最低限押さえておきたい知識です。
詩歌と月
■百人一首と月
百人一首の中で月を詠んだ作品は11首が確認できています。
7. 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
(安倍仲麿:遣唐使) 「古今集」
21. 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
(素性法師)「古今集」
23. 月見れば 千々に物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
(大江千里:博学の儒者) 「古今集」
30. 有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし
(壬生忠岑:古今集の選者の一人)「古今集」
31. 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
(坂上是則:蹴鞠(けまり)の名手)「古今集」
36. 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ
(清原深養父=「日本書記」編者の舎人親王の子孫) 「古今集」
59. やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな
(赤染衛門: 女流歌人)「後拾遺集」
68. 心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
(三条院:第67代天皇)「後拾遺集」
81. ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
(後徳大寺左大臣=藤原実定)「千載集」
86. 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな
(西行法師:各地を旅行)「千載集」
92. わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
(二条院讃岐=源頼政の娘)「千載集」
この中で気になったのが21、30、31、81の「有明の月」です。11首ある月の歌の内4首を数え、36も文意から察するに有明の月でしょう。
「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、」ではじまる清少納言の『枕草子』は
月は 有明の、東(ひんがし)の山ぎわにほそくて出づるほど、いとあわれなり(『枕草子』池田亀鑑校訂・岩波文庫)
と綴っています。当時の人々は、この有明の月にどのような思いを抱いていたのでしょうか。
有明の月とは、満月以降の夜明けになっても残っている月を指しますが、特に二十三日月以降の夜明け前に残る細い月をいいます。日の出とともに太陽の光で月は見えなくなってしまいます。遅い月の出を待ちわびる様を、また出てすぐ見えなくなってしまう有明の月に恋のせつなさつれなさを重ね合わせたものが多く見られます。百人一首の21に「今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつる」とあるのはそのさいたるものでしょう。同じように、恋のつれなさや浮き世の哀れさを詠ったものは多く
有明の月ばかりこそ通ひける来る人なしの宿の庭にも 伊勢大輔/新古今和歌集
住みなれし人影もせぬわが宿に有明の月幾夜ともなく 和泉式部/新古今和歌集
などが散見できます。
7、は安倍仲麿の望郷の歌。717年、17歳で留学生として唐に入り、753年、帰国の途につくが船が難破し果たせず、ついに二度と日本の土を踏むこと無く逝った仲麿の歌。これに対して李白の返歌が、
明月帰らず 碧海に沈み
http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c202-2.html 【月ことば】より
月を冠した言葉や月を表す言葉の多さは私たち日本人にとっていかに月が身近な存在であったかを示す証でもあります。死語となってしまったのも多くあるのは残念ですが、なおその語彙の多さがを示すものこそ、日本人の繊細で豊かな創造力のあらわれでしょう。
合理的な思考や発想が求められる現代にあっても、失いたくない日本人の感性であると思います。
■月に関する故事・ことわざ
■月の故事・諺
月と鼈 すっぽん
似て非なるものの喩え。すっぽんの甲羅が丸いところから「丸」の異名があるところからきた、という説と「素盆」「朱盆」が訛ったものとする説があるが、最近は鼈の方が主流か?
月下氷人 げっかひょうじん
月下老人と氷人が結合した言葉。月下老人に同じ。
月下老人 げっかろうじん
唐の葦囲(いご)が旅行先で月夜に会った老人から将来の妻を予言されたという故事から媒酌人、仲人のこと。(続幽怪録-巻四)
月の定座 つきのじょうざ
連歌や連句、俳諧で一巻の中で月を詠むように定められた箇所をいう。
雪月花 せつげつか
雪と月と花。四季が織りなす自然美の代表的なもの
花鳥風月 かちょうふうげつ
自然の美しい風景。風流な遊び
光風霽月 こうふうせいげつ
心が高名で執着しない。快活・洒落なこと
一月三舟 いちげつさんしゅう
ひとつの月でも止まっている舟、南行している舟、北行している舟から見れば三者三様に見えるように、仏の教えも衆生は異なってうけとめることの喩え。(仏教用語)
松風蘿月 しょうふうらげつ
松風とツタカズラをとおして見る月。
嘯風弄月 しょうふうろうげつ
風にうそぶき月をもてあそぶ。自然の風景を愛で、風流に心を寄せること
月夜に提灯 つきよにちょうちん
無益・不必要な喩え
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