https://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1736364 【孫崎享のつぶやき】より
ドナルド・キーンが語ったこと①「万葉集」は日本最高の歌集・万葉集は日本最古の歌集、日本最高の歌集、・吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さを・様々な社会階層の歌人。後世の、主として宮廷で作られた歌ばかりを集めている歌集とは異なる。
「万葉集」は日本最高の歌集、キーン
・万葉集は日本最古の歌集、ほとんどの日本文学研究者の意見では日本最高の歌集p141
・吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さを与えている。p141
・さまざまな社会階層の歌人が名を連ねている点でも、後世の、主として宮廷で作られた歌ばかりを集めている歌集とは異なる。p141
(次頁)
ドナルド・キーンは一九二二年生まれ。米国出身の日本文学者。一九五三年来日。ドナル
ド・キーン著『日本文学の歴史1』(中央公論社一九九四年)において、後世の詩歌との異なりを指摘している。
詩型と題材が豊富な歌集はほかにない、さまざまな社会階層の歌人が名を連ね、後世の、主として宮廷で作られた歌ばかりと異なる、何よりも、吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さを与えている。和歌や俳句といった短詩型では、明言できることが
https://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1739716 【孫崎享のつぶやき】
ドナルド・キーンが語った事⓶:芭蕉は彼の詩風を支えている二つの原理は変化と不易。古池や蛙飛びこむ水の音、第一節で不易な要素をなしている時間を超越して動かない池の水。次の蛙が瞬間的なもので、この二つが水の音という一点で交わっている。
ドナルド・キーンは一九二二年生まれ。日本文学者。日本文学と日本文化研究の第一人者。コロンビア大学を退職後は、日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明した。ドナルド・キーン著書『日本の文学』(筑摩書房、一九六三)からの引用
・十七世紀の日本の文学に起こった新しい運動の影響で伝統的なものが一切斥けられ、日本の詩人達が自由に酔った時、その結果は混乱に終る場合が多かった。しかし、芭蕉にとっては、変化と不易の両方が彼の俳句にはなくてはならなくて、彼の最も優れた作品ではこの二つが、ここで述べた意味だけではなしに、幾何学的に言えば、瞬間のものと恒久的なものの交る点となって表現されているのがみられる。その一例が、芭蕉の俳句の中では或は最も有名かもしれない。
古池や蛙飛びこむ水の音
その第一節で、芭蕉はこの詩で不易な要素をなしている時間を超越して動かない池の水を出している。次の蛙が瞬間
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★感性を磨く~17文字の響き~
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明日7月17日(金)へ向けて、芭蕉翁の句をお届けします。
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【古池や蛙飛こむ水のをと】
(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)*「春の日」、「蛙合(かわずあわせ)」より
(訳)古池がひっそりと静まりかえっている。
ふと一匹の蛙がその池に飛びこむと、その音が広がり、あたりの静寂を破った。
(やがてまた 深い静けさを取りもどした。)
*季語:蛙(春)(補足)*1686年(芭蕉翁43才の年)の句。(おくのほそ道の旅は1689年)*蕉風(しょうふう)俳諧を確立した句といわれる。
芭蕉翁の代表的な句の一つであるとともに、江戸時代から俳句の代名詞として広く知られていた句でもある。
*正岡子規(1867-1902)は、この句を「俳諧の歴史上最必要なるものに相違ない」と述べ、俳句の歴史を切り開いた句であるとし、史的価値を認めている。
*初め「蛙飛こむ水のをと」ができたが、上5がなかった。そこで門人の其角(きかく)が
「山吹や」という案を進言したが、芭蕉翁はただ「古池や」と決定したといわれる。
*其角:宝井其角(たからいきかく 1661-1707)蕉門十哲(しょうもんじってつ)の第一の門弟といわれる。
*「山吹」と「蛙」は伝統ある取合せであった。また、伝統に従えば、「蛙」は「鳴く」ものとされ、そう詠まれるのが常であった。
俳諧の「俗語を正す」とは、まさにこのような句作をいうのであろう。
*単純な景を詠んだ句であるが、一見平凡な事物に情趣を見出すことによって、和歌や連歌、またそれまでの俳諧の型にはまった情趣から一線を画したものである。
*表に波立とうとする声を抑えて、静かに内部の響きに合わせた無言の表現ともいえる。
*「古池」は深川芭蕉庵にあった川魚を活かしておく生簀(いけす)といわれるが、実在の池とすることにこだわらず、脳裡(のうり)につくられた古池という解釈でもさしつかえないのではないだろうか。
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超訳☆想像解釈
【芭蕉翁から現代人へのアドバイス】~こころとカラダの美的エッセンス~
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変化には抵抗がともなうものである。自分一人のことであっても、他に影響を与えるものであっても、それは変わりがないのではないだろうか。
さらにどんな立場にいても 抵抗はある。
その抵抗にうまく対処するには、理念を常に意識しておくことが大切である。
何のためにその変化を起こそうとしたのか。理念は 変化という行動の源にある指針(想い)である。
理念の浸透が、自分や他の抵抗をなくし、変化を加速させる鍵になるのである。
変化に抵抗があるのは当たり前。
自然の法則だと思い、理念を浸透させることを心掛けていきたいものである。
もし あなたが今、変化の旅の途中にいるとしたら、自分に、他人にことばで理念を伝えることができるだろうか。
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現在の状況に即した「超訳」を独自におつくりになってみましょう。
芭蕉翁はどのようなことをあなたに語りかけているでしょうか?
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時も、人生も、永遠の旅人也~明日も素敵な旅(人生)を☆
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☆松島の絶景に感動するあまり(芭蕉翁は、、)・・・(宮城県)
芭蕉翁の同行人・河合曾良(かわいそら)より。
【松島や鶴に身を借れほととぎす】(まつしまや つるにみをかれ ほととぎす)
~おくのほそ道/松島(宮城県)にて~
(訳)
松島の景色はまことにすばらしい。折から鳴くほととぎすよ、この松島には鶴の姿がふさわしいからその姿になって、ここを鳴き渡ってくれ。
(補足)
芭蕉翁が、「松島の絶景に感動するあまり、句が浮かばない。」といって河合曾良が詠んだ句を紹介している。
*河合曾良とは。。(1649-1710年?没年不詳)芭蕉翁より5歳年長で、おくのほそ道に同行するほどの信頼を得ていた。
芭蕉庵の近隣に住み、芭蕉翁の日常生活の世話もし、蕉門十哲(しょうもんじってつ)の一人とする説もある。
*「松島や ああ松島や 松島や」という芭蕉翁作とも伝わる句は、近代つくられた観光用のもの。後世(江戸時代後期)の狂歌師 田原坊の作、「松島や さて松島や 松島や」が源といわれる。よって、芭蕉翁とはまったくの無縁である。
*「松島」を紹介する(おくのほそ道の)章の出だしは、「象潟・きさがた(秋田県にかほ市象潟町・今は清音読みで「きさかた」)の章と並び、名文の誉れが高いといわれている。
松島の美しさを、精妙な筆遣い(づかい)で描ききっている。(尚、象潟は太平洋の松島に対する日本海の名勝といわれる。)以下、「松島の章」の出だしを原文・訳文の順にご紹介。(読みやすいように、段落をつくっています)
☆名文「松島の章」
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「そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一(ふさうだいいち)の好風(かうふう)にして、およそ洞庭(どうてい)・西湖(せいこ) を恥ぢず。
東南より海を入れて、江の中三里(えのうちさんり)、浙江(せつかう)の潮(うしほ)を湛(たた)ふ。
島々の数を尽くして、欹(そばだ)つものは天を指(ゆび)さし、伏すものは波に匍匐(はらば)ふ。
あるは二重(ふたへ)に重(かさ)なり三重(みへ)に畳(たた)みて、左(ひだり)に分かれ右(みぎ)に連(つら)なる。
負(お)へるあり、抱(いだ)けるあり。児孫(じそん)愛すがごとし。
松の緑(みどり)こまやかに、枝葉(しえふ)潮風(しほかぜ)に吹きたわめて、屈曲(くつきょく)おのづから矯(た)めたるがごとし。その気色(けしき)えう然(えうぜん)として、美人の顔(かんばせ)を粧(よそほ)ふ。
ちはやぶる神(かみ)の昔(むかし)、大山祇(おおやまづみ)のなせるわざにや。
造化(ざうくわ)の天工(てんこう)、いづれの人(ひと)か筆(ふで)をふるひ、
詞(ことば)を尽(つ)くさむ。」
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「訳」
(松島の風景について)
さて、言い古されたことだけれども、やっぱり松島は日本でも一番の景色で、かの有名な中国の洞庭湖や西湖に比べてもまったく遜色がない。
(島の形について)
東南の方向より、海が陸に入り込んでおり、湾内は約12キロほど、あの中国の浙江のように
潮が満ちてとても美しい。
湾内の島の数は数えきれないほどあり、高いものは、天を指さし、また平べったいものは、波の間にはらばいになっているように見える。
ある島は二重に、ある島は三重に重なり、その重なって見えているものでさえ、左のほうに離れて島があったり、右のほうに続いて島があったりする。(絶妙のバランスとしか言いようがない。)
島の大きさには大小があって、人を背負っているような形のものもあれば、また抱っこしているようなものもある。
まるで子供や孫をあやしているような感じさえする。
(松の様子について)
松の緑は濃く、枝葉は潮風に吹き曲げられているが、その曲がりようと言ったらまるで松の木に意識があって自分から曲がっていったかのように、自然な形に曲げ整えられたように見事である。
松島の風情は、深みのある美しさで、ちょうど美しい女性が化粧をした時の顔のようだ。
(再度、松島の景色について)
この景色をお造りになったのは、はるか昔の神々の時代、地形を司る山岳の神である
大山祗(おおやまずみ)の神が行った仕業だろうか。
そうした万物をお造りになった神々の業(わざ)であるこの景色の美しさは、どんなに文章や描写が上手な人でも詩文や絵画に表現しつくせるだろうか、まったく不可能である。
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ちなみに、仙台藩・藩祖伊達政宗(1567-1636年)は歌人としての才能も豊かであったが、
ゆかりのある松島の歌もいくつも詠んでいる。
「いづる間も ながめこそやれ陸奥の 月まつ島の 秋のゆふべは」( 「月待つ」と「松島」が掛詞となっている)「心なき 身にだに月を 松島や秋のもなかの 夕暮れの空」
「所がら 類はわけて 無かりけり名高きつきを 袖に松島」
「松島や 雄島の磯の 秋の空名高き月や 照りまさるらん」
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(超訳☆想像解釈)
【芭蕉翁から現代人へのアドバイス】~こころとカラダの美的エッセンス~
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実物を見て、感動するから、その実物にふさわしい句や文章を描きたくなる。
その繰り返しで表現力が磨かれ、人としても評価されてくるのである。
感動できる人間は、感動を与えられる人間にもなるのである。
五感を目一杯使い、いつまでも感動できる人間であれ。
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「月日は百代の過客にして、 行きかふ年もまた旅人なり。」~時も、人生も、永遠の旅人也~素敵な旅(人生)を☆
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