https://www.myoshinji.or.jp/tokyo-zen-center/howa/1086 【父母未生以前の本来の面目】より
暖冬の中に寒波が訪れ、身体が対応できずに苦しむ日が続きます。
昨日、檀家さんが親子三代で墓参に訪れた折、五歳の男の子が「大きなカエルはいないよね?」と怖がっているのと「お寺のガマガエルは冬眠しているよ、でも間も無く土の中からでてくるだろうね」とお祖父さんが優しく教えておられました。その光景を微笑ましく見ながら、もう梅がそちこちで咲き春が近づいているのを感じました。暖冬の上に飲食店の排気で冬でも生温さを感じる浅草の地で、ガマガエルは満足に冬眠できているかと、勝手ながら心配しました。
毎朝のように凍っていた庭の池に、いつのまにかカエルが飛び込む音が聞こえてハッとして春を味わうような寒暖の差は、ずいぶん昔のことのようです。
松尾芭蕉の句集『春の日』に以下の有名な句があります。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
一説では根本寺(現在の茨城県鹿島)住職の佛頂和尚のもとで臨済禅に参じた折の一節が元になっていると伝わっています。根本寺と鹿島神宮の間で領地争いが起こり、佛頂和尚は末寺であった臨川庵(深川。現在は臨済宗妙心寺派臨川寺)に幾度となく滞在していました。和尚の滞在中に芭蕉が訪れ、参禅を重ねていたようです。佛頂和尚が尋ねました。
如何なるかこれ、青苔未生以前の本来の面目。
(青々とした苔が生き生きとしているけれど、苔が発生する以前の本来の面目とは何か?)
すると芭蕉は、 蛙飛びこむ 水の音と答えたと伝わっています。
この公案は、父母未生以前の本来の面目
(お前の両親が生まれる前の、お前の本来の面目とはなんだ?)
という形で、円覚寺の釈宗演老師に夏目漱石が参禅したことでも知られています。両親が未だ生まれていない時の自分とはなにか?と問われても、常識や知識では答えに窮します。けれど立ち止まって自分という存在を考え直すと、両親にとどまらず、大きな生命の流れの中に端を発していることに気づきます。大きな生命そのものが、即今みずからの中にあることを心身で知覚することが肝要だと、この公案から知ることができます。蛙が池に飛び込む音はどの時代でも不変の音ですので、芭蕉はこの公案に 蛙飛びこむ 水の音 と応えたのかもしれません。
さて、一月の終わりに次女の一歳の誕生日を迎えました。長女と違い、十一ヶ月で力強く歩くようになった次女を私の母が見て「一升餅を背負わせよう」と意気込みました。姉を見て習い歩くようになっただけだから、それほどに特別なことではないようにも思いましたが、折り目は丁寧にしなくてはとも思い一升餅を背負う催しを企画しました。
Amazonや楽天で一升餅を検索すると、配布しやすいように小分けになっていたり、餅に名前がプリントされていたりするものなど様々な商品がヒットしました。餅だけではなく一升のパンもあり、まさに多種多様です。家内と話し合って、小分けになっている紅白餅を選び、当日を迎えました。
餅を背負い、励まされながらもよろめいて、あっという間に倒れる娘を祖父母は手をたたいて喜んでいます。途中で家内に向かって私の母が「私の子供三人の中でこの子だけが一升餅を背負ったのよ」と私を紹介したので、こども扱いされてムッとしましたが、ふと言葉にならない春の陽気のような暖かい心持ちがして気づいたことがありました。
ひと昔前であれば、生まれてきた子供が一歳の誕生日を迎えることが当たり前ではありませんでした。その上、元気一杯に歩いて誕生日を迎えるなど奇跡に近かったのだと思います。ですからもち米を蒸して餅を搗き、みんなで精一杯のお祝いをしたのだと思います。辛く苦しいことばかりの諸行無常のなかで、噛みしめるほどに嬉しいことだったのだと想像しました。
姉を見て習い、歩くようになっただけだから、それほどに特別なことではないと思ってしまっている自分が恥ずかしくなりました。科学が進歩し、便利を享受して生きていると、いつの間にか諸行無常のなかで生きることを忘れてしまっていました。
さらに母に「私の子供三人の中でこの子だけが一升餅を背負ったのよ」と云われ、こども扱いされてムッとしましたが、連綿と続く生命を慈しむ姿をみました。諸行無常のなかで、自分も親心をもって子供を育て、生命を繋いでいくのだとしみじみと感じました。考えればわかること、当たり前と言ってしまえばそれまでですが、こうして身をもってしみじみと感じることで忘れがたいものとなるのだと思います。
そう考えてみれば、松尾芭蕉が参禅に困り果てて捻り出した
蛙飛びこむ 水の音
もとても味わい深いものです。季節や人生の節目を大切にして、諸行無常を味わって生きていきたいものです。
https://note.com/hokorimamire/n/n895766dd84cb 【松尾芭蕉「古池や 蛙飛び…」この俳句がなぜ凄いか知ってますか?】 より
松尾芭蕉の誰もが知る俳句「古池や 蛙飛び込む 水の音」この俳句がなぜ凄いのかご存じでしょうか。この俳句がなぜ凄いのか、「考え続ける力」著者:石川善樹の中で紹介されていました。
(本書いわく、友人に教えて貰ったため、間違っている可能性もあるが、とても納得出来るので紹介しているとのことです。僕も大変関心しましたのでその紹介を紹介したい、又貸しならぬ又紹介をしたいです。)
この俳句がなぜ凄いのかと感じる為の感性が、おふでさきを読み込み、神意を悟る上で、参考になるのではと、直感的に感じましたので紹介させていただきます。
実はめちゃくちゃドラマチックな俳句
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
この俳句、実はめちゃくちゃドラマチックな俳句だそうですが、素人目にはそんなこと欠けらも分かりませんので、解説していきたいと思います。
「古池や」
「古池や」は「侘び(わび)」を表しています。
「侘び」とは
貧粗・不足の中に心の充足をみいだそうとする意識。
出典:wikipedia
ポイントは「古池」と「池」の違いです。
「池」はそこに水が溜まっていれば、何年経っても池です。
しかし、「古池や」言われたら、その池は「かつて池だったもの」「枯れたもの」をイメージします。
これが当時の人々の発想で、だから「侘び」の表現となります。
「蛙飛び込む」
「蛙飛び込む」は「雅さ」と「下品さ」を象徴しています。
「新古今和歌集」以来、蛙と鶯は鳴き声が雅であることの象徴でした。
ですから「蛙」が出てきたら、「鳴き声」とセットで使われるのがそれまでの常識です。
しかし、ここであえて鳴かせずに飛び込ませることで「蛙を鳴かせずに飛び込ませるなんて、なんと下品な」といった感じで、「下品さ」を表しています。
水の音
「水の音」は「寂び(さび)」を表しています。
「寂び」とは
閑寂さの中に、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ。
出典wikipedia
水の音が聞こえるということは、そこで初めて「古池は死んでいなかった」と気付きます。
人里離れたところで忘れ去られているけど、今でも存在しているということです。
この俳句の凄さを石川氏はこのようにまとめています
つまりこの句は「生命の無い白黒の世界」からはじまり、さいごは「みずみずしい生命あふれるフルカラーの世界」へと大展開を遂げているのです。
いま説明したように「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句は「侘び」「雅」「下品」「寂び」が融合している。当時のひとからすると、一句のなかでさまざまなドラマがおきている。これが松尾芭蕉のすごさです。
どうでしょうか?
解説を聞く前と後で
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
この俳句の印象がガラッと変わりませんでしたか?
僕はガラッと変わってしまいました。
おふでさきの読み方に通じるものがある
この解説を読んで僕が直感したことは、おふでさきの読み方の参考になりそうだということです。
ですので、今からなぜそのように直感したのか、理由を紐解いていきたいと思います。
理由として考えられるのは、
おふでさきの御歌の意味が分かった感覚と、松尾芭蕉の俳句の意味が分かった感覚に共通しているものがある思ったからです。
おふでさきを読む際、どのように意味をくみ取れば良いのか分からない方も大勢おられると思います。
そういった場合、
一つ一つの単語に込められた意味を知ることがとても重要になってきます。
俳句にしても短歌にしても、使える文字数は限られています。
ですから、普通の文章よりも単語一つ一つの比重は重く、込められている意味も大きくなってきます。
例えば、おふでさきでちょくちょく登場する「から」や「とうじん」といった言葉は、現在では「天理教の教えを知らない人達」を指す言葉として解釈されています。
こういった単語が、そもそも何を表しているかを知らないと、おふでさきを理解することができません。
そして、
単語を象徴的及び抽象的に理解していくことが必要になってきます。
所謂、
比喩表現をされている単語は、何を象徴しているのかを読み取ることが大切になってくることが一つ。
もう一つは、歴史的背景とリンクしている御歌が多数ありますが、それらを、この年のこの人のことを指した歌だと、ただ歴史的な知識として理解するだけでなく、「万人に対する話の台である」というおふでさきの性格上、その御歌を抽象化して、どういったことを親神様は人間に伝えようとされているのかを、考える必要があると思います。
特に、抽象化に関してはまだまだ、研究が進んでいない分野であると思いますので、おふでさきの深淵に踏み込んでいく際には、おふでさきを自力で読んでいく力必要になります。
あと、僕が強く思うことは、何も分からずにただ「おふでさき」を読むだけでは、全然面白くないということです。
やっぱり意味が分かった方が断然面白いと思いますので、そういった力を付ける為に、松尾芭蕉の俳句をどう読めばいいかという解説はとても参考になると思いました。
https://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E5%8F%A4%E6%B1%A0%E3%82%84%E8%9B%99%E9%A3%9B%E3%81%B3%E3%81%93%E3%82%80%E6%B0%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3 【古池や蛙飛びこむ水の音】より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清澄庭園にある「古池や」の句碑。同句にはほかにも全国に多数の句碑がある。
「古池や蛙飛びこむ水の音」(ふるいけやかわずとびこむみずのおと)は、松尾芭蕉の発句。芭蕉が蕉風俳諧を確立した句とされており[1][2]、芭蕉の作品中でもっとも知られているだけでなく、すでに江戸時代から俳句の代名詞として広く知られていた句である[3]。
季語は蛙(春)。古い池に蛙が飛び込む音が聞こえてきた、という単純な景を詠んだ句であり、一見平凡な事物に情趣を見出すことによって、和歌や連歌、またそれまでの俳諧の型にはまった情趣から一線を画したものである。芭蕉が一時傾倒していた禅の影響もうかがえるが[4][5]、あまりに広く知られた句であるため、後述するように深遠な解釈や伝説も生んだ。
初出は1686年(貞享3年)閏3月刊行の『蛙合』(かわずあわせ)であり、ついで同年8月に芭蕉七部集の一『春の日』に収録された。『蛙合』の編者は芭蕉の門人の仙化で、蛙を題材にした句合(くあわせ。左右に分かれて句の優劣を競うもの)二十四番に出された40の句に追加の一句を入れて編まれており、芭蕉の「古池や」はこの中で最高の位置(一番の左)を占めている。このときの句合は合議による衆議判制で行われ、仙化を中心に参加者の共同作業で判詞が行われたようである[6]。一般に発表を期した俳句作品は成立後日をおかず俳諧撰集に収録されると考えられるため、成立年は貞享3年と見るのが定説である[6]。なお同年正3月下旬に、井原西鶴門の西吟によって編まれた『庵桜』に「古池や蛙飛ンだる水の音」の形で芭蕉の句が出ており、これが初案の形であると思われる[7]。「飛ンだる」は談林風の軽快な文体であり、談林派の理解を得られやすい形である[1]。
『蛙合』巻末の仙花の言葉によれば、この句合は深川芭蕉庵で行われたものであり、「古池や」の句がそのときに作られたものなのか、それともこの句がきっかけとなって句合がおこなわれたのか不明な点もあるが、いずれにしろこの前後にまず仲間内の評判をとったと考えられる[8]。「古池」はおそらくもとは門人の杉風が川魚を放して生簀としていた芭蕉庵の傍の池であろう[4]。1700年(元禄13年)の『暁山集』(芳山編)のように「山吹や蛙飛び込む水の音」の形で伝えている書もあるが、「山吹や」と置いたのは門人の其角である。芭蕉ははじめ「蛙飛び込む水の音」を提示して上五を門人たちに考えさせておき、其角が「山吹や」と置いたのを受けて「古池や」と定めた。芭蕉は和歌的な伝統をもつ「山吹という五文字は、風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして實(まこと)也。山吹のうれしき五文字を捨てて唯古池となし給へる心こそあさからぬ」[9]とした。「蛙飛ンだる」のような俳意の強調を退け、自然の閑寂を見出したところにこの句が成立したのである[10][11]。 なお、和歌や連歌の歴史においてはそれまで蛙を詠んだものは極めて少なく、詠まれる場合にもその鳴き声に着目するのが常であった。俳諧においては飛ぶことに着目した例はあるが、飛び込んだ蛙、ならびに飛び込む音に着目したのはそれ以前に例のない芭蕉の発明である[12]。
この句が有名になったのは、芭蕉自身が不易流行の句として自負していたということもあるが[13]、芭蕉の業績を伝えるのにことあるごとにこの句を称揚した門人支考によるところが大きい[14]。支考は1719年(享保4年)に著した『俳諧十論』のなかでこの句を「情は全くなきに似たれども、さびしき風情をその中に含める風雅の余情とは此(この)いひ也」として、句の中に余情としての「さびしさ」を見ており、この見方が一般的な見方として現代まで継承されていると思われる[15]。ただし芭蕉の同時代には必ずしも他の俳人の理解が得られていたわけではなく、例えば前述の『暁山集』では「山吹や」を「古池や」に変えると発句にはならないとしている[5]。また禅味のある句風から、『芭蕉翁古池真伝』(春湖著、慶応4年)に見られるように、芭蕉がその禅の師である仏頂を訪れて禅問答を行い、そこで句想を得た、というような伝説も流布した[16]。
俳句の近代化を推進した正岡子規は、「古池の句の弁」(『ホトトギス』1898年10月号)においてこの種の神秘化をはっきりと否定し、「古池や」の句の再評価を行っている。この文章は「古池や」の句がなぜこうまで広く人々に知られるようになったのかと質問した客人に対して、主人がその説明をする、という態で書かれており、俳句の歴史をひもときながら、上述したように「蛙が水に飛び込む」というありふれた事象に妙味を見いだすことによって俳諧の歴史に一線を画したのだということを明確にしている。また子規はこの句の重要性はあくまで俳句の歴史を切りひらいたところにあり、この句が芭蕉第一の佳句というわけではないということも記している[17]。
山本健吉は『芭蕉 ―その鑑賞と批評』(1957年)において、上五を「山吹や」とした場合には視覚的なイメージを並列する取り合わせの句となるのに対し、「古池や」は直感的把握、ないし聴覚的想像力を働かせたものであり、「蛙飛びこむ」以下とより意識の深層において結びつき意味を重層化させているのだとしている[18]。そしてこの句が「笑いを本願とする俳諧師たちの心の盲点」を的確についたものであり、芭蕉にとってよりも人々にとって開眼の意味を持ったのだとし、またわれわれが誰しも幼いころから何らかの機会にこの句を聞かされている現在、「われわれの俳句についての理解は、すべて「古池」の句の理解にはじまると言ってよい」と評している[19]。
大輪靖宏の『なぜ芭蕉は至高の俳人なのか』(2014年)によると、古池は古井戸の用法の如く、忘れ去られた池であり、死の世界であるはずである。「蛙飛び込む水の音」は生の営みであり、動きがある。蛙を出しておきながら、声を出していない。音は優雅の世界ではない。ここでは優雅でなく、わび、さびの世界である。古池という死の世界になりかねないものに、蛙を飛びこませることによって生命を吹き込んだのである。それでこそ、わび、さびが生じた、と述べている[20]。
^ a b 山本 2006、87頁
^ 正岡 1983、216-217頁
^ 復本 1992、94-95頁
^ a b 山本 2006、89頁
^ a b 田中 2010、193頁
^ a b 復本 1992、90頁
^ 山本 2006、86頁
^ 復本 1992、91頁
^ 各務支考『葛の松原』,佐々醒雪, 巌谷小波 校『俳諧作法集(国立国会図書館デジタルコレクション)』博文館、1914年、653頁。
^ 山本 2006、87-88頁
^ 正岡 1983、212頁
^ 復本 1992、97-98頁
^ 復本 1992、100頁
^ 復本 1992、95頁
^ 復本 1992、95-96頁
^ 山本 2006、88-89頁
^ 正岡 1983、217-218頁
^ 山本 2006、88頁
^ 山本 2006、90頁
^ 大輪[2014:116-119]
田中善信『芭蕉 「かるみ」の境地へ』中央公論新社〈中公新書 2048〉、2010年3月25日。ISBN 978-4-12-102048-2。
復本一郎『芭蕉16のキーワード』日本放送出版協会〈NHKブックス 659〉、1992年11月。ISBN 4-14-001659-0。
復本一郎「芭蕉古池伝説・芭蕉俳句16のキーワード」『芭蕉との対話 復本一郎芭蕉論集成』沖積舎、2009年3月。ISBN 978-4-8060-4735-3。
正岡子規『俳諧大要』岩波書店〈岩波文庫 緑13-7〉、1983年9月16日。ISBN 4-00-310137-5。 - 「俳諧大要」・「俳人蕪村」・「古池の句の弁」・「俳句の初歩」・「俳句上の京と江戸」を収録。
山本健吉『芭蕉 その鑑賞と批評』飯塚書店、2006年3月、新装版。ISBN 4-7522-2048-2。
大輪靖宏『なぜ芭蕉は至高の俳人なのか』祥伝社、2014年8月。ISBN 978-4-396-61498-0。
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