http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/whoswho/bucho.htm【佛頂和尚】 より
茨城県鹿島の根本寺第21世住職。芭蕉参禅の師と伝えられている。芭蕉より3歳ほど年長。
佛頂は、鹿島神宮との間で領地争いがあって、その訴訟のため江戸に滞在することが多かった。そのときは、根本寺の末寺であった江戸深川の臨川寺(その頃は臨川庵と呼んでいた。臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺となったのは正徳3年のことという。)を使った。臨川寺は、芭蕉庵に近く、芭蕉は佛頂をしばしば訪ねて禅を教えてもらったという。芭蕉は、乞食僧へ独特の憧憬を持っていたが、そのことが佛頂の人生態度と一致していたため、強い尊敬の念を感じていた ようである。
芭蕉は、素堂などとちがって生家が貧しく、青春時代に正統的教育の機会に恵まれなかったため、「一般教養」に欠けるところがあった。深川に転居して、幸運にも佛頂とめぐり合い、禅はともかく漢学一般、中でも特に老荘思想について佛頂から体系的に教授されたことで、芭蕉の人生が急展開したのではないか。特に『荘子(そうじ)』については、芭蕉の自然観全体に影響を与えた。それが、俳諧改革を促し、大詩人芭蕉の誕生につながったのではないだろうか。芭蕉にとって、佛頂の存在は「偉大」だったのである。
『奥の細道』では、那須の黒羽の雲厳寺にあった佛頂の修業跡を訪ねて「啄木鳥も庵は破らず夏木立」と詠み、また、『鹿島詣』ではわざわざ佛頂に会いに行っている。なお、佛頂は、 当時としては長命で、芭蕉没後21年経た正徳5年(1715)12月28日、那須黒羽の雲厳寺で死去した。
http://urawa0328.babymilk.jp/haijin/bucchou.html 【仏頂禅師】 より
芭蕉参禅の師。
佛頂和尚 此和尚在世ハ天和・貞享頃也、奈須野雲岩寺、翁參釋の師也、播州盤渓禪師ト云、江戸ニ佛頂和尚ト云、天下竜虎ノ名知識也、何レモ風雅ヲ稱玉ヘリ。武城深川ニ禪刹アリテ、芭蕉菴モソコニ近シ、十論爲辨抄ニ出。
『蕉門諸生全伝』(遠藤曰人稿)
寛永19年(1642年)2月18日、札村(現:鉾田市札)に生まれる。
8歳の時に鹿島根本寺の冷山和尚の弟子となる。
延宝2年(1674年)、冷山和尚から根本寺を受け継ぎ、二十一世住職となる。
延宝7年(1679年)、弟子の龍鉄に根本寺住職の許可を与えている。
貞享元年(1684年)、根本寺を辞して大儀庵に入り、宝光山大儀寺として中興開山となる。
正徳5年(1715年)12月、74歳で没。
大儀寺(茨城県鉾田市)
根本寺(茨城県鹿嶋市)
雲厳寺(栃木県大田原市)
臨川寺(東京都江東区)
仏頂禅師の句 九億劫以前も同じけふの朝
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/letter/zhumei2.htm 【不明宛書簡】より
(元禄7年春 芭蕉51歳)
早春、佛頂和尚へ御状被レ遣候を則愚庵為レ持被レ越*、微細熟覧仕候處*、木免の角あるけしき先感心仕候上*、病床に病と組で勝負を御あらそひ、終に大眼悟哲之勢ひ、驚入奉レ存候*。和尚之肝膈いまだしかと探られず候間、重而評判可二申遣一候*。和尚にも旧臘は寒ぬるく候故、御持病も心能*、愚庵まで手をひかれて一夕御入、大道の咄し山々、俳諧に而レ至二半夜一候*。
梅桜みしも悔しや雪の花
と御申候。感心致事に候。且又正秀三つ物、扨々驚入*、定而御力加り候物と感心仕候。褒美之旨正秀へ申遣候間、除レ筆候*。
深川芭蕉庵から、宛先不明の書簡。この宛先人は闘病生活をした人であること、佛頂和尚と親交のあること、木免の句を作っていること、などが分かるが、特定できない。日付を欠くが、正秀の「三つ物」の話題があることから元禄7年で、話題からして芭蕉は深川にいることから5月以前と知られる。
早春、佛頂和尚へ御状被レ遣候を則愚庵為レ持被レ越:<そうしゅん、ぶっちょうおしょうへごじょうつかわされそうろうをそくぐあんへもたされこされ>と読む。佛頂和尚は芭蕉参禅の師。深川芭蕉庵近くに居住していた。
微細熟覧仕候處:<びさいじゅくらんつかまつりそうろうところ>と読む。よくよく読ませていただきました、の意。
木免の角あるけしき先感心仕候上:<みみづくのつのあるけしきかんしんつかまつりそうろううえ>。木免の角という主題の句をこの書簡の受取人は作ったのであろう。
病床に病と組で勝負を御あらそひ、終に大眼悟哲之勢ひ、驚入奉レ存候:<びょうしょうにやまいとくんでしょうぶをおんあらそい、ついにたいがんごてつのいきおい、おどろきいりぞんじたてまつりそうろう>と読む。この受取人は、闘病生活を送り病に勝って本復し、かつ良い句を作るようにさえなったのであろう。
和尚之肝膈いまだしかと探られず候間、重而評判可二申遣一候:<おしょうのかんかく・・、かさねてひょうばんもうしつかわすべくそうろう>と読む。肝膈は心情の意。和尚の気持ちがわからないのでまたお話してみましょう、というのだが意味不明。
和尚にも旧臘は寒ぬるく候故、御持病も心能:<おしょうにもきゅうろうはかんぬるくそうとうゆえ、おじびょうもこころよく>と読む。昨年はあまり寒くなかったので和尚の持病も酷くなく、の意。
大道の咄し山々、俳諧に而至二半夜一候:<たいどうのはなしやまやま、はいかいにてはんやいたりそうろう>。禅の仏道の話や、俳諧に深夜まで熱中したりしました、の意。
且又正秀三つ物、扨々驚入:<かつまたまさひでみつもの、さてさておどろきいり>と読む。
褒美之旨正秀へ申遣候間、除レ筆候:<ほうびのむねまさひでへもうしつかわしそうろうかん、ふでをのぞきそうろう>。正秀に誉め言葉を送りますので、これにて失礼致します、の意。
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