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【―俳句空間―豈weeklyアーカイブ】■第0号(創刊準備号)●俳句など誰も読んではいない・・・高山れおな より
2008年8月から始まり2010年7月18日をもって終わった「―俳句空間―豈weekly」は作品発表でなく、評論発表ためのサイトでありユニークなものとして評価された。こうした特色に注目され、様々な刺激的発言、論争が行われ、さらにこの場から、『新撰21」『超新撰21』も生み出されていった。俳句の世界で、新しいものが少しばかり動き出した瞬間と言ってよいだろう。
しかし御多分にもれず、BLOGの世界は忘れられやすい。こうした発言があったことさえ忘れられている。ときおり思い返してもいいのではないか。
創刊から10年を迎えようとしている現在、当時新鮮であった発言をいくつか抜き出しみることにしたい。(筑紫磐井)
■第0号(創刊準備号)2008年8月9日土曜日
■創刊のことば
俳句など誰も読んではいない ・・・高山れおな
「―俳句空間―豈weekly」を創刊する。俳書を読み、その感想を記す文章のみのサイトで、作品発表の場所ではない。
俳句の世界には、他人に読まれることを待っている人は大勢いるが、他人の書き物をみずから読もうとする人はいたって少ないと誰かの発言にあった。そもそも結社誌なる存在にしてからが、主宰者を主体にした刊行物という見せかけのもと、多数の小口の出資者が共同でひとりの読み手を雇っていると考えた方が実態に近いだろう。意地悪く言えば、句会もまた、俳句作品に対する贋の需要を最小限の犠牲で発生させる装置なのだ。こうした事態への慣れによって、誰が自分の作品を読むのかという目もくらむような問いは隠蔽され、読むこと、読まれることに対する奇妙に楽観的な心性が形成される。平明とか難解といった言葉が、いかにも屈託なく作品評価の場を支配することになる。
俳句人口なるものがどんな誇大な数字を示そうとも、俳句など誰も読んではいない。残念ながら事実はその通りだが、しかしこの事実に甘えて、みずからもまた読むことに怠惰であったのではないかという反省が今はある。当サイトの立ち上げは、数週間前、雷雨の神楽坂の某酒肆でとつぜん決まった。古人曰く「兵は神速を貴ぶ」というわけで何の準備もないままの見切り発車である。創刊メンバーは、生野毅、中村安伸、高山れおなの3名だが、おいおいに書き手が「豈」内外に広がってゆけばよいと思っている。
二〇〇八年八月八日の夜記す
冬の旅、夏の夢』(朔出版)高山 れおな 著 with 『彷徨』(ふらんす堂)中原 道夫 著
アイロニーの退屈さ
高山れおな『冬の旅、夏の夢』は第4句集にあたります。
第3句集『俳諧曾我』(2012年)が部数限定での販売だったので、一般読者向けの句集としては13年ぶりの新刊です。
高山は2018年7月から朝日新聞の俳句投稿コーナーである「朝日俳壇」の新選者となったので、
新しい読者への「顔見せ興業」の意味を持った句集だと考えてよいと思います。
実際、書店ではこの句集の表紙に「朝日俳壇」新選者であることを示すシールがわざわざ貼られていました。
高山は「─俳句空間─豈weekly」の創刊のことばとなる「俳句など誰も読んではいない」という文章でこう書いていました。
そもそも結社誌なる存在にしてからが、主宰者を主体にした刊行物という見せかけのもと、多数の小口の出資者が共同でひとりの読み手を雇っていると考えた方が実態に近いだろう。意地悪く言えば、句会もまた、俳句作品に対する贋の需要を最小限の犠牲で発生させる装置なのだ。
なるほど、結社の主宰は小口の出資者に雇われた読み手でしかないと貶めているわけですが、
しかしその高山も、今となっては大口の新聞社に読み手として雇われているわけです。
その上、句集を売るのに新聞俳壇の選者という肩書きを用いられてしまうお瑣末さ。
マスコミの力に抱っこされている高山が、自分で結社を運営する人よりどうして偉いのか僕にはよくわからないのですが、
俳句界というのは結社の悪口を言えば一定の支持が得られるところなのでしょうか。
(放っておいても結社はどんどん廃れていく運命にありますが、残念ながら新聞や大手マスメディアも同じ運命をたどります)
『冬の旅、夏の夢』は高踏派を気取っていた高山が、新聞俳壇を楽しむライトな読者を想定して構成したことが伝わる句集です。
その意味では本句集は読者に自分をどう見せるかを非常に強く意識した句集です。
別の言い方をすれば、新聞俳壇の選者として親しみを持たれると同時に、
伝統から逃れた自分の立ち位置をわかりやすく示す、「政治的」な意図を持った句集とも言えます。
このような面を無視して『冬の旅、夏の夢』について語ることは茶番ですし、この句集の本質にも至りつけないと言っておきます。
僕は以前に高山の第2句集『荒東雑詩』(2005年)にレビューを書いているのですが、
本句集を読んで、当時高山の句に抱いた印象を全く変えるところがないことに驚きました。
正直に言えば、当時僕は高山当人に直接不愉快な思いをさせられたことがあって、
批評を書く人間のプライドとしては評価に私情をはさむつもりはないにしても、
どこか必要以上に厳しい見方をしたのではないか、という思いがあったのです。
しかし、落ち着いて見直してみると、口調は多少厳しくても、内容に関してはしっかり読んでいたのではないかと感じています。
おさらいをしておけば、僕は高山について、
「彼は参照すべきプレテクスト(元ネタ)がないと句が作れないのである」と断じていました。
「句が作れない」というのは乱暴な言い方をしたな、と感じてしまいますが、
しかし、言い方の問題を抜きにすれば、高山がプレテクストに依存した句作を好むという指摘は本質的だったと思います。
そのレビューでは高山のプレテクストに依存したアイロニカルな俳句が、読者ではなく作者自身に奉仕するためにある、と指摘されています。
このあたりの印象は『冬の旅、夏の夢』を読んでも改める必要は感じません。
高山がプレテクスト依存にこだわる理由を僕はこう書いていました。
高山は句を無防備に提出して、
読者と同等の位置に立つのが嫌なのだ。
それで、プレテクストを参照しないといけない句を作りたがる。
パロディによって自らを傍観的(メタ的)な位置に置き、読者から自分自身を隠すことを優先する姿勢は、今回の句集でも変わりません。
もはや俳句を作ること以上に「自分隠し」をすることが目的なのではないか、と疑いたくなるくらいです。
元ネタに依存して俳句を作るしか能がない関悦史と高山れおなの絆はここにあると言っても過言ではありません。
アイロニーには効用もあるとは思いますが、彼らのように安全な位置(メタ視点)を確保するために用いるのは正しい使い方ではありません。
(ちなみに関悦史は僕の批判や抗議に一度としてまともに返答もせず逃げ続けています。
なぜか代わりに高山れおなが出てきたり、匿名の変な奴が嫌がらせをしてきたことはありましたが)
マスコミの一元管理に異を唱えない俳人たち
高山は『荒東雑詩』では長い「前書」を、『俳諧曾我』ではプレテクストを俳句解釈の「障壁」に利用していました。
わかりにくいと思いますので、実例を少しだけ紹介しましょう。
『荒東雑詩』は過去の僕のレビューを転載してすませます。
短歌が前書として俳句の前に置かれているケースはこんな感じです。
〈庭燎の庭をめぐれる妻はそのむかし夢に犯せし女ならずや〉
一卓の雲丹づくしなる攘夷論
かがり火に見る妻の姿が夢で関係した女に重なる。
ウニ一色の贅沢づくしも、それが輸入物であれば攘夷論が必要だ。
別々ではそう味わうことができるが、両者を関連させるのは大変だ。
前書にある同一性への強迫観念を、俳句では笑い飛ばしたということだろうか。
前書に短歌をつけられてしまうと、俳句単体で読んではいけない感じになって、いたずらに読み手は苦労させられることになります。
その上、真剣に読んでも高山の意図することはよくわからず、推測を語って終わるしかないのです。
『俳諧曾我』は実際には8冊の小冊子で構成されていて、それぞれに題名がついているので、8つのミニ句集の集合となっています。
『俳諧曾我』の句に関しては、四ッ谷龍が第四回田中裕明賞の選考会で優れた解釈を披露しています。
長すぎるので一部を引用しますが、本当は高山の句のくだりは全部読んでいただきたいくらいです。
「追おひ鳥とり狩がりへ! 洋洋と活活と 半獣神フォースたち」っていうんですけど。これは群馬から宇都宮にかけて源頼朝が追鳥狩の狩りをすると、その隙を見つけて仇討ちをしようと曾我十郎・五郎が狩りの後を追うところですね。ここで半獣神フォースっていうのはギリシャ神話ですね。源氏のやってる狩りをですね、ギリシャ神話に見立てて、それで? って思うんですね。それによって何が生じるのか。まあ、くっつけてみただけじゃないかなって思うんですね。
ギリシャ神話の見立てに関しては、僕も四ッ谷と同じような感想を抱きました。
『俳諧曾我』の他の句も取り上げてみましょう。
シャルル・ペローの「長靴をはいた猫」をプレテクストにした「侯爵領」(高柳重信『伯爵領』が頭にある?)にある句なのですが、
玉散るや緑の沖。さはれ袋と靴を
朕は国家なり 憂ひ無し 電飾馬車に
八荒は宇いへ その白光はくゝわうの縁 チを駆けよ
などは「長靴をはいた猫」から逸脱して戦時の日本を連想させる言葉を放り込んでいます。
これなどは読者がプレテクストを意識して読んであげないと、単なる翼賛俳句だと思われても仕方ありません。
四ッ谷は「くっつけてみただけ」と言っていますが、要するに文脈をズラすことに主眼があるだけで、ズラした結果何が生まれるかにはあまり関心がないように感じます。
作者の仕掛けた知的雰囲気に怖気づかなければ、このような態度がむやみに俳句に難解な雰囲気をもたらすだけに終わっているのは明らかです。
その意味では田中裕明賞で、岸本尚毅が「よくできたミニチュアのまがい物を見ているような楽しさがある」と評したのもよくわかります。
関悦史にしても高山れおなにしても小津夜景にしても衒学的な雰囲気を好むわりにちっとも知性的ではなく、
もっぱらファッション(もしくはサブカル)としてしか知を消費していないことが、かえって一般性をもたらしています。
こういう詐欺まがいの手法を俳句界(特にマスコミの俳句関係者)がありがたがっている現状を見ると、
本物より偽物が大好きなポストモダンが俳句界にもようやく訪れたことを祝うほかありません。
正直に言うと、僕は「まがい物」がマスコミを利用してその権力を伸ばしている「旧メディア的な俳句界」には絶望しています。
個人がメディアを持てる時代になったのですから、真の文学者は総合マスコミなどの旧メディアを拒絶すればいいのです。
実行性が問われる政治ならば意志の統一は不可決だと思いますが、文学にはそんなものはなくても構わないのです。
むしろ、むやみに文学の中央集権化を行ったり、メタな視点からマッピングを行ったりするのは、「文壇政治」的な態度でしかありません。
そもそも結社は、総合マスコミとは別の価値を持った持続性のある文化集団として多様性を生み出す「資源」となっていました。
結社が一元管理のマスコミに対する「免疫」としての役割を果たしていたことは、もっと強調されるべきものだと思います。
(そして結社をいたずらに敵視している俳壇政治の好きな人に、官僚やマスコミという権力に近いところで仕事をする人物が目立つということも考えてみるべきでしょう)
僕は俳人ではないので、結社文化の持続にこだわりはないのですが、
結社批判の言説に足りないのは、結社が消えた後の多様性はどこで担保されるのか、という視点です。
消費文化を疑ったことのない若い人は市場やマスコミによる一元化というものに対する疑問に欠けています。
マスコミが文学賞を餌にして売れ筋の劣化コピーをどれだけ増やしていったことでしょうか。
小説の世界でも同人誌という文化が長らくあったのですが、それがなくなってからの質の低下は目を覆うばかりです。
若手の俳句は多様だ、などという主張をする人もいますが、多様なのはまだ結社文化が維持されているからであるということを忘れるべきではありません。
このような姿勢に共通しているのは、俳人が一元的で総合的なマスコミの視点を自明視しているということです。
俳句総合誌や新聞社や週刊俳句などと仲良くしていれば、発信力はあるでしょう。
しかし、発信力があることと俳人として力があることは違います。
マスコミとの付き合いに一生懸命になる俳人が目立つのは、実は良い作品を作ることには興味がなく、
ただ断片化した自分を多くの人に発信するのが目的ではないかと疑います。
規範的な俳句をわずかにズラすことを「自分らしさ」だと思って、それを発信し、多くの人に受容される、
それが何かの達成だと思っているのではないでしょうか。
そうなると、俳句総合誌や俳句賞の許容範囲を逸脱しない程度の「微細なズレ」によって、「自分らしさ」が表現できると考えるようになり、
当人は作家や詩人気分ではあるのですが、当事者以外の人にはどれもこれも似たような句に見えてしまうことになるわけです。
少し話が逸脱したように見えるでしょうが、
今の話は高山れおなの句集を読んで感じたことを、広い視野からまとめたものです。
批判の礼儀としてこれから少し中身に触れますが、本来なら高山の句集は「つまらない」の一言で終わらせてもいいと思っています。
なぜつまらないかを説明しても、内輪で褒め合うのが好きな高山は真剣に聞きはしないと思いますし、
本人以外はみんな心の中でわかっていることだからです。
誰もがわかっていることを書くのは気がすすまないのですが、誰かが書かないと本人が勘違いするのもまた事実です。
僕は俳人たちの怠惰のために今日も執筆の労を費やします。
海外詠という逃げ道
前述したように、読者と同等な位置に立つのを拒み、作者を優位な位置へと逃がすのが高山の俳句の方法論です。
そのため、今回の句集が新聞俳壇の読者である一般人を拒むわけにはいかない、ということが高山にとって一つの課題だったと思います。
一般読者を受け入れつつ、一般読者より優位な立場を確保するアイロニカルな方法が最適なのは言うまでもありません。
それを可能にするのが「海外詠(旅吟)」というあり方です。
たとえば『冬の旅、夏の夢』は2012年に高山がイスタンブールに行った時の俳句から始まるのですが、
この句集の読者のどれほどがイスタンブールに足を運んだことがあるでしょうか。
僕は海外に3回しか行ったことがないので、海外に(特に仕事で)何度も行ける人間は全員エリートかセレブだと思っているのですが、
海外というだけで対象に対する「敷居の高さ」が生まれるのは避けられません。
特にそこに行ったことがない者にとっては、写真を見せられても海外の雰囲気は行った人にだけわかるものであり、
経験したものの優位性は侵すべからざるものとなります。
セレブ体験の優位性を俳句に活用して自分を甘やかすか、普通の俳句と同じような態度で精進するかは作者の意識にかかっています。
そのあたりの差をわかりやすくするために、今回は別の俳人の海外詠の句集も考察の対象にしようと思っています。
タイミング良く海外詠ばかりを集めた句集を出した中原道夫の『彷徨(UROTSUKU)』に所収された句を必要に応じて参照していきます。
高山も中原もともに出版や広告を生業にしているだけに、装丁へのこだわりには感心するのですが、
読み比べてみると、海外詠に対するスタンスはかなり違うと感じました。
感覚的なことなので、うまく説明できるかわかりませんが、できるかぎりやってみようと思います。
まず、両句集の巻頭第一句を見てみます。
第一句は句集においては挨拶代わりとなるだけに、たとえ時系列で並べていても重要な役割を果たすものです。
中原道夫の第一句はこれです。
税關で越後毒消見せもする
大都市ニューヨークの税関で、毒消し(腹痛薬)を見せている状況で、
旅のはじまりを告げる一句としては申し分のない状況です。
インターナショナルな都市の入口で、ローカルなものを取り上げる対比の面白さに加えて、
「見せもする」という余裕の表現によって、「どうせ君は知らんのだろう」とローカルな魅力の側に立つ作者の粋な態度がよく窺えます。
さらに視野を拡大すれば、グローバルな価値に対してローカルなあり方を優位とする俳諧精神が示されている、と見ることもできます。
それに対して高山の最初の句はこうなっています。
夏雲走る〈町へ〉エス・テン・ポリンそこへ天あ降もる
前書を読むと、イスタンブールの語源はギリシャ語の「エス・テン・ポリン」にあるという説が紹介されています。
せっかくその場所を訪れるのに、関心が蘊蓄にあるというのも残念でしかありませんが、
ギリシャ語に置き換えない直接的な表現だと、「夏雲走るイスタンブールそこへ天降る」という凡庸な句になってしまいます。
それをごまかすために、イスタンブールをわざわざ馴染みの薄いギリシャ語へとズラしたように感じます。
高山は〈町へ〉という訳語の直後に「そこへ」という語を反復的に用いることに興を感じたのかもしれませんが、
読者がそんなことに俳句としての面白みを感じるものでしょうか。
むやみに知的意匠が目につくわりに、ズラすことより他に何の感興も生まない句という印象です。
それ以上に読んで違和感があったのは、「天降る」という表現です。
「天降る」は天から下界に降りるという意味を表す上代語です。
万葉集には6例見られるのですが、主に天孫降臨や天皇の行幸で用いられている言葉です。
大伴家持の秋の花見の歌では、大空に浮かべた磐船から日の神が「天降りまし」とあります。
トルコに日本古来の神々が降臨するとは思えないので、この句で「天降る」のはイスタンブールを訪問した高山一行と考えるのが普通です。
たとえ飛行機を磐船に見立てた表現だとしても、
自身を天から降臨する神になぞらえるような表現が適切なのか首を捻りたくなるところです。
紹介した『俳諧曾我』の句にも見られたことですが、
高山は遊戯的に言葉をズラしはするものの、その言葉が含み持つ意味(コノテーション)まで理解して句作に活かすことができていません。
しっかりした言語感覚を持つ人がこの句を読んだら、
メタに立って神を気取った作者のナルシシズムを見せられて嫌な気持ちにしかならないと思います。
参考までに「天降る」という語が適切に用いられた句を紹介します。
天降り來て心身臭し揚羽蝶 永田耕衣
この句の揚羽蝶が天なる神の似姿として表現されていることは、同じ作者の句に「天のはら降り来て揚羽汚れをり」があることでもわかります。
天から降臨した神は地上では心身が汚れているものだ、ということから、地上において汚れたものに神聖さを見出そうとする耕衣の諧謔精神を感じ取ることができます。
この表現に「天降る」という言葉が必要になることはよくわかることだと思います。
続く高山の2句目はこれです。
これがまあコンスタンティノポリスの夕焼なる
小林一茶の「これがまあ終の栖か雪五尺」が思い出されますが、
一茶の句が江戸の借家を引き払い、豪雪地帯の故郷で死ぬまで暮らすことを自虐気味に詠んでいるのに対し、
高山はただイスタンブールの夕焼けを目にした視覚的な感慨を、内面性なしにただ述べているだけのものです。
ここでもイスタンブールをビザンツ帝国時代の呼び名であるコンスタンティノポリスヘとズラしているのですが、
呼び名の変更に作者のどのような感慨を読み取ればいいのかさっぱり伝わってきません。
言ってしまえば、外国人が京都で夕焼けを見て、これが平安京の夕焼けかと言ってるようなものです。
「これがまあ」という表現にも、イスタンブールの夕焼けを目にして感動しているのか、大したことがないと幻滅しているのか、確定できるところがありません。
そのため、高山の句はイスタンブールの夕焼けを目にしたことのない読者には他人事でしかなく、
何の感興も伝わらない作者の自己満足の句に終わっています。
単にズラすだけでは工夫ではない
総じて高山はコラージュや蘊蓄に興味があるようなのですが、いかに遊びを施そうと、最終的には一句として何を詠んでいるかが問題になるものです。
高山の句から、名句のコラージュや蘊蓄によるズラしという「いつもの手」を取り除いてしまうと、
視覚的情景をそのまま詠んだだけの「出来の悪い写生」つまりは凡庸な説明句が現れてきます。
自然を詠んだ句が過去の名句と比較されてしまう運命にあるのに対し、
海外の景物は誰もがそこに行って対象を目にしたことがあるわけではないので、
先行句も少なく、その対象を描く句のデキの悪さが読者にバレにくいという利点があります。
今回僕が中原道夫の句集を比較対象としているのは、海外詠によって先行句との比較を避けるという「逃げ道」が通用しないことを示すためでもあります。
ところで中原の海外詠にも「天」に関わる蘊蓄を用いた俳句があります。
2003年に中国の雲南省大理・麗江で詠んだ句です。
耕して天を降り來るところかな
「天を降り」とあるので注目したのですが、おそらくこの句は「耕して天を」の部分を「天耕」として解釈するべきものではないかと思います。
なぜなら山口誓子の「天耕の峯に達して峯を越す」が意識されていると推測できるからです。
誓子の句は瀬戸内海の倉橋島を眺めて、山の頂上まで畑が続いている情景を詠んだものなのですが、
「耕して天に到る」という言葉を誓子がつづめて「天耕」という言葉として使ったと自句自解で書いています。
その「耕して天に到る」という言葉は誰のものかというと、中国の清朝末期の政治家である李鴻章の言葉です。
李鴻章が日清戦争の講和条約(1895年)の締結のため来日した時に、瀬戸内海の段々畑を見て、
「耕到天是勤勉哉」と言ったとのことなのですが、
もともとは中国人が日本人について言った言葉を、日本人の中原が中国を訪問して返すというのは、なかなか気が利いています。
過去の俳句を踏まえて作句するにしても、ただくっつけられるからくっつけてみるのではなく、
くっつけることで深い意味を持ったり面白くならなければ意味がありません。
大した意図もなくただズラしただけの俳句がいかにくだらないものであるか、最近は当の俳人もよくわかっていないようです。
固有名詞に頼る〈ネタ俳句〉の貧弱さ
二人が似たような題材を詠んでいる句も探せば見つかるので、それを比較してみましょう。
茶房チャイハネに日がな涼めり男ばかり 高山
男みな無聊遅日を茶で濁す 中原
高山はイスタンブールのカフェの情景、中原はモロッコの都市フェズのカフェの情景を詠んでいます。
どちらの句にも旧イスラム王朝の都市で男たちがカフェでダラダラと時を過ごしている様子が窺えるのですが、
高山の句は「日がな涼めり」で切れを入れているので、読者は一日中涼んでいるのは作者本人だと読むことになります。
あとは客は「男ばかり」だという「見たままの感想」があるわけですが、問題は「男ばかり」だから何なのか、ということなのです。
残念なのか、面白いのか、イスラム男性社会の風刺なのか、そこから起こるはずの感興が読者に伝わるレベルで表現できていないのです。
その結果、海外詠とは言うものの、「チャイハネ」という固有名以外の部分で外国に来ていることを活かせてはいません。
作者が興をあらわにせずに傍観的になっている句を読者が自分のことのように味わうのは不可能です。
そこで「男ばかり」と字余りにすることで、さも感興があるように装う必要が出てくるのです。
このような定型に収められるものを「あえて」崩すようにして、自分だけ何か感慨があるかのような気分になられても、
当事者性なき感慨を押しつけられた読者には、一句としてのデキの悪さと作者の自己満足しか感じられません。
それに対して中原の句では、男たちが春の日永をのどかに過ごしている様子が読者に喚起されるように詠まれています。
「茶で濁す」という表現は、実際に退屈をもてあました男たちが茶を飲んで時を過ごしている状態を描いているのですが、
「お茶を濁す」=「ごまかす」という慣用句が浮かぶと、時をやり過ごしている感じがユーモラスに感じられ、非常に味わい深くなります。
その上、固有名に頼らないことによって、海外の情景を詠んでいても普遍的な句として読むことができるので、
男のカフェの過ごし方がなんとなく板につかない感じであることにまで想像が及んでいくのです。
関悦史などもそうなのですが、あるべき表現をサボっておきながら、固有名に頼ることで何かを表現したかのような気になっているのは堕落です。
オタク気質の人は固有名というものに「萌え」ることができるという特徴を持っているように思えます。
アニメの絵に欲情するようなフェティシズムが、固有名への欲情に転じるメカニズムがあるのですが、
紙幅の都合でここではそのメカニズムの説明については踏み込みません。
高山や関はサブカル的な倒錯的な欲望でしかないものを、何やらそれが芸術への志向であるかのように偽装しているのですが、
固有名や前書やプレテクストによる「文脈」を頼らなければ、作品中の表現には練りきれていない凡庸さがあるばかりです。
芸術をカタログとしてしか理解できず(「芸術新潮」!)、言葉をズラして解釈の「障壁」に利用するだけに終わっています。
その意味で、これからの時代は固有名に依存する俳句や必然性に乏しい定型崩しには厳しい目を向ける必要があると思います。
固有名や句の外部にある「文脈」に頼る〈ネタ俳句〉の貧弱さについて、俳人はもう少し問題意識を持った方がいいのではないでしょうか。
表現を凝らさない〈ネタ俳句〉は量産が可能なので、頻繁なマスコミ露出によって存在感を拡大しやすくなることも問題ですし、
上の世代の俳人に彼らの俳句の詐欺的本質を見抜くだけの文化的土壌がなかったことも大いに問題です。
エザーンに鷗かまめたちたつ明易き 高山
アッザーンに掻き消されたる囀よ 中原
これも両者ともにアッザーン(トルコ語ではエザーン)というイスラム教の礼拝の時間を伝える呼びかけを題材にした句です。
聴覚を強く刺激し恍惚感を呼び起こす詠唱を聞いている場面なのですが、
高山は鷗が飛び立つ視覚的な情景へと変換してしまうのに対し、中原は鳥のさえずりがかき消されるという聴覚的な情景として描いています。
両者の句としての優劣というのはそれほどあるように思いませんが、
高山の俳句はもっと深く味わえそうなものを視覚的な光景へと還元して、平板化して終わることが多すぎます。
このようなものを僕はインスタグラム的な俳句だと感じるのですが、
これは対象へ踏み込まずに距離を取ることで、言葉上を流れ去るだけとなった〈ネタ俳句〉の辿る道だと言えるでしょう。
『冬の旅、夏の夢』には海外の固有名という「ネタ」にさえ依存していれば、俳句として未熟でも許されるという高山の甘えが散見されます。
いくつか例を挙げてみましょう。
地中海性気候六月晴れ続く
海外の気候を体験しているはずなのに、それを「地中海性気候」という知識的な用語でしか表現できないところに芸がないと感じます。
日本は梅雨なのにこちらでは晴れが続く程度の感慨ではアイロニーとしても面白くありません。
朝焼に巨大ロボットめくモスク
感性の個人差なのでしょうが、どうにも僕にはモスクが巨大ロボットに見える気がしないんですよね。
サブカルに傾くなら、喩えがザックリしすぎていては薄味になるだけです。
セリミエ・モスクの映像を見たかぎりでは、僕には『伝説巨神イデオン』の宇宙船ソロシップのエンジンを直立させた姿に似ていると思いました。
「朝焼にソロシップ(但しエンジン直立時)めくモスク」にしてください。
朝凪に千の釣竿ガラタ橋
イスタンブールの金角湾に架かるガラタ橋を検索してみたところ、長さ490メートルもある大きな橋でした。
ネット情報によれば、ガラタ橋では本当に多くの人が釣りをしているようなのです。
しかしこの句に関しても作者がそこに行ったことによる視点や感慨は得られません。
このような描き方なら、実際に現場に行って作らなくても、知識をもとに書いたってできそうなものですし、
むしろ「ガラタ橋」という固有名を使わない方がいい句になったのではないでしょうか。
「ガラタ橋」という固有名と知識に頼って、単なる情報を伝えて終わった句になっています。
何度も言いますが、これでは読者に興が呼び起こされることはありません。
また「朝凪に」という季語が全く効いていません。
これが単なる報告調の「説明俳句」になってしまう原因になっています。
単にヘタクソと言っていいレベルで、これでよく朝日新聞は選者が務まると判断したものだと思います。
居並ぶラマ二の腕見せて夏衣
ラマの居並ぶ光景に感動があるのかと思えば、二の腕が気になるようです。
しかし二の腕の露出を描いておいて、わざわざ「夏衣」と表現されても、発想が普通すぎてこちらは何に感慨を抱けばいいのかわからなくなります。
詳しくは知らないのですが、ラマが袖無し法衣を一年中着ているとして、そんな袖無しの法衣にも「夏衣」があるとアイロニカルに言っているのだとしても、
そのアイロニーの面白さが読者に伝わるかといえば難しいでしょうし、そのアイロニー自体も特に面白くはありません。
市いちに溢る中国雑貨かつ残暑
この「かつ」は何なのでしょうか。
「残暑かな」や「残暑なる」という俳句的な形を避けて、あえてズラしているのでしょうが、
「残暑」を添え物にすることで、季語の役割を矮小化しただけでなく、
散文脈を持ち込んだために、残暑が妙に主観化してしまっています。
「中国雑貨ばかりかよ〜。おまけに残暑キッツいな〜」というような作者の心の声を聞かされるだけの句で、ちっともその場にいない読者には届きません。
俳句の典型をズラすのは簡単ですが、自己満足でしかないのなら普通の句を作った方が何倍もマシですし、
こういう人がどうして他人の俳句を選考する側になれるのかが全く理解できません。
寒月と噴水と灯と若きこゑ
噴水が有名なイタリアのナヴォナ広場の句であることが前書に示されています。
寒月と噴水は妙に寒々しいのですが、灯と若い声は生命感があります。
これらが関係性も示されずにただ並列で並べられているので、どう読めばいいのか困惑します。
灯と声のみという組み合わせでシルエット的な効果を狙ったのかわかりませんが、
俳句では明確な像を結ばないので、投げっぱなしという印象にしかなりません。
もう少し読者に対して責任のある句を作ってほしいところです。
なんと深い落葉テヴェレに沿ふ道の
「なんと深い」という自分の実感的体験を詠んでいるのに、
踏んでいる作者自身がどこかに消えてしまって、「沿ふ道の」と続けてただ視覚的な情報に落としてしまいます。
「道の」なんて書かなくてもわかることなのですから、とにかく読者から身を隠したいのだということが伝わってきます。
高山が優位性のある安全な場所を好み、読者と対等に向き合うことを避けることが確認できる不自然な句だと思います。
これらの句は実際にそこに行って風景を見た高山の実感のはずなのに、奇妙にも高山自身がどこにもいないような句になっています。
そのため読者はただそれを忍従して読むだけで、句を読んで一緒に追体験するかのような愉快な思いを喚起されることがありません。
あくまで他人のインスタグラムの写真を「見せられている」感じにしかならないのです。
僕が高山の句を「つまらない」の一言で終わらせていいと述べたのはこのためです。
こういうものが楽しめるとしたら、高山本人をよく知っているご友人くらいではないでしょうか。
俳句を読者とともに体験する
俳句とはジャーナリズムのように伝える情報が主役というものではありません。
文学であるからには、読者を巻き込んで一緒に楽しむ(哀しむ・怒る・喜ぶ)ものでなくてはなりません。
作者は句において何らかの感興を示して、真剣な読者であればそれを受け取れるようにするべきでしょう。
自分を隠すのに一生懸命な俳句など、読むだけ時間の無駄というものです。
読者の前に自身を差し出す覚悟がない人が、詩人や芸術家などと呼ばれたことがあったか、高山も関も少しは考えてみたらどうなのでしょう。
高山が「自分を隠す」ことにこだわっているのは、作中主体が曖昧化するメタ視点の導入にだけ見られるわけではありません。
句の中の題材が絞られることなく、色々と目移りするために、焦点がぼやけてしまい、何に感興があるのか伝わらないことも目立ちます。
その究極的な現れがむやみに言葉を羅列する俳句です。
物思ふ、にれかむ、笑ふ、駆け出す鹿
名誉・友情・陰謀・暗殺・初映画
一句目は奈良、二句目は初映画という状況下で詠まれたことが前書からわかります。
前書などで読者に「文脈」を提示しているからと、言葉を説明的に羅列するだけで俳句になると考えるのは真剣に問題だと思います。
こういう羅列は作者の表現したいものの焦点をぼやかす「自分隠し」のひとつの手段なのでしょうが、
そんなに焦点化を避けたいなら短詩などやらなければいいのではないでしょうか。
高山は最初の句集『ウルトラ』ではもっと俳句形式に収まるマシな句を作っていたように思います。
しかし、だんだんとこういうオタク的な外部文脈に依存する「手抜き俳句」が目立つようになったのは、
関悦史との親交が影響しているのではないかと疑います。
どちらがどちらに影響を与えたかはどうでもいいのですが、高山と関の句に「負の共鳴」が見られることは確実に指摘できるところです。
僕は俳人ではないので、俳句はこうでなければいけない、という理念はわかりません。
ただ、これをやっては俳句の意味がない、という合理的な判断はできます。
外部の文脈に明らかに依存して連作形式で俳句を作ることは、別の形式により近いものと考えるべきものだからです。
外部情報に触発されて俳句を作るなら問題はないのですが、
外部情報が存在しないと楽しめない俳句というのは、ハッキリと質が低い「余興」であると認識すべきです。
明確な文脈がないから一句独立の俳句なのであって、
文脈を続けていくのが望みならば散文(エッセイ)を書いた方が合理的です。
要するに、こういう人たちは俳句に向いていないか、本当は俳句以外のことがやりたいかのどちらか(もしくは両方)なのです。
俳句に向いてもいないのに俳句形式を己のステージだと決めて執着し、
俳句の解釈を広げるかのような詐欺的身振りで、俳句の本質を捨て去る「出来損ない」を作るだけのことです。
こういう人たちが、ネットならまだしも、俳句総合誌や新聞俳壇などで地位を得ているわけですから、
俳句界もしくは俳句関係のマスコミが騙されていると僕には見えています。
彼らは現代詩の感覚を持ち込んだ一部の前衛俳人の作品が好きなだけで、俳句自体がそれほど好きとも思えないのに、
どうして前衛の世界にとどまらず、俳壇という「政治」の世界で出世をめざしているのでしょうか。
僕が思いつくことは、仲間がほしいからではないか、ということです。
本気で前衛をめざして自分の詩型へと踏み出してしまうと、実力が問われますし、「俳人」の仲間に入れなくなります。
それを恐れるがゆえに、自分が「俳人」であることに恐ろしく執着しながら、いかに俳句からズレるかに心血をそそぐことになるのです。
その結果、そういうヘタレな欲望を持つ俳人同士が寄り集まって、俳句でないものを俳句と認知させる「政治活動」に一生懸命になるのです。
要するに、彼らは前衛をめざしているのではなく、前衛俳句に影響を受けた「オタク」でしかないのです。
消費社会を超える価値観を持たず、狭い世界で「通」ぶりたいのがオタクという存在です。
真の実力を持たないオタクが自分を隠す欲望を持った種族であることは、今さら指摘するまでもないことです。
たしかに僕は高山や関のような「オタク」メンタリティを問題視しているのですが、
それ以上に僕が問題だと思っているのは、この程度のことも指摘することができない俳句界の体質です。
「俳人」という社会的存在は、つまらないものをつまらないと言うこともできない「忖度」の中で生きています。
高山が「俳句など誰も読んではいない」と言ったのは、それなりには当たっていて、
つまるところ「俳句には純粋読者がいない」ということだと思います。
なにしろ、僕が俳句をやらないと何度も言っているのに、本気で信じない人が少なからずいたのですから。
この「俳句を読むのは俳人だけだ」という強固な前提によって、俳人同士には妙な連帯感(ムラビト感)が生まれます。
そのため他人の俳句への否定的評価をすると、連帯を足蹴にする人という人格への否定的評価で応じられてしまいます。
そうなると、批判も連帯して行わないかぎり孤立してしまうので、俳人は味方を作って党派的に批判を行うようになります。
こうなると作品批評ではなくもはや俳壇党派の「政治」となるだけです。
「趣味」に生きるオタクに詩は書けない
高山は本句集の「後記」でこのように書いています。
二十代の頃は、俳句作品は言葉のみで自立してゐるべきだと考へ、生活や人生を作品の中に持ち込まない主義だつた。その時期の旅吟がないのも同じ理由による。さうした原則もいつしかなし崩しになり、二〇〇五年春に発表した「フィレンツェにて」三十句(『俳諧曾我』に収録)で初めて旅吟に挑戦した。
高山本人は本気でこう書いているのかもしれませんが、これまで確認してきたように、
高山の「主義」というものが「生活や人生を作品の中に持ち込まない」のではなく、
作者自身を「作品の中に持ち込まない」ことに重点があるのは明らかです。
その意味では彼は「主義」を全うしていると僕は思います。
(しかし「言葉のみで自立してゐる」ことを目標にするなら、なぜ自立できる別のジャンルを選ばないのか僕には理解できません。
「自立」とか言いながら外部文脈を頼る句ばかりであることを本人はどう考えているのか聞いてみたいところです)
要するに「生活や人生」を詠む俳句に対して反発があったのだと思うのですが、
そのような「主義」はあっても構わないにしても、その結果できあがった句が所詮「趣味」を前面に出しただけのオタク俳句に終わっているのは問題です。
こういうやり方は、ネット上で「趣味」的な自己像を「加工」して見せたがる人々と、
僕には欲望のレベルではそれほど変わりがないように思います。
現実の自分を隠しつつ、コスプレなどのファッションで「加工」をして、自分の望む自己像を「演出」する、
そんな「オタク」的な現実逃避のあり方が、高山の俳句の根幹にあると感じます。
そのような本質論を避けて、気になった句を取り上げて印象を語るだけの俳人が多いから、このレベルの句でいいように思われてしまうのです。
端的に言って、表層の欲望にとどまり続けるオタクに詩は書けません。
本句集には「Family Vacation」という連作があるのですが、
これなどは高山が家族旅行を題材にしているため、レジャーとはいえ彼の「生活や人生」が垣間見えても良さそうなものですが、
そういうものを避けたいという事情を優先しているのか、相変わらず読者にとっては退屈なだけの句が続いています。
こだわりがあると悪いので、「二〇一四年八月十日、台風十一号、四国に接近。新幹線は動いてたけど。」という前書があると書いておきます。
家族旅行台風の眼へひた向ふ
油売る油のやうな聖家族
家族旅行という題材であることを宣言したわりに、家族が描かれている句はこの2つしかなく、
どちらも「家族」という単語によって家族の存在が示されているだけで、家族の輪郭ひとつ浮かんできません。
家族旅行を描いているはずなのに、特に「家族」と言わなくても構わないような句だと感じてしまいます。
これまで確認してきたように、高山の認識の方法論は視覚に偏重しています。
対象との間にアイロニカルな距離を保ちたがっているために、
すべての感覚が視覚へと一元化され、身体性の失われたリアリティのない言葉が宙に浮いているように感じます。
オタク的感性が創作に活きるジャンルは、マンガやアニメやラノベなどの視覚重視のメディアであるのは明らかです。
(イラストのないラノベなんて考えられません)
オタク的な「ネタ」で創作をしたいなら、そちらに行けばいいのです。
それなのに適性の低いジャンルである俳句にそのような感性を持ち込んで、大して成功してもいない句を作っているわけです。
彼らがBLなどの設定や前書などの外部文脈を必要とするのは、ラノベがイラストを必要とするのと同じ原理です。
このように使い古されたオタク的感性でも、俳句と偽装して創作をすれば、さも高踏的に文学や芸術をやっているかのような顔ができるのです。
オタクでしかない彼らが同人誌で「俳句原理主義」を名乗っていたことを思い起こしてみると、その詐欺的手口がいかに悪質であるか理解できるでしょう。
僕には俳句界が年配者を狙った詐欺グループのカモになっているようにしか見えないのですが、
騙されている当の年配俳人や出版人たちにオタク文化のリテラシーがないのだから自業自得と言うしかありません。
オタクが作る追体験なき〈ネタ俳句〉
もう言いたいことは大体言ったのですが、個人的に高山の句には取り上げたいものがまだまだあります。
「オタク」メンタリティによる〈ネタ俳句〉というものが、悪しき例の一つとして認知される必要があるからです。
どうせ〈ネタ俳句〉をきちんと批判できるだけのリテラシーを持つ俳人はいないのですから、僕がとことん書きたいと思います。
この連作では「自分隠し」に執心している高山が珍しく「俺」と句中に書いています。
前書には「新神戸着。車を借りる。明石大橋は通行止めだけど。」とあります。
俺のトヨタに野分神戸が哭きいさつ
さすがに「俺」とストレートには言わず、「俺のトヨタ」としています。
「俺に野分」と言うと自己中心感が出すぎてしまうので、「俺のトヨタ」にズラしていく「いつもの手」なのですが、
そもそも「俺のトヨタ」が引っかかります。
わざわざ前書でレンタカーであることを示しておいて、「俺のトヨタ」とか言うわけです。
こういうアイロニーがうざったいんですよね。
前書がなければ自分の愛車であると受け取られるわけですが、それがどうも高山には避けなければならない重要なことであるようなのです。
このようなこだわりがいかに高山本人にとってしか意味のないものであるか、考えてみればわかることです。
読者にとってはそれが高山の愛車である方が「俺のトヨタ」(まあ、愛車のことを自動車会社で呼ぶかという問題はあるにしても)という表現に必然性を感じるのですが、
レンタカーでしかないものを「俺のトヨタ」と言うことに特に面白さは感じられない(むしろイタさしか感じない)からです。
また、「哭きいさつ」という古語で何かをイメージしてほしい(スサノオ?)のかもしれませんが、
この語だけで読者が作者の意図を汲み取ることは難しいと思うので、相変わらずの自己満足的な表現だと感じます。
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