聖き枯木

Merry Christmas and all the best in the New Year !!

 陽光の十字に聖き枯木かな  五島高資

 A holy tree without leaves —

 with the cross of sunlight  Takatoshi Goto


https://www.amorc.jp/blog/202011131532_2802.html?tc=melma201113&utm_source=haihaimail&utm_medium=email&utm_campaign=emailmagazine&utm_content=mailid-837  【スピリチュアリティと深層意識】

私が神秘学(mysticism:神秘哲学)の仕事に携わり、日本語に翻訳した教材を提供する仕事を始めて16年ほどになります。そして最近、この語が神秘学にとって極めて重要なキーワードではないかと感じています。

「スピリチュアリティ」(spirituality)は名詞、「スピリチュアル」(spiritual)は形容詞ですが、いったい何を意味しているのでしょう。

複雑な問題であり、これから私がご紹介することは、情報の羅列のようになってしまうかもしれませんが、お付き合いくだされば嬉しく思います。

最近、ある人が私にこう話してくれました。深い杉林の中にある観光地化されていない神社を以前に訪れたことがあるのだそうです。

横には滝が流れ、涼しげで、そこにいると心が静まり、凜(りん)とした背筋を正されるようなすがすがしい心地になって、これが「スピリチュアル」という言葉にとてもふさわしいのではと思ったのだそうです。

この話を聞いたとき、とても良い実例だと感じました。しかし、これからご説明するように、パワースポット巡りが「スピリチュアリティ」という言葉の真意であるとは思っていません。

1988年に「スピリチュアル」ということが学術的に大々的に議論されました。

この年にWHO(世界保健機構)で、次のように健康の定義を修正することが提案されたからです。

「健康とは、単に病気でないとか虚弱でないということではなく、身体的にも、精神的にも、スピリチュアルにも、社会的にも、すべてが良好な動的な状態であることを意味する。」

(Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. )

「スピリチュアルにも」と「動的な」が以前の定義に追加された修正部分です。

つまり、人間の健康は身体的、精神的、社会的という3つの側面から考えるべきであるとされていたのが、そこにスピリチュアルという第4の側面が加えられ、動的なものだとすることが提案されたということです。

このうち「精神的」と「スピリチュアル」は、いずれも個人の心に関することなので、その区別は何だろうという疑問が生じてくるのではないでしょうか。

後ほど詳しくご紹介しますが、意識の表層に主に関連しているのが「精神的」な側面であり、意識の深層に関連しているのが「スピリチュアル」と形容される側面だと考えることができます。

さて、ターミナルケア(終末医療)などの分野で、その望ましいあり方を検討するためにクオリティ・オブ・ライフ(QOL:Quality of Life:生活の質)という尺度が用いられることがあります。

先ほどの健康についての提案は、さらに検討を重ねる必要がある等の理由で実際には採択されなかったのですが、1994年から1998年にWHOはこの提案の考え方に基づいてクオリティ・オブ・ライフを調査するための100の質問(WHOQOL-100)を作成しています。

この質問は、身体的健康、心理学的健康、独立のレベル、社会的関係、環境、スピリチュアリティ(および宗教と個人的信念)という6つの領域に分かれていて、スピリチュアリティの領域には次の4つの質問が含まれています。

1.あなたの個人的信念は、あなたの人生に意味を与えてくれますか。

2.あなたの人生は、どれぐらい有意義ですか。

3.あなたの個人的信念は、苦難に向き合う力をあなたにどれぐらい与えてくれますか。

4.あなたの個人的信念は、人生における苦難を理解するためにどの程度役に立ちますか。

つまり、人生を有意義だと感じさせてくれるもの、人生に意味を与えてくれたり苦難に向き合う力を与えてくれたり、人生における苦難の性質を理解させてくれる個人的信念が「スピリチュアル」と形容されています。

主にヨーロッパで「宗教的ではないけれどもスピリチュアル」(SBNR:spiritual but not religious)という言葉がよく用いられています。

英語版ウィキペディアによれば、宗教だけが内面的な成長をうながすという既存の考え方に対する異議から生じたフレーズで、「身体-精神-スピリット(spirit)」が望ましい状態にあることを重視するけれども宗教組織に属さない個人の内面生活のことが「スピリチュアル」と形容されています。

この場合のスピリットは、日本語の「魂」にあたるようです。

宗教でないスピリチュアリティ、内面的な成長という事柄からは、古い映画ですが、トム・クルーズが主人公のネイサン・オールグレン大尉を演じていた「ラストサムライ」が思い出されます。

南北戦争の当時、先住民の虐殺に加わった辛い体験から、オールグレンは既存宗教に絶望しています。

明治維新の初期に、生き残りの武士たちが農民とともに住む山あいの美しい村でオールグレンは暮らすことになり、そこで村人の生き方を目撃します。

彼らは自然と調和した規則正しい生活を送り、自分に厳しく、静かな笑顔を絶やさず常に控えめであり、礼儀正しさを崩すことがありません。

畑を耕す者も刀を鍛える者も、朝目覚めたときから一心に自分の務めにはげみ、それらの務めも武士たちの木刀での稽古も、内面的な成長のための修練と一体になっています。

オールグレンはこう語ります。

「1877年春。17歳の時に農場を出て以来、こんなに長くひとところに留まったことはない。この村には私に理解できない多くのことがある。私は教会に通うような人間であったことは一度もない。そして戦場で見たことによって、神の意志などというものを疑うようになった」

「だがここではスピリチュアルなものを感じる。このことが、はっきりと理解できる日は永遠にこないだろうが、しかしその力を感じる。はっきりと分かっていることがある。この地でこそ数年ぶりに初めて、私はぐっすりと眠れた」

参考記事:「スピリチュアルとは、スピリチュアリティとは」

ここで、このブログのタイトルでもある、深層意識とスピリチュアルとの関係について考えてみます。

まず、バラ十字会では人間の意識を次のような4層構造としてとらえています。

1.知覚(五感による認識)

2.主観(思考、判断、記憶、意志)

3.下意識(sub-consciousness:潜在意識)

4.宇宙意識(Cosmic Consciousness)

(当会で学習されている方のための補足:知覚と主観は、バラ十字哲学ではそれぞれ客観的意識の客観的側面、客観的意識の主観的側面と呼ばれていますが、この文章では分かりやすくするために上記の用語を使っています。)

この4つの意識の具体的な役割は次のように考えられます。

私たちは知覚によって外界や、他の人の姿、声、表情を把握します。

そして主観によって、過去の記憶と現在の知覚を材料に思考、判断、意志決定を行います。

一方で下意識は、身体の生理活動をコントロールすることと、宇宙意識と主観をつなぐことを主に行っています。

バラ十字哲学によれば、宇宙意識は、あらゆる生きものの意識がひとつになった意識です。また宇宙意識は、真実、善良さ、芸術的美の源泉にもあたるとされています。

実際には、逆の視点から見た方が分かりやすいかもしれません。宇宙意識にある性質を私たち人間は真・善・美と感じています。それは宇宙意識が人間にとって(すべての意識あるものにとって)、自己の本質であり真の故郷であるからです。

宇宙意識には、あらゆる記憶と知識が蓄えられており、私たちは直観という形で下意識を経由してその一部を知ることができます。

宇宙意識などというものが、本当にあるのだろうかと疑問を抱く人もいるようです。しかし、次の表のように、人間の心の奥にこのような集合的な意識が存在するということが、唯識という仏教の伝統宗派や、現代の心理学派のいくつかによって唱えられています。

人間の意識の階層

人間の意識の階層

また、あらゆる時代のあらゆる文化の神秘家が、「神秘体験」と呼ばれる、宇宙意識と通じたときの自分の体験を書き残しています。

話は少し変りますが、この表によって、瞑想とは何かを理解することができます。先ほどご説明したように、宇宙意識と人間の主観は下意識を経由してつながっています。瞑想とは、主観の働きを一時的に抑えて、宇宙意識からの情報を受け取りやすくするテクニックです。

瞑想の練習を続けていると、自分の心が広大であり、その中にはさまざまな部分があることがだんだんと実感されてきます。

下意識の中には、いずれは変容させるべきであるあまり望ましくない部分もあります。一方、宇宙意識は完璧ですが、瞑想で受け取った情報が、下意識から来たのか宇宙意識から来たのかを判断できない場合もあります。

そのようなときに役に立つと私が考えているのが、今日最初のほうでご紹介した、ひなびた神社にいるときに感じられるような、心が静まったような感覚、凜とした背筋が正されるようなすがすがしい心地です。

言い方を変えれば、私たちの心には外界の影響を受けやすい性質があり、整えられた環境にいると、心の深層にある宇宙意識と同調し、そこから情報を引き出しやすくなるようです。

ですから瞑想のときには、あらかじめ、すがすがしいような貴い状況を視覚像として思い浮かべることが役に立ちます。このことはバラ十字会の瞑想の基本テクニックのひとつになっています。

先ほどのQOLに話を戻しましょう。QOLとの関連で言えば、瞑想を日常的に実践している人の多くが、人生の意義深さの実感、苦難に向き合う強さと理解、心の平安を、瞑想から引き出しているようです。

今回、私がお伝えしたかったことは以上です。まとまりのない文章になってしまいましたが、皆さんが有用なヒントをひとつでも得てくださったなら、心から嬉しく思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

コズミックホリステック医療・教育企画