魂の故郷である自己の本質

Facebook・清水 友邦さん投稿記事 「宇宙は振動している」

音楽は脳の視床下部に作用して、治癒力を活性化させることが知られています。

脳の視床下部にはホルモンの調整、自律神経の中枢があり、食欲や性欲、睡眠とも関係しています。

音楽は脳内麻薬物質ホルモンのバランスに影響を与えるので自分が好きな音楽をきいた人のストレスホルモン(副腎皮質ホルモン)の分泌は25パーセントも低下します。

音楽は免疫系を強化させる作用があるのです。

一番最初に胎内で出来る感覚器官は受精後五週間で発達する聴覚です。

幼子は母親の胎内で音と暮らしながら、脳を発達させています。

もっとも根源的な感覚が聴覚なのです。

アルツハイマーのお年寄りに音楽を聞かせると、忘れていた記憶の断片を突然思い出します。

音楽療法では音楽が薬の処方箋のように使われています。

音楽には、メロディー、ハーモニー、リズムの三要素があります。

メロディーは思考センター、ハーモニーは感情センター、リズムは動作センターに影響します。

音の高さは1秒間の振動数で決まり、ドの音は1秒間に約260回振動をしています。

この倍の520回振動すると1オクターブ上のドの音になります。

この倍の音の振動数を倍音といいます。

チベット密教ニンマ派に多人数で低音の母音を連続的に発声する修行があります。

高純度の倍音を浴びることによって、肉体と精神を浄化させるのです。

ユダヤ教の神秘主義思想であるカバラの奥義とされる「ゾハールの書」には次のように記されています。

「宇宙にはあらゆる局面でうたわれた歌が燃えさかっている。天界の歌はむろんのこと、・・・至高の存在の前では恒星、惑星、樹木、動物などすべてがそれぞれの旋律をかなでている。」

「そのはてしない和音は創造のもっとも粗雑な残響でさえ、ふつうの人には聞き分けられないが、礼拝と瞑想と善行によって宇宙の歌を聞くことが出来る。」

原子は一秒間に一千兆回振動しています。

全宇宙は振動しているのです。

脳波のピッチを変えて情報を含んでいる宇宙の干渉パターンと自由に共鳴させることができればあらゆる宇宙についての知識を手に入れる事が出来るでしょう。

ギリシャ神話で竪琴はヘルメスからアポロンへ、そして古代ギリシアの密儀宗教の創始者オルペウスはアポロンから竪琴をさずかりました。

オルペウスの教えはピュタゴラス・プラトンに受け継がれました。

ピュタゴラス派の人々は宇宙を巨大な竪琴のようなものと考えていました。

古代ギリシャで死と再生の秘儀(イニシエーション)に音楽が使われていたことをプラトンは伝えています。

特定の振動音はチャクラに共鳴して意識に影響を与えます。

ブナの森を吹き抜ける自然界の風の音も 宇宙空間を飛び交う宇宙の素粒子や プラズマの音も  瞑想にはいると宇宙のリズムと同調して調和された振動帯域に入ります。

宇宙は音を奏でています。

調和された音に全身を共鳴させていくと左脳の言語中枢の活動が減少して、頭のおしゃべりは減少します。

適切な音楽が使われることによって「私は愛されてはいない。」「わたしは生きる価値がない人間だ。」と思い込む以前の心のいちばん深い部分に共鳴が起きます。

清水友邦のワークは四十年に渡って集めた音源のライブラリーを使います。

ワーク中に呼吸が深くなり、抑圧していた心理的な痛みを伴ったエネルギーの解放が起きた時に、涙を流しながら突然歌いだした人がいました。

「いのちのうた(ライフソング)」が歌われたのです。

「たましいのうた」といってもいいかもしれません。

それまでに歌ったことがない心の奥底に秘めていたうたです。

忘れていた魂の故郷を思い出し、あまりの懐かしさに涙がながれたのでしょう。

深い心の奥で「いのちのうた」「たましいのうた」はいつも歌われています。

辛い記憶でできた自我の殻を通り抜け、真実の魂の故郷にたどり着くことができれば

誰でも「いのちのうた」を歌うことができます。

私たちは光の故郷から来て再び光の故郷へ帰ります。

ハートを閉じてしまった為に光の故郷を忘れてしまったのです。

「いのちのうた」が歌われるとハートのチャクラが開いて愛と光に満たされた感覚に包まれます。

自由なエネルギーの流れを感じ、周りの人々と自分とのつながりが全宇宙にまで広がり圧倒的な感謝の気持ちに包まれます。

音楽は魂の故郷である自己の本質に導くのです。


https://ameblo.jp/cocomado-dk/entry-11837294261.html  【故郷】より

魂の世界こそ永遠の故郷であり本質の世界 それをなんとなくだが漠然と認識できるという人間ならば少なからず存在する

が、なんとなくや 漠然などという曖昧な感覚ではなく それこそが正真正銘の真実だと現実感をもって捉える者はごくごく稀である

さらにその感覚を日常において微動だにぶらすことなく人間の本質を見 自己の本質を見

事象、事柄の本質を見て思考を巡らす者など皆無に等しい

人の意識がその域にまで 次元上昇したとき現世の不思議が謎解ける

罪とはなんであり なぜに悪が蔓延り なぜに人は苦を背負い なぜに人は生きるのか?

という常しえの疑問の扉が開き 現世という幻が創り出す すべての囚われから 次第に解放されていく

老いや死も恐れとならず 諸人が恐れるものなど 恐れでなくなる

そんなものが恐れなどではなく省みるべき過去から目を背けたまま・・・

気付くべき事柄の中身に気付けぬままに幕を閉じることこそが何にも勝る恐怖へと差し替わる

そしてこの世を埋め尽くしている偽りや不条理を紐解きながら余生を歩み やがて光の故郷へと永遠の里帰りを果たすのである