『下野国史跡めぐり/総社 大神神社』

https://kazusankm2.exblog.jp/26480651/【『下野国史跡めぐり/総社 大神神社』】より

下野国庁跡から農道を北上、途中で、田んぼの見回りの人と歓談し、県道2号線を東進し、下野惣社である大神神社へ。

大神神社。

鳥居をくぐり、しばらく進み、左折。すると、杉の木立の中に伸びる参道が現れた。

早速、先ほど、田んぼの見回りの人が言っていた『松尾芭蕉』が目に入った。

句碑を眺め、案内板に目を通す。

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芭蕉と室の八嶋

松尾芭蕉は元禄2年(1689年)「奥の細道」への旅に出発した。途中、間々田、小山を経て、飯塚から左に折れて、川を渡り、室の八嶋に立ち寄っている。

そのとき詠んだというのが「糸遊にむすびつきたるけぶりかな」の句である。

むかし、このあたりからは不思議なけむりが立ちのぼっていたといわれ、「室の八嶋にたつけぶり」は京の歌人たちにしばしば歌われている。

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「飯塚から左に折れて、川を渡り」とある。

昼餉の蕎麦屋から下野国分寺跡に向かうとき、県道18号線の途中で「飯塚一里塚」を見た。芭蕉もあの道を通り、思川を渡り、大神神社に立ち寄っていたのだ。

室の八嶋は、古来の和歌などに歌枕として見られる地名で、大神神社境内の池の中にある「八つの島」のことである。

奈良時代の昔から、歌枕として都にまでその名を知られ、『万葉集』や『古今和歌集』をはじめとする多くの和歌集などに登場する。

句の「糸遊(いとゆう)」とは「陽炎」のことで、室の八島の煙が、春の陽炎に絡みつくように立ちのぼっている...という句である。

芭蕉は『奥の細道』に、室の八嶋の由緒などを曾良の言として記しているが、俳句は載せていない。しかし、後年、曾良が著した『俳諧書留』に、芭蕉の句として「糸遊に結びつきたるけふりかな」が記されており、この句が句碑として境内に建立されているのである。

『奥の細道』、室の八嶋、本文。

境内の池の中にある「室の八嶋」は後ほどめぐることにして拝殿へと向かう。

説明板の多い神社だ。ひとつずつ読み下していく。

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下野惣社(室の八嶋)

大神神社(おおみわじんじゃ)は、今から千八百年前、大和の大三輪神社の分霊を奉祀し、創立したと伝えられ、祭神は大物主命です。

惣社は、平安時代、国府の長官が下野国中の神々をお参りするために大神神社の地に神々を勧請し、祀ったものです。

また、この地は、けぶりたつ「室の八嶋」と呼ばれ、平安時代以来、東国の歌枕として都まで聞こえた名所でした。

幾多の歌人によって多くの歌が残されています。

煙たつ 室のやしまに あらぬ身は こがれしことぞ くやしかりける 大江匡房

いかでかは おもひありとも しらすべき むろのやしまの けぶりならでは 藤原実方

くるる夜は 衛士のたく火を それと見よ むろのやしまも 宮こならねば 藤原定家

ながぶれば さびしくもあるか 煙たつ 室の八島の 雪の下もえ 源実朝

東路の 室の八島の 秋のいろ それともわからぬ 夕けぶりかな 連歌師 宗長

糸遊に むすびつきたる けぶりかな 松尾芭蕉

栃木県教育委員会

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二輪車に 結びつきたる 煙かな 霹靂火                 

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下野惣社(史跡)

惣社明神、室の八嶋明神ともいう。

下野惣社として知られたもので、祭政一致の時代、毎朝国司がおまいりした神であり、それは下野国中に分布する神々にお参りする代わりにこの神社に奉幣する、いわゆる惣社の神であった。

おおみわの神は大和の三輪神で、山そのものが御神体として知られている。

国司がその神をお迎えし、惣社に相殿として祀ったものがいつの間にか神の名を以て、おおみわ神社と唱えられることになったものです。

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大神神社は、日本最古の神社である奈良県の大三輪神社の分霊を祭るため、建立されたと伝えられている。

境内は、下野の名勝地「室の八嶋」があり、元禄2年(1689年)、松尾芭蕉はこの地を訪れ、「糸遊に結びつけたるけぶりかな」の句を残している。

毎年11月25日の夜には、安産を祈願する「御鉾祭」が行われる。

環境庁・栃木県

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室の八嶋。

池の中にある八つの島をめぐる。

「島」といっても、極々、小さな島である。

杉木立の中の参道を走り、総社をあとにする。

県道2号線をひたすら西へ走り、JR栃木駅に到着。

時間があれば、久しぶりに、蔵の街や巴波川をゆるりと観光との思いもあったが、既に午後6時を過ぎており、栃木市内観光はまた次の機会に。

車内反省会をしながら、帰途に就く。

下野薬師寺跡、下野薬師寺歴史館、、龍興寺、しもつけ風土記の丘資料館、下野国分尼寺、古墳群、下野国分僧寺、下野国庁跡資料館、下野国庁跡、下野惣社 大神神社と盛りだくさんな下野国史跡めぐりであった。

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