http://gomanohagusa.blog10.fc2.com/blog-entry-133.html 【スズメウリ】より
スズメウリは名の通り、原野や水辺に生えるウリ科に分類される細長いつる草です。前回紹介した同じウリ科のゴキヅルが水辺のみに生えて猛烈に蔓延るのに対し、スズメウリはもう少し乾いたところにも生え、アシや木の枝に巻き付いて成長し、群生することはあまりないようです。全体になよなよと頼りない印象ですが、つる自体は丈夫で千切れにくいものです。
ところで植物図鑑に「原野」という言葉がよくでてきますが、どのような所をイメージされますか?一時『「原野」商法』というのが話題になりましたが、一般的には人手の入らない草地や藪などはすべて「原野」ということになりそうです。しかし植物図鑑で「原野」とされるのは、「氾濫原野」のことを指示しています。
では「氾濫原野」とはどんなところでしょうか?
通常私たちが暮す町を流れる川は、堤防によって囲まれています。これは大雨の時に溢れて洪水にならないようにですね。でももしも洪水になったらどうなるでしょうか?家も木も畑もみんな流されてしまいます。それだけでなく上流から流された土砂で泥まみれに埋まってしまいます。かつて、堤防のなかった時代は大雨のたびに洪水になるのが普通でした。その大雨のたびに流されて泥を被るようなところを「氾濫原野」というのです。そんなところでは、肥沃な土壌が洪水のたびに積み重ねられるのですが、泥流のため森林は形成されず、また流されてくる生物や水や餌をを求めてくる生き物たちの坩堝となり、バラエティー豊かな動植物相が発展しました。人類の穀物農業だって氾濫原野を耕作することで始まったものですから、人類も原野で発展した生き物の一つに数えてもいいかもしれません。
現代の日本では川は上流のダムでせき止められ、堤防で囲まれ、人間の暮す土地はほとんどがアスファルトやコンクリートで舗装されて「原野」はほとんどが消滅させられました。
その結果原野の生き物たちの多くは、今や干上がる池に残された水溜りにもがく魚のように追い詰められています。そしてその水が完全に干上がるときには多くの生き物の命が失われるのみならず、新たな生物を生み出す命の揺りかごをも同時に失われることにもなります。現にRDBのリストの多くは原野を生活の中心とする生き物たちで占められています。
話が大分横道に逸れました・・・。
スズメウリ
葉は薄く大きさは3cmほどで三角形にギザギザ、茎と葉には毛があって触るとごわごわします。9月頃に雌雄別々にまばらに咲く花は小さくて緑白色の花弁は5裂します。はもようさんの紹介されたスズメウリの記事で詳しい解説と共に花の画像が紹介されていますのでご参照ください。我が家で栽培していたものにも咲いていたのですが、画像を撮りそこねました。
雌花は花後一月ほどで1cmほどの球形になり最初は薄緑色、やがて白くなり後に灰色がかってきます。これは白い表皮の中の果肉が熟すと透明になり、中の黒い種子が透けて見えるからです。完熟した果実は触ると容易に崩れますが、ぶら下がったまましわくちゃになったものも多く見られます。これを食べる鳥がきっといるのでしょうが、あまり好まれる味ではないのかもしれません?
スズメウリの名はこの愛らしい果実をスズメの卵にたとえたそうです。未熟な果実を漬物にするというのですが、こんな可愛らしいものを熟す前に採って喰うな!!と言いたいところです。
ところでうちのツレアイはどういうことか、スズメのことを「おまっちゃん」と呼ぶのです。ずーっと訳がわからないと思っていたので聞いて見ると、私が焼き鳥屋でスズメの串焼きを食べるのが残酷に思えるので、「おまっちゃん」という名前に変えたら愛着が湧いて食べなくなると思ったらしいです・・・。それにしてもなんで「おまっちゃん」??
同じ理屈でスズメウリも「おまっちゃん」に変えたら漬物は「おまっちゃん漬け」逆に人気が出そうですね。「おまっちゃん焼き」を頼んでスズメの串焼きが出てきたらちょっとへこみそうですが・・・。
私はこの小さな実が大好きで、5年前から種子から鉢植えで育てているのですが、毎年つるが伸びるばかりで、肝心の実がちっとも成ってくれません。花が咲いても実に成らずに落ちてしまうのです。人工授粉してみたり、腰水にしてみたりするのですがどうもうまくいきません。一年草ながらつるの先を土に潜らせて根塊を作って増殖する性質があるので、種子が実らなくても毎年つるは生えてくるのですが・・・。
なにか良い方法がないものでしょうか?
この仲間で赤い実のなるオキナワスズメウリがたまに切花として花屋の店頭に並びます。そちらもまた愛らしいので興味のある方はちょっと覗いて見られてはいかがでしょうか。でも赤い卵だとスズメの卵ではないですよね?
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12614466610.html 【最上川の濁流が生んだ芭蕉の名吟】より
朝霧や船頭うたふ最上川 正岡子規
ずんずんと夏を流すや最上川
来週は「おくのほそ道」踏破に出かける予定だった。
2日あるいは3日をかけて、山刀伐峠⇒尾花沢⇒山寺⇒大石田⇒最上川乗船所を歩く予定だった。が、なんと「最上川」が決壊した、という。残念だが予約した宿もキャンセルした。
天童温泉に宿を取り、温泉に入り、山形牛懐石料理をいただく予定だったので実に残念だ。
コロナ騒動の中で観光業は今、大変な時期だ。キャンセルは大変心苦しいが、どうか勘弁してもらいたい。梅雨が完全に明けてから…、八月中には必ず行こうと思っている。
芭蕉がこのルートを歩いたのも梅雨の時期である。
「封人の家」では梅雨の暴風雨のため、外出出来ず、2泊3日を過ごしている。
ひょっとしたら、芭蕉の旅の時も氾濫寸前だったのかもしれない。
最上川(もがみがわ)乗(の)らんと、大石田(おおいしだ)といふ所(ところ)に日和(ひより)を待(ま)つ。
(略)
最上川は陸奥(みちのく)より出(い)でて、山形(やまがた)を水上(みなかみ)とす。
碁点(ごてん)・隼(はやぶさ)などいふ恐(おそ)ろしき難所(なんじょ)あり。
板敷山(いたじきやま)の北(きた)を流(なが)れて、果(は)ては酒田(さかた)の海(うみ)に入(い)る。
左右(さゆう)山(やま)覆(おお)ひ、茂(しげ)みの中(なか)に船(ふね)を下(くだ)す。
これに稲(いね)積(つ)みたるをや、稲船(いなぶね)とはいふならし。
白糸(しらいと)の滝(たき)は青葉(あおば)の隙々(ひまひま)に落(お)ちて、仙人堂(せんにんどう)、岸(きし)に臨(のぞ)みて立(た)つ。
水(みず)みなぎつて舟(ふね)危(あや)ふし。
五月雨を集めて早し最上川 ー「おくのほそ道」~最上川ー
私は、ここの、水みなぎつて舟危ふしというところがとても好きである。
「おくのほそ道」の中でも、一番の名文ではないか、と思っている。
舟に乗ったら、最上川の急流は思った以上に激しく、舟が木の葉のように揺れている…というのである。
冒頭に、日和を待つとあるように、このまま舟に乗るのは危ないので、水が穏やかになるまで待った…のである。
それでも最上川の流れは激しかった。
この句の元句は、五月雨を集めて涼し最上川である。
そのあと推敲し、「涼し」を「早し」と改めた。
「涼し」はこの地の人々への「ご挨拶」であり、地元の連句会の発句として発表された。
「涼し」は「山河を誉めた」のであり、「国誉め」の句なのである。
芭蕉はそのあとに舟に乗った。
舟に乗って、梅雨の最上川の激しさを実際に体験した時、「早し」という「名吟」のヒントを得たのではないか。
最上川の本質をつかみ、命の言葉を得た。
この「早し」によって、この句は土地への「挨拶」を越え、普遍の詩へと昇華した。
梅雨の激しさと、最上川の濁流と、芭蕉の才能が交わった時、名吟は生まれたのである。
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