狼信仰—自然への崇拝と畏怖 第9回 東北地方の山の神信仰とオイノ祭り

https://manabi-japan.jp/culture/20191031_16294/  【狼信仰—自然への崇拝と畏怖 第9回 東北地方の山の神信仰とオイノ祭り】より

神の使い・眷属(けんぞく)として、日本各地で今もなお崇め奉られる「狼信仰」を辿る。

狼は「山の神」を守る神使

東北の狼信仰は、三峯信仰、山津見信仰、もうひとつの系統として山の神信仰があるという。

自分の奥さんのことを「うちの、かみさん」と呼ぶ人がいる。もっと直接的に「山の神」と呼ぶ人もいる。私は使ったことはないが、「かみさん」は「山の神」のことだそうだ。

春には山の神が里に下りて田の神となり、秋の収穫後に、ふたたび山へと帰るという交代説はよく聞く話だし、私も何度か原稿で書いたことがある。

狼像を探して歩いていると、よく「山の神」の石碑や祠に出会うが、運が良ければ、そこに狼像が伴う。

大護八郎著『山の神の像と祭り』にも「人類の信仰の発達史からいえば、山の神こそその原初のもの」とある。山の獣や鳥を狩り、山草や木の実などを採り、山から流れる水が生活に欠かせないものだった太古の時代から、山に対する感謝が生まれ、いつしか信仰になった。山の神に対する信仰は、山自体をご神体に感じていたという。

山の獣の王者であった狼が山の神を守る神使になったというのも、自然な成り行きだったのかもしれない。

山の神像は千差万別

ネリー・ナウマン著『山の神』では、熊野の山詞では狼そのものを「山の神」と呼んだり、中部地方の山地では、「山の主(あるじ)」と呼ぶことを紹介している。また、鎌倉時代に狼を山の神とする伝承があったことは、第6回「オオカミとお犬さま」でも書いた通りだ。

山の神は豊穣の神、お産の神でもあった。狼や犬の多産・安産のイメージとも相まって、山の神と狼との親和性が生まれたとの指摘もある。だから、山の神を守っている狼像を見ることも多い。

ただ山の神像の多くは、仏教伝来以降、仏像などの影響を受けて造られるようになったらしい。だから、地方によって、山の神の像は千差万別だ。男の神像だったり、女の神像だったり、男女の神像だったり。中には鳥の形をした山の神像もある。

山で失くしものをしたときは、山の神の前で、オチンチンを見せると、失くしたものが見つかる、などという話もあった。この場合、山の神は女神ということだろう。また、マタギは、山の神にオコゼの干物をお供えしたというのがあり、これも、女神である山の神が「自分よりも醜いものがある」と喜ぶからだそうだ。

とにかく、山の神を怒らせない、喜ばせることが山仕事では大切で、そうしないと獲物も得られないし、命の危険さえあると信じられている。

狼被害がなくなるように祈った「オイノ祭り」

秋田県や岩手県では、オイノ祭り(狼祭り)が行われていたという話を聞いた。馬産地であった東北では、関東とは違って、狼は恐れられる存在でもあった。そこで、その被害が無くなるようにと願って行われたのがオイノ祭りであったようだ。

狼もいなくなったし、もう祭りはないだろうなとは思ったが、どんなところでお祭りが行われていたのか知りたくて、訪ねることにした。

岩手県大槌町の中西部の山間地・金沢地区は、昭和30年に合併によって大槌町になるまでは金沢村といった。同じ大槌町と言っても、太平洋側とは雰囲気が全く違う。

安瀬の沢に入り1kmほど進むと点々と民家が建っていて、あるお宅の庭に老夫婦がいたので、オイノ祭りと石碑のことを聞いてみた。すると、おじいさんは、「三嶺山」と「山の神」の石碑は、今も三右エ門橋を渡ったところにあると教えてくれた。鳥居も健在らしい。

あったかと、私は安心した。この石碑についての最近の状況は、役場で尋ねてもわからなかったからだ。

「でも、オイノ祭りはもうだいぶ前にやらなくなっていますよ」

という。今さら何を?といった空気を感じたので、全国の狼信仰関係の写真を撮っている写真家ですと自己紹介すると、ようやく私がここに来た目的を理解してくれたようだった。

老夫婦はこの先のピーマン畑に仕事に行くから、ついでに連れていってやると、車を先導してくれた。

山の神信仰でもあった

三右エ門橋に鳥居があり、高さが1m弱の石碑が2基並んでいる。これが「三嶺山」と「山の神」の石碑だ。昔はここでオイノ祭りが行われていた。お神酒と小豆飯(米作りが行われるまでは、稗や麦に小豆を混ぜたものだった)などをお供えした。狼に小豆飯を供える風習は、各地に残っている。

この祭りが始まったのは、三峯信仰の影響があったようだが、山の神にもお供えするところから山の神信仰でもあるようだ。鳥居には、男女の神様と両脇に狼が座っている山神図が下げられていた。

ところで、鳥居の先に草に覆われた坂道があるが、昔、遠野へ通じる唯一の道がこれだったという。もちろん今は誰も使わない。だから荒れ放題だ。けっこう昔は人通りがあった。ここでは稲作をしていなかったので、遠野から家畜用の藁を背負ってきたこともあったそうだ。

ここに碑を立て、オイノ祭りを行っていたのは、「狼さま、できましたら、ここから里へは降りてこないでください」という願いだったのではないかという。

いまでもオイノ祭りの名残が

次に、金沢地区の中心地、元町へ向かった。ここでもオイノ祭りがかつて行われていたという情報があった。

道路で休んでいた地元の人にオイノ祭りを行っていた石碑の場所を尋ねたら、商店の裏側にあることがわかった。

数基の石碑があったが、中央には「三峯山大権現」の石碑が立っている。他の碑の文字は読めなかった。

商店で飲み物を買い、奥さんにオイノ祭りのことを聞いた。かつて祭りのときは、ここに小豆飯や玉子などをお供えしていた。昔は、もっと山奥の峠や尾根筋まで上って行ってお供えしていたが、その後、この石碑前で行われるようになったと奥さんはいう。

そして現在は、オイノ祭りもなくなってしまった。しかし2月19日前後の日曜日に、今でも集会は開いている。祭りの名残りはかろうじてあるといった感じだ。

昔は、20数軒あって、その年の当番の家ではご馳走を用意し、みんなで会食したというが、今は集会所でやるようになっているそうだ。

秋田犬仙北市の「狼犬祠」

「山の神と狼像」と聞いて思い出すのは、もう一か所、秋田県仙北市西木町上桧木内の狼犬(おいぬ)沢の祠のことだ。かつて近くには牧場があったらしく、狼が出没していたので狼犬沢と呼ばれている。

ここに小さな「狼犬祠」という祠があって、木造の女の山神像と、一対の白狼像が桐箱の中に祀られていた。これも三峯信仰と関係があるようで、「三峰(さんぽう)様」とも呼ばれている。藩へ納める馬を狼被害から守るために祀ったと、地元では伝えられているという。

神像と狼像はいつ作られたかもわからなく、大きさもせいぜい20cmの小さなものだが、その存在感はすごいものがある。それだけ当時の人たちの狼に対する恐れが強かったのかなとも思う。撃退する武器も持てない人たちには、神仏に頼るほかなかったのかもしれない。



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