https://beebeebeep.hatenablog.com/entry/2019/09/19/111149 【雛菊譚 六甲比売大善神社 瀬織津姫との約束】より
このお噺は、2019年1月初旬に兵庫県神戸市六甲山にある、六甲比売大善神社に詣った時のものです…※六甲比売=瀬織津姫
瀬織津姫から招待を受け、初めて六甲比売大善神社へ向かった。
前日の午後、頭痛が治らない娘に向けて遠隔でヒーリングをし始めた途端、「向かうべきところは北野(神戸)ではなく六甲に坐す瀬織津姫の磐座」と直感した。
すぐにその旨を娘にLINEで伝えたところ、「行ってみたい!」と即答。その後、すぐに交通手段、道順、場所の確認のため調べてみると、なるほど今の季節は道路の凍結等、他の季節に比べて、参拝は難しそうだった。標高900メートルを超える六甲山は、平地で雪が降っていなくても、路面が凍結していたりと、なかなか安易に行ける場所ではないようだ。
けれど、天気予報では前の日の気温よりも5℃以上高いと出ている。これは行くしかないではないか、と。しかし、明日は土曜日。場所は六甲山スキー場のすぐ隣。つまり、車で行くにはスキー場の駐車場に停めるしかなく、ネットの情報によると、1月中の週末は午前中に満車になるほど人気らしい。
普通ならもう諦めモードにすぐに突入するのだけれど、直感は「行け!」と言い続けるから困った。
通常筆者は週末は絶対に外出しません。
しかし帰宅した娘の一言で決意は固まる。
「行きたい!って直感したのに、行かない手はないでしょ」
本当にその通り!今までなんでも直感に従い、すぐ行動に移してきたわたしが躊躇するなんて馬鹿げているではないか。それに、行くと決めたら、あとは見えない存在たちがすべてお膳立てしてくれること、わたしが一番よく知っているではないか。
それに何より、これは瀬織津姫様からのご招待なのだから、断るなんてできっこない。延期にすることも、もちろん考えたけれど、「今」に生きることをモットーに生きているわたしに、この機会を延期する選択はない。あれやこれやと、冬の六甲山に登るだけで、これまでの学びの総復習をさせられているな、と感心するとともに感謝する。
とりあえず、行くと決めたわたし達親娘はいつもの通り、深夜遅くまでお喋り。結果、朝まだき時刻にようやく眠りについた。早起きしなきゃいけないのに…と思いきや、それもこれもすべてうまくいく、と案じることは一切なかった。
案の定、目が覚めたのは午前11時過ぎだった。寝る前に「13時頃出発がベスト」だと予感していた。でも、この時間に起きたとすれば、間に合わないな、まあそれでも良いか、と思いながら支度を始めると、見事に13時過ぎに出発することになった。
六甲比売神社への道中、見えない存在たちのお蔭で、慣れない山道を頗る快適に走ることができた。感謝!
六甲山スノーパークの駐車場はすでに満車状態だった。係の女性に六甲比売神社に行きたい、と伝えると、指をさして道を教えてくれた。言われた通り、私たち親娘は真っ直ぐに進んでいった。
駐車場から先の道は雪で覆われていた。
駐車場のお姉さんによると、この先に数台分の駐車スペースがあり無料で停められると言う。しかし昨夕、積雪で戻って来れなかった車があったので、有料になるが、ここに停めていくほうが良い、と教えてくれていた。
なるほど、たしかに数十メートル進んだだけで、景色は一転した。冬山を侮ってはいけない。
けれど、外気は零下だというのに暖かく感じるほど、歩いて向かうには快適だった。
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二人で心地よい山道をどんどん進んでいくと、小さな木製の案内標識が現れた。
「え!ここに入っていくの?」と思わず立ち止まるほどの急斜面の山の中を進んでいく。しばらくすると突然目の前に現れた「心経岩」に歓喜の声をあげる。あれを見て無言で前を過ぎることなどできるはずがない。
その辺りから、時空間がどんどん変わっていくのが感じられた。
冠雪の山道を一歩一歩踏みしめながら登っていくと、次に現れたのが「六甲比売の磐座」だった。先ほどの心経岩よりももっと大きい。この岩に瀬織津姫が封印されたのかと思うと、なんとも不思議な気持ちがした。でも、五感を超えるものは感じなかった。
そしてその先に見えたのが、パイプをつなぎ合わせた手作りの手すりと階段だった。
もうここまでくると、ほとんどアスレチック状態。持参した滑り止め付きの軍手がなければ、到底登りきれなかったのでは、と思うほどの難所だった。
そしてようやく登りついた場所に、六甲比売神社の祠があった。
祠の裏に回り込むと、六甲比売が祀られている本殿があった。岩と岩がひしめき合っているその磐座は、女性器に象られているように見えた。まさにその前に立つ私たちは、磐座から産まれた赤子のようだった。
ここでも、終わりと始まりを感得した。
表に戻り、祠の扉を開け、靴を脱いで座敷に上がり、正座してお参りさせていただく。祠の中はとても気持ちが落ち着く場所だった。
蝋燭は山奥の無人の祠とあり、火事がおきてはいけないと、遠慮させていただいた。お正月ということもあり、ご自由にお持ち帰りください、と神饌のお餅が用意されていた。なんとも愛情の深さを感じる。
それからようやく、わたしは瀬織津姫様に向かって手を合わせたのだが、ここで異変に気付く。
いつもならスラスラと「世界平和のため、わたしの身体を使ってください。地球を救うため、使命を果たすために、お力をお貸しください」と祈りの言葉が出てくるのに、一切何も出てこなかった。ただただ無の状態。何も浮かばないし、何も感じない。ただただ気分は穏やかで気持ちが良かった。
磐座の前では「お待たせしました!」と思わず声に出してしまったけれど、手を合わせた途端、まったく出てこない。
出てこないのだからどうすることもできない。心にもない祈りの言葉を捧げるわけにもいかない。なので、一言「よろしくお願いします」とご挨拶をして、祠を後にしました。
六甲比売大善神社の祠の次に向かったのが、雲ヶ岩。法道仙人がこの岩の上で毘沙門天さんと出逢ったと言われている。真っ二つに割れたこの岩の前でしばらく休憩。すると突然娘が「上の方が気になるから見てくる!」と言って、わたしを残し登っていった。
f:id:beebeebeep:20190917233850j:image雲ケ岩
残されたわたしはじっと360度ぐるりと景観を眺めていた。すると突然頭の上で風が鳴り出した。身体に感じる風は吹いていないのに、頭の上だけ、そこだけ風が流れていくような不思議な感じがした。そしてその風は歌を歌い始めた。まさに「風の唄」。とても優しくて、とても綺麗で…。生まれて初めて聴いた「風の唄」は、まるで天国にいるようで、天から宇宙から褒めてもらっている、そんな気がした。
今まで生きてきてよかった。
数多の艱難辛苦を乗り越えてきてよかった。
この愛を諦めなくてよかった。
「これまでの努力が報われた」
風の唄と出会うために、わたしはこの場所に誘われていたんだな、と。
磐座の前で「お待たせしました」と言葉を発したとき、心の中で「コンプリート!達成した!」と感じていた。風の唄を聴き、感動に浸りながら、瀬織津姫を始め、わたしをずっと支えてくれた見えない存在たちが、風の唄で祝ってくださったんだな、と感じた。
しかし、これでお終いではない。これは新しい章の始まりの合図でもあるのだから。
しかしそれにしても、あの日、あのとき、あの風の唄を聴いたとき、わたしはまさしく「この世の楽園」に居たのだと言い切ることができる。
人々が切望してやまない悟りの境地とは、実はとてつもなく質素なもの。
そして、 無の中に煌めく至福とは、実は最初から自身の中に存在した仄かな灯(ともしび)なのです。
小さなわたしに出来ること…
みんなを笑顔にしたいなら…
わたしが最初に笑えばいい
最強パワースポットと呼ばれる六甲比売神社を参拝した後のわたしは、いつもと変わらぬ「只者」でありました/笑
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