https://beebeebeep.hatenablog.com/entry/2019/12/30/111143 【瀬織津姫ゆかりの地・廣田神社篇】 より
12月のある晴れた日のこと。心友M嬢とランチに出かけている途中、急に鐘を撞きたいという衝動に襲われた。M嬢に提案すると、以心伝心「参りましょう!!」と即答!!
というわけで、二人は意気揚々と、365日鐘を撞かせていただける有難いお寺、西宮市甲山にある神呪寺(かんのうじ)へと向かったのでした。
ところが、「どうせなら廣田神社まで行ってみない?」と、神呪寺より先に、以前からM嬢に紹介したかった廣田神社へ寄り道することとなり……
……というわけで、本日は廣田神社と瀬織津姫命についてお話しさせていただこうと思います。
西宮 廣田神社へ
廣田神社は旧官幣大社であり、関西では阪神タイガースの優勝祈願で有名な神社であります。
廣田神社の御主神は、天照大神の荒御魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)こちらは瀬織津姫(せおりつひめ)様のご異名でもあります。
というわけで、わたし個人の中で廣田神社は瀬織津姫神社として親しみ深い、お気に入りの神社なのであります。
因みに、伊勢神宮内宮に祀れている天照大神様は和御魂です。
※戦前まで廣田神社由緒縁起に御主神は瀬織津姫命の名で明記されていたそうです。
そして廣田神社の奥宮とされているのが、瀬織津姫様の磐座を祀る六甲比売大善神社であります。
※一説によると、西宮えびす神社から甲山、六甲山に至る一帯が廣田神社の境内だったとか⁉︎
名前を失った謎多き女神、瀬織津姫様
悉く世から名を消され、存在さえも消されてしまった謎多き瀬織津姫様に関心を寄せる方は日増しに増えてきているように感じます。とても嬉しいことです。
実は弘法大師は、1300年後縁ある人々によって瀬織津姫様の存在が明かされる(封印が解ける)と予言を残していたと言われています。
どうやら瀬織津姫様の封印が解かれることによって、この世に「弥勒の世」が訪れるのだそうです。逆に言えば、瀬織津姫様の封印が解かれなければ、永遠にこの世は混沌の世で在り続けるということですね。それは大変です。
また弘法大師はわらべ歌「かごめかごめ」の詩の中に、そして弘法大師ゆかりの地に、それぞれ「弥勒の世」を開く為の暗号を残したとも言われています。
ということは、瀬織津姫様の封印を解くだけでは「弥勒の世」を開くには不十分で、ほかに暗号を解読する必要もあるようです。
そして現代では着々と、弘法大師が目指したけれども果たせなかった「弥勒の世」を開くべく、長く続いた「闇の世」を終わらせるため、暗闇に潜んでいた悪は表(光)の世界へと引きずり出され始めているのです。
荒御魂、瀬織津姫様のお役目
天照大神荒御魂である瀬織津姫様は、弁財天と姿を変えて祀られていることもあります。即ち水を司る神様でもあるということです。
※瀬織津姫の名は「大祓詞」の中で速川の瀬に坐す大祓大神として登場します。
他にも吉祥天、千手観音、不動明王、龍神など様々な神仏に変じていると言われています。
水といえば、人間の体は約70%が水でできています。
※胎児は90%…なるほど納得!
そして、地球は表面の約70%が水で覆われています。
人間の身体は小宇宙であると言われる所以がよくわかりますね。
斯くして水はわたし達人類と地球の生命の源であると言えるでしょう。
その大切な水(わたし達の生命)を司る神、瀬織津姫様の力が今まで1300年もの間、封印され続けていたというわけです。
そして弘法大師の予言通り、今ようやく封印が解かれる時が訪れたのです。
ゆえに昨今の瀬織津姫ブームは必然だったと言えるでしょう。
先程お伝えした通り、瀬織津姫様は荒御魂です。ゆえに御加護や御利益を頂いているにも関わらず、災難を招く悪神様と疎まれ、封印されてしまったのだそうです。
体内に潜り込んだウイルスを追い払うために高熱にうなされるように、荒御魂の神様は人間には時に理不尽かつ理解不能な方法で、祓い清めてくださいます。
いつの世も人間は、どんな罪も即座に許し、苦しみを和らげてくださる和御魂の神様しか本物の神様と認めたくないのかもしれません。
本来、天照大神(和御魂であれ荒御魂であれ)という神様は、人々が光の存在であることに気づかせ、世の中を明るく照らす人間を増やすことを願い、導いてくださる神様なのです。
天と地、空があり海があるからこそ水は上から下、下から上へと循環し、地球は生長するのです。
同様に、天照大神様も荒御魂と和御魂、二神一体となることで、本来の力を発揮できるようになるのです。
まるで男女のように…
今まで当たり前だと思い込み、疑うことすらしなかった歴史的事実が、覆される出来事が多くなりました。
その一つに、日本の史実から消されてしまった瀬織津姫様という大神様も含まれているのだと思います。
『高度の霊は無限に分霊する』と言われている通り、瀬織津姫様の御霊は凡ゆる姿、凡ゆる名に変じ、日本国中でわたし達を祓い清め、護ってくださっているのだと思います。
そしてもちろん、瀬織津姫様の分霊は、すべての日本人の魂の中に授かっているのだと信じています。
それはつまり、すべての人々が天照大神の子孫であると言えるでしょう。
ゆえに、日本に生まれたわたし達は瀬織津姫様の封印を解くことが出来るし、解かなければならないのです。
その方法の一つとして、神様の前で手を合わせ拝むことがとても重要なプロセスだとわたしは思っています。
だから今回のように、呑気にランチで舌鼓を打とうとしようものなら、容赦なく「大切なことをお忘れではないか!」とばかりに、わたしの意識の中に合図を送りこみ、神様に呼び出されることになるのです/苦笑
わたし達二人が、神様の前で祈りを捧げたとて、すぐに目に見える変化が起こるわけではありません。けれど、明らかに参拝後の二人の心は清々しく穏やかであり、それだけで、プラスのエネルギーを放つことができるようになります。それは決して目には見えませんが、明らかに地球に貢献できていると、自負しております。
そして、その積み重ねによりいつの日か瀬織津姫の封印を解くことが出来るのだと信じています。
瀬織津姫様と六甲の山々
その天照大神の荒御魂である、瀬織津姫様と六甲、甲山とは深い縁があるようです。
余談ですが、
甲山はその昔、「神の山」と呼ばれていたそうです。かみのやま、かむのやま、…かぶとやま、となったという説もあるそうです。
そして、甲山の麓に目神山という土地があります。そこで役行者が瀬織津姫(弁財天)を感得されたと言われており、廣田神影向岩として祀られています。
※役行者は箕面でも弁財天を感得しており、箕面公園内にある瀧安寺には弁財天が祀られています。
つまり、瀬織津姫(女神)がその山に住んでいたことが由縁で目神山と名付けられたのではないかと。
そしてそして、お腹ぺこぺこのわたしとM嬢が次に目指したのは、神呪寺、そして鷲林寺へと続くのでした!廣田神社、神呪寺、鷲林寺とすべて瀬織津姫様、そして弘法大師ゆかりの地であったのは、偶然の所産ではなさそうですね。
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