【若松】 ちょっと怖い七頭子宮

http://smells.hatenablog.com/entry/wakamatsu-tsumoriko1  【【若松】 ちょっと怖い七頭子宮 その1・若松編】 より

若松郷の若松地区に若松神社という神社があります。

▲由緒書きによると創建は元禄元年(1688年)。祭神は天御中主神、高皇産霊

神、神皇産霊神の3柱。いわゆる「造化の三神」をお祀りしています。

明治3年(1870年)に社名を七頭子宮(しちつもりこのみや)から現在のものに

変更。明治10年(1877年)に村社に列しています。

以下、ちょっと長いので要約して書いてみましょう。

 慶長年間(1596~1615)に棹に首七つを貫いたものが漂流していた。

  ↓

 漁船が拾い上げて神部(こうべ)地区の山に埋めた。

  ↓

 キリシタンの不敬行為があったので山から下して神部地区内に「七頭子宮」を創建

 した。

  ↓

 石司・滝川原・間伏・有福・筒ノ浦・下筋(鵜ノ瀬)の6地区に分霊した。

  ↓

再びキリシタンの不敬行為があったので、元禄元年に現在の場所に祀ることにした。

ちなみにパソコンで「こうべ」を変換すると「頭」、「首」と出てきます。神部とい

う地名の由来はどうもこれのようです。

▲若松地区に神社を移した際にはこれを信奉する神部地区の住民も移住したそうで、

現在の若松地区の基礎はこの住民らによって作られたそうです。

▲現在、神部の七頭子宮があったといわれる場所には老松神社という神社があります。

拝殿内の由緒書きによると祭神は伊弉諾命・伊弉冉命の2柱ですが、素盞嗚尊も含むよ

うです。七頭子宮の創建は天正18年(1590年)ということですので、「首七つ

を山から下して祀った」のはこのときになるようです。が、若松神社の由緒では「首

七つが漂流していたのが慶長年間(1596~1615)」とあったので、年代のズ

レがありますがどちらが本当なのかはわかりません。

また同由緒書きによると、当時の神部地区には180戸のキリシタンが居住していた

そうですが、島原の乱に参加して全員帰らなかったという伝説があるそうです。

▲社殿の後ろには岩屋観音を祀る岩陰遺跡があります。現在は崩落してしまって当時

の原型をとどめていないそうです。(2010年10月撮影)

岩陰遺跡と呼ばれる所以は、ここから中国の古銭や、永正7年(1510)の年号と

経文が書かれた鰐口が出土したことに由来します。

また、この鰐口には「老大明神」の神号が記されていたそうですので、七頭子宮創建

以前から岩陰遺跡が老大明神を祀る祭場だったということになりますね。

さて、若松神社の由緒書きに書かれていた七頭子宮の分霊をお祀りした6地区の神社

は現在どうなっているのでしょうか。

そして分霊の際は、やはり各地区に首をひとつずつ・・・


http://smells.hatenablog.com/entry/wakamatsu-tsumoriko2 【【若松】 ちょっと怖い七頭子宮 その2・石司編】より

七頭子宮の分霊をお祀りする石司(いしづか)神社は間伏(まぶし)郷石司地区にある神社です。

▲石司地区。山の中の細い道路を抜けると突然開けた場所に出るのでちょっとビック

リします。

▲集落中央の湿地を取り囲むように家が点在し、道路があります。

▲現在は耕作放棄地になっているようですが1975年の航空写真で見てみますと、

もともとは田畑だったようです。けっこう広いですね。

▲石司神社。創建年代は不詳ですが、若松神社と老松神社の創建の由緒から考えると

天正18年(1590年)から元禄元年(1688年)の間の分霊・奉祀となりま

す。当初は頭子神社と呼ばれていたようですが、戦後になって現在の社号になったよ

うです。

天御中主神を主祭神に、田心姫神・湍津姫神・市杵島姫神の宗像三女神を配祀をしま

すが、これはかつて間伏郷内にあった「清瀧神社」という神社を合祀した際に、石司

神社で一緒にお祀りするようになったんだそうです。

神紋は「左三つ巴」のようです。

▲間伏郷間伏地区には「清瀧山神護寺」という寺院がありますが、もしかしたら清瀧

神社となにか関係があるのかもしれません。

▲石司神社の社殿後ろには祠が並んでいます。

境内社なのかよくわかりませんが、手前から2番目と3番目の祠には順に「頭子神

社」、「八坂神社」と彫られているのが確認できました。

祠の傍らには古い狛犬がありました。どこか漫画「ベルセルク」に出てくる野犬のよ

うな雰囲気があります。

ちなみに名字由来netによると「石司(いしづか・せきじ)」という名字の方が全国に

200名ほどいらっしゃるそうですが、この石司地区が石司姓発祥の地だそうです。

電話帳で調べてみたら新上五島町には8軒の石司さんがいらっしゃいます。

そのうちが3軒が若松島に、残り5軒はなぜか有川の太田郷と七目郷にいらっしゃる

ようです。


http://smells.hatenablog.com/entry/wakamatsu-tsumoriko3 【若松】 ちょっと怖い七頭子宮 その3・滝川原編】 より

七頭子宮の分霊をお祀りする滝川原(たきがはら)神社は間伏郷滝ヶ原地区にある神

社です。

▲この滝川原地区も石司地区とおなじく湿地を取り囲むように道路がありますが、こ

ちらは海岸線に沿って家が並んでいます。

▲滝川原神社。創建当初は頭子神社と呼ばれていましたが、戦後になって現在の社号

になったようです。

拝殿内の幕には「平成14年 滝川原神社創建五十周年記念」と書かれていたので、

社号の変更は昭和27年に行われたと思います。

主祭神は天御中主神。神紋は「丸に剣片喰(けんかたばみ)」です。

社殿後ろに祠。後ろの雑木林には鹿がウヨウヨいます。地域の住民の方は慣れてい

らっしゃるのでしょうが、ちょっと怖いです。

頭子神社系列はこの「社殿後ろに祠」スタイルが多いようです。そしてこのサイズの

祠も多いようです。

人の頭くらいならすっぽり入りそうですね。

 ▲祠の傍らに古い狛犬がありました。


http://smells.hatenablog.com/entry/wakamatsu-tsumoriko4 【【若松】 ちょっと怖い七頭子宮 その4・間伏編】 より

▲こちらが間伏集落。前々回の石司神社でも紹介した神護寺という寺院があります。

▲対岸から見ると、こんな感じ。古くは石司・滝川原の両地区に人は住んでおらず、

この間伏集落から移住していったと伝えられます。

▲現在では10世帯あるかどうかわからない間伏集落ですが、かつて民家があったと

思われる跡や、何かの機械やお墓が放置された状態になっています。

▲そんな間伏集落の入口に間伏神社はあります。

▲鳥居扁額には「頭子神社」の社号。

▲社殿。祭神は天之御中主神です。

神紋は かわいらしい「向い波に千鳥」。

▲そしてやはり社殿後ろには祠。後ろの石垣は現在の社殿が建てられる前の遺構で

しょうか?


http://smells.hatenablog.com/entry/wakamatsu-tsumoriko5 【【若松】 ちょっと怖い七頭子宮 その5・有福編】 より

七頭子宮の分霊をお祀りする頭子(つもりこ)神社は有福郷宮田地区にある神社です。

▲若松島西方に浮かぶ日島・有福島・漁生浦島の3島へは、橋を渡って島伝いに行く

わけですが、3島の中央に位置するのが有福島です。

▲有福・頭子神社は集落の北の端、日島との防波堤兼用道路の付け根辺りにあります。

▲社殿。祭神は天之御中主神、神紋は梅鉢でした。

▲ところで、宮崎賢太郎著「カクレキリシタン」によると、この有福郷には平成8年まで

カクレキリシタンの「クルワ」があったそうです。

「クルワ」について同著から抜粋してみます。

 有福ではカクレキリシタンのことは「元帳」とも「古帳」ともいう。ひとつの元帳

 に属する仲間のことを「クルワ」という。

 組織(クルワ)は帳役-看坊役-取次役-宿老の四役からなる。帳役は「大将ド

 ン」とも呼ばれ、帳役以外の役職者を「ジンジ(爺)さん」と言う。

有福郷には「小田」 「馬込」 「宮田」 「餅の木」の4地区に4つのクルワがあったそう

ですが、平成8年の餅の木のクルワの解散を最後に有福島のクルワはなくなってしまった

そうです。

▲ちょっと怖い七頭子宮 その1・若松編 でご紹介した若松神社の由緒書きの「棹に首

七つ」は、この有福島ではキリシタン殉教者のものであるとされているそうです。

▲その分霊を祀る有福・頭子神社は宮田地区に鎮座しますが、古くから「クルワ」の

人々によって殉教者を祀る神社として信仰を集めていたことから、「大切なのは御神

体がキリシタン殉教者のものであるかどうかということではなく、そのような伝承と

信仰が存在するということである」として「キリシタン神社であるとよんで差し支え

ない」と宮崎賢太郎氏は前述の本で書かれています。

カクレキリシタンは約230年の潜伏期間を仏教徒や神社の氏子を装って信仰を維持

してきたとされます。近年までお葬式はまず仏式で行い、僧侶が帰った後に「送り」と

いわれるカクレキリシタンの葬儀を行うなど、2重の形式で行われていたそうです。

▲同著に若松島・月ノ浦地区の「送り」の際に唱えられる「お経崩しのオラショ」が

紹介されていたので抜粋したいと思います。

 マリアいき道いたらんさまたげひとつ、しきしんふたつこの世界、三つ天狗に今日

 敵にしたがわれ申さんように、マリアてらすに捧げ頼み奉る

この数え歌のような「お経崩しのオラショ」を見ると、キリスト教が基盤にあるものの、

仏教や日本の民俗信仰と深く結びついていることがわかりますね。「いたらん」は

方言で「余計な」、「しきしん」は仏教用語の「色心(物質と精神)」だと思います。

キリシタン神社として有名なものは長崎市の枯松神社ですが、この有福・頭子神社の

ほかにも新上五島町にはもう一つキリシタン神社があるとされています。

が、それはまた別のお話。

【参考文献リスト】

・若松町誌(若松町教育委員会)

・カクレキリシタン(宮崎賢太郎) 


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