若狭遠敷レビ族のはじまり ④

https://waniguchi0708.exblog.jp/31570528/  【若狭遠敷レビ族のはじまり 鰐口輝三】

神の平安が宿る新しいエルサレムとは?

何故、イスラエルの民は広大なアジア大陸を横断してまで島国日本に移住してきたのでしょうか。北方から敵国が攻め入って来たため、西方に向かって船で地中海を渡ることもできたはずですし、南西にある広大なアフリカ大陸や、その他アジア大陸各地に新天地を見出すこともできたはずです。しかしそれらの選択肢を捨てて、イスラエルから一番遠い、しかも大陸を横断して更に海を渡った未知の島国に移住してきたのには、それなりの強い意志がなければ成し得ないことです。予言者イザヤが書き記した「日の出ずる国」、東の方角にある「海の島々で神を崇めよ」という言葉に一番大切な民族移動の根拠があるのは前述した通りです。しかし大陸横断のモチベーションはどうも、単なる宗教上の理由だけではなかったようです。

元来イスラエル人は、栄養価の高い食事を好む美食家として有名です。肉、野菜や魚を主食としていたイスラエル人は聖書にも記されているように、エジプトで奴隷の身となっていた時代でさえ、肉野菜をふんだんにとりいれた料理を食べており、特ににんにくや、にら、玉ねぎなど実際に食されていたことが明らかな食材は少なくありません。また果物に関しても、今日でも輸出国となっているように、イスラエルは代々農産物が豊富に採れる土地なのです。であれば、移住先としては当然のことながら、海沿いで、尚且つ農産物や畜産物が豊富な自然に恵まれた環境が望ましく思われたはずです。その希望を満たす「海の島々」が、日本列島だったと考えられます。

更に注目すべきは地理的要因です。イスラエルは地中海の東南に位置しており、南ヨーロッパのどこからでも、船で地中海を東南に進んでいけば、イスラエルに到着します。(注これは無理があると思います。日本は太平洋の西北です。黒潮にのって、フィリピン、台湾経由であれば、東北です。)同様に感覚で海を渡るだけで日本にたどり着きます。事実、大陸の先端である朝鮮半島にはスサノオが祀られ、そこから東南に向かって海を渡った出雲にスサノオが到来しているのです。それ故、イスラエルの民にとって日本海は「東方の地中海」であり、その海の向こうにある約束の地が目に浮かんできたのでしょう。(この説では、中国東北地区やロシア東海岸から来たということになりますが、それよりも対馬経由や、黒潮にのって台湾、沖縄経由の方が可能性は高いと思います)その後、長い年月を経て「平安京」が日本の都となりますが、この地が選ばれた理由もイスラエルの影響を多大に受けているようです。イスラエルの首都はエルサレムであり、原語の意味は「神の平安」です。それは正に「平安京」と同じ意味です。そして平安京が琵琶湖の西側、日本海と湖の中間に位置

していることにも注目です。エルサレムも若干北側ではあるものの、基本的には死海の西側、地中海と湖の中間に位置しています。先日、イスラエルの空港があるテルアビブからレンタカーを借りてエルサレム、および死海までドライブする機会に恵まれました。驚いたことに、地中海そばのテルアビブからエルサレムまでは、さほど距離はないのにもかかわらず、山々の連続だったのです。それらの山を越えてエルサレムに辿り着き、そこからもう少々ドライブを続けると死海が見えてきます。日本海から京都を経て琵琶湖に至る道のりも同じくその途中は山々の連続であり、琵琶湖に至る直前に平安京が開けてくるのです。(これも難しいと思います、日本海側との交易ルートは若狭湾から山越えのルートよりも、敦賀市から琵琶湖に入り、船で大津に渡りそこから京に入るのが江戸時代まで続いていました)

国家を失ったイスラエルの民は、神の予言に従って東の海の島々に新天地を見出し、いつしかそこに新しいエルサレム、平安の都が築きあげられたのです。

第3章 日本人とは何か!神話の背景に潜むイスラエルの影

イザナギ神話の謎に潜むイスラエルの影!!

紀元前8 世紀、国家の崩壊に局面したイスラエルにおいて、無数の民がイザヤの予言に従って祖国を脱出し東方へ民族移動を始めました。そして一部の先鋭部隊は「日の出」方角にある「海の島々」を目指したことはほぼ間違い無いと思われます。当時この極めて困難なアジア大陸の横断を決行し、先陣を切って約束の島へ向かったのが国家の救世主としてイザヤ書に登場するイザヤの子です。彼こそ、日本の神話に登場するイザナギの実物像である可能性が高いのです。

預言者イザヤと日本の古代史は、切り離して考えることはできません。日本書紀には初代神武天皇が大和を平定した時、八咫烏がエシキとオトシキの元に遣わされ「天神の子、汝を召す、イザワ、イザワ」と鳴いたと書いてあります。大言海によるとイザワは「イザヤと同じ」とあり、イザヤと神武天皇の間に何らかの関係があったと考えられます。また日本の皇祖である天照大神をまつる伊勢神宮の奥宮である「伊雑(いざわ)の宮」ではイスラエルのシンボル、ダビデの星が正式な紋となっています。更に伊勢神宮の参道沿いに設置されている石灯篭にはそのダビデの星と、皇室の紋である菊の紋が一緒に彫られています。日本建国の神である天照大神を祭る伊勢神宮のシンボルとしてイスラエルの紋が採用され、その奥宮が「イザヤの宮」と呼ばれている事実こそ、古代日本史にイザヤが絡んでいる証拠です。

そこで古事記や日本書紀に登場し、イザヤと頭2 文字を共有するイザナギ・イザナミの語源に注目してみました。「伎」を男の義、「美」を女の義と解釈して「誘い君」と「誘い姫」の意味とする説や、イザをタガログ語等で第1 を意味するISAとした上でナキとナミを南方諸島にルーツのあるラキ(男、夫)、ラミ(女、妻)として理解するという説、そしてイザを単なる地名として古語のアキ、アミに結びつけ「イサ国の男神、女神」と考える説など解釈は様々ですが、どれも説得力に欠けています。

イザナギの名前の意味は実は簡単だったのです。「イザ」は、ヘブライ語で「神の救い」を意味し、預言者イザヤの名前もここに由来しています。そして王子、統治者のことは、「ナギッド」と呼び、実際の発音は語尾が脱落するため「ナギ」となります。例えば旧約聖書のダニエル書9 章25 節では油注がれた(選ばれた)王子のことを(メシアッ・ナギ)と呼び、この言葉は救世主を意味します。

同様に「イザヤの王子」はイザヤ・ナギッドとなり、実際の発音はイザナギとほぼ同等になります。またヘブライ語にはナギッドと同義語の、ナミと発音される言葉もあり、イザナミの語源になったと思われます。

古事記にはイザナギとイザナミの二尊が日本に最初に天下り、日本の島々を生み出した話が書かれています。これは正にイスラエルの救世主としてアジア大陸を横断してきたイザヤの息子らが海を渡って日本へ東漸し、「国土をよく整えて作り固めていく」過程を神話化したものと考えられます。そしてイスラエルが崩壊した紀元前722年から神武天皇が初代天皇として即位するまでの紀元前660年までのおよそ60 年間、イザヤ一族によって着実に大和の国の土台が築き上げられていったのです。

大和民族の魂の故郷「高天原」の謎!

日本の古代史を正しく理解するためには、イスラエル史を含むアジア大陸の歴史と地理を理解することが不可欠です。特にヘブライ語や古代シュメールの文化への理解を深めるだけで、今まで考えもつかなかった新しい歴史観が浮かび上がってくることがあります。

紀元前8 世紀、イスラエル国家が崩壊し民族が歴史から姿を消した数十年後、大陸を越えた東の島々で天皇家の歴史が始まり、アジア大陸では騎馬民族の台頭と共に西アジアから東に向かって民族大移動が始まっていました。そして、旧約聖書のイザヤ書には国家を失った民が東の海の島々で神を讃えることが書かれており、その救い主のシンボルとして登場する「イザヤの子」とヘブライ語で同じ意味を持つイザナギが、日本の神話で島々を生んだ神として登場することはすでに述べました。また日本神道の総本山ともいえる伊勢神宮の奥宮が「いざやの宮」と呼ばれ、その紋章がイスラエルと同じダビデの星であることなど、これだけの事実を振り返って見てもイザヤ一家が何らかの形で日本国家の創立、すなわち初代天皇の即位に関わったという仮説が十分に成り立ちます。

もしイザヤの子がイザナギに象徴される人物であったとするならば、日本書紀や古事記に書かれている神話は単に七世紀の宮廷知識人が複数の神話を織り込んで創作した物語ではなく、むしろ新天地を求めたイスラエルの民がイザヤの子をリーダーとして故郷の西アジアの地を離れ、様々な困難を乗り越えてアジア大陸を横断し、やがて日本列島を発見し大和の国を建国するまでの様々な体験談を長年語り継いで行く過程で神話化された可能性の方が高いのではないでしょうか。

古事記が単なる創作神話ではないことを思わせるキーワードが「高天原」です。高天原とは、日本神話では天上の神々のいる場所とされています。天地ができる最初、天つ神々は高天原で相談しあい、イザナギとイザナミに矛で海をかき回させて地を固め日本の島々を作らせました。これが古事記の冒頭にある「国生み神話」です。驚くことにこの高天原という場所がアジア大陸に実在するのです。

聖書に登場するアブラハムという人物は、今日でもキリスト教やイスラム教を含む多数の宗教において「信仰の父」として崇められておりイスラエルの先祖にあたります。そのアブラハムの出身地が西アジアのタガーマ州にあるハランという町、すなわちタガーマハラなのです。アブラハム一家が神の命に従いハランから約束の地イスラエルに移住して12 世紀の後、国家を失ったイスラエルの民は新天地を求めて東へ旅する際、最初にアブラハムの故郷であるタガーマハラに戻って来たのでしょう。そこで民族のルーツを再確認し、祖先の発祥の地としてタガーマハラの地名が神話化されていったのではないでしょうか。また古事記では天つ神が高天原で育てた稲を苗裔である天皇に与えたため、天皇が地上を支配するようになると書かれています。なんとタガーマ州の地域は大麦とエンマ麦の驚異的な収穫量を記録したことが遺跡から発掘された記録に残されていいました。そこで、麦や高度な稲作技術がこの時点で日本列島に輸出され始めたと考えれば、弥生時代の色々な謎が解けてきます。古代日本史は、アジア大陸全体を広い視野で見渡した上で高天原を捉えるとますます面白くなるのです。