謎の日本古代史(21)四国上陸

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55525888.html  【謎の日本古代史(21)四国上陸】 より

徐福は四国の何処に上陸したのか? これは、必ず跡があるはずで、私は、現在の金毘羅神社があるところに上陸したと思います。上陸した所に記念して神社を建てたのです。金毘羅神社は、主祭神である大物主神を祀る神社です。大物主(おおものぬし、大物主大神)は、日本神話に登場する神です。大神神社の祭神、倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)のことであり、『出雲国造神賀詞』では大物主櫛甕玉といい、大穴持(大国主神)の和魂(にきみたま)であり、別名 三輪明神ともいいます。

神の名前は、後から作ったものですが、そこに上陸した記念として金毘羅神社を建てたのです。四国にある神社を調べると何年に造って何年から始まったという記録がないのです。いつから始まったかわからないのです。そのような神社がほとんどです。「四国で一番古い神社は何処ですか?」と質問を出すと答えは無いのです。そういう不思議な所なのです。

そして、徐福が降り立った時にどのような状況かというと、弥生人達がすでに四国に入り込んでいたのです。それを恐れた縄文人達は、四国の山に逃げ込んだのです。だから、これはNHKの坂の上の雲のエンディングにも画像が出てきましたが、四国の山上の道路が出てくるのです。四国の山の上には道が通っています。

この山の上にある古代道路が出来たのは、縄文人達が弥生人達を恐れて山の上に集団疎開したからです。だから、ここに多くの人々が生活していくことが出来たのです。これが鍵なのです。何故、山の上に住んでいたか誰もわかっていません。

それを徐福は見たのです。徐福は土木工事の名人ですから、山の上に何万というため池工事を行なったのです。今でもそのため池が残っているのです。飲料水がないと山上生活は大変です。雨水を貯めたり、山を降りて水を汲みに行ったり、それを徐福が「やめなさい」ということでため池を造ったのです。ため池は全部、人工のものだと言われています。誰かが造ったのであって、それを造ったのが徐福なのです。

その勢いもあり、「徐福は征服者ではない」と尊敬され、皆が慕ってきたのに違いありません。出来るだけ山の下の方に水田を造るようにという指導もあって、あっという間に四国は徐福によって制圧されたのに違いありません。

大杉 博さんも四国山上説を唱えています。

以下、「邪馬台国は四国にあった」大杉 博氏(以下引用)

さて、私が唱えている邪馬台国(四国山上説)の範囲は図の通りであるが、邪馬台国は、四国の山上の至るところに存在していた、高地性集落の集合体の国だったのである。四国の山地には現在も高地性集落が多数残っているが、それらの集落の畑の中を注意深く探して見ると、弥生土器の破片や石器を見つけることができる。また、四国は山を焼く習慣が明治十二年頃まで続いていて、四国全体の山上はほぼ全部草山だったのである。そして山並みの稜線には全部、細い道路が通っていて、その道路から少し下った所に高地性集落があり、稜線沿いの道は古代の幹線道路だったという訳である。また、山上生活者にとっては飲料水の確保が重要であるが、四国の山上には大小無数の溜め池(又は、池跡)が残っている。全部人造の池であり、池の周辺から弥生土器の破片が出土したり(徳島県)、池の中から弥生土器の完全な壷が回収されている(愛媛県)ことなどから、これらの池はほぼ全部、弥生時代以前に造られたものと推測できる。(引用終わり)

山上にため池を造り、稲作を教えて、最後に聖なる山として徐福が置いたのが剣山です。ここには、色々な隠し事や、秘密を持っているので、剣山で不思議な儀式を行なったのです。今でも7月17日になると剣山に神輿が登ります。あんな山の上までお神輿を上げるのです。これは、そこに意味があるのです。人によっては、剣山にソロモンの財宝が隠されているとか、或いはモーゼの十戒・三種の神器が隠されているという人もいます。これは、未だにわかりません。

前回、講義したGHQはそれを探しに剣山に入ったのです。1950年8月26日、山本英輔という海軍大将が徳島・剣山でミイラ100体を発見したという記事が徳島日報で配信されたのですが、徳島日報で当記事が配信された新聞ごと消されています。ミイラをGHQが持っていってしまったのです。

剣山は、徐福が最終的に四国平定の記念碑に造った山で、聖なる山として置いたことは間違いありません。これによって、徐福は四国を平定したのです。

もう一つ、この山上の人々は、焼き畑農業を行なうのです。明治の中頃まで、四国では焼畑農業が行なわれていました。焼畑は縄文の流れです。縄文人は、焼畑でした。だから、四国は縄文人が残っていたのです。それが、なんだか分らなかったのです。私が、初めて分ったのです。