蕪村俳句と比喩 ①

https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/03/27/071709 【蕪村俳句と比喩―はじめに】より

与謝蕪村の俳句の大きな特徴は、和漢の古典、能や狂言、伝説、諺などを背景に現実の情景をモディファイしているところにある。背景を読み取れないと俳句の鑑賞は無理なのである。前書きのある句も多いのだが、詳細に思い至るには相当の知識が必要。なお蕪村を称揚した正岡子規は、喩の表現が豊富になったのは、蕪村を嚆矢とする、と指摘している。

 あらためて比喩表現とは、ある状態についての説明を、知覚・感覚・感性などの働きから導かれる心像(イメージ)によって果そうとする表現法のことである。一般に比喩は、本義としての原想念の背景に喩義としての新想念を重ね、単なる指示的、客観的な叙述を越えた含意性豊かな表現の世界を創り出すことができる(イメージの重層性)。(堀切実『表現としての俳諧』岩波書店)

 分析に当たっては、藤田真一、清登典子編『蕪村全句集』おうふう(2871句を対象)に拠った。比喩の内訳は、おおむね次のようになっている。

  直喩:45句、 暗喩(隠喩):51句、 寓喩(諷喩):52句、 換喩:7句、 

  提喩:14句、 声喩(オノマトペ): [擬音]9句 [擬態]6句、 

  活喩(擬人法):87句

比喩の句は全部で271句(9.4%)となっている。 活喩(擬人法)が目立って多いが、この傾向は蕪村に限らない。俳諧の文芸であることに起因している。

 なお本シリーズは、26回からなる。

https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/14/072414 【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(1/8)】より

活喩(擬人法)は、人間以外のものを人間に見立てて表現する修辞法。

老武者と大根あなどる若菜哉        鶯の浅井をのぞく日影かな

うぐひすのかぞへのこした枝寒し      鳥さしを尻目に藪の梅咲(さき)ぬ

散(ちる)たびに老ゆく梅の木(こ)末(すゑ)かな     一軒の茶見世の柳老(おい)にけり 

花のみ歟(か)もの云はぬ雨の柳哉      莟(つぼみ)とはなれもしらずよ蕗の薹

草霞み水に声なき日ぐれ哉         蛇(へび)を追ふ鱒(ます)のおもひや春の水

飛込(とびこん)で古歌(ふるうた)洗ふ蛙かな

*芭蕉句「古池や蛙飛びこむ水の音」を背景に、古池に飛びこんだ蛙は、身にまとわりついた「古歌」の垢を洗い落として、新しい俳諧を歌うようになった、と主張する。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/15/071059  【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(2/8)】 より

紅梅や入日の襲(おそ)ふ松かしは    燕(つばくら)や去年(きよねん)も来(き)しと語るかも

さくら一木(ひとき)春に背(そむ)けるけはひ哉 月光西にわたれば花影(かえい)東に歩むかな

*春の暁、月影が西に動くにつれて、花の影が東から現れてくる。漢詩を踏んで、対句仕立て。

行(ゆく)春(はる)の尻べた払ふ落花哉    雲を呑(のん)で花を吐(はく)なるよしの山   

くれかぬる日や山鳥のおとしざし

*春の夕日に、山鳥は落し差し(刀のこじりを下げて差すこと)のように、地上に長く尾の影を落としている。

菜の花の土にやつるる岡辺哉     若草や藍(あゐ)より出(いで)て青二才

行春の鳥も蛙(かはづ)も泪(なみだ)哉     行春や水も柳のいとに寄る


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/16/071307 【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(3/8)】より

虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹哉     やどり木の目を覚したる若葉哉

脱(ぬぎ)すてて一ふし見せよ竹の皮     長尻の春を立たせて棕櫚の花

鶯の音をや入(いれ)けん歌(うた)袋(ぶくろ)

*歌袋: 和歌の詠草を入れる袋。句の意味は、「鶯が鳴くのをやめたのは、歌を袋にしまいこんだからなのだろう。」なお鶯を歌人に擬える発想は、古今集の仮名序による。

若竹や是非もなげなる芦の中     麻を刈れと夕日このごろ斜(ななめ)なる

かけ香やわすれがほなる袖だたみ

*かけ香(掛香): 匂袋。夏の季語。  袖だたみ: 両袖を合わせただけの簡便なたたみ方。掛香を忘れたかのように無造作に置かれた袖たたみの衣装を詠んだ句。

貧乏に追(おひ)つかれけれけさの秋     目に見ゆる秋の姿や麻衣(あさごろも)

*麻衣の印象を詠んだ。

 硝子(びいどろ)の魚(うを)おどろきぬ今朝(けさ)の秋


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/17/072105 【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(4/8)】 より

病起(やみおき)て鬼をむちうつ今朝の秋

*夏の間苦しめられた病の鬼を、病も癒えた立秋の朝、追い払おうという。

つりがねの肩におもたき一葉かな     萍(うきくさ)のさそひ合(あは)せておどり哉

いな妻の一網(ひとあみ)うつやいせのうみ    稲妻や海あり皃(がほ)の隣国(となりぐに)

秋の蚊の人を尋(たづぬ)る心かな     日を帯(おび)て芙蓉かたぶく恨(うらみ)哉

蘭夕(ゆふべ)狐のくれし奇南(きやら)を炷(たか)む

*白楽天の詩を踏む。蘭が芳香を放つ秋の夕べ、狐のくれた奇南(伽羅)をたいて、幻想の世界に遊ぼう、という。

長櫃(ながびつ)になれも入折(いれをる)よ女郎華(をみなへし)

葛の葉のうらみがほなる細雨(こさめ)哉    鶏頭の根にむつまじき箒(はうき)哉


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/18/070145  【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(5/8)】より

篠掛(すずかけ)や露に声あるかけはづし

*篠掛: 修験者が衣の上に着る麻の衣。句は、謡曲・安宅などを踏む。山伏が篠掛を脱ぎ着するたびに露のこぼれるのを、「声ある」と表現した。

人を取(とる)淵(ふち)はかしこ歟(か)霧の中    水落(おち)てほそ脛(はぎ)高きかがしかな

笠(かさ)とれて面目(めんぼく)もなきかがしかな 

三輪(みわ)の田に頭巾(づきん)着てゐるかがし哉

流(ながれ)来て引板におどろくサンシヤウ魚(うを)

*引板(ひた): 流れに板をしかけ音を立てて鳥獣を威す装置。秋の季語。

気みじかに秋を見せけり蕃椒(とうがらし)    底のない桶(おけ)こけ歩行(ありく)野分哉

人の世に尻(しり)を居(す)えたるふくべ哉    腹の中へ歯はぬけけらし種ふくべ

*種ふくべ: 種を採るための瓢箪。成熟したら蔓から切り離して十分乾燥させた後に種を採る。句は、種瓢が種の音を立てるのを、腹の中へ歯が抜け落ちた老人に見立てた。

 葉に蔓(つる)にいとはれがほや種瓢

*いつまでも残されている種瓢が葉や茎に迷惑がられている、と擬人化。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/19/072533  【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(6/8)】 より

葉がくれのはづかしがほや種茄(たねなすび)     唐きびのおどろき安し秋の風

沙魚(はぜ)を煮る小家や桃のむかし皃(がほ)

*沙魚を煮ている小家の庭には、桃の木が昔を思わせるなつかしい様子で立っている。

きくの露受(うけ)て硯(すずり)のいのち哉    うら枯やからきめみつるうるしの木

戸をたたく狸(たぬき)と秋をおしみけり     秋おしむ戸に音づるる狸(たぬき)かな

みのむしの得たりかしこし初しぐれ    逃(にげ)水(みづ)の逃(にげ)げそこなふて時雨哉

*逃水: 川の水が地下にしみ、流れが地上から消える現象。句は、時雨のせいで川の水が消えずにあるのを、逃げ損ねた、と洒落た。

みのむしのぶらと世にふる時雨哉    しぐるるや山は帯するひまもなし

*謡曲「白楽天」の中の「白雲帯に似て山の腰を囲る」の漢詩句を踏む。山の擬人化。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/20/071023 【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(7/8)】より

     化(ばけ)そうな傘(かさ)かす寺の時雨哉

*時雨がきてお寺が貸してくれた傘の状態が、おんぼろで化けそうに見えたのだ。

     夕しぐれ蟇(ひき)ひそみ音(ね)に愁(うれ)ふかな

     子を遣(つか)ふ狸(たぬき)もあらむ小夜(さよ)時雨

     こがらしや岩に裂行(さけゆく)水の声

     日あたりの草しほらしく枯(かれ)にけり

     夢買ひに来る蝶(ちよう)もなし冬牡丹

*寒いさなかに咲いている冬牡丹に寄ってくる蝶は、さすがにいないのだ。

     初しもや煩(わづら)ふ鶴(つる)を遠く見る

     火桶炭団(たどん)を喰(くら)ふ事(こと)夜ごと夜ごとにひとつづつ

     武者(むしや)ぶりの髭(ひげ)つくりせよ土(つち)大根(おほね)

     島山や夜着の裾(すそ)より朝千鳥

     草も木も小町が果(はて)や鴛(をし)の妻

*小町が果: 小野小町が老残の果てに野ざらしとなった伝説。句は、草木の枯れ果てた様を小町の果てに喩え、それとは対照的な美しい鴛の夫に寄りそう鴛の妻をもってきた。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/21/072349 【蕪村俳句と比喩―活喩(擬人法)(8/8)】 より

     鴛や花の君子は殺(かれ)てのち

*花の君子(蓮の花)の枯れ果てた冬の池を流麗に泳ぐ鴛を詠んだ。

     らうそくの泪(なみだ)氷るや夜の鶴

     うぐひすの逢ふて帰るや冬の梅

     突留(つきとめ)た鯨や眠る峰の月

*漁師に突き刺されて浜に横たわっている鯨をこのように表現してみた。

     松も年わすれて寝るや夜の雪

     色も香もうしろ姿や弥生尽     

*弥生晦日の春の様子を、姿も匂いも後ろ姿を見せて離れてゆく美人の趣と見立てた。

     御所柿にたのまれ顔のかかしかな  

*たわわに実っている御所柿の傍に案山子がたっている様子をこのように解釈した。

     炭団法師火桶の窓より覗(うかが)ひけり  

     水桶にうなづきあふや瓜茄(うりなすび)     

     茨(いばら)老(おい)すすき痩(やせ)萩(はぎ)おぼつかな 



https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/03/28/070514  【蕪村俳句と比喩―直喩(1/4)】より

直喩は、他のものにたとえて意味や雰囲気を表す時、類似を示すことば「ごとき」「ような」などを使用する修辞法。蕪村においては、「・・・がほ(皃、顔)」という例が多い。

     歳旦をしたり皃(がほ)なる俳諧師

*歳旦の句をしてやったりと得意満面でいる俳諧師を詠んだ。

     耕(たがやし)や五石(ごこく)の粟(ぞく)のあるじ皃(がほ)

     ねり供養まつり皃(がほ)なる小家哉

     蝸牛(ででむし)のかくれ顔なる葉うら哉

     殿(との)原(ばら)の名古屋皃(がほ)なる鵜川哉

*長良川の鵜飼見物の面々は、見るからに尾張藩士の名古屋顔という顔付で鷹揚な態度だ。

     後家の君たそがれがほのうちは哉

     子(こ)狐(ぎつね)のかくれ皃(がほ)なる野菊哉

     先刈(まづかり)て雁待(まち)顔(がほ)の門田かな

     一(ひと)つ家(や)のかしこ皃(がほ)なり蕎麦の花

*一軒家ながら蕎麦の花を咲かせ、しっかり生活している様子を「かしこ皃(がほ)なり」と比喩。

     窓(まど)の人のむかし皃(がほ)なるしぐれかな

     御火たきや犬も中々そぞろ皃(がほ)

*御火たき: 京都の神社で十一月に行われる火焚き祭り。句は、この日のそわそわした様子を犬のそぞろ顔で暗示した。

     乙鳥(つばくら)や水田の風に吹かれ皃(がほ) 


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/03/29/065810  【蕪村俳句と比喩―直喩(2/4)】より

     白梅やわすれ花にも似たる哉

     裏枯(うらがれ)の木の間にも似たり後の月   

*末枯れの木の間もそこに見える後の月も万物凋落の季節に向かう寂しさを感じさせる。

     卯の花の夕べにも似よしかの声   

     枸杞垣の似たるに迷ふ都人      

*京の人が洛外に家を訪ねて行って、どこも似たような枸杞垣(枸杞のいけ垣)なので迷っている。

     一八やしやがちちに似てしやがの花

*一八としゃがの花が似ているのを、謡曲の文句を利用して、親子のようだと洒落た。

     鶯の麁相(そさう)がましき初音かな

*鶯の初音なんてお粗末なものだよ、と世の風雅心を揶揄した。

     おくびなり席(ついで)がましき田植哉

     虫売(むしうり)のかごとがましき朝寝哉     

*朝寝を夜の仕事のせいにする虫売りのかこつけ顔を詠んだ。

     朔日(ついたち)のまことがましきしぐれかな

     うぐひすのわするるばかり引音(ひくね)哉

*「ホーホケキョ」の「ホー」を、長く伸ばして鳴くうぐいすの得意然たる様子。

     畠打(うつ)や鍬(くは)の柄(え)も朽(くつ)るばかりにぞ

     狐火の燃(もえ)つくばかり枯尾花  


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/03/30/071542【蕪村俳句と比喩―直喩(3/4)】

   飛(とび)かはすやたけごころや親雀

*たけごころ: 猛々しくものおじしない心。句は、子雀を懸命に育てて飛び交う親雀の様子を詠んだもの。

     我(わが)園(その)の真桑も盗むこころ哉

     うつつなきつまみごころの胡蝶哉

     襟にふく風あたらしきここちかな   

     ゆく春やおもたき琵琶の抱(だき)心(ごころ)    

     桐(きり)火桶無絃(むげん)の琴(きん)の撫(なで)ごころ

*桐火桶の撫で心地に陶淵明の愛した無絃の琴の撫で心地を思う。

     たち聞(ぎき)のここちこそすれしかの声

     池暮(くれ)て月に棹(さを)さす思(おもひ)あり

     鱸(すずき)獲(え)て月宮(げつきゆう)に入(い)るおもひ哉

*鱸を釣り上げた喜びを王者が月宮殿に遊ぶめでたさにたとえた。

     我(わが)家に迷ふがごとし春の暮      

     青梅に打鳴らす歯や貝(バイ)のごと

     およぐ時よるべなきさまの蛙かな

     思ふ事いわぬさまなる生海鼠哉    


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/03/31/071535 【蕪村俳句と比喩―直喩(4/4)】 より

     大仏や傘(からかさ)ほどの手向菊(たむけぎく)

     いもが子は鰒喰ふほどに成(なり)にけり

     葉ざくらに類(たぐ)ふ樹も見ゆ山路哉   

     堀川の螢や鍛冶(かぢ)が火かとこそ    

     三椀の雑煮かゆるや長者ぶり       

     うぐひすのあちこちとするや小家がち   

     乾鮭(からざけ)ものぼるけしきや冬木立     

*本来の場所を離れ手も足も出ない状態のたとえ「魚木に登る」を踏む。干乾びた鮭はよく似た冬木立に登りそうだ、と詠んだ。

     寂寞(じやくまく)と昼間を鮓のなれ加減     

*静まり返っている昼間をゆっくりと鮓がなれてゆく様子。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/06/071645 【蕪村俳句と比喩―寓喩(諷喩)(1/5)】より


 寓喩(諷喩)は、譬喩、寓意ともいう。他の事物や動物、物語などにたとえて、意味を強めあるいは暗示する表現法。おなじ系列に属する隠喩を連結して編成した言述。

和漢の古典や歴史、伝説に精通していないと理解が難しい。

     鶯はやよ宗任(むねとう)が初音かな

*梅はよく知っていた安倍宗任(平家物語・剣巻)にとって、鶯の声は初めてだろう、として初音を強調した。鶯をもってきたところが蕪村の工夫。

     柳にもやどり木は有(あり)柳下恵(りうかけい)

     つなたちて綱がうはさや春の雨

*「つな」は京一条戻橋の妓女の名前。つなさんが立って行ってしまった後の座敷はでは、客たちがひとしきり綱のうわさ(鬼を退治した渡辺綱に及んでいよう)をしている。

     股立(ももだち)のささだ雄(を)ちぬ雄春の雨

*ささだ雄、ちぬ雄: うない乙女を争って、三人とも死んだ説話中の人物。万葉集、大和物語などにでている。

     雉子啼(なく)や草の武蔵の八(はち)平氏(へいじ)

*草の武蔵の八平氏: 草深い坂東に割拠した八つの平氏をさす。雉子の勇ましい鳴き声に平氏の群雄が立ち上がった様子を想った。

     夕雲雀鎧(よろひ)の袖をかざし哉

     熊谷(くまがい)も夕日まばゆき雲雀哉

     耕や苛(か)政(せい)も聞(きか)ず二百年

     陽炎や烏帽子(えぼし)に曇る浅間山

     擲(てき)筆(ひつ)の墨をこぼさぬ乙鳥(つばめ)哉

*擲筆: 空海が応天門の額に一点を書き忘れ、下から筆を投じて補筆したという逸話。燕は墨も落とさないで一点を加えている、と見立てた。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/07/072002  【蕪村俳句と比喩―寓喩(諷喩)(2/5)】より

     松下(しようか)童子に問へば只此雲裡(このうんり)山桜

*松の下で童子に隠者の所在を問うと、「処を知らず、只此雲裡山桜あるのみ」と答えた。「唐詩選・巻6・尋隠者不遇」の漢詩をもじった句。

     百(もも)とせの枝にもどるや花の主(ぬし)

*松永貞徳を花咲翁と呼ぶことから、百回忌追善として手向けた句。

     花盛六波羅禿(かむろ)見ぬ日なき

     かくれ住(すみ)て花に真田(さなだ)が謡かな

     犬ざくらよし野内裏(だいり)の似せ勅使(ちよくし)

*犬桜は、正当でない南朝の内裏が送った勅使のようなもので、桜に似て桜にあらず、と詠んだ。

     阿古久曾(あこくそ)のさしぬきふるふ落花哉

*阿古久曾: 紀貫之の幼名。 さしぬき: 袴の一種。

     祇(ぎ)や鑑(かん)や髭(ひげ)に落花を捻(ひね)りけり

*宗祇や宗鑑ぶった連衆が、花の下で句を案じている様子。

     千金の宵を綴りて襲(うはがさね)

*蘇東坡の「春宵一刻値千金」を踏んで、春の宵の「龍衣(天子の衣)」に思いをはせる。(前書が省略されているので難解。)

     春の夜の盧生(ろせい)が裾(すそ)に羽織かな

     岩に腰吾(われ)頼光(らいくわう)のつつじ哉

*岩に腰をおろして辺りのつつじを眺めると、源頼光になったような気分になる。つつじが退治した鬼の血潮にみえたのだ。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/08/070244 【蕪村俳句と比喩―寓喩(諷喩)(3/5)】より


     賀茂堤太閤(たいかふ)様(さま)のすみれかな

*太閤が作らせた賀茂堤のおかげで、桃花水(桃の花の咲くころ、氷や雪が解けて大量に流れる川の水)の時節になっても洪水の心配がなく、すみれが咲いている。

     法(ほふ)然(ねん)の数珠(ずず)もかかるや松の藤

     炉塞(ふさい)で南阮(なんげん)の風呂に入(いる)身哉

*南阮: 晋の阮威・阮籍ら(竹林の七賢)のこと。

冬以来の炉を塞いで、ほっとして風呂に入る気分は、満ち足りたもの。かの南阮もこんなだったに違いない。

     ゆく春や横河(よかは)へのぼるいもの神

*いもの神: 疱瘡神。 横河: 叡山三塔の一で、厄除けの護符は疱瘡に利くとされた。

     ゆく春や川をながるる疱(いも)の神

*春中はやった疱瘡も治まり、祀っていた赤紙など供物が川を流れて行く。

     鞘走(さやばし)る友(とも)切(きり)丸(まる)やほととぎす

     広庭のぼたんや天の一方(いつぽう)に

     朝比奈(あさひな)が曾我を訪ふ日や初がつを

*朝比奈三郎義秀が曾我十郎を訪れた際に、初鰹をもっていっただろう、と蕪村が想像して詠んだ。

     射干(ともし)して囁(ささや)く近江やわたかな

*近江やわた: 曾我物語にでてくる近江小藤太と八幡三郎のこと。二人は待ち伏せして曾我兄弟の父・河津三郎を射殺した。句は、照射をしかけ得物を待ちながら囁き合う猟師ふたりの様子を近江と八幡の状況に重ねた。

     実方(さねかた)の長櫃(ながびつ)通るなつ野かな

https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/09/070553【蕪村俳句と比喩―寓喩(諷喩)(4/5)】 より


     藻の花や藤太(とうた)が鐘の水離(はな)れ

*藤太: 俵藤太。百足を退治した礼として龍宮から釣り鐘をもらった。

水離れ: 水中から引き上げること。

湖上一面に広がる藻の花は、俵藤太が鐘を引き上げた際に、あたり一帯に飛び散った水滴にちがいない、と見立てた。

     藻の花を分(わけ)て許(きよ)由(いう)が手水(てうづ)哉

     もの花の枝折(しをり)失ふ浦島子(うらしまこ)

*枝折: 枝を折る(道しるべ)。 

一句は、浦島は龍宮からの帰り、藻の花の枝折がみつからなくて困ったろう、という。

     石陣(せきぢん)のほとり過(すぎ)けり夏の月

     負(まけ)腹(ばら)の守(しゆ)敏(びん)も降らす旱かな

*守敏: 空海と雨乞を競って敗れた僧侶。一句は、この旱は、守敏にも雨乞をしてもらいたいくらいひどいという。

     天にあらば比翼(ひよく)の籠(かご)や竹婦人

*白楽天の長恨歌の一節を踏む。 竹婦人: 竹や籐を円筒形に編んだかごで、夏の夜、涼を入れるため寝るときにかかえるもの。

     涼(すずみ)舟(ぶね)舳(へ)にたちつくす列子(れつし)哉

     丈山(ぢやうざん)の口が過(すぎ)たり夕すずみ

*丈山: 石川丈山。江戸初期の文人。句は、丈山が宮中の召しにも応じなかった時に詠んだ歌を背景にしている。川岸の床で川風に吹かれていると、「渡たじな」と詠んだ丈山も言い過ぎたものだと悔やんだことだろう、と蕪村は想像した。

     羽衣の盗み余しや青あらし

*羽衣: 八人の天女が地上に舞い降りた際、一人が羽衣を盗まれたという伝説。

句は、羽衣を盗まれなかった天女が空に舞っている風を青あらしと見立てたもの。

     いなづまや二折(ふたをれ)三折(みをれ)剣沢(つるぎざは)

     朝顔にやよ維光(これみつ)が鼾(いびき)かな

*維光: 源氏物語中の人物。源氏と夕顔の君との間を取り持った。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/10/072126  【蕪村俳句と比喩―寓喩(諷喩)(5/5)】 より


     花すすきひと夜はなびけ武蔵坊(むさしばう)

*武蔵坊弁慶に、一夜くらい女になびいてみよ、と呼び掛けている形。

     楊(よう)墨(ぼく)の路(みち)も迷はず行秋ぞ

     草枯(かれ)て狐(きつね)の飛脚(ひきやく)通りけり

     祐成(すけなり)をいなすや雪のかくれ蓑(みの)

*虎御前が恋人の曾我十郎祐成を折からの雪を隠れ蓑としてそっと返す場面。

     とらまへてひきよせ見るや冬の梅

*『忠臣蔵』七段眼の大星由良助のせりふを踏んでいる。冬の梅を賞美する心。

     くすり喰人にかたるな鹿ケ谷(ししがたに)

*鹿肉のくすり喰いのことは人に語るなよという密議を、平家追討の密議の場所であった鹿ケ谷によって暗示した。

     薬喰盧生(ろせい)をおこす小声哉

     乾鮭や琴(きん)に斧(おの)うつひびき有(あり)

     鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉   

     花守の身は弓矢なきかがし哉   

     出る杭(くひ)を打(うた)うとしたりや柳哉 


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/02/071128  【蕪村俳句と比喩―暗喩(隠喩)(2/5)】 より


     鮎汲(くみ)の終日(ひねもす)岩に翼かな

*鮎汲む人が終日岩の上で網を振っているさまを鳥が翼を羽ばたかせているようだ、と詠んだ。

     花守の身は弓矢なき案山子(かがし)哉

     門口のさくらを雲のはじめかな

     散(ちる)花の反古(ほうご)に成(なる)や竹ははき

     山鳥の尾をふむ春の入日(いりひ)哉

*柿本人麻呂の有名歌「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」により、「山鳥の尾をふむ」は、「長い」を引き出す。句は、長い春の入日だなあ ということ。

     菜の花や遠山鳥(とほやまとり)の尾上まで

*菜の花畑が遠山の峰の彼方まで遥かに続いている様子。

     海棠や白粉(おしろい)に紅(べに)をあやまてる

     爪(つま)紅(べに)は其海棠のつぼみかな

     更衣身にしら露のはじめ哉

*命の喜びを感じる更衣の日は、はかなさの始まりでもあると詠む。

     時鳥柩(ひつぎ)をつかむ雲間より

*冥土からの使いとされる時鳥の声が雲間から聞こえた。あたかも葬列の棺をつかまんばかりに。作者は葬列にいた時に雲間に時鳥の声を聞いたのだろう。


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/03/071027  【蕪村俳句と比喩―暗喩(隠喩)(3/5)】より


     ほのぼのと粥(かゆ)にあけゆく矢数かな

*通し矢が果てる頃に夜が明ける。粥の湯気の白さにほのぼのをかけた。空腹でもある。

     学問は尻からぬけるほたる哉

     摑(つか)みとりて心の闇のほたる哉

*螢をつかみとったことで殺生という心の闇を見たのだ。

     淀舟の棹(さを)の雫(しづく)もほたるかな

     髻(もとどり)を捨(すつ)るや苗の植(うゑ)あまり

     夏(げ)百日(ひやくにち)墨もゆがまぬ心かな

*百日間夏書のために墨をすっているが、墨はゆがんでこない。これこそ直き心の現れ。

     我(わが)庵(いほ)に火箸(ひばし)を角(つの)や蝸牛

     音を啼くや我も藻に住む蟵(かや)のうち

*藻に住む虫のように私も蚊帳のうちで、同行できなかった恨みに泣いている。(句会に参加できなかった、という前書あり。)

     沢潟は水のうらかく矢尻(やじり)哉

     銭亀(ぜにがめ)や青砥(あをと)もしらぬ山清水


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/04/072314 【蕪村俳句と比喩―暗喩(隠喩)(4/5)】より


     心太(ところてん)さかしまに銀河三千尺

*ところてんを啜り上げる時の豪快さを大げさに比喩した。

     いな妻や八丈(はちぢやう)かけてきくた摺(ずり)

*きくた摺: 福島県菊多特産の小紋の稲妻模様で、八丈縞の一種。前書きに「かな河浦にて」とある。神奈川沖から八丈島にかけて閃く稲妻を菊多摺りに見立てた。

     鳥尽(つき)てかくるる弓か三日月(みかのつき)

     松島の月見る人やうつせ貝

*うつせ貝: 肉が抜けて空になった貝。松島の月の美しさに心奪われている人をうつせ貝に喩えた。

     月の句を吐(はき)てへらさん蟾(ひき)の腹

     雨乞(あまごひ)の小町が果(はて)やおとし水

     釣上(つりあげ)し鱸(すずき)の巨口玉(たま)や吐(はく)

     札(ふだ)菊(ぎく)や踏(ふみ)こたへたる鶴(つる)の脚(あし)

*札菊: 品評会で品種名などを記した札を付けた菊。その菊の様子を細い脚で体を支える鶴に喩えた。

     白菊や呉山(ござん)の雪を笠の下

*白菊の様子を二句以下の情景で喩えた句。

     三日月も罠(わな)にかかりて枯野哉


https://amanokakeru.hatenablog.jp/entry/2020/04/05/071230 【蕪村俳句と比喩―暗喩(隠喩)(5/5)】 より


     白(しろ)炭(ずみ)の骨にひびくや後夜(ごや)の鐘(かね)

*白炭の骨とは、作者の身体の比喩。

     虎(とら)の尾(お)をふみつつ裾(すそ)にふとん哉

*乱暴者が酔い潰れて寝ているところへ裾からそっと蒲団を掛ける場面。「虎の尾を踏む」と酔っ払いを差す「虎」とを結びつけている。

     あたまからふとんかぶればなまこかな

     木のはしの坊主(ばうず)のはしやはちたたき

*鉢叩き(半俗の空也念仏僧)を、木の端と人にいわれる坊主のさらに末端に位置する者と戯れた句。

     朝霜や剣(つるぎ)を握るつるべ縄

*霜のおりた朝、つるべ縄の手の切れるような冷たさを剣を握ると喩えた。

     寒月や剣(つるぎ)をにぎる釣瓶(つるべ)縄(なわ)

     水と鳥のむかし語りや雪の友

     雪の河豚鮟鱇(あんかう)の上にたたんとす

     郭公(ほととぎす)琥珀の玉をならし行(ゆく)     

     閻王(ゑんわう)の口や牡丹を吐んとす     

     枕する春の流れやみだれ髪    

*枕して寝ている女の髪は、まるで春の流れに枕しているようだ、ということを暗喩で詠んだ。

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