子規の追憶 寺田寅彦

https://blog.goo.ne.jp/seisei14/e/60d3f57574ef42812822f15805937b90 【子規の追憶 寺田寅彦】 より

 子規《しき》の追憶については数年前『ホトトギス』にローマ字文を掲載してもらったことがある。今度これを書くのに参考したいと思って捜したが、その頃の雑誌が手許《てもと》に見当らない。とにかく同じような事を二度は書きたくないから、前に書かなかったと思うことだけを記すことにする。

         一

 自然科学に関する話題にも子規はかなりの興味を有《も》って居たように思われる。当時自分は訪問してそういう方面のどんな話をしていたかは思い出せないが、ただ一つ覚えていることがある。ある時|颱風《たいふう》の話からそのエネルギーの莫大なこと、それをどうにかして人間に有益なように利用するようにしたいというようなことを話したら、大変にそれを面白がった。暴風の害を避けようというのでなくて積極的にそれを利用するというのは愉快だと云って喜んでいた。

 写生文を鼓吹《こすい》した子規、「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生していると造化の秘密がだんだん分って来るような気がする」と云った子規が自然科学に多少興味を有つという事は当然であったかも知れない。

『仰臥漫録《ぎょうがまんろく》』に「顕微鏡にて見たる澱粉《でんぷん》の形状」の図を貼込んであるのもそういう意味から見て面白い。

 とにかく、文学者と称する階級の中で、科学的な事柄に興味を有ち得る人と有ち得ない人とを区別する事が出来るとしたら子規はその前者に属する方であったらしい。この事は子規という人とその作品を研究する際に考慮に加えてもいいことではないかと思う。

         二

 学芸の純粋な進展に対して社会的の拘束が与える障害について不満の意を洩らすのを聞かされた事も一度や二度ではなかったように記憶する。例えば美術や音楽の方面においていわゆる官学派の民間派に対する圧迫といったようなことについて、具体的の実例をあげていわゆる官僚的元老の横暴を語るのであったが、それがただ冷静な客観的の噂話でなくて、かなり興奮した主観的な憤懣《ふんまん》を流出させるのであった。どういう方面からそういう材料を得ていたかまたその材料がどれだけ真に近いものであったかは自分には全然分らない。しかし故人がそういう方面の内幕話に興味を有ち、またそういう材料の供給者を有っていた事はたしかである。

 子規は世の中をうまく渡って行く芸術家や学者に対する反感を抱くと同時に、また自分に親しい芸術家や学者が世の中をうまく渡る事が出来なくて不遇に苦しんでいるのを歯痒《はがゆ》く思っていたかのように私には感ぜられる。

         三

 ある時西洋の小説の話から始まってゾラの『ナナ』の筋も私に話して聞かせた。それから、何という表題の書物であったか、若い僧侶が古い壁画か何かの裸体画を見て春の目覚めを感じるという場面を非常にリアルな表現をもって話して聞かせた事があった。その時の病子規は私には非常に若々しく水々しい人のように感ぜられた。

 私は『仰臥漫録』を繙《ひもと》いて、あの日々の食膳の献立を読む事に飽きざる興味を感じるものである。そうしてそれを読みながら、まだどういうわけか時々このゾラの小説の話を思い出すのである。

 ほとんど腐朽に瀕した肉体を抱えてあれだけの戦闘と事業を遂行した巨人のヴァイタルフォースの竈《かまど》から迸《ほとばし》る火花の一片二片として、こういう些細な事柄もいくらかの意味があるのではないかと思われるのである。

         四

 子規の家から不折《ふせつ》氏の家へ行く道筋を画いて教えてくれたものが唯一の形見として私の手許に残っている。それは子規氏の特有の原稿用紙(唐紙《とうし》? に朱罫《しゅけい》、十八行二十四字)いっぱいに画いた附近の略地図である。右上に斜に鉄道線路が二本引いてある。鶯横町《うぐいすよこちょう》は右下半に曲線を描いて子規庵は長さ一センチくらいのいびつな長方形でしるされてある。図の左半は比較的込み入っていて、不折邸附近の行きづまり横町が克明に描かれ「不折」「浅井」両家の位置が記入されている。面白いことは横町の入口の両脇の角に「ユヤ」「床ヤ」と書いてある。それから不折邸の横に「上根岸四十番」と記し、その右に大きな華表《とりい》を画いて「三島神社」としてある。ずっと下の方に門を書いて、「正門」としてあるのは前田邸の正門であろう。

 脚腰の立たない横に寝たきりの子規氏の頭脳の中にかなり明確に保存されていた根岸の地理の一つの映像としてこれも面白いものの一つであろうと思う。この辺も区劃整理で昔の形が消えてしまうかどうか知りたいものである。

 今久し振りにこの図を取出して見ていると三十年前の子規庵の光景がありありと思い出される。御院殿坂《ごいんでんざか》に鳴く蜩《ひぐらし》の声や邸後を通過する列車の騒音を聞くような心持がする。

[#地から1字上げ](昭和三年九月『日本及日本人』)

底本:「寺田寅彦全集 第一巻」岩波書店

   1996(平成8)年12月5日発行

入力:Nana ohbe

校正:松永正敏

2004年3月24日作成

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