http://soujya.net/2018/11/11/post-5572/ 【【覚悟】輪廻転生という鎖を断ち切る!】より
おはようございます。\ソウジャ です。/最近、ギラギラしたお金稼ぎではない宗教家らしき人を動画で、発見しました。最初、例の統一教会の分派かも?いや、亜種のカルト?とか、いやいや、この人、なとなく「サイババ」に似てない?とか、一人でブツブツつぶやいて見ていましたら、、、何かが、純な、何かが、、ちょっと、本気で観てみようかと・・・
この動画のコメントに次のような文言が書いてありました。。
『みなさんが本質が見えるならば完成と言えるでしょう。 何を見ても何を感じても神のほかは存在していません。花々の中に、動物・鉱物のなかに。神は無限で一元です。
それを神はさまざまな方法で訴えます。
■本物の覚者で超人、上江州義秀(うえずよしひで)
上江洲義秀先生は1950年生まれ 数年間の瞑想を通して宇宙意識に到達。
日々休むことなく沖縄から北海道わたり講話、ヒーリング、瞑想指導を通して人類を導く。
自らの内側からの、「私は誰か」の問いと「あなたは眠っている、目を覚ましなさい」の導きで、真我に至れる。
テレパシーやテレポテーション、空中浮揚、奇跡の治癒力など、ありとあらゆるスーパーパワーを極限まで所持しているにもかかわらず、覚醒に導かないそのようなパワーを使用することをしない。 このような人が、この日本にいることは驚愕。』
とのこと、、、
要するに、上江州義秀氏なる人物は、超能力を持っているがそれを大衆にひけらかすことなく大衆を「覚醒」に導くために日々活動をなさってる・・・
なーるほど、先に書いてる記事での故飯島秀行先生と故飯島秀行先生の語録より:農業と病気について故飯島秀行先生の語録より:農業と病気について soujya.net 同じ様な導きであるようです。2008年10月25日山梨県での講話で十年くらい前に収録されたもので古いです。
フリーエネルギーのモーターの制作に没頭していたようですが・・・さて、それで、どのように至ったのか?
では、どうぞ・・・■本質はすべての中に 上江洲義秀 1/6
■編集後記
彼は、非常に奥深い内容を語っていました、同じ人間を観察した場合、3次元で見た「肉体」と5次元以上の意識で見た「カミ」です。
ここで、私が思うのは、「カ」 「ミ」という意味です。
超古代の解釈に倣えば、、「カ」は、何かに力を加える、与える、授けるという意味。
「ミ」は、何かの対象物である物質、現象化したモノ、形、身(み)という意味になって、「何らかの原因の力によって現象化しているモノ」という意味になると考えます。
現象化してる、我々が見ている「外」という結果の背後には見えない「内」である意識が働いているということでしょう。
だから、そのように考えると内なる光の陽が最初に在って外なる影の陰が存在するというからくりを意識の目でみるようにしなければ、本当のことを見ていない。という事になってしまうのでしょう。
それが、老子の説いた「道」にも通じるものがあるかもしれません。
上江洲(うえず)氏が話されている「外」と「内」はちょうど、老子のたとえ話で云う「有」と「無」のようです。
この目に見える世界でさえ、注意して眺めれば、それが、分かるように「カミ」の働きが見えると考えます。
それは、老子の言葉 第十一章より三十輻共一轂。
當其無、有車之用。 埏埴以爲器。 當其無、有器之用。 鑿戸牖以爲室。 當其無、有室之用。 故有之以爲利、無之以爲用。
車輪の中心が空いている車は 30本の直線状の木片が車輪の 中央に収まることで、
人々を運ぶために使用できるのです。
また、粘土によって、造られた器は、真ん中に空洞があるため、器としてその役割を果たす
ことができます。
家を作るためには、ドアと窓を設けていますが、家の中が空間であるので、家としての役割を果たすことができます。
したがって、「無」である「空」の意識概念の実装は、大衆によって、無意識的に日常的に利用されており利便性が非常に高いものとなっているという事実にお気づきですか。
では、また。
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