http://kawagoe-fujimi.net/2019/12/arayama/ 【宇都宮の二荒山神社(ふたあらやま)は高い階段登ればお水取りもできる】 より
今回は、栃木県の旅です。
式内大社の二荒山神社です。宇都宮市内のほうです。下総国一之宮です。
初詣の予定の人もいるだろうと、今年1月に行ってきた時の写真があったので、それを書いておこう思いました。
私はJRの宇都宮駅から徒歩で行きました。1キロほどあるようで、東武線の宇都宮駅のほうからも行けます。
二荒山神社といいますと、読み方が違う日光のほうの二荒山神社が知られているようなのですが、パルコも近いし、初詣はきっとこちらに行く人が多いのではないかなと思いまして、書いておくことにしました。
一説によると、95段あるという真正面の階段がおおっと、なりますが頑張って登れば見晴らしいいし、お水取りもできるし、いっぺんにたくさんの摂社も回れるし、ぜひ、お正月にはどうぞ。
お正月の3が日は、正面の階段がのぼり一方通行となっているそうです。よほどの人出があるのでしょう。
宇都宮の二荒山神社は先に下之宮から参拝
パルコのすぐ脇にあるのが、下之宮です。本宮前にこちらを参拝しました。順番は、下之宮からだろうということです。
JR宇都宮駅方面から行くと大通りを通り、パルコを通りすぎるとすぐ横にあります。
写真でもパルコの建物が確認できるかと。もしわからなければ、パルコの周りを一周すればありますよ。
宇都宮の二荒山神社でもらった紙を読みますと、二荒山神社が日光と宇都宮にあって、両社の関係について古くからいろいろと論じられてきたそうっですが、いまなお明確にされていなくて、今後の解明を待つところとなっているようです。
日光は、山岳信仰(霊山信仰のあった男体山に勝道上人が登頂)宇都宮は平地で農耕を営む上下毛野君の祖先を祀るという祖先信仰ということから、2社は別個のものであるようです。
宇都宮の二荒山神社は読み方がふたあらやまで、日光は、ふたらさんと読むところも違っています。
宇都宮の二荒山神社は、御祭神を豊城入彦命となっています。上野毛君、下野毛君の始祖と古事記に書かれているそうです。
日光は、霊峰二荒山(ふたらさん)が男体山で、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光市内に三社鎮座しています。
男体山山頂に奥宮、中禅寺湖畔に中宮祠、市内に御本社の3社です。
下之宮ですが、すごいキレイに清掃されていて、ちゃんと管理している人がいるんですね。
まずは、こちらで参拝してから、本宮へと行きました。
「おたりや」というお祭りもあるそうで、12月15日に冬渡祭、1月15日に春渡祭を行っている模様。
夕刻より、お神輿が出て市内を渡御します。
おたりや、は古くから火災防止のご利益があるとされ、お焚き上げの日に当たると無病息災で過ごせるとの言い伝えがあります。
たまに神社のお祭りが夜に行われることがありますが、神様の遷座は夜行われていたそうなので、宇都宮の場合も神様の遷座が関係しているのでしょう。
夜に行われるということは、幻想的なお神輿なのでしょうね。
夕刻よりお神輿が出て下之宮で御旅所の後、田楽舞を奉納した後に、市内を御渡します。
特に、1月15日のおたりやは、正月飾りをお焚き上げして、正月の終わりを感じさせるものとなっているそうです。
神社でいただいた紙によると、お焚き上げの時間は、12月15日と1月15日ともに、午前9時より午後7時までとなっていました。
宇都宮二荒山神社は摂社も多く明神の井でお水取りもできる
赤い鳥居の両横には、社号標と、由緒板がならびます。
階段途中には、末社が並んでいる場所があります。
それにしても、この階段の多さです。参道はそれほどの距離はないのですが、階段が山登りですね。
二荒山神社は、歴史が古くさらには、何度も火災にあっているそうです。
近年でも4回火災にあっているとか。明治維新の戊辰の役にも火災に。
延喜式・神名帳に、下総国河内群座として、書かれていたそうです。
階段を登って、山門をみますと、なるほど歴史は古そうな建造物です。
正月とはいえ、三が日が過ぎてから行ったので、それほど人はいないかと思いきやけっこう来ていました。
しあわせ餃子おみくじという、いかにも餃子の町、宇都宮らしいご当地おみくじもありました。
宝物としては、鉄製の狛犬も。三十八間星兜は、国指定の重要美術品です。
正次作太刀は、県指定の文化財だとか。
ここ宇都宮の二荒山神社で有名なお守りと言ったら、こま犬守です。
二荒山神社の宝物「鉄製狛犬」にちなんだお守りです。
鎌倉時代に奉納されたもので、日本犬の形の珍しい狛犬なのです。
拝殿向かって左側には、女体宮がありました。
安産の神様だそうです。
例祭日も書かれていて10月22日午前10時です。
女性の身心諸願成就にも。縁談、安産に霊験ありですって。
まずは、参拝をすませたら、御朱印をいただき、本殿の左側のほうを歩いてみました。
本殿の裏手です。
家に帰ってから知ったのですが、本殿勾欄擬宝珠(こうらんぎぼし)が宇都宮市指定文化財に昭和36年9月18日に指定されているそうです。
擬宝珠とは、ぎぼしとよみまして、欄干の柱頭につける宝珠の飾りのことをいうそうです。
慶長10年(1605年)に宇都宮城主奥平家昌(徳川家康の孫)の時に、社殿が改造され、この時に徳川家康によって寄進されたのが本殿の高欄擬宝珠ということです。
そのことは、「征夷大将軍源家康御建立 慶長十季(ねん)乙巳七月吉日」と刻まれているそうです。
神社でいただいた紙に記載されていました。ちょっと見たかったなと思いました。
御神庫が目に入ってそちらに気を取られてしまったのですが、御神庫の右隣りは、十社がありまして、県内延喜式内社の合祀となっていました。
下の写真が、十社です。
後で知ったのですが、二荒山神社には「大谷石」がいくつかありまして、この十社の裏にもあるそうです。
「大谷石文化が息づくまち宇都宮」が、文化庁の日本遺産に認定されているので、大谷石のことを知っている人もいることでしょう。
大谷石文化については、こちらのサイトを参考にしてみてください。
日本遺産「大谷石文化」公式ホームページ ~地下迷宮の秘密を探る旅 大谷石文化が息づくまち宇都宮~
大谷石とは、宇都宮の北西部の大谷地方で産出される石のことです。
海底火山の噴火によって生じた凝灰岩で、江戸時代から本格的に採掘されたという歴史ある石ですね。
十社の後ろ側にある大谷石は、謎の礎石として、明治以前の建物の礎石のようなのですが、なぜか1つだけ、残っているとか。
大谷石に関しては、神社の正面の石段の途中にも石垣があります。日本遺産構成文化財になっています。
末社の須賀神社の狛犬も大谷石です。女坂(西坂)の石垣も大谷石です。
社務所の前にも大谷石の灯籠があります。神社の社殿と本殿まわりの板壁の土台にも使われています。
御神庫の左隣りは、お水取りができる明神の井です。
しかしすぐに目にとまるのは、こちらの稲荷神社です。
初辰稲荷神社
お稲荷さんと書かれていていますね。例祭は陰暦の2月初午午前10時です。
初午は、旧暦でやったり、新暦でやったり、しますから確認がひつようです。
月次祭も毎月初午の日の午前10時に行っている模様。
このように赤い鳥居がズラッと並んでいると、明神の井がわからないですが、途中の右側にあります。
こちらがその、明神の井です。
井戸ですね。
まずはお水取りの前に稲荷神社に。
初辰稲荷神社に参拝をすませました。
初辰稲荷神社の参道途中にある明神の井です。
宇都宮の名所、七木、七水、八河原のひとつだそうです。
明神の井は、復興されたのだそうです。この井戸にまつわる伝承は数多く残されているとか。
明治天皇が明治42年11月那須野ヶ原大演習の時、ここの地に行幸があって、この井戸、すなわち、井戸水で湯茶を献上したということです。
念のため、書いておきますと、龍の口からお水を出すには、蛇口が岩の下のほうにあるのです。
見えますか。蛇口が!
この井戸水は、御神水で、霊水であると書かれていましたが、神社内ですから当然のことでしょうね。
御手水や神棚に供えるお水にも良いとのこと。さらには、書道などの技芸の水に使うと上達するという信仰もあるのですって。
お持ち帰りになり、御神徳を戴かれるよう、お奨めしますと、書かれていました。
なるほど、これはお水取りにいいですね。
後で栃木の七水を調べてみたのですが、残っていないところが多く、残っていたとしても池が残っているだけ、のような感じでした。
だからお水取りなら、こちらでしょうね。煮沸したほうがいいのかについては、よくわからなかったですが、私はその場で一口だけ飲んでみました。
おそらく、お水取りを地道に行っている人ならば、宇都宮の七水と言われるくらいですから、ここの場所は、すでに知っているのかもしれませんね。
御神木のイチョウの木も有名
世界的な発見につながったといわれるイチョウの木です。
なんでも精子の動きの撮影に成功したイチョウの木だとのこと。ギンナンは受精してできるのですか。
それだからか、子宝に恵まるとしてご神木として知られているそうなのです。
イチョウの奥には、須賀神社(お天王さま)と市神社(市や商業の神様)がありました。
そのほか、たくさんの記念碑もあったのですが、全部見ている時間がなく、階段の下のほうにある摂社、末社をみてみることにしました。
階段の途中には多くの末社が
参道の階段を中心にして、本殿方面に向かって、左側には、剣宮(武徳の神)があります。
そのとなりには、この十二社がありました。肇国の神となっていますが、12の神様かと思ったら、それ以上お祀りされているようです。
人気なのは、その隣にある菅原神社です。
受験間近ですから、次から次へと参拝に来ていましたよ。さすがは、学問の神様です。
階段をはさんで、本殿方面に向かって右側には、松尾神社(お酒の神様)、荒神社(疫病鎮めの神様)、水神社(水の守り神)が並んでいます。
帰りは、脇のほうの道から降りていきました。
高さがあるだけに、パルコなど見えて見晴らしがよかったですよ。神社のまわりは広く場所が開けられていたのですが、初詣の時期は、そこにも参拝の人が集まれるようになっているのかなと思いました。
https://utsunomiya-8story.jp/story/story6/ 【宇都宮の歴史と文化財】 より
徳川将軍が宿泊した城
江戸時代に徳川幕府が開かれ、日光に初代家康を祀る東照宮が造られると、将軍家による日光社参が行われるようになります。その規模は、8代将軍吉宗の場合で見ると、行列の人数が約13万人、人足が約22万人の大行列で、幕府の権威を示す大規模なものでした。その社参の際に将軍の宿泊所として宇都宮城は使われました。
釣り天井伝説
この将軍が宿泊する宇都宮城を舞台とした伝説が「宇都宮釣り天井事件」です。宇都宮城主であった本多正純が、駿河大納言忠長を3代将軍にしようと考え、日光社参のため宇都宮城に宿泊する家光を釣り天井により暗殺しようと企てますが、失敗に終わるという物語です。この元となったのが、元和8(1622)年、2代将軍秀忠が日光社参の際に、帰り道、急に予定を変えて宇都宮城を避け、江戸に帰ってしまい、その後、正純は宇都宮城を取り上げられたことが、後に講談や歌舞伎の題材となり脚色され、釣り天井伝説が生まれたのです。
宇都宮城下の賑わい
当時の宇都宮城下には約1万人が住み、様々な業種の人が集まり城下町を形成していました。二荒山神社の菊水祭付祭では、屋台や山車がくり出され、多くの人で賑わっていました。
新石町山車(明治40年代)
平成26(2014)年に復元された山車は、宇都宮城址公園のまちあるき館に展示されている。
伝馬町屋台
屋根の上には、龍が今にも飛び出しそうな姿で乗っている。全体に「牡丹に唐獅子」「松に鳳凰」など、華麗な彫刻がはめこまれている彩色の彫刻屋台である。(県指定)
市民の憩いの場 宇都宮城
この宇都宮城は高度経済成長期に一部を残し、埋め立てられてしまいましたが、城址公園の再整備により、現在の姿に生まれ変わり、市民の憩いの場として利用されています。
https://utsunomiya-8story.jp/ 【宇都宮の歴史と文化財】
宇都宮市は、二荒山神社の門前町・宇都宮城の城下町として栄え、大谷石採石産業の営みによる独特な景観、農村部に残る天棚や屋台など、多様な文化が息づいているまち。
そのうつのみやの歴史を、文化財群を軸にしながら8つのストーリーで紐解いていきます。
https://utsunomiya-8story.jp/story/story1/ 【STORY1】今も昔も住みやすい関東平野の里山都市 うつのみや】
https://utsunomiya-8story.jp/story/story2/ 【【STORY2】文武に秀でた宇都宮氏の本拠地 うつのみや】
https://utsunomiya-8story.jp/story/story3/ 【【STORY3】2つの街道の追分、水運の鬼怒川 人・モノ・情報の交流拠点 】
https://utsunomiya-8story.jp/story/story4/ 【【STORY4】古代から現代まで 大谷石がつくり繋いだ石のまち うつのみや】
https://utsunomiya-8story.jp/story/story5/ 【【STORY5】古代国家を支えた下毛野氏基盤の地 うつのみや】
https://utsunomiya-8story.jp/story/story7/ 【STORY7】二度の戦災をたくましく生き抜いたまち うつのみや】
https://utsunomiya-8story.jp/story/story8/ 【【STORY8】農村に生きた人々が築いた文化豊かな田園の地 うつのみや】
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