秋蝶の翅の破れて舞ふ陽かな 五島高資
The autumn butterfly
with a torn wing
in the bright sunshine Taka Goto
秋蝶の今を生きる健気さに癒される思いですが 下の芭蕉の句はまるで気力を振り絞った 自らの晩年を重ねている感じです。
冬の日脚注01
www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/.../huyunohi01.htm
-キャッシュ
その花を見ながら町役人として出仕する。芭蕉の句「朝顔に我は飯食う男哉」を意識しているかもしれない。 野菊までたづぬる蝶の羽おれて 芭蕉 そんな秋の日、蝶は最後の気力を振り絞って野菊の花に辿り着いた。その羽はもうすっかり痛んでいる ..
http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi 【"秋の蝶"を含む句】 より
秋の蝶小さき門に就職する
宮崎重作
ああ、よかったねエ。たとえ「小さき門」の会社だって、とにかく一息はつけるだろうから……。門のある会社といえば、おおかたは製造業だ。じりじりと失業者が増えつつある現在の時点で読むと、他人事ながら素直に祝福したい気持ちになる。ところが、掲句は戦後六年目に詠まれている。1951年(昭和二十六年)。当時の失業率はわからないが、現在の比ではないだろう。もっと高率だったはずだ。だから作者は、たとえ意にそまぬ会社へでも就職できたことを喜んでもよいはずが、その気配もない。「秋の蝶」は力なく弱々しく飛ぶしかなく、みずからも「小さき門」へと力なく弱々しく入っていく。落胆している。終身雇用制が常識だったので、こんなちっぽけな会社に生涯勤めるのかと思うと、気落ちせざるをえなかったのだろうか。俳句はしばしば世相や時の人情を写すが、短くしか語られないので、かえってよくわからないケースが多い。今この句を読んで推測するかぎりでは、少なくとも作者の就職は身近な人からも祝福されていなかったようである。宮崎重作については何も知らないが、気になって作品を追いかけてみた。と、およそ四半世紀後の句に「伊勢の海老阿吽阿吽と喰いはじめ」という句を、ぽつんと見つけることができた。「伊勢海老」は新年の季語だ。なんとなく、ホッとした。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)
September 1092002
秋蝶の一頭砂場に降りたちぬ
麻里伊
秋の蝶は姿も弱々しく、飛び方にも力がない。「ますぐには飛びゆきがたし秋の蝶」(阿波野青畝)。そんな蝶が「砂場」に降りたった。目を引くのは「一頭」という数詞だ。慣習的に、蝶は一頭二頭と数えるが、この場合には、なんと読むのか(呉音ではズ、唐音ではチョウ・チュウ[広辞苑第五版])。理詰めに俳句としての音数からいくと「いちず」だろうが、普通に牛馬などを数えるときの「いっとう」も捨てがたい。というのも、枝葉や花にとまった蝶とは違い、砂場に降りた蝶の姿はひどく生々しいからだ。蝶にしてみれば、砂漠にでも降りてしまった気分だろう。もはや軽やかに飛ぶ力が失せ、かろうじて墜落に抗して、ともかくも砂場に着地した。人間ならば激しく肩で息をする状態だ。このときに目立つのは、蝶の羽ではなくて、消えゆく命そのものである。消えゆく命は蝶の「頭」に凝縮されて見えるのであり、ここに「一匹」などではなく「いちず」の必然性があるわけだが、しかし全体の生々しさには「いっとう」と呼んで差し支えないほどの存在感がある。作者が「いちず」とも「いっとう」ともルビを振らなかったのは、その両方の意を込めたかったからではなかろうか。やがて死ぬけしきを詠むというときに、この「一頭」は動かせない。『水は水へ』(2002)所収。(清水哲男)
August 2582007
取り入るゝ傘一と抱き秋の蝶
亀山其園
この句は、句集『油團』から引いた。何となく本棚を見ていて、この油團(ゆとん)に目がとまったのだった。そういえば昔我が家にもあった、和紙を貼り合わせて油を塗ったてらてらとした固い夏の敷物である。素十の前書きに「其園(きその)さんは女で、早く父母に死に別れ、傘張りの家業を継いで弟妹の教育をなし遂げた感心な人です。」とある。その後に、戦後しばらくは傘屋も繁盛したが、洋傘に押され廃業、お茶屋を始め、俳句半分、商売半分で暮らしている、と続いている。店先でのんびりお茶を飲んで、買わずに帰ってゆく客を気にもとめない主人を見かねて、素十が書いた「茶を一斤買へば炉に半日ゐてもよろし 閑店主人」という直筆の貼り紙の写真が見開きにあり、たくましくもおおらかな其園という女性の人柄が偲ばれる。掲句、秋になると、天敵の蜂が減り、蝶は増えてくるのだという。萩や秋桜の揺れる中、秋風に舞う蝶は、空の青さに映えて美しく、秋思の心に響き合う憐れがある。秋晴れの一日、きれいに乾いた傘を抱えたまま足を止めている其園と、そこに来ている蝶の、小さな時間がそこにある。『油團』(1972)所収。(今井肖子)
October 01102011
切れ長の眼をしてゐたり秋の蝶
三吉みどり
先日たまたま数人で秋の蝶の話をしていた。曰く、秋の蝶って私にとっては紋黄蝶、風には乗らないで漂っている、空中で一瞬止まることがある、等々。それぞれイメージを持っているようだが羽根の色や動きなど、あくまで全体の姿で把握され、その先は凍蝶へ。そんな時掲出句を読み、蝶の顔を思い浮かべてみる。しょぼい三角たれ目の私にとって、切れ長の涼しい目元はまさに憧れだが、複眼である半球のような眼はどうも切れ長とは思えなかった。それなのに句には不思議なリアリティーを感じて、蝶の顔写真をあれこれ探すと、いかに自分が蝶の顔にいい加減なイメージを持っていたか、よくわかった、特に紋白蝶の水色の眼の、色も形も美しいこと・・・この句は、ゐたり、であるから作者は蝶の顔をしみじみ見たのかもしれない。いずれにしても、切れ長の眼が、一瞬で秋の蝶を読者の心に飛ばすのだ。『花の雨』(2011)所収。(今井肖子)
October 09102013
石を置く屋根並べをり秋の蝶
和田芳恵
瓦屋根ではなくて、何軒もの家々の屋根には石がならべられている、それはどこかに実在する集落であろう。そうした素朴な集落の家々の軒先や屋根高くまで、秋風に吹かれて飛んでいる蝶の風景が見えてくる。「並べをり」で切れる。蝶は四季を通じて見られるけれども、単に「蝶」だと春の季語であることは言うまでもない。春の蝶は可愛さも一入だし、小型種が多いと言われる。秋の蝶だから、風にあおられて屋根まで高く飛んでいるのだろう。石も蝶も、どことなくさびしさを伴っている。今はどうか、かつては屋根に石を置く地域があった、掲句はそれを目の当たりにして詠まれている。何をかくそう、私の生まれ育った実家の屋根も、広い杉皮を敷きつめ、その上にごろた石がいくつも置かれていた。雪下ろしの際にはそれらが長靴やシャベルにぶつかって、作業がやりにくかったことをよく覚えている。近所にはそういう家はなかったようだから、わが家では瓦を上げる資金がなかったのかーー。小学五年頃にめでたくコンクリート瓦にかわり、子ども心に晴れ晴れした気持ちになった。芳恵には他に「病む妻と見てをりし天の川」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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