与謝蕪村 俳句の調べ

http://blog.ainoutanoehon.jp/blog-entry-563.html 【与謝蕪村、音の美。俳句の調べ】より

『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を今回から三回、見つめます。

注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとっていて、とても優れていると感じました。

特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました。十七字と限られた詩型でも言葉の表現であるかぎり、何より詩歌である限り、音の美しさはいのちだと私も考えますので、確かめられたことを嬉しく思います。

以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  春の海終日のたりのたり哉(はるのうみひねもすのたりのたりかな)

注解引用◎「のたりのたり」は、(中略)海全体ののんびりした感じをいうものであろう。ものうい春の気分がそのままに表れている。

 ☆ この句の子音をとり母音だけをぬきだして並べると、AUOUI IEOUOAI OAIAA アウオウイ イエオウオアイ オアイ アアとなり、最後の2音以外は同じ母音が並んでいません。この変化が波のような浮き沈みを生んでいて「イI音」を最低部・底、「アA音」を最後部・波頭にして、揺れ動いています。

  菜の花や月は東に日は西に(なのはなやつきはひがしにひはにしに)

注解引用◎夕景を描くことは、そこに至る一日の昼間を思わせることである。この大きな明るさは、これまでの発句にはあまり見られなかったものだ。(中略)画家としての構成力でもあろう。

 ☆ 切れ字「や」までは母音「アA音」を重ねてまず歌いあげ、間をおいて主調の母音は「イI音」に転じます。対句「・・・はwA・・・にnI」の繰り返しが大きな抑揚を生みだしています。

  朝日さす弓師が店や福寿草(あさひさすゆみしがたなやふくじゅそう)

注解引用◎切れ字「や」が効果的で「福寿草」が生きている。

☆ 俳句独特の切れ字は、その後に間(ま)を生み、続く言葉への期待感を読者の心にかもしだします。その言葉が期待を裏切らない、期待を上回る鮮やかな驚きをもたらす詩語であるとき、感動が生まれると思います。

 作者の一人として、そのような読者に感動をもたらす詩語は、創作の時間にその言葉を見つけた作者自身が必ず感動している、と私は思っています。

  しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(しら梅にあくるよばかりとなりにけり)

注解引用◎ラ行音を主として、調べもなだらかである。

 ☆ この注解はとても優れた感性によるものだと感じました。ラ行音を順に抜き出すと、「ら」「る」「り」「り」「り」で、子音R音と結びつく母音の変化A、U、I、I、Iが快い調べを織りなしています。

  うぐいすの啼やちひさき口明て(うぐいすのなくやちひさきくちあいて)

注解引用◎「や」の切字を受けた後半の声調は「ちiひiさきiくちiあいiて」とイ列音を並べたため、甘美で鋭い声音を伝えるようにも感じられる。

 ☆ 注解の言葉のとおりだと感じます。さらに子音のK音が「くKu」「きKi」「くKu」と三回鋭く声をほとばしらせています。

  二もとの梅に遅速を愛す哉(ふたもとのうめにちそくをあいすかな)

注解引用◎「二もとの梅に」とやわらかい和語の調べを打ち出し、続けて「遅速を愛す」と硬い漢語調に転じた曲節の抑揚は巧みであり、前書(まえがき)の「草庵」と響き合わす用意もあろう。

 ☆ 和語と漢語が織り交ぜる日本語の詩歌の可能性を教えられます。詩歌において和語は基本的には万葉以来表音言語、一音を一文字で表すので、歌い読む時間がかかり、ゆるやかです。漢語はこの句の「遅速ちそく」「愛あい」のように、一文字に二音を詰めることが多く歌い読む時間が早まることで強めもし、また漢字の字形は四角張っているので硬さを感じさせます。この句は、緩急、強弱も孕んでいます。


http://blog.ainoutanoehon.jp/blog-entry-564.html 【与謝蕪村、青春かおる。俳句の調べ】より

  白梅や墨芳しき鴻臚館(はくばいやすみかんばしきこうろくわん)

注解引用◎異国趣味にふさわしく漢語を配し、「かんkanばしきこうろくわんkan」と韻を押した用意も注目したい。

 ☆ 水墨画のイメージには「はくばい」が「しらうめ」に比べふさわしく、恐らく「かんばBAしき」という詩語は、白梅の「ばBA」の音に呼び出されて選ばれたと感じます。詩歌の作者はイメージ、意味だけでなく、意識、無意識にこだまする音を探します。「かんkan」についても同じことが言えます。

  春雨や小磯の小貝ぬるゝほど(はるさめやこいそのこかいぬるるほど)

注解引用◎「小磯の小貝」のコの頭韻にいかにもこまやかな感じがあり、「ぬるゝほど」は、春雨のやわらかな感じをそのままに表している。

 ☆ 「ぬるゝほど」は「ぬるるNURURU」が母音「ウU音」の重なるリズムと子音N音の粘着感とR音の流動で、雨と海水を伝え、「ほどhOdO」は母音「オO音」が落ち着いた穏やかさを奏でます。イメージも鮮明に立ちのぼる句です。

  牡丹散て打かさなりぬ二三片(ぼたんちりてうちかさなりぬにさんぺん)

注解引用◎「牡丹散て」の迫らざる字余りが、厚ぼったい感じの豪華な花の散り方をよく表している。

 ☆ 「ぼたんbotaN」「三saN」「片peN」と隠れながら三回繰り返されている「んN」音が、調べに特徴を出していると思います。

  山蟻のあからさま也白牡丹(やまありのあからさまなりはくぼたん)

注解引用◎山蟻の黒色と牡丹の白色との鮮明な対照。十七音中ほぼ三分の二を占めるア段の音が明るく軽快に響く。

 ☆ 注解の「ア段の音」とは、子音に母音「アA音」が結びついた文字のことを言っています。順に抜き出すと、「やyA」「まmA」「あA」「あA」「かkA」「らrA」「さsA」「まmA」「なnA」「はhA」「たtA」と11文字もあります。蕪村の調べにあるこの音色に、萩原朔太郎は青春性の明るさを聴きとったのだと私は思います。私にとっても、「わび」「さび」と「老い」から離れた、この俳句の世界はとても新鮮です。

  三井寺や日は午にせまる若楓(みいでらやひはごにせまるわかかへで)

注解引用◎「日は午にせまる」の声調がとくに引き締まって力強い。

 ☆ 「わかかえでwAKAKAede」という詩語の母音アA音の明るさと子音K音の鋭い響きにも、光に翻る若葉のうすきみどりのイメージと溶け合い、その動く姿が感じられます。

  窓の灯の梢にのぼる若葉哉(まどのひのこずえにのぼるわかばかな)

注解引用◎三つの「の」の重畳(ちょうじょう)も、迫った気息(きそく)として瞬間的な実況にふさわしい。

 ☆重畳は、日本の和歌の調べの大切な要素、リズム感を生み出す、重ねて畳みかける押韻(同音のこだま)のことです。たとえば、上五を切れ字「や」で「窓の灯や」とすると断絶が生まれますが、「灯の」と「窓の」に重畳させたことで、続く詩句になだれこんでゆく勢いリズム感が生じて、離れた「のぼる」まで保たれて押韻と感じさせます。

 「わかばwAKAbA」「かなKAnA」も母音アA音と子音K音が明るくこだまして響いています。

  をちこちに滝の音聞く若葉かな(をちこちにたきのおときくわかばかな)

注解引用◎前半のタ行音と後半のカ行音とが交錯する韻律がことに美しい。

 ☆優れた注解だと感じます。母音と子音の響きに鋭敏に耳を澄ませています。タ行音の子音T音、

カ行音の子音K音が、o[Ti][ko][Ti]ni [Ta][Ki]noo[To][Ki][Ku] wa[Ka]ba[Ka]na、結びつく母音により音色を繊細に変えながら、交錯する韻律は、とても美しいと私も感じます。

 この二つの子音のリズム感のある弾ける響きは、意味・イメージの、滝の音、滝の水を、言葉の調べからも奏でています。


http://blog.ainoutanoehon.jp/blog-entry-565.html  【与謝蕪村、恋も童話も。俳句の調べ】

より

  燃立て貌はづかしき蚊やり哉(もえたちてかほはづかしきかやりかな)

注解引用◎「かほ・かやり」という頭韻もいい。

☆ 男女の顔が一瞬火に照らしだされ、恥じらいあう、初々しい抒情、恋の感情を俳句でも歌える、歌っていることが、私にはとても新鮮に感じられる句です。

  落穂拾ひ日あたる方へあゆみ行(おちぼひろひひあたるかたへあゆみゆく)

注解引用◎「ひHIろひひHIあAたる方へあAゆYUみゆYUく」と押韻を順を追って重ねた声調は、静かに歩を運ぶ動作を写しており、一句の落ち着いた色調にもふさわしい。

 ☆ 優れた注解です。「ひHI」音、「あA」音、「ゆYU」音がそれぞれ押韻しているので、18音中6音が、句の中で順に呼び合っています。最後の詩語を「あゆみゆく」としたことで、その動きを続けている姿が目に浮かんできます。

  猿どのゝ夜寒訪ゆく兎かな(さるどののよさむとひゆくうさぎかな)

注解引用◎「夜寒訪ゆく」といういかにも俳諧風の表現を童話風に当てはめているところがおもしろい。

☆ 詩心は感動する心だから、詩人は子ども心を忘れず失わない人だと私は思います。いつもしかめ面、厳しい表情をしていることが詩人の証ではありません。やわらかな心の明るさをも、蕪村が俳句で響かせていることを、私は心から尊敬します。

  待人の足音遠き落葉哉(まちびとのあしおととおきおちばかな)

注解引用◎ともかく人を待つ身の焦燥を微妙な感覚で表したこの句は、叙情詩としても逸品であり、落葉の持つ季題趣味からは完全に脱している。

 ☆この注解も優れています。恋の歌です。歌の叙情性は音楽性と結びついています。子音に隠れた母音だけを抜き出してならべてみると、AIIOO AIOOOOI OIAAAとなり、明るい母音の「アA音」、引き締める母音の「イI音」、少し沈む母音の「オO音」が感情の浮かび沈む、期待と不安のを奏でています。

  雪の暮鴫はもどつて居るやうな(ゆきのくれしぎはもどつてゐるやうな)

注解引用◎「居るやうな」という口語調の中に、鴫に対する優しい気持が感じられる。

 ☆ 日本人の心のあり方、会話の特徴は、論理的、断定的に言い切る言説ではなく、語尾を濁し、あるいは消音して言い切らないところにあります。島崎藤村は小説での会話にその特徴を意識的に活かしたと読んだことがありますが、この俳句も口語調で、その特徴を上手く活かしています。

 言い切らない曖昧さが、なんともいえない余情を句の後にも漂わせ、心に波紋をひろげ続けます。

  みどり子の頭巾眉深きいとほしみ(みどりごのづきんまぶかきいとほしみ)

注解引用◎「いとほしみ」といって「いとほしさ」としなかったのは、首尾に「み」を配して中七の「ま」に照応させる整調のためであろうし、また「いとほしむ」という動作の余情をとどめる表現効果が考慮されているとの解がよかろう。

 ☆ 優れた注解です。この俳句にも童心につながる詩人の心、美しい詩歌の源に必ずある人間の愛があります。蕪村は抒情詩人だったのだと、私はとても嬉しくなります。

  葱買て枯木の中を帰りけり(ねぶかかうてかれきのなかをかえりけり)

注解引用◎カ行音を主とした声調は、寒林の乾いた空気と淡白な心情を写し出している。

 ☆カ行音「か」「き」「け」「こ」の音が多く、特に四回あらわれる「か」の音が、よく響き、聞こえてきます。注解の通り、イメージの情景と響きとても合っている、乾いた音が心にエコーを重ねてゆくので、心象風景にも、象徴風景にも、高められて感じられます。俳句の、詩歌の力だと感じます。

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