「宇都宮」の地名の由来

https://folklore2017.com/timei900/0008.htm  【「宇都宮」の地名の由来】  より

■ 宇都宮(うつのみや): 栃木県宇都宮市

宇都宮には二荒山(ふたらさん)神社があり、昔からその信仰で栄えた。この二荒山神社の別名を宇都宮と言った。

この神社の神は、天皇に従わないものを討つ武神(ぶしん)で、「討つの宮」と呼ばれ、それが宇都宮になった。

ここの神官の宇都宮家は藤原道兼(みちかね)の子孫で、道兼は平安後期に「御堂関白」と言われた藤原道長の兄。

道兼の曾孫の僧宗円が前九年の役の勝利を祈願したことにより、宇都宮神社の社務職に任命され、それ以降二荒山神社の神官を務めるようになった。宇都宮家は源頼朝のもとで、鎌倉幕府の設立に尽力したため、鎌倉時代においては足利氏と並んで下野国の二大豪族として栄えた。

※ ところで、この「二荒(ふたら)」という言葉は仏教用語由来と言われているが、「二荒(ふたら)」→「二荒(にこう)」→「日光(にっこう)」となったらしい。

・ 「うつ」はいわゆる「うとう谷」のことで、「両側に山の迫った狭く長い谷」のこと。【市町村名語源辞典 溝手理太郎 東京堂出版】

※ 宇都宮って土地鑑がないですが、そういうとこ?

・ 下野国の一の宮(二荒山神社)の「いちのみや」が転じて「うつのみや」となった。二荒山神社の宇都宮大明神に由来する。などの所説がある。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】

・ 古くは宇津宮とも書いた。鬼怒(きぬ)川中流域に位置する。宇都宮とは、式内大社二荒山神社の別称で、それが地名に転化したもの。二荒山神社をなぜ宇都宮と呼称するようになったかについて諸説があり、まつろわぬ者を平げる征討の宮がいますところ「うつ(征討)の宮」であるとも、日光からうつし祀った社「うつしの宮」であるとも、河内郡の樹木の鬱蒼と茂る丘上に鎮座する「内の宮」「鬱の宮」「堆の宮」であるとも、下野国「一の宮」の転化であるともいう。【出典】

・ 宇都宮駅(うつのみやえき): JR東日本・東北本線。栃木県宇都宮市川向町(かわむこうちょう)。

# 宇都宮: 二荒山神社の別称の「宇都宮」に由来する。かつては「一宮(いちのみや)」と呼ばれていたが、転訛したという説や、「内宮」「討つの宮」などから変化したという説もある。また日光から「遷し祀った」ことに由来するという説もある。【出典】


https://blog.canpan.info/utsunomiyabdnet/archive/1 【「宇都宮」地名の由来と、神社と、水と】  より

宇都宮という地名の由来について、栃木銀行のHPに見つけた。よくあるとおり、ご多分に漏れず「訛って転じた」シリーズということらしい。

宇都宮の中心地にある、二荒山神社。かつて、下野国「一の宮(いちのみや)」は「二荒山神社」と呼ばれていたのだそうだ。この「一の宮(いちのみや)」が訛って「宇都宮(うつのみや)」

ほかに:下ノ宮から移したという「うつしの宮説」樹木のうっそうと茂る丘上に鎮座する「鬱の宮説(うつのみや)」「征討宮説(うつのみや)」「内の宮説(うちのみや)」などもあるという。

それにしても、この「二荒山神社」。調べてみると、その歴史は大変深く、第10代崇神天皇の時代にまでさかのぼるという。

御祭神は、第10代崇神天皇の第一皇子で上毛野君・下毛野君の始祖、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。

おもしろいのは、祭神は武徳にも優れ、藤原秀郷公(平将門の乱)源頼義・義家公(前九年・後三年の役)源頼朝公(源平の役)徳川家康公(関ヶ原の合戦)らが、戦勝祈願したそうだ。

勝負の神様!

そして、ここには末社として、水神社(水の守神)が祀られているほか、名水として知られる「明神の井戸」があるそうだ。

そうなると、気になってしまうのは、宇都宮の水源。現在の情報は、宇都宮市上下水道局のHPに掲載されている。って、近代的すぎて、ちょっと味気ないなあ...。昔の情報はどうだったのだろう。そういうことも、調べてみたい。「宇都宮」「水」で調べていたら、ため池などの情報も見つけました。これも、いきものたちや人間の暮らしに、深く関わりを持っているに違いない!ということで、宇都宮、生物多様性のぐるぐる・めぐり旅。次ぎの寄り道を、楽しみにします。