ひとり上手

全力で立った瓶は 薔薇の花が枯れ、捨て去られた時 どうなるのでしょう???

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今はだれもそうだと思いますが コロナ禍によって ひとりで過ごす時間がガゼン多くなりました。

私はここに来る前の10年間ずっとひとり暮らしだったし cocoせせらぎに来てからも じぶんの部屋にひとりでいる時間が多いので ひとりぼっちには慣れているつもりでした。ところが 家族や友人と会うこともひかえなければならないし 地域の方たちと楽しい時間を過ごすサロンでのcaféも歌も体操も手芸も ぜんぶお休みの今 私は ひとりの時間をいかにじょうずに過ごすか いかに孤独とうまくつきあうか いろいろ考えます。

”アリの孤独”を科学的に研究している人がいて アリを「孤独アリ」「同居アリ(幼虫と一緒)」「10匹のグループアリ」に分けてその寿命を比べました。するとグループアリ66日 同居アリ22日 孤独アリ6日と その命の長さにダントツの差がついたそうです。仲間を探して動き回り ストレスから死に急いでしまった孤独アリ・・・悲しい。。。     
また 孤独が健康に及ぼす影響を調べたアメリカの先生は 340万人のデータから 孤独感が死亡率を26%高めた という結論を得たそうです。孤独を感じるとそのストレスから体内で炎症反応がおき 血管系や免疫の機能が落ちて 病気になるリスクが高まるというのです。なにしろ 孤独は体によくないらしい・・・

「ひとり」の辛さを私がほんとうに分かったのは主人がなくなったあとでした。朝起きて「おはよう」と言い 寝るとき「おやすみ」を言う相手のいない寂しさ。ひとりご飯は味がしませんでした。「人はだれでも ひとりでこの世に投げ出され そしてひとりで死ぬ」その間 生きていくために集団の中で働いたり だれかを愛したり子どもを育てたりするけれど だれもが一生 心の中にひとりぼっちを抱えて生きていかなければならないという諦め。

でも ひとりぼっちは ほんとに孤独なんだろうか・・・? そう私は思うのです。というのは ひとりでいるとき 心の内がとても明るくにぎやかなのを感じるからです 記憶という花でいっぱいの まるで温室の中にいるようなにぎやかさ。
心の中の温室には 人の記憶(長いつきあいの友だちや家族 もはや会うことのないなつかしい家族や友人)や ことばの記憶(だれかからもらったことば 本・映画のセリフ・記事が私に語りかけた貴重なことば)や 事柄の記憶(音楽・植物・動物・旅行・歴史・語学・料理や手芸など 私を元気にしてくれるものたち)などの花がいっぱいで 今もあたらしい花が増殖中です。その温室にはいると ガラスごしにあたたかい愛情や 知的な光がさしこんで ”元気で生きなさい” という声が聞こえてくるようです。「ひとり」だけど 充実した孤独の日々

ところがある日 その温室がふっと消えて あたたかい記憶がすっかり色あせる日もきます なにかをきっかけとして。。。絶望的な孤独がおそってきます。水の中に沈んで浮かびあがれない なにものも私を助けてくれない感じ。
それは心の中から温室を追いだした状態なのだと だんだんわかってきました。温室を心の中におくか 手離すか 決めているのは自分なのだ・・・絶望的になって自分で温室を追いだし 自分や人を信じなくなり すべてに興味や意欲をなくした状態だ ということが。このことがわかるまでにずいぶん時間がかかりました。

そんなことを考えていたとき テレビのインタビュー番組でカトリーヌ・ドヌーブがこんなことを言ったのです。「孤独は必要です。私は孤独のなかで自分と過ごす時間を大切にしています 孤独は私にとって人生の一部です。」背筋をスッと伸ばして言ったドヌーブ。スクリーンのなかでキラキラ生きる女優でも 孤独ということばと無関係ではないんだ でも彼女もきっとすてきな温室を心の中にもっているんだろうなぁ と思いました。

映画の新藤兼人監督の晩年の生活をドキュメンタリー風に撮ったものを見ました。「私は乙羽さんが亡くなって ほんとにさびしい。でもこの孤独をじゅうぶんに深く感じつつ生きる」と言ったことばが忘れられません。人間として孤独をじゅうぶんに味わおうじゃないか という前向きな決意。
私も「ひとり」を上手に生きていく人間になりたい。。。

cocoせせらぎでの共生の生活をえらんだ私たち 一人一人がちがう人生を歩んでここにたどり着きました。それぞれの「ひとり」を大切にしつつ助けあっていける場所 ここは”ひとり”の生活と”みんな”での生活のバランスがとてもいい住処です。

コロナで外に出られない今 私のひとり上手は だれもいないサロンで壁にむかってピンポンの玉をうつ程度なのですが・・・
前後 右左 強弱と玉がとんできて ひとり卓球もなかなか奥が深いです。