日光東照宮

https://ameblo.jp/mykokorogarden/entry-12382137201.html  【レイライン】 より

レイラインと建造物の話。。。。。レイラインとは。。エネルギーが流れる場所のことです。蜘蛛の巣のように、または網のように地球には14万4千の交点を持ちながらエネルギーが流れているのです。これは地球のパワースポットにもつながっています。

そしてそのエネルギーラインは人間の体のツボにも対応しているのです。

日本の神社や都の配置においてレイラインをかなり活用しているとも思います。

個人的に気になるのが日光東照宮。。徳川家は北斗七星を信仰していたのでしょうか。。

日光東照宮

日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け、主要な建物を線で結ぶと北斗七星の配置に計算され、陽明門の上空に北極星が位置し、主要な建物は北斗七星の配置になっている。

鳥居、陽明門、唐門、本殿を結ぶ延長線上に神が済む場所、北極星が来るように建物が造られているのです。

日光東照宮の東照は「東の天照大神」、(家康公を東国の天照として神格化した意味)北極星のパワーを東照宮を通して江戸へ送る。陽明門付近は強いエネルギーがあると言われます。その線を真南に行くと江戸城がある。神格化された家康公が江戸を見守っているのです。(江戸のほうまで計算された位置で考えられています。)

アメリカ建国時、初代大統領ジョージ・ワシントン達もエジプトの建造物を研究し

このエネルギーの流れに沿って建設していったといわれています。

(オベリスクについてはプレアデスを意識しています。)

宇宙やエネルギーを意識した建造物は栄えるのですね


https://syukatsulabo.jp/article/3843  【日光東照宮の歴史遺産は、私たちに何を語りかけているのか?】 より

日光東照宮は家康を祀ったところ。歴史的に、その前はどうだったのだろうか。日光東照宮の歴史遺産が教えてくれるものは何なのか?陰陽道にもとづく東照宮の位置や建物の配置など、不思議な物語をひも解きます。

日光東照宮といえば家康?徳川家康

日光東照宮は徳川家康を祀る社殿で、歴史的にも由緒ある神社です。

1617年に家康の跡取り、二代将軍秀忠によって創建されたものですが、造営された当時の東照宮は、簡素な造りで今の姿とはまったく別物のものだったそうです。

家康は最初、駿河の久能山に埋葬されるのですが、遺言で自ら日光に神として祀られることを望んでいたと言われています。

秀忠の死後、1636年に三代将軍家光が巨額の費用を投じて、ありとあらゆる装飾が極致ともいうべき技法を凝らした、絢爛豪華な今の姿に改築したのです。

徳川家の幕府運営を権威づけ、強大な政治権力の象徴として造営されたものでしょう。

貴重な歴史遺産ですね。。

歴史は空海や源頼朝にも遡る

源頼朝

日光東照宮の歴史を徳川の時代からさらにひも解くと、奈良時代にまでさかのぼります。

766年、勝道上人という僧侶が、日光の地に四本龍寺、のちの輪王寺という寺を開きました。

歴史的には、この僧侶が日光の開祖とされています。

勝道上人は、男体山を二荒(ふたら)山と呼び替え、この二荒を「ニコウ」と音読みして、これが日光の語源になったと言われています。

848年、天台宗の慈覚大師・円仁が日光来山し、三仏堂などを創建したと言われています。

また、この頃真言宗の弘法大師・空海も来山し、滝尾権現と寂光権現を祀られたと伝えられています。

「二荒」を「日光」に改めたのは、この時の空海だという説もあります。

歴史上でも有名なこの円仁や空海の来山によって、日光山への信仰が盛んになり、山中には多くの寺院が建立されるようになったとのことです。

鎌倉時代では、将軍家の日光山への信仰があつく、源頼朝は三昧田として領地を寄進し、実朝は三重塔などを寄進したといいます。

このころ日光山は関東の比叡山といわれ、仏教文化がもっとも花開いたときと伝えられています。

東照宮の祭神の神輿(みこし)を収めてある神輿舎には、中央に徳川家康、右に豊臣秀吉、左に源頼朝の3基の神輿が納められています。

なぜ、歴史を代表する武将、頼朝、秀吉がいるのか、それは武将として家康が頼朝、秀吉を尊敬していたからと言われています。

日光東照宮に秘められた陰陽道

東照宮がなぜ徳川家によって日光に建立されたのか?

特に歴史的な経緯からは解らないのですが、そこには、陰陽道の強い影響があると言われています。

陽明門の真南には江戸が

日光東照宮は北斗七星の配置にデザインされているといわれます。

日光東照宮の主要な建物を線で結ぶと、北斗七星の配置と寸分違わぬよう設計されていて、鳥居、陽明門、唐門、本殿を結ぶ延長線上に北極星がくるように建物が造られています。

さらにその線を真南に行くと、そこには江戸があるのです。

古代中国では、北極星は宇宙全体の神、天帝であって、神のいる場所とされていました。

日光東照宮を拝することは、天帝、北極星を拝することと同じことであると意味づけられているようです。

日光東照宮の「東照」は「東の天照大神」、家康を東国の天照として神格化し、その神格が宇宙を主宰する神と一体化して、北から江戸を見守っているという構図になっています。

壮大な構想ですね。

家康ゆかりの地などの位置関係をみてみましょう。

日光東照宮-富士山-駿河久能山東照宮が、直線の位置関係で結ばれています。

「富士」に、「不死」の念を込めて、家康が「久能山から不死の魂(不死の道)を持って日光に至る」ようにと考えたようです。

日光東照宮は、江戸城から見てほぼ真北の方向にあたり、江戸城を護るために造られたといいます。

夜、日光東照宮の陽明門前に立って、夜空を見ると陽明門の上に北極星があります。

古代人は北極星を神格化して、妙見神としていました。

妙見神は国土を擁護し災害を滅除し、人の福寿を増す力を持つといいます。

生誕した愛知県鳳来寺山の東照宮と久能山東照宮が横一直線(太陽の道)で結ばれています。

久能山東照宮-鳳来寺東照宮を延長すると、岡崎東照宮・岡崎城-京都の線になります。

諏訪大社-日光東照宮-江戸城の三地点を結ぶと、ほぼ二等辺三角形になります。

いろいろな意味があるのでしょうね。

日光東照宮の歴史遺産を訪ねる

日光東照宮には、建造物や美術工芸品に国宝や重要文化財に指定されている歴史的にも有名なものがたくさんあります。

特に有名な眠り猫や三猿に関する逸話などを探ってみましょう。

眠り猫の秘密とは

「眠り猫」は、家康の墓がある奥社への参道の坂下門の手前、東回廊入口部分の軒下の正面にあります。

初めて見る人のほとんどの人がその小ささに驚きます。

説明の看板がなければ通り過ぎてしまうほどの小さな彫刻です。

説明の看板には「左甚五郎の作、牡丹の花咲く下に日の光を浴びて子猫がうたた寝をしているところで日光を現す絶妙の奥儀を極めている・・」とあります。

なぜ猫なのか?

この猫については数々の逸話があって、最初は目を開いていたとか、禅の悟りの境地を意味するとか、奥社の入口だから「不浄なものは鼠一匹通さない」というような説もあります。

「眠り猫」を見て満足してはいけません。見逃してはいけないのは、裏側です。

表は眠り猫ですが、裏側は「遊ぶ雀」なのです。雀を襲う猫は、歴史的にも戦国乱世の象徴とも言われています。

その反対の眠り猫と遊ぶ雀は、「乱世の終わり、弱者が安心して暮らせる時代の象徴」とも言われています。

猫が寝ているから、雀が楽しく暮らしていける。江戸時代の平和の到来を意味しているという説なのです。「猫も寝るほどの平和」の表れと言われるのは、長く徳川幕府の世が続いたからでしょうか。

三猿に至った逸話とは

「神厩舎」という、神様に仕える馬が休む馬小屋の屋根の下に「三猿」が彫られています。

「見猿 聞か猿 言わ猿」の三猿がそれぞれ耳、口、目を塞いでいます。

この猿は幼年期の猿で、幼いうちは純真で周りの影響を受けやすいので、世の中の悪いことは見聞きせずに、悪い言葉を使わせずにしなさい、この時期に良い物を身につけておけば、悪いものに触れても正しい判断、行動が出来るという教育論の意味が込められています。

実は三猿は日本発祥の文化ではなくて、歴史的には8世紀頃に中国から伝わったものとされています。

漢の「論語」のなかに、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」という一節があります。

これは、「礼に背くものは見ない、聞かない、言わない、しない」といったことを意味したものですが、こうした「不見、不聞、不言」の教えが天台宗の僧から伝わって、今のような日本の形になったと言われています。

実は、本当は三猿ではなく、四匹目の猿が居て、「四猿」だったという話があります。

中国では、さきほどの「論語」にもあったように、四つの「非礼」があって「四猿」で一つの意味合いをなすセットになっています。

この四匹目の猿を「せざる」と呼んで、その意味は「せざる=しない(=浮気をしない)」ということだそうで、股間を両手で覆っている猿だそうです。

日光東照宮には、なぜ「四猿」がいないのでしょうか?

日光東照宮は、故人となった徳川家康をお祀りするために、建てられたものです。

見る者が失笑するような姿の四猿の像は、「あまりにも品位にかけ、家康公が静かに眠る聖なる地に、ふさわしくなく、無礼である」ということが原因であったようですね。

日光東照宮と歴史 まとめ

日光東照宮

日光東照宮の歴史をみてきましたが、徳川家康以前の歴史のなかからも空海や円心、源頼朝などの有名な人たちが登場します。

家康が考えたのか、陰陽道にもとづく東照宮の位置や各建物の配置など、本当のことなのかと感嘆するようなことです。

日光東照宮のなかには国宝や重要文化財がたくさんあります。

眠り猫や三猿に秘められたことや逸話を知ってから観覧すれば見方も少し変わりますね。

「日光を見ずして結構というなかれ」という言葉があります。

一生に一度は歴史遺産の宝庫、日光東照宮を是非訪れてみたいものですね。


http://ookuni.info/09_tochigi/006.php  【日光東照宮のご利益】  より

ご利益

徳川家康は大阪夏の陣で戦死していたという説がある。真田幸村の奇襲を受けて敗走中、後藤又兵衛に槍で突かれ重傷を負い、南宗寺(大阪府堺市)に運ばれたが間もなく死亡。同寺にある家康墓こそ本物の彼の墓という。

参考文献:『日本の伝説10 近畿』 日本伝説拾遺会監修 教育図書

御祭神は徳川家康。

開運招福。

商売繁盛。

家内安全。

元和3年(1617)、創建。

参考文献:『開運! パワースポット「神社」へ行こう』 一条真也監修、造事務所編著 PHP研究所

徳川家の埋蔵金が東照宮にあるという噂。童謡「かごめかごめ」の歌詞が根拠。以下、歌詞の解釈。

「かごめ」=六芒星。徳川家ゆかりの寺を結ぶと六芒星形になる。

「籠の中の鳥は」=六芒星の中の鳥居=東照宮。東照宮は六芒星の中にある。

「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」=鶴と亀の銅像が朝日に照らされ指し示す影。

「後ろの正面だあれ?」=影の先の家康の墓の裏の祠。祠には上部が欠けた六芒星あり。

参考文献:『眠れないほど面白い日本の「聖地」』 並木伸一郎 三笠書房

神橋の近くに「星の宮磐裂神社(ほしのみやいわさくじんじゃ)」がある。勝道上人に「日光山を開け」とお告げした明星天子(みょうじょうてんし)を祀る。日光最古社。川の激流に行く手を阻まれた勝道上人がこの辺りで祈祷したら青と赤の蛇神が橋になったという。勝道上人(?)が取り憑いた。

日光では、家康には「東照大権現様」、家光には「御三代様」と敬称をつけるべき。

神橋の上に巨大ボウズ。暖かかった。

神橋の近くに深沙大王(じんじゃだいおう)を祀る深沙王堂がある。勝道上人を助けた蛇はこの神が放ったとされる。

参考文献:『スピ☆散歩 ぶらりパワスポ霊感旅 4』 伊藤三巳華 朝日新聞出版

男体山=千手観音=大黒天=大己貴命。

女峰山=阿弥陀如来=弁才天=田心姫命。

太郎山=馬頭観音=毘沙門天=味耜高彦根命。

輪王寺三仏堂に千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の像がある。

三仏堂の後方に三天(大黒天・弁才天・毘沙門天)を祀る護法天堂がある(現在は護摩堂に祀る)。

強飯式は三天から利益を受けること。

参考文献:『日本「異界」発見』 内藤正敏 JTB

家康の神号を「明神」とするか「権現」とするかで、崇伝と天海がもめた。結局、天海の推す「権現」に決まった。

徳川吉宗、約13万の大軍を率いて65年ぶりに将軍の日光社参。幕府の威信回復、享保改革の成果のアピールなどを狙う。農民、街道・宿の整備などに駆り出され迷惑を被る。

八王子千人同心が東照宮で火の番(火事などから守る仕事)をしていた。今も東照宮の建物を見れるのは彼らのおかげ。

戊辰戦争の頃、旧幕府軍が日光に来た。家康に加護を祈りにきたのだといわれる。新政府軍が追撃してきて旧幕府軍を撤退させろと東照宮の宮司らを恐喝。東照宮側の必死の説得により旧幕府軍立ち退き。

参考文献:『「神社」で読み解く日本史の謎』 河合敦 PHP研究所

御祭神は徳川家康。

日本全土を守る。

陽明門の上空に北極星が位置する。その線を真南に行くと江戸城がある。主要な建物は北斗七星の配置になっている。北極星のパワーを東照宮を通して江戸へ送る。

陽明門付近は日本トップクラスの運気。

本殿周辺は強力なパワースポット。

五重塔の寅、表門の獏(ばく)、神厩舎の猿、眠り猫など、600体以上の動物たちの木彫りがある。そのすべてに意味があるとされる。

正面の鳥居の横に楢の宿り木のある杉の御神木がある。「好き(杉)なら(楢)一緒」ということで恋愛運アップ。

家康のお墓の隣に「叶杉(かなえすぎ)」がある。願望成就。

参考文献:『全国・最強ご利益パワースポット巡り』 金谷俊一郎 宝島社

「強飯式」という行事がある。4月2日、輪王寺三仏堂門において挙行される。以前は滝尾神社における1月の行事だった。強飯式で使われる金椀に盛った白飯、生大根、山椒(さんしょう)、蓼(たで)、唐辛子、金甲は金気を象徴するもの。この行事は、金気を破砕して木気を扶助し、季節の循環を促進させ、春を無事に迎えるための呪術。

厩舎の猿の彫刻は陰陽五行による防火呪術。三合の理によると申は水の始。水剋火の理により午(火)を撃つ。

江戸の真北に日光霊廟が設けられたのは魂魄収束を願って。

参考文献:『陰陽五行と日本の民俗』 吉野裕子 人文書院

地龍の流れは、男体山→大真名子山→小真名子山→女峰山→家康の霊廟。

家康の霊廟が穴。

赤薙山が青龍砂。

鳴虫山が案山。

女峰山の山裾が白虎砂。

前方に大谷川が流れており、「龍」「穴」「砂」「水」の揃った素晴らしい風水の地。

日光にある天海僧正の墓所は龍脈から外れている。気が塞がった地に建てられている。

参考文献:『地理風水―聖なる大地の霊力』 御堂龍児 光人社

四神相応の地。

男体山から女峰山を経て地龍が流れてきている。

赤薙山が青龍砂。

女峰山の山裾が白虎砂。

稲荷川が明堂水。

大谷川が客水。

鳴虫山が案山。

東照宮の家康の霊廟が穴。

安定、繁栄。

参考文献:『「風水」で読み解く日本史の謎』 李家幽竹 PHP研究所

主祭神は徳川家康、豊臣秀吉、源頼朝。

江戸の鬼門守護。

伊達政宗への霊的防衛。

陽明門の12本の柱のうち1本だけ逆さになっている。未完成を演出している。完成したものは崩壊に向かうから。拝殿と本殿にも逆柱がある。

神厩舎に三猿が彫刻されているのには、火(馬)を水(猿)で鎮めるという意味がある。

天海=明智光秀。

陽明門の脇の2体の座像の着物には桔梗紋がある。桔梗紋は明智光秀の家紋。

参考文献:『神社仏閣に隠された日本史の謎と闇』 中見利男 宝島社

青銅製の第二鳥居から発せられるパワーが強力。ゆるぎない人生、変わることのない幸せ、物事の成就などを与えてくれる。

人生の最終目標に焦点を絞ってお願いするとよい。

眠り猫には、ライバルや足を引っぱる意地悪な人を上手にかわす力が備わるというご利益がある。まず猫をしっかり見て、その後、裏側の雀をしっかり見るとよい。

奥宮参拝の前に自己祓いをするとよい。

天下が取れる。

隣にある二荒山神社に参拝すること。スルーするとバチが当たる。

参考文献:『さらにパワーをいただける 神社の謎』 合田道人 祥伝社

早朝か夕暮れに訪れるとよい。

霊気がやわらかなシャワーのように降っている。

東照宮は富士山の力と北斗の力を融合し、その気によって江戸を守護するという宇宙的な役割を持つ。

日光最大の霊的スポットは天海僧正の墓。大猷院の南側にある。

参考文献:『体感パワースポット』 出口衆太郎 BABジャパン

日光の社殿が南向きに建てられたのは北極星を背にするため。日光山は江戸のほぼ真北にある。北は北辰(北極星)の方角で、宇宙を支配する天皇大帝(天帝)の居所。久能山から日光への東照宮遷座は徳川家康を北辰に見立てるための秘儀。

日光山には空海が修行していた時に北極星が出現したという伝承がある。

東照宮の相殿神の山王神と摩多羅神(まだらしん)は北斗七星になぞらえられている。

参考文献:『日本の秘地・魔界と聖域』 小松和彦、荒俣宏、他 KKベストセラーズ

徳川家康を祀っている。

風水を効果的に使って建てられている。今でも東京に向かって気を送り続けている。

健康運アップ。

出世運アップ。

左甚五郎作の「眠り猫」から家康公墓所への道には強いパワーがある。

奥宮には正面から流れる気と横から流れる気がクロスして重なる地点がある。叶杉、宝塔前、宝塔をはさんで叶杉の向かい側の場所にパワーがある。

本地堂の鳴竜の音を聞くと土地の気の吸収率がアップする。

「日光杉並木街道」にも寄るとよい。浄化のパワーがある。

参考文献:『李家幽竹と行く 幸せパワースポット』 李家幽竹 ダイヤモンド社

徳川家康は子孫繁栄のためには力のある土地に自分の墓を建てる必要があると考えた。その力のある土地が日光だった。家康は死後いったん駿河国の久能山に葬られたが、翌年日光に改葬された。

肉体的にも精神的にも力がみなぎる。

生命力アップ。

子孫繁栄。

知力アップ。

名工・左甚五郎作と伝えられる「眠り猫」は、眠っているように見せかけて実はいつでも飛びかかれる姿勢になっており、東北地方への睨みを象徴しているといわれる。また裏側に雀が遊ぶ様子の彫刻があることから、平和を象徴しているともいわれる。

陽明門には「逆柱(さかばしら)」という彫刻が逆になっている柱がある。「完成したものは滅びていくだけ」と考えた家康が1ヶ所だけ不完全なものを残し徳川家の永遠の安泰を願ったものという。

参考文献:『早分かり!日本のパワースポット』 幸運社 大和書房

日光はもともと男体山を仰ぎ見て登頂する修行場として開かれた。

この土地のパワーを信じた徳川家康が、徳川家の繁栄のためにここに自分の墓所をつくった。

「龍」「穴」「砂」「水」すべてに強いパワーが溢れている。数百メートルにわたる広い地域に気が漂っている。

地からのパワーと日光山から流れ下る生気が東照宮のあたりに非常に強くたまる地形になっている。

すがすがしい気分になれる。

東照宮の隣にある二荒山神社にも参拝するとよい。

参考文献:『「風水」の秘密』 御堂龍児 ごま書房

寛容に人々を受け入れている場所。

周囲とともに発展できる。

人間関係運アップ。

仕事運アップ。

参考文献:『幸せを呼び込むパワースポット』 暁玲華 集英社

男体山(2486m)を祖山とするパワースポット。日光白根山や女峰山の龍脈と1つになった男体山の龍脈が中禅寺湖を経て東照宮や二荒山神社に入っている。最終的には東京まで生気を送っている。

出世運など上昇する運気を与えてくれる。

勝負運アップ。

願望成就。

奥宮である家康公の墓所が生気の発生源になっている。奥宮へ向かう道は龍道となっており強いパワーがある。墓所である宝塔を中心に縦と横にクロスして気が流れているので宝塔の真横と真後ろの参道で少し立ち止まるとよい。奥宮拝殿そばにある井戸水にも触れるとよい。墓所なので騒がないように。

東照宮から日光二荒山神社へ向かう参道も強力なパワースポット。

参考文献:『李家幽竹 最強龍穴パワースポット』 李家幽竹 山と渓谷社

世界遺産に登録されている。

徳川家康を東照宮大権現として祀っている。

陽明門とその前の鳥居を中心に結んだ上空に北極星があり、その先には江戸の地が続くように設計されているなど東照宮は風水学に基づいて設計されている。

「眠り猫」の先にある家康公の墓所の奥宮に向かう道が強力なパワースポット。

参考文献:『風水パワースポットBOOK』 内川あ也 新星出版社

正面の鳥居を入ってすぐに大きな杉の木のご神木がある。この杉の木には楢(なら)の宿り木があり、「杉と楢が一緒」=「好きなら一緒」という語呂合わせで恋愛にご利益があるといわれている。この木の前で永遠の愛を誓うとよい。

参考文献:『島田秀平と行く! 全国開運パワースポットガイド決定版!!』 島田秀平 講談社