アラハバキ神

http://iihatobu.blog98.fc2.com/page-10.html  【アラハバキ神】 より

先日、仙台と住田町の荒脛巾神社を相次いで参拝してきました。

「アラハバキ神」は文献にほとんど出てこない謎の神と言われています。

アラハバキ神は皇祖神とは異なる神で『古事記』や『日本書紀』が編纂される前の日本列島に先住していた人々が信仰していた神なのです。

奥州を支配していた安倍氏は神武天皇が東征して奈良で戦った登美の長脛彦の兄安日彦をその始祖しています。その安倍氏はアラハバキ神を氏神としていました。

『陸奥抄史』に住田町と遠野の界にある貞任山に荒覇吐神社があったことが記されています。住田町にアラハバキ神社が今もあります。

アラハバキ神を祀る神社の多くに磐座があり、おそらく古代では岩の上で巫女が祭祀をおこなっていたと思います。

沖ノ島最古の岩上祭祀の時代に鉄製品が祭祀品として使われていました。鉄が入ってくると縄文の人々はその輝きに神の神聖さを感じたと思います。

鉄の塊をアラハバキ神の御神体としている神社も多いのです。

宮城県多賀城市のアラハバキ神社(荒脛巾神社)の隣では鍛冶・製鉄の神天目一箇神を祀っていました。

『古語拾遺』によれば、岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造ったのが天目一箇神で筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖としています。『古事記』に製鉄を行った鍛冶の神として天津麻羅(あまつまら)が出て来ますが、神や命がもちいられずに呼び捨てにされています。天津麻羅(あまつまら)は天目一神(あめのまひとつのかみ)と同神とされています。

天津麻良はニギハヤヒが天磐船に乗って降下する時、供奉した五部人の中の一人であり、物部系氏族の祖神となっています。

天之久之比命(あめのくしひ)の別名は天目一神で大物主と三穂津姫の夫婦神を祀る村屋坐彌冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)の末社久須須美神社(若宮恵比須神社)に祀られています。また、天之久之比命(あめのくしひ)は天目一箇神(あめのまひとつのみこと)の別名天津彦根命(あまつひこねのみこと)を祀る多度神社の末社鉾立社(ほこたてしゃ)の祭神として祀られています。

「海部氏勘注系図」によると天目一箇神は滋賀県野洲の御上山の祭神で海部氏(アマべ)の祖先に当たります。

『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条には天目一箇神が女神・道主日女命(みちぬしひめのみこと)と天目一神との間の子と記されています。

道主日女命(みちぬしひめのみこと)は「海部氏勘注系図」で天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト=アメノホアカリとニギハヤヒが合体した神名)の妻とされています。

伊勢神宮の荒祭宮は伊勢の地主神でアラハバキ神の姫神を祀っていると言われています。別な文献では伊勢神宮の荒祭宮は瀬織津姫です。ニギハヤヒと瀬織津姫は物部氏の祖神です。

荒覇吐の「荒(アラ)」は、山伏やタタラでは「鉄」を意味し、蛇はハハ、ハバとも呼ぶのでアラハバキ神は鉄の蛇ということになります。

整理すると、アラハバキ神は神武以前の蛇を象徴とする大物主=ニギハヤヒを祖先とする製鉄の技術を持っていた物部氏と関係が深い神だということがわかります。神武天皇はたたら製鉄のタタラの名前を持っている大物主の娘と結婚しています。

アラハバキ神とは蛇を信仰していた縄文の人々と大陸から製鉄技術をもっていた人々と混血した神なのです。製鉄技術を持っていた物部氏と縄文の末裔が混血したのが蝦夷で、その末裔がアラハバキ神を氏神とした安倍氏です。アラハバキ神を祀る神社は出雲から青森まで広範囲に渡っています。

日高見国

昔の東北は日高見国と呼ばれていました。

神社で奏上する大祓祝詞にも「大倭日高見の国を安国と定めて」と出て来ます。

また『日本書紀』の景行天皇の条には「東の夷の中に、日高見国有り」とあって、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰りに「日高見国から帰りて」とあり『常陸国風土記』に「此の地は本の、日高見国なり」とあります。

鎌倉時代までの東北は蝦夷と呼ばれ天皇に従わず大和朝廷と異なる言語、風俗、習慣、価値基準を持っていた異民族とみられていました。

蝦夷の「日の本」は言葉がまったく通じず、獣や魚を主食とし農耕をまったく知らないという鎌倉時代の記述があります。

津軽の安東氏は奥州十三湊日之本将軍と呼ばれていました。青森県東北町には「日本中央」の碑があり、豊臣秀吉の文書でも東北を日の本と呼んでいました。日本は東北の地名だったのです。

そして、中国の『旧唐書』(10世紀)と『新唐書』(11世紀)に「小国が大国を併合し日本と名のる」と日本からの使者がそう伝えたとあるので、倭の国が日高見国を併合して日本と名乗ったことになります。

景行天皇の息子小碓尊(おうすのみこと)が熊曾建(くまそたける)を殺して、その名前をとってヤマトタケルとなった故事と一緒です。言葉は言霊といって名前は霊力があるのでその力を取り入れたのでしょう。

何れにしても、古代の日本は統一国家ではなく、大雑把にいえば大倭と日高見の二つに分かれていたのです。

日高見が北上の漢字表記となって日高見國の中心を流れる北上川となりました。

いまでこそ東北が辺境の地であるかのように思われていますが、縄文時代の東北は世界に先駆けて土器を発明した世界でも類のない文明の最先端地域でした。