日本人の性格形成と風土とは

近代日本の思想史を代表する哲学者の一人、和辻哲郎。彼が、構築しようとした「倫理学」とは、どのようなものだったのか。西田幾多郎やハイデッガーなど、同時代の哲学者とも干渉しあいながら、「人間=じんかん」を考察したその思想形成の現場に迫る。

和辻哲郎は、明治22年(1889)に兵庫県で生まれ、30歳にして名著の誉れ高い『古寺巡礼』というベストセラーを刊行します。早熟で、高名な学者として大正から昭和30年まで活躍します。

ただし、その終生をかけた仕事とは、倫理学の構築でした。「人」ではなく、「人」と「人」の間、すなわち「人間=じんかん」の学として、倫理学を打ち立てようとしたのです。

『古寺巡礼』が、初期の作品であることからもわかるように、仏教を研究し、『正法眼蔵』を読み解き、そして倫理学へ。

近代日本の代表的な哲学者のひとり、和辻哲郎の思想は、どのように生成されていったのか。

道元、西田幾多郎、ハイデッガー、あるいは仏教、西洋哲学、さらには時代の思潮とさまざまに格闘しながら、近代の代表的哲学者が思想を形成していくさまを、緻密な筆致で描いた力作です。


Facebook・竹元 久了さん投稿記事  🌷日本人の性格形成と風土とは和辻 哲郎(わつじ てつろう)

日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、文化勲章受賞

一部抜粋

★風土

環境として性格に大きな影響を与えるものの一つとして風土があります。

風土とは地理・産物・気候等自然の状態をいうのであるが、日本列島は北は北海道から南は沖縄まで、23000㎞の列島である。

随って北の国は寒い様相を呈してを呈しているのに、南の国は熱帯性気候とあるというように風に、寒冷・温帯・熱帯の夫々の風土をことにしている。

そこには必然的に、寒い国に育った者と熱い国に育った者とでは風俗・習慣・言語を異にする結果となる。

これ等生活の重要な要素が異にすれば性格又自ら異なるところ大なるものがあるのは当然のことであろう。

しかし今日のように、交通機関が発達し、情報社会が多様化するに及んでは、東西遠隔の地といえども、居ながら通信し、東の国からの西の国に数時間を待たずして移動できる現状に至っては、寒帯育ちも熱帯育ちも混在して住居を構える事となる。

随って都市生活においては、様々な性格者が隣り合わせでいる

一体日本人は寒冷的性格なのか、それとも熱帯的性格なのかと考察しょうとしても容易に裁断し得ないのである。

●東北日本型・西南日本型

古くから日本人の性格を捉えようとすれば、東北型人間か、西南型日本人なのか類別して考察する必要がある。

寒い地域の風土性と熱い地域の風土性とが大きく影響している筈である。ここではその論究は止めることにして本論を進めることにしょう。

★都市型と農村型

都市に住む住民と、農村に住む住民とは、自らにして生活様式も異なり、性格も異なってくる。

都市型住民の人間関係は砂集団であり、農村型の住民のそれは粘土と総括できよう。

農村社会に他の地域から入り込んで住むということは中々困難で、たやすく入り込み得るものではない。

そこには古くから人間関係組織が複雑多岐にできあがっていて、上下の.縦型社会が成立し、その枠組みに位置するの容易ではないのである。

すなわち、粘土のかたまりという意味なのである。

これに反し、都市型は、人間関係が砂のように固まらずサラッとしている。

隣は誰が住む人ぞ、という位で、隣家の事等別に気にもかけないという気風がある。ある県の都市では、昔は農村型であったのに、急に人口が増加し、各地からの移住者が増えて、都市的傾向を帯びたところでは、何かの話し合いをする場合でも、農村型の昔のタイプと都市型の市民性を持つ人達と意見の食い違いがくっきりとでてくるのである。

この様な土地では農村型の粘土性格と都市型の砂的性格が入り混じって、統一が難しいのである。内と外の区別をつけ、近隣社会の交際を密にするよりも、することはその逆で、疎遠にして、内の者だけで固まりたいのである。

近隣社会の子供会に入るよりも、内の者だけで出かける方が楽しいのである。

即ち砂でありたいと思っている。町内の人達と運動会にでかける

よりも、家族だけでピクニック等にでかけた方が良いのである。

ところが農村型はそうではない。日本は元々古代から農耕(農村)社会であり、農耕文化が日本の基礎を築いた。又、隣人同志が交わり、和の循環型社会を築いていった。それが今日の氏神様中心のお祭をみんなで楽しんだり、伝統的な地域の行事となり熱中するようになった。

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